2007年12月31日月曜日

スキミング~知らないうちに預金が抜き取られる~


著者;松村喜秀 出版社;扶桑社 出版年度;2007年
 スキミング犯罪者が狙うのはハイテク化されていないキャッシュカードやクレジットカードというくだりからあっと驚く手口が紹介されていく。「あっ」と驚くというのは、その手口の背後にある技術や発想があまりにもアナログなので注意深く用心していればすべて防御できたはずのスキミングがいともたやすく行われているということだ。セキュリティに100パーセントはなく、そして情報が「金」そのものになる世界だという認識。クレジットカードは自分自身ほとんど使わないが、それで正解だったと思わしてくれる生活防衛のためにも必要な一冊。

アタマが良くなる合格ノート術

著者;田村仁人 出版社;Discover社 出版年度;2007年
 ノートの取り方というのは今まで我流で通してきた。が野口悠紀夫先生の「超整理手帳」を使い始めてから確かに自分の生活スタイルや記録様式などが変化。他の人が開発したメモやノートの取り方にも注意が向くようになってきた…。ということで学習用ノートの提言やアイデアをまとめた一冊。「結果を出すのに必要なのは正しい戦略と必要最低限の努力」というアドバイスをノートでどこまで実現できるか…がポイント。復習も考慮に入れたノート術ということでコーネル式のノートなどが紹介されていたりマインドマップも紹介されている。実は実際にこの本をきっかけにしてマインドマップにも挑戦してみようと思ったのだが、それに近い路線にまでは到達できてもなかなかあの色鮮やかなノートにはならない。ただし、完全に著者のアイデアどおりにはいかなくても「発想の素」みたいなものが我流のノート術の中に活用できるようになってきたのは一つの成果かもしれない。あれこれ「試行錯誤」しているうちに、そのうちに自分にとって一番のノート作成術がみつかっていくのだろう。

 現在の課題は会議や打ち合わせその他の情報整理を一元化していくのにはどうしたらよいか…といった点。今のところメモの大きさをすべてA4サイズに統一して重要なものは「超整理手帳」で持ち歩くといった方向に向かっている。マインドマップまがいのものも自分で作り始めたが、正しいマインドマップではないものの多数の項目を一元化してA4一枚にまとめていくことの重要性には気がつき始めた昨今…。市販のノートに限定されずに紙一枚でもうまく活用すれば安くてしかも自分にとって利用しやすいメモやノートになりうるということに気がついてきた…。

2007年12月27日木曜日

ココロクリニカ

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2004 出版社;ソフトバンク
 人間「魔がさす」ということはよくあるが、しかし「魔」がさした場合に失うものは社会的には大きい。したがってなるべく感情等については自分自身でコントロールできるようにしておくのが望ましいのはいうまでもない。現在では何某有名タレントが所属するプロダクションのマネージャーから刑事起訴されるという事件があった。冷静に考えれば割りにあわない話ではある。おそらく推測するに、芸能界のタブーというものは現在でも厳然と存在しており、それは非日常的な場面ではある種の暴力で強制されている部分もこれまであったのかもしれない。ただし時代はもはやそういう時代ではなく、「手をだした」場面でもうすべてが終了する。その場に第三者がいた場合で刑事起訴の場合には、偽証罪に問われる可能性があるので当然嘘もつけない‥。「冷静な判断」はすべてに勝るが、そうした判断力を養うのにはやはり専門家の意見を参考にするのがよいのだろう。
 この本では読者からの「悩み相談」という形式で種々のアドバイスが授けられている。ややエキセントリックすぎる質問もあるが、そうした部分も含めて人間の悩みというのは多種多様だ。実生活にどれだけ応用して取り込めるのかがポイントだろう。

ビンボー脱出のルール

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2004 出版社;扶桑社
 精神科医和田秀樹氏のビジネス書籍だ。これまでの日本のビジネス本というのはどちらかといえば「キレイゴト」というのが多かった。実現不可能な禁欲的な生活・倫理的な生活、しかもそこで説かれる「倫理」とは儒教的でもあり、キリスト教的でもある不可思議な倫理体系が多かったように思う。そこへ認知科学の成果をたずさえて和田氏のビジネス本が現在売れているのは、実現可能な目標を適切に与えてくれる点にあるだろう。「起業」とはいっても実際には会社の「給料」が基礎体力になるといった現実的な話は読者の生活の中に応用が可能な部分である。労働基準法そのほかの戦い方も含めて総合的な見地から「びんぼー」脱出のスキルをとく。ただしタイトルが「いかにも」という感じなので、レジにもっていくのには多少の勇気がいるのかもしれない。

退却神経症  


著者名;笠原嘉  発行年(西暦);1988 出版社;講談社
 1980年代の本であるがこの当時からある種の「無気力・無関心・無快楽」な人間集団が問題とされていたようだ。最近ではニートとよばれる集団に該当するのかもしれない。とかく世代論で最近の若いものは‥といわれることがあるが、現在の30代・40代も「シラケ」世代などと上の世代からはいわれていたのである。「自我」という観念はすごく難しいが、定義はできないけれども「自分の他人のかかわりを説明するときに用いること」が自我ともいえアイデンティティともいえる、とか無気力の原因として「何を行動しないために行動から逃げるのか」といった問題解決法は結構有意義でもある。たとえば「なぜ労働しないのか」という問題を考えるときに「何をしないために労働しないのか」ということと問題自体は裏表の関係だ。表の問題解決ができないのならば、その対偶としてのウラの問題を考えることも有意義だろう。
 さてこの本自体の内容は現在では相当に古びてきているのではないか、というのが個人的な感想だ。1980年代はいわばアイデンティティが崩壊、イデオロギーが崩壊する一方で未曾有の好景気の時代でもある。特段にまじめにしていなくても大方の大学生は一部上場企業に就職できたし、多少留年や浪人しても経済的ロスはさほどなかった時代である。現在の27歳以上あたりがその恩恵には浴していると思う。この時代の「退却神経症」と現在の「ニート」では現在の方が問題の根が深い。日本社会における「成功パターン」とよばれる神話がもはやないため、都市銀行への就職が決まってもそれから先の競争社会は以前よりもすさまじい。就職してからその先は年下の後輩や先輩とも業績を争うことになり、それがしんどい、という気持ちはわかる。
 もともと日本人には競争原理というのはあまりなじまないところにアメリカ型経済原理がもちこまれたのだからそれはしんどい‥。社会民主主義にはもちろん限界はあるが、英米型の経済原理のほかにもフィンランドなどの北欧型資本主義の形態もこれからの日本社会には取り入れていく必要性があるのだろう。「退却」すること自体が悪いとは個人的にはぜんぜん思えない。むしと「納税が」「年金が」と上の世代の論理で切り捨てるのには問題がある。勉強や労働がすばらしいものであるならば、なぜゆえにすばらしいのか、ということを社会全体で映し出すしかないのだろう。‥おそらく好きで生き生きはたらいている世代があまりにも少なく、お手本にはなれないのがニートの原因の一つではないのか。

独学術入門  

著者名;黒川康正 発行年(西暦);2000 出版社;サンマーク出版
 なんにせよ勉強自体は楽しくやらなければ意味がない。とはいえある種の懲罰がなければばかばかしくて机の前になどは座っていられない。自分をものさしとした「独学」を著者はとなえる。基本的に講義型の授業は私も好きではないので、独学には賛成だ。だがしかしこの本の内容もある種の警戒感で読まないと多分実現不可能な工夫に終わる可能性がなくはない。たとえば通勤時間の活用だが、これはそれが向いている人はそうすればよいがそうでなければ電車の中でまで勉強などする必要はない。モバイルで遊んでいるのも立派な時間のすごし方だ。積極的休養で「脳」を休めることも時間管理の一つなので無理をする必要はないのだろう。そうした意味では、この本は自分自身でオリジナルな勉強方法を確立するのに非常に有意義である。必ずしも本の内容どおりにする必要性はまったくないという点をしっかり理解さえしていれば。
 ただし家族まで勉強に引き込むスキルや「人脈」を功利的に利用する方法は「ちょっと‥」という気がする。ある種そこまでやらなければならない必然性とか、資格試験で得たノウハウを他の日常生活にどう活用していくのかといった視点がまるでない。資格試験も受験勉強も狭く「合格」だけを目標にしているとおそらくその後失敗する。資格試験では「上達の原理」といったものを習得しているのだ、と広く基礎から理解していくほうが応用がきく。クラブ活動や趣味にしても共通する基礎というものは厳然と存在する。そうした上達の原理さえつかんでしまえば、その応用を日常生活でしていけばよい。
 アメリカではハーバードなど高学歴な人間の成功率は日本よりもかなり高いが、それは別に学歴社会がどうこうということではなく、成功にいたる戦略的要因をしっかり卒業までに把握し、個人個人が「ライフスタイル」というものをしっかり確立できているからだろう。思うに「公務員」というものに意義を感じている人間ほど、「成り行き」で公務員になった人間よりもその後の仕事への取り組みが違ってくるのではないだろうか。資格も受験も同様だと思う。

あぶない脳

著者名;澤口俊之 発行年(西暦);2004 出版社;筑摩書房
 脳科学の専門家が雑談もまじえながら人間の「脳」について語る。やや極論ともおもえる著述もあるが、それも含めて「あぶない脳」というタイトルにしたようだ。
 科学の発達についても著者は「人間のおもいこみ」が激しいがゆえに「思い込み」を排除するためのツールが「科学」であるとする。総合的なデータから論理的に的確な結論を導出する方法論のことである。記憶は脳の情報処理のデータベースという指摘も興味深い。すでに蓄えられている記憶をベースに推論を加え、その結果をさらに取り込むというサイクルを演じているわけで、そうなると「詰め込み」というのもあながち悪いことではなくなるわけだ。
 人類の始まりから、いわゆる「怪奇現象」まで幅広く取り扱った面白い本。暇つぶしにはお勧め。

難関資格は働きながらとりなさい

著者名;佐藤孝幸  発行年(西暦);2004 出版社;かんき出版
 いわば当たり前のことが書いてある本ともいえるのかもしれない。社会人としての実務経験はお金では買えない勉強の積み重ねだ。人間が会社勤めをする最大の理由はリスクが個人事業よりも少なく、さらには知的経験値が上昇するという点にあるといえるだろう。サラリーマンの辛さというのはもちろんあるが、個人事業や資格取得などはいつでもできる。クレーム処理など辛い経験が勉強に役立つことだってあるのだ。勉強の最初の「効果」は大体4ヶ月といえるのかもしれない。目標をしっかりたててモチベーション管理をおこなうことによってある程度の結果は得られる可能性が高い。そのおりにどうしても自分自身に甘くなる可能性というのはあるが、それもまた一つの経験である。自分自身がいかに弱くて甘い人間かということを認識するのも「競争」の「結果」の一つの現れである。失敗は問題ではないが、失敗の結果からどうやって立ち直るかが課題になる。これはもはや「常識」なのかもしれないが‥。

野村克也の再生プログラム  

著者名;後藤寿一  発行年(西暦);1999 出版社;ぜんにち
 元阪神・ヤクルト監督の指揮を元新聞記者が分析したもの。データを重視し、既成の概念を打ち砕くことで新しい野球理論を創設した野村克也氏。いろいろ毀誉褒貶はあるが、ただ単純に打って走るというだけの大味な野球を「裏をかく楽しみ」に変えた功績は大きい。自分の弱さを弱さとして認知する、という作業はメタ認知に通じる。まず自分自身がたいした人間ではない、と認識し、「それではどうしたらよいか」ということまで考えつくす必要性がある。幸い野球は才能に加えて頭の良さも要求されるスポーツだ。野村克也氏はそこをついだのである。そうした手練手管はもちろんビジネスの場でも活用できる。企業の中や学校の中でも居場所が常に心地よいとは限らない。が、そこでまず不快な状況を認識した上で初めて効果的な策略もうまれてこようというものだ。
 成績にしろまずどれくらい状況が悪いのかを認識できなければ動きようがない。

本と新聞

著者名;原寿雄・内橋克人 発行年(西暦);1995 出版社;岩波書店
 いわゆる再販制度をめぐる問題提起だ。1990年代中ごろは新聞や雑誌については規制緩和の流れの中、再販制度も廃止されようとしていた。当時、東洋経済新聞社以外には特段に「賛成」もしくは「討議」しようという流れはどこのメディアにもなかったと記憶する。どちらかといえば規制緩和をどんどん推し進める方向でづべてのメディアが統一されていたともいえる。この談話集の中でも内橋氏をのぞいては「文化」「文化の低俗」といった言葉が飛び交うが、こうした本や雑誌だけは特別扱いという論調は「驕り」の現れではないかと今でも個人的には考えている。規制緩和をすれば大企業などが優位にたち、規模の小さい業者は撤退せざるをえなくなるわけだが、出版だけはその痛みを味わいたくないというエゴではないだろうか。その中で内橋克人氏が「再販維持」に関する論拠をきわめて冷静に提示してくれている。契約スチュワーデスなどの議論についてマスコミはあまり抑圧される側の取材はしなかったが、マスコミには本来少数派の議論を紹介するという社会的役割がありそれが民主主義を支えている。マイノリティを保護するという役割は再販制度があって初めて可能になることだ。また経営基盤がしっかりしていることで、「情報公開の基礎」が担保される。また新聞・出版は非価格競争であり、本来のジャーナリズムの活動は値段で左右されるものではない。こうした納得させる議論がなければ一般社会に出版業界は訴求力をもたない、と。
 内橋氏が一流の経済学者として評価されている理由がわかる論調だ。しかしこの発言については各一流メディアの代表はあまり正面からはこの本では解答できていないようにもみえる。営利ということもやはりある程度考慮せざるをえず、このころからマスコミは少数派の意見を反映しなくなっていたからかもしれない。

現場から見た教育改革

著者名;永山彦三郎 発行年(西暦);2002  出版社;筑摩書店
 著者が熱意ある小学校教員であることは認めよう。宇都宮近郊というのはこの本によれば「10代の人口妊娠中絶や覚せい剤での補導者もワーストに近い」地域であるともいう。全国的に強引に画一に塗られた都市化の波とゆとり教育の波の中でそれでも教育論を展開する熱意は感嘆に値する。観光産業もさびれ、工業団地も海外に移転した。高度経済成長期には高速道路も走り、サツキ栽培も盛んだったころもあるようだ。塩原、那須といった観光地は全国的にも現在でも名高い。しかし現在では西武百貨店も撤退し、東京へ従属する日々もひと段落している中、現在はもう一度経済再興に向かって努力を続けている。しかしその中で果たせる未来像もしくは理想像というものは著者すら明確なものを見出せていない。ある種の「抽象論」というものはある。しかし、実際に宇都宮の町でどれだけの「理想的な社会人像」を示せるのかはついにこの本では具体的に提示できないままである。高校の単位制度や塾の公的機関としての認定などいろいろ提言はもちろんあるのだが、それは実現不可能に近い(教育は日本ではもっとも規制緩和が遅れている分野だ)。おそらく理想像としては次の二点にあるのではないかと思う。
①教職員には明らかに適性がない人間でも終身雇用制度だ。これはおかしい。出入りの業者にたかるばかりの能無し教員というのも確実に存在する。現在審議中の教員免許更新性は絶対に導入すべきだ。公務員のリストラにも有用だろう。
②少なくとも現在の「ゆとり教育」を早くやめる。理想像が漠然としているだけでなく、内部的に自発的に勉強する人間など明らかに少数派だから。
 すでに崩壊しつつある公的教育をそれでも擁護するのは著者の立場ゆえだろう。しかし社会でそんな擁護論は誰もまともに聞いていない。少なくとも数学力や英語力が明らかに低下しているのは、学生に少しでも接した人間にはすぐわかってしまう。公式発表でごまかそうとする姿勢を早くあらためないとまずいと思うのだが‥。といってももちろんこうした教育者が地方で頑張っていることはとにかくたのもしい。この本はいまひとつなので捨てることにするが、これからも現場の教育を大事にしてほしいものだ。

「田中真紀子」研究

著者名;立花隆 発行年(西暦);2002 出版社;文藝春秋
 新潟中越地震が予想以上に被害が拡大している。知人も被害にあったことでもあり、もうすぐ雪がふる。一刻でも早い被災地の回復を祈りたい。
 しかしこうした非常事態になるとかつてに新潟に「王国」を作り上げていた田中角栄という稀代の政治家の存在を思い出す。立花隆氏はロッキード疑惑そのほかを当時追及していたジャーナリストだが、その後「田中角栄氏がその後日本のヒトラーになる可能性もなかったし思えばしょうもないことをしていた」とおっしゃっていたことも思い出す。おそらくこうしたときにこそ、そうとうな馬力で地元への活動をおしすすめていたに違いない。さてその娘田中真紀子氏だがこの方もいろいろ毀誉褒貶はあれど「全否定」をする人は実は少ない。やはり人をひきつける魅力とどぶ板政治をある程度否定しようとしているところに立花氏も一定の評価をしている(341ページ)。盗聴法の成立にも反対の立場を示したようだ。族議員が生まれないための制度改革案ももっている。しかしもちろんこの本では田中角栄氏から受け継いだ負の遺産に焦点があてられており、それはその後、何某週刊誌と東京地裁の仮処分をめぐる法廷闘争に発展したことを思えば立花隆氏の推察はある程度的をいていたとしか思えない。政治的スタンスはどちらかといえば民主党にも通じるものがあるが過去の竹下派の政治家も民主党には多く、すぐ入党ということにはならないだろう。ただし旧新潟三区をはじめ、これからリーダーシップを発揮できるときがくるのかもしれない。それが良い結果かどうかはわからないが、少なくとも娘も非凡な政治家であることをこの本は立証している。
 チームプレイではなによりもリーダーシップ(人間的求心力)、それに異質な要素を結びつけるシナジー効果が重要となる。これを活用できるかどうかはひとえにリーダーの素質だ。これは年齢を経れば経るほど実感として理解できる。周囲の人間にどれだけ信頼感と安心感を与えることができるか。
 それは今、新潟県中越地方の人間が一番田中真紀子氏に期待していることなのかもしれない。

人間関係がよくなる8つの方法

著者名;木村駿 発行年(西暦);1997 出版社;ごま書房
 「いろいろな世代の人と話をしてみる」などといったゴタクが並ぶハウツー本。こうした本では普通「7」を基本として本が構成されるケースが多いが8つである。なんとリラクセーションの体操まで紹介してくれている本だが、著者は臨床心理学専攻の人‥。ということでゴミ箱行き決定。

元気がでてくる健康学  

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;PHP研究所
 世界保健機構の健康の定義には「spiritual」というものも今度から含まれることが予定されているらしい。驚いた。この本では健康について主に老年精神医学の観点から検討を加えており、通説である健康神話がかえってストレスを増加させかねないことについて警鐘をならしている。そして前頭葉の機能低下についてこれまでの著作物と同様に警告を発している。人間誰でも好きなことをして生きるのが一番よい。かえって変な我慢が余計なストレスにつながりかねない側面もある。自分自身にとってはとにかく「差別化戦略」を全面に押し出そうとしてるので、他人がやらないことにチャレンジをしていくことに「快感」を見出そうとしている。それは健康にいいことなのかもしれない。自分自身が社会的に不公正な行為につながらない限り、何をしてもよいという発想。そしてまた「お金」についてもあくまで健康維持の観点からとらえようとする「大阪商人」的な発想は結構大好きだ。

我が子を東大に導く勉強法

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;PHP研究所
思うに1984年の中曽根政権以来、「ゆとり教育」が推進され一部の高所得者層以外はあまり勉学に力を入れないようになってきた。学歴だけで確かに社会はわたれないが、とにもかくにも企業は採用や昇進にあたって「過去の履歴」を重視する。未来の成長性は不確実だが過去の経験は確定値だ。これはしょうがない流れだろう。
 和田秀樹氏はこの本で巷にある「実力」「理想論」について疑問を呈するが個人的にはまったく同感だ。受験勉強に才能はいらないので野球選手や芸能界に入るよりはるかに簡単なことであるし、また多くの人間にとっては一番目指しやすいジャンルである。また中曽根政権が1984年以来推進している(臨時教育審議会)ゆとりの理念のもとに、数学力も英語力も低下しているのが実情だ。その一方で家計にゆとりがあり、両親が高学歴な家計では、受験のノウハウとメリットが熟知されているので、塾や公開模試などに参加させたりする。アメリカやイギリスのように高所得者層がエリート層となり世襲制のような状態になれば、国全体の活力が低下してしまうではないか。読む・書く・計算はすべての基本なのだから、もう少し「理想」から「現実」に早く立ち返って欲しいものだ。
 さて、和田氏の基本は「人間的な要領のよさ」に集約される文章も多いが、これはこれで評価すべきだろう(要領ということについて好き嫌いは当然あるだろうが)。プライドと負けない気力というのも要点としてあるが、要領がよくなるということはある種の情報を収集してから、それを自分自身で咀嚼し、自分なりの意思決定を下して行動するという一連のプロセスとなる。仕事であれ勉強であれ、そうした「工夫」をするかしないかということはすごく重要なことだと思う。「工夫」があればモチベーションがやや自分で下がってきたと思えばやり方を変えてみる、本を読んでみるといった別の行動原理に結びつくこともあるだろう。それがなければすべて「才能」「人格」といった意味不明な逃げ場に逃げ込むことになると思う。

能力主義の心理学

著者名;岡本浩一  発行年(西暦);1999 出版社;講談社
 認知心理学や社会心理学もかなり科学的な業績・評価が確定し、一般社会人も普段の生活にその研究の成果が利用できるようになった。「俗説」として巷にあふれるビジネス本のほとんどは科学的評価がさだまらない宗教本の類が多いが、認知心理学者の書いたものについてはある程度信用できるものと思ってよい。この本もそうした信用できる本の一つであろう。
 さて「能力主義」として現在社会で「能力」測定の道具として言語能力や数的処理能力があげられる。こうしたものがすべて無駄というわけではないが、コンピュータリテラシーについては特に個人差がないことや、国際性が語学力を意味しないことなどを易しく解説してくれている。また「学習性無力感」や「随伴性」といった概念で「やる気」についても解説してくれているのでお勧め。
 やはり人間思い込みだけでは相当に危険すぎるし、客観的な評価と自己評価に大きなずれがあるともう大変だ。自分自身を冷静にみつめるためにも、また怪しげな自己啓発本などにまどわされないためにもより客観的・科学的なこうした本が一般社会に浸透してくれればと切に思う。

会議革命

著者名;斉藤孝  発行年(西暦);2002 出版社;PHP研究所
斉藤孝氏が提唱するマッピングという手法を通じて会議の編成を提唱した本。日本の会議は確かに無駄が多く、どうにも手をつけられないところがあるが、世の中には、会議出席だけで食べていける人々も存在するのでこの本が利用されるようになるのには、相当な時間が必要となるだろう。日本的会議の意味するところは責任の所在を不明確にするところにある。したがってマッピングなどというように責任が明確化されるのは、日本の企業はあまり望ましく思わないという構造がある。能力主義とはいっても、実は日本企業の文化がさして変化がないところに「能力主義」が持ち込まれているのであって、これをマッピングで活性化するのには、やはり無理がある。
 日本の伝統というのは曖昧な集団主義に特徴がある。誰もが無駄とはわかりつつも、お呼びがかかれば終日会議にでていなければならない構造‥というのはおそらくあと10年後にも変化はみられないだろう。

取ったら稼げる資格のバイブル

著者名;吉本聡太郎 発行年(西暦);2001 出版社;成美堂出版
いろいろとノウハウめいたことが書いてあるが、やはり著者自身が大型資格を取得していないのであまり説得力がない。ただし資格の効用について書かれた箇所が非常に有用ではある。資格には自己チェックと自分発見が前提になるというところだ。自分自身の適性を認識するのにはやはり資格は有用だ。日商簿記3級に合格するのに2回も3回も受験しなければならないとしたら、それはやはり簿記会計に適性がないのだろう。自分自身の適性を見極めたうえで資格を取得し、合格後にさらに充実した仕事や人生を入手するという一連のプロセスでとらえた場合には確かに資格取得や勉強は無意味ではない。またキャリアアップという言葉についてもいろいろ考えたが、それは汎用性を高めるというメリットとリンクしているようだ。ある一つの企業にのみ通じるスキルを獲得することはキャリアアップとはいえないだろう。やはり現在勤めている企業が倒産した場合に、自分自身の市場価値を汎用性あるものにしておくのは重要なことである。そのあたりコンピュータ関連資格として基本情報技術者などを取得しておくといちいち自分自身のスキルについて説明する必要性がなくなる。「何ができるか」を実証するときに余計なこまごましたスキルの説明をするよりも資格を提示したほうが時間の節約となり、その上で自分自身の人間性などをアピールすればよいのである。これから種々の不確実性の高い時代になるわけだが、一度取得した資格はいわば一生ものでもある。資格取得の一つの方法としてタテに伸びる資格とヨコに伸ばす資格取得といったスキルの組み合わせの紹介もまた有用だろう。

英国紅茶の話

著者名;出口保夫 発行年(西暦);1998 出版社;PHP研究所
英国紅茶へのこだわりの一冊。とにかく面白い。紅茶に砂糖を入れて飲んだのは、イギリスではチャールズ二世の后キャサリン王妃だということだが、ポルトガルからとついで来たときに紅茶と砂糖を一緒にもってきたという。おいしい紅茶の入れ方やミルクを先にいれるかどうか。dishで飲む紅茶は労働者階級、リッジウェーやメルローズなど紅茶メーカーの歴史、ダージリンやアッサムの話から茶器まで種々のエピソードに富む。世界史マニアや紅茶ファンはもちろんそうでなくても面白いエピソード満載の一冊である。

心の悩みの精神医学

著者名;野村総一郎 発行年(西暦);1998 出版社;PHP研究所
日本も欧米並みに精神医学について語る土壌ができた。しかしそれはある意味歓迎すべきことなのかもしれない。精神医学が発達する土壌には価値観がはっきりみえない、社会秩序がないといった構造があるといわれる。共産主義国やファシズム国家ではこうした悩みなどはあまり発生しないともいう。
 さてこの本では、パニック障害・うつ病・エディプスコンプレックス・PTSD・過食症・ボーダーラインといった典型例について解説してくれている。それぞれ深刻な話ではあるが一番興味深いのはボーダーライン例である。実はこのボーダーラインは(もちろん精神活動は正常なのだが)、周囲にいる人間を巻き込むという傾向がある。これまでちょっと危ない人に迷惑をこうむった人には、すぐ思い出せるであろう。未に覚えが無いことをやたらに攻め立てる人や、どうでもいいことをとらえて大騒ぎする問題人物のことを。対人関係・自己評価・感情の不安定などを特質とし、以下の症例があるという。
①見捨てられることを極端に恐れる。
②ある人間を極端に理想化したりその後急にひどい人間だという。
③自分のライフスタイルが定まらない。
④衝動的な行動をとる。
⑤自傷行為
⑥情緒不安定
⑦いつも空虚感をもっている
⑧突然怒り出す
⑨妄想的である‥
 このうち5項目以上にあてはまる人間がボーダーラインとなるが、案外身の回りにもこういう人たちが増えてきた。なんとなくこの本を読むかぎりそうしたボーダーライン上の人とは関わりをもたないのが一番だ、という結論になる。特に誇大妄想的な人物というのはどこにでもいるものだから、ちょっと気をつけて接するのが重要だろう。そうした意味では役に立った本だが、ゴミ箱に捨てることにする。だって内容がちょっと古臭いので

アウトローを生きる

著者名;青木雄二 梁石日   発行年(西暦);2001 出版社;経済界
 かたや「血と骨」が映画化される山本周五郎賞受賞作家、かたや先日逝去された漫画家の異色対談だ。一貫して「金」と「人生」、そして日本文化と朝鮮文化について語られている。アウトローとしての行き方に加えてさりげなく「基礎を築くためにはエネルギーを蓄える時期も必要」「金の使い方に人間性がでてくる」といった経験則がちりばめられている。
 巻末には朝鮮文化について語られているが、初期の大和朝廷や皇族が半島大陸系等から「大きな影響」を受けていたことや、「日暮里」(ハングルで村の中心という意味)や「駒」「高麗」が高麗から由来していたことなどが語られている。第二次世界大戦後、ポツダム宣言のさいにはスターリンは半島の北部と北海道を要求していたらしいが当時はすでに共産主義と資本主義との冷戦の始まりであったこと、李承晩による独裁政治や全斗換大統領時代の光州事件についても語られている。正直いってビジネス書物でここまで近現代について踏み込んだ書籍というのは珍しい。皇国史観というものが日本にはあり、それと学術的な研究とは微妙な関係を保ちつつある現状では、一般社会ではなかなかうけいれられにくい内容ともなりうる。ただし、「金」とからんだ場合にはイデオロギーとは異なり、「生きる」という目的に直接からむこととなる。2・26事件ですら最終的には「最低生活」が決起の原因であったことから、これから経済情勢とリンクしてこの朝鮮と日本文化の関係についてはよりいっそう研究が進んでいくのだろう。もっとも日常的な実感としても20年前と比較すれば両国の関係はそれでもまだなお改善しつつあると思う。アジアとしての一体感は、イデオロギーではなく、やはり「生活」の中から生まれてくるものなのかもしれない。

宮本武蔵五輪書

著者名;中江克己  発行年(西暦);2002 出版社;成美堂出版
 宮本武蔵は天才剣豪ということになるが、その剣に対する姿勢は「上達への方法論」そのものとなる。剣道のみに有用なノウハウだけではなく生活の細部にわたり応用可能な理論がある。おそらくそうした応用可能な範囲が広い点がこの本が長期間にわたり愛読されてきた理由だろう。「朝鍛夕練」(基礎・基本の重視)・「何事においても人にすぐる所を本とし」(差別化戦略)・「大工のたしなみ、よく切るる道具をもち、透透にとぐこと肝要なり」(仕事道具や勉強道具などの手入れや情報の整理などを怠らない)「敵になるということは我が身を敵になり替えて思うべきというところなり」(ライバル会社の立場になってみる)「道理を知れば勝てる」「我が身をひいきをせざるやうに心をもつこと肝要なり」(客観的に自分自身を認識すること・経済環境などを把握すること)‥要は最新の学習心理学とほぼ変わらない理論を独学で宮本武蔵はあみだしていたということになる。こうしたある種「抹香くさい」議論というのは本来人間の心の中にひめておくべきことなのかもしれない。が、けっしていつの時代になっても軽視すべきことではないだろう。

現代に活かす「論語の知恵」

著者名;安部幸夫  発行年(西暦);2002  出版社;日本文芸社  
 古典の力というものを否定はしないし、論語などを現代に解釈しなおすという作業はそれなりに意義のあることだと個人的には考えている。が、それは「再構築」のやり方や著者の実力によって、どうにもならない場合と古典をさらに新刊としてとらえなおす力をもつ書籍とに二分されるようだ‥。もともと「論語」自体が抽象的でどちらかといえばあまり現実的ではないゴタゴタを説いている本というようにも感じている。情報化社会ともなればそうした抽象的な議論よりもより積極的な議論のほうが好まれるのかもしれない。もっとも孔子や論語が大好きという人も少なからずいらっしゃるのだとは思うが‥。ということでこの本はゴミ箱へポイ。ブックオフで100円でも果たして売れるものかどうか‥

つかえる資格マニュアル

著者名;造事務所編 発行年(西暦);1996 出版社;情報センター出版局
 やや内容が古いがこの平成大不況が始まった頃から「資格ブーム」というのがあったことに気づく。世相を知る資料としてはそれなりの価値があるのかもしれない。ただしこの本を読んでも資格試験には合格しないだろうなあ、とは思う。
 簿記検定・宅地建物取引主任そして英語、パソコンと定番資格にはさほど変化はないようだ。ただし、個人的にはそうした資格を全部取得しても現在のウェブで市場価値を測定してみてもさほど「推定年収」は上昇しない。むしろ「理性的な判断」「感情抑制コントロール」といった能力の方に約700万円もの価格がつき、国家資格には補助的な評価ということになるようだ。ある意味当然かもしれないが、他人が酒を飲んでいる時間にいろいろ考えたり、試行錯誤するのは決して無駄ではないので、「趣味」だの「おたく」だの言われても「勉学」にはこだわりをもって生きて生きたいと思う。とはいえこの種のマニュアル本ももう少し新機軸がでないものかなあ、などと思いつつゴミ箱へポイ。

死海文書 蘇る古代ユダヤ教  

著者名;高橋正男 発行年(西暦);1998 出版社;講談社
 おそらく死海文書がマスコミに脚光を浴び始めたのはイエス・キリストの新たなイメージや謎を解き明かす鍵としてこの死海文書が有用と考えられていたためではなかろうか。しかしそのイメージはおそらくほとんど間違いであり、古代ユダヤ教のテーゼや生活習慣などを理解する特別資料であることには違いないが、巷に流布しているイメージはほとんどあてにならない。旧約聖書のヘブライ語版については紀元10世紀までが限界だったのが、この死海文書では紀元前にまでさかのぼる。ユダヤ教とヘレニズムの相互影響、ユダヤ教と原始キリスト教とのかかわりなど地道ではあるが、興味深いテーマをこの本では追求している。なお巻末には現代語訳の死海文書も掲載されており、地道な歴史学者の真摯な書籍として評価されるべきだろうと思う。ロマンはないが。

インターネット超活用法

著者名;野口悠紀雄  発行年(西暦);1999 出版社;講談社
 インターネットは2002年以後さらに利便性を増したように思う。この本自体もかなり陳腐化が進んでおり、読者はこの本を読まずともそれぞれ合理的な使い方をしはじめているように思う。常時接続とパソコンの高機能化がそうした時流をさらに促進した。ただし、巻末のガイドブックのうち、海外のデータベースは相当に有効だ。あとは英語力(特に英文を読む力)が向上すれば、おそらく日本人の情報処理能力はさらに向上する。よかれあしかれ海外のデータベースでは英文が多く用いられているのだから、まずは「話す」「書く」といった能力より「読む」能力が重視されてくるのだろう。

みんなの精神科

著者名;きたやまおさむ 発行年(西暦);2001 出版社;講談社
 著者は元フォーククルセダーズで「帰って来たヨッパライ」「戦争を知らない子ども達」などでレコード大賞を受賞した九州大学医学部教授。とにかく才能のキラメキを感じる書籍である。第1章は「心の風邪、精神の腹痛」と題した拒食症そのほかの症例について紹介があてられている。第2章では異文化とのかかわりも考慮にいれた精神科医の職業について紹介し、第3章からは尾崎豊、第4章からは「危険な情事」などの映画を取り上げて考察が加えられている。
 トム・クルーズの「バニラスカイ」で、ややエキセントリックな女性が描かれているが、こうした「思い込み」タイプの女性については男性は相当に恐怖心を抱いている。だが北山氏はそれを「男性の思い込み」として分析し、「危険な情事」のオカルト的な終りかたを精神医学の観点から見事に分析している(もっとも映画を精神科医が分析すると妙につまらなくなるが、この本ではそうしたイヤミさは感じられない)。
 とにかく面白い本だ。

ベジタリアンの文化誌

著者名;鶴田 静 発行年(西暦);2002 出版社;中央公論新社
 ベジタリアンの定義は「生命を直接破壊することで得る食物をとらない人」という。この本では主にピタゴラス、プラトン、レオナルドダビンチ、ダーウィン、フランクリン、ルソー、ワーグナー、トルストイ、ガンジー、宮沢賢治、ジョンレノンらの行動や書籍を豊富に引用しつつ、フェミニズムとベジタリアン、日本史とベジタリアンといたテーマについて考察している。ヒトラーに菜食主義をしこんだのはワーグナーというエピソードも挿入されているが、著者自身が割りとベジタリアン、フェミニストなどに肩入れが強すぎる感がして、かえって内容に共感できなくなるという妙な構図となる。大地をガイアとしてとらえる発想はギリシアによるものらしいが、これは「ファイナルファンタジー」など現代のゲームソフトなどにも影響が脈々と流れており興味深い。ただし実生活にはまったくといっていいほど役に立つ知識は掲載されておらず。

2007年12月26日水曜日

ジャンヌ

著者名;安彦良和  発行年(西暦);2002 出版社;NHK出版
 フランス百年戦争の末期に現れた聖人ジャンヌ・ダルクの死後約10年。フランス内部では百年戦争と平行して、王シャルル派と皇太子派に分かれて内部紛争がおこなわれていた。タイトルでは「ジャンヌ」だが、著者は見事に歴史にもとづかないジャンヌダルク像を作り出し、かつての栄光に貢献したものが、ジルドレのように「青髭」として少年を殺害するなど煩悩の奴隷になっている有様を描く。ジャンヌの「奇跡」というのはかなりの眉唾ものであることは違いないが、人間ジャンヌと、人間の愚かしさを前提に新たな物語が形成されている。オール4色で歴史上の人物や事件については丁寧な注が付されている。歴史漫画の王道がここにある。すばらしい。

資格スピード合格法

著者名 ;大矢息夫  発行年(西暦);1997 出版社;PHP研究所
あまりさして期待もしていなかった本ではあるが、過去問題の復習やテキストの選定、専門学校の選定など種々のテクニックを紹介。またテテに伸びるキャリアアップなどについても紹介してくれている。オーソドックスな内容のマニュアル本であるが変な癖がない学習方法だけに逆に信頼できるのではないか。内容はやや古いが、実用性は現在もまだあると思われる。

「現代財務諸表論の基礎理論」  

著者名;椎名市郎 発行年(西暦);2004 出版社;税務経理協会
 「収益費用アプローチと資産負債アプローチの混在型会計の展開」というサブタイトルがつけられたこの本では伝統的な制度会計の説明とともに国際会計基準に代表される資産負債アプローチによる説明も加えられている。大型書店でみたところこのような両方のアプローチで説明している基本書というのは他にはなく、2004年度の終わりから2005年の初めにかけては注目すべき入門書といえる。内容は個人的には平易と思ったが、ある程度財務会計の知識がないとなかなか消化しにくいのかもしれない。しかし仕訳の例示なども付されており、日商簿記検定2級から1級への橋渡しとしてはすばらしいテキストとなるものと思う。
 著者は従来の収益費用アプローチを、「工業生産を前提とした産業資本の利害調整機能中心」とし、資産負債アプローチを「金融商品などを対象にした金融資本の情報提供重視の会計」と位置づける。こうした演繹的テーマから個別の会計処理の説明に入るので初心者や国際会計基準を知らない人間にも日本の企業会計の独自性がよくわかる構造となっている。国際会計基準の「資産の定義」を含め会計学の上級者にも得るところが多い本であろう。

合格の法則

著者名;成川豊彦  発行年(西暦);2003 出版社;三笠書房
 こうした資格取得は大学などへの進学よりもむしろ甲子園大会などのスポーツに類似している面がある。甲子園大会ではプロになるような技術が求められているのではなく、あくまでも対戦相手より多くの得点を重ねることで次の試合につながる。資格試験もそれに似ている。
 さてこのWセミナーの学院長の独特の方法論については実は賛否両論あるようだが、個人的には嫌いではない。ややオカルトめいた持論はあるものの、過去問題は試験委員のメッセージでありまずは過去問題を丹念に復習し、資料そのほかはきれいに整理整頓しておく。そして最後は「精神力」を身につける‥といったオーソドックスな主張である。もちろん食品は自然食品だ、とかタバコはだめだ、などの禁欲的な著述もあるが個人的には余計な制限をしてストレスをためこむよりも自分の精神活動によいことをして、勉強に励んだほうが身になると考えている。自分の主張にあわない部分は取り入れなければそれでいいだけだ。
 さてデータ野球で知られるヤクルトが4位になったとき、時の監督だった野村克也氏は「ガムシャラ野球」というテーマを掲げた。要はある程度の知識や技術に加えて、精神力も必要だ、ということを訴えたかったのだと思う。資格取得も同様で「落ちた」言い訳はあまり意味がなく、敗因は敗因として謙虚に分析して、それをはねかえす努力を積み重ねればよい。ただし「敗因」の分析自体があまり楽ではなく、そのために模擬試験や参考書などがあるのであろうが。自分自身の「考え方」を正すのには相当に苦労がいる。ただし正しい認知ができれば正しい意思決定ができる。意思決定の迅速さと合理性を蓄えるにはやはりこうしたスキルアップへの努力は欠かせないと思う。

商人

著者名;永六輔  発行年(西暦);1998 出版社;岩波書店
「商人」という言葉にはどこか蔑称的なニュアンスを感じる人と、誇りを感じる人の両方がいるようだ。どちらかといえば私は「誇り」を感じており、「ビジネス」だの「キャリア」だのといった横文字の安易な使用はあまり好きではない。やはり日本古来の伝統を受け継ぐ「あきんど」の末裔として、いろいろなスキルを磨いていきたいものである。
 「客が買う気になる値段でこっちが儲かる値段、これを決めるのが商売のこつだんな」
 「同業者とつきあっているようじゃ仕事はうまくいかないよ。同業者は敵なんだから」
 「商品を紙でつつまないで言葉でつつむ」
 「株に手を出す連中を一般大衆にいれてほしくないね」

コンメンタール国際会計基準Ⅴ

著者名;広瀬義州  発行年(西暦);2000 出版社;税務経理協会
日本の企業会計は現在、取得原価主義体系と資産負債アプローチとが混在する型式となっている。資産負債アプローチは数理的に完成されたきわめて美しいモデルだが、個人的には中小企業にそれを求めるのには無理があるのではないかと思っている。とはいえ部分的にでも企業会計原則がかつて支配していた分野を新会計基準が侵食しているのだが、それは国際会計基準が大きな影響を与えていることは論を待たない。
 この本では国際会計基準についてその報告書を事細かに分析しているが、内容的にはかなりの部分が、新会計基準として日本の企業会計に取り込まれているのがわかる。
 約200ページの薄い本ではあるが、価格が3,700円というのは驚くにはあたらない。著者の苦労がしのばれる力作である。
8号 期間純損益
10号 後発事象
23号 借入費用
24号 関係当事者の開示
19号 従業員給付
26号 退職給付制度の会計と報告
29号 超インフレ経済下の財務報告
33号 1株あたり利益
 このうちのほとんどが現在企業会計基準委員会から報告書が出されており
いずれ借入費用や後発事象などについてもさらに緻密な会計処理や表示原則が定められるものと思う。しかしこうした会計処理については数理計算が過去の加減乗除よりも複雑になる。統計学の知識も持っておいたほうがいいが、経理部員にそれを強制するのは酷というものだ。おそらくはアクチュアリーなど外部の専門団体にアウトソーシングすることになるのだろうが、一般の会計学習者と統計学を含めた数理的会計学の履修者とでは年棒に大きく差がつく時代になるのかもしれない。そもそもパソコンが発達すれば、事務員の数は当然必要なくなる。財務会計のパラダイム変換は労働市場にも大きな影響を与えそうだ。

国際会計論  

著者名;権 秦殷  発行年(西暦);2001  出版社;創成社
国際会計基準とはいってもそれをコンパクトにまとめた書籍というのは非常に少ない。この本では全体を①総論②欧米の会計制度③アジアの会計制度④国際会計基準⑤国際財務報告⑥国際会計監査⑦国際管理会計⑧外貨換算会計に分けて歴史的・文化的背景から説明がなされている。この本では国際会計とは「国際的に営まれる個人または組織体の経済活動について、会計情報を伝達する際の諸問題を取り扱う会計領域」として、欧米ののみならず韓国やシンガポールなどの会計制度についても説明がなされ、IASがいかにそれらの国々で取り込まれているのかがわかるようになっている。日本においても室町時代に始まる商業帳簿の歴史についてふれられており、非常に興味深い。また中国においても1980年代から公認会計士制度が導入されており、香港などでは事実上国際会計基準が作成基準となっているようだ。127ページでは国際会計基準のフレームワークが図式化されている。またコアスタンダードのリストも表示されており非常に読みやすい。財務諸表の基礎となる概念は発生主義と継続企業の公準であり、財務諸表の情報の有用性を決定する質的特長として①理解可能性②目的適合性③信頼性④比較可能性⑤適時性⑤便益・コストのバランス⑥質的特性のトレードオフ⑦適正表示があげられている。また資産の定義として「過去の事象の結果として当該企業が支配し、かつ将来の経済的便益が当該企業に流入することが期待される資源」、負債の定義として「過去の事象から発生した当該企業の現在の債務であり、これを決済することにより経済的便益を包含する資源が当該企業から流出する結果になると予想されるもの」、持分として「特定企業のすべての負債を控除した残余の資産に対する請求権」としている。こうした概念をしっかり認識させ、わかりやすくその後の構成要素の2要件まで示してくれると理解が更に促進されるというものだ。これで3000円はかなりお得な買い物といえるだろう。

心をタフにする技術

著者名;国司義彦 発行年(西暦);2000 出版社;成美堂出版
 著者は能力開発センターの方。う~ん。一種の「処世術」になるのだろうか。自分自身を客観的に認知することの重要性が説かれているようにも思える。ただし一種の経験哲学だからこの著者の言い分にどの程度妥当性があるのかいまひとつよくわからないというのが正直な感想だ。心がタフであることはそれほど悪いことではないが別に無理してタフである必要性もない。ただし経済的環境そのほかが許容する範囲で、という限定つきだ。人間はだれしもある種の制約条件のもとに生きており、流されているだけではそのまま無駄に時間が流れていくということにもなりかねない。だからまあ、時代の流れをみつつ、「これから先」を寄りよい方向に生きていけるように工夫するべきなのだろう。唯一「なるほど」と思ったのは「自分があまりにも見えていない人には困る」というくだり。さしたる実力もないのに、自尊心だけは強い人というのが本当に‥困るというか迷惑というか‥。

日本家計簿記史 

著者名;三代川正秀 発行年(西暦);1998 出版社;税務経理協会
アナール学派とよばれる歴史学派の手法にもとづき、個々の家庭などの証憑を資料として取り上げて、家計簿記についての考察を加える。総論ではゾンバルトによる複式簿記の過大評価をやや批判的に取り上げ、社会史アプローチ、家事記録と事業簿などについて総論を述べている。さらに家計簿記については、記録される「紙」の歴史も重要であり、パピルスや和紙などの記録帳簿としての役割まで考察してくれている。現在ではCDやメモリということになるのだろうが「何に」記録をするのかという視点は個人的にはもちあわせていなかったため非常に興味深く第2章を読んだ。第3章以降は当時の「家庭科」における家計簿教育を考察していき、単式簿記や雑誌の付録などがはたしてきた社会的役割について著述がなされている。農業簿記、わけても京大簿記とよばれる略式簿記が日本農業にはたしてきた役割についても言及されている。最近の動向についてはキャッシュレスという方向性が述べられているが、実際にはウェブ上で家計簿管理をしている例が実際には多いのだろう。デジタルの歴史はほぼ永久だから、100年後の現在の家計簿あ家庭経済についての研究は飛躍的に進歩しているであろうことを予感させる。価格はやや3700円を超える高価な本だが簿記や家計簿といったものについて興味がある人間にはきわめて魅力的な書籍である。

新会計基準の読み方

著者名;菊谷正人・石山宏   発行年(西暦);2000 出版社;税務経理協会
平成9年の連結財務諸表制度の見直しから資産・負債アプローチが国内の会計基準に導入されてきた。当時はまた会計学に特有の「私はこう思う」的な学説が主流だったが、そうした感想文のような論文ではなく、客観的に認識可能で数値・数式で説明できる資産・負債アプローチのほうが、社会科学としては汎用性があることは論を待たない。この本では研究開発費・連結キャッシュ・フロー・退職給付・税効果会計・金融商品について解説が加えられているが、なかなかコンパクトな説明でわかりやすいと思う。グラフや例題も充実している。商法改正前・商法施行規則導入前ということもあり複合金融商品など一部については論述が古い箇所も散見されるが、それはたいした瑕疵ではあるまい。これまでの法律的形式主義・取得原価主義・実現主義の体系から経済的実質主義・市場価値評価主義(時価主義)・発生主義へとパラダイム変換したという基礎認識にたち、個々の会計基準についてかなり丁寧な説明である。特に退職給付や税効果についてはちゃんと資産負債法などについて原則的な説明がされており交換がもてる。著者お二人の学問に対する真摯な姿勢が伝わってくる書籍である。

商学通論

著者名;久保村隆祐  発行年(西暦);2000 出版社;同文館
主に大学一年生を対象にした入門書だが、「流通」をテーマにして具体的事例(コシヒカリや青森のリンゴなど)を交え、わかりやすく商学を解説してくれている。商学部や経済学部などでは、商学総論や商学通論などの科目が設定されてこうした基本科目を履修するらしい。簿記会計や情報処理、商法などを学習する上でも基礎となる部分をこの1冊で学習できるのだから2,300円は安いものである。著者は商学の研究を理論的研究と規範的研究に分別し、理論的研究のテーマは「知識ないし見解を統計的資料などにより裏づけし、検証」するものだとしている。また規範的研究とは「あるべき論」のことでこの両者はともに強い相関関係にあるとする。おそらくは日本では「規範」のついての言及が多く、商業に関しては統計的資料や統計的分析などがあまり明確にでてこない(統計データの母集団がきわめてお粗末という印象が強い…)。規範についての基本書ということではこの書籍はかなりお勧めできる内容だろう。ただし情報技術についての著述が浅く流通の歴史に厚いというのが難点なので、そこは別の書籍でカバーする必要があると思われる。

むかつくぜ!

著者名;室井滋  発行年(西暦);2001 出版社;文藝春秋
 文庫本の発行は2001年だが、エッセイの内容は1991年当時。室井滋というと個人的には「電波少年」での活躍が印象的なのだが、日々の出来事をエッセイにまとめる力量も相当なものだと感服。違法駐車や痴漢などの「ジコ」を文庫本数ページにコンパクトにまとめて一気に読ませてくれる。タイトルのつけかたも「フィリピンの王様」「恐怖便所」とかなりユニーク。実はとある人物が「面白い」とかいって薦めてくれたのだが実際面白い。あまりゴタゴタ考えずに「なるようになる」という姿勢が、この本の感想で、だいたいそうしたいい加減さが魅力の文庫本。旅行先なんかで「恐怖便所」なんて読んで実際に恐怖してみる‥というあたりがいいのかも。

カモネギ白書

著者名;山崎一夫 西原理恵子 発行年(西暦); 2001  出版社;角川書店
 もともとは1998年に竹書房から単行本で出版されていたものが文庫本として再デビュー。いや、この二人の本は欠かさず読み、それがもとで個人的にはマアジャンの面白さに一時期はまり込んだことがある。確率論重視のオーソドックスな賭博論は山崎氏のポリシーでもあるがその冷静沈着さもまたプロの必須の条件なのかもしれない。「裏技は最新のものでなければ意味がない」という「積み込み」などのいかさまを批判するくだりはなるほどと思う。誰もがやる方法論でしかも奇抜なものは意味は確かにないのだがそれでも繰り返し試行するというのは、ややお金をドブに捨ているのに似ている。「人に好かれているとかどうとか自分のポジションとかを気にしない人」というのが山ちゃんということになるらしい‥。生きることに絶望している人にはこうしたたくましいマージャン必勝論はけっこういいのかも。とにかく魅力的なおじさん・おばはんコンビの本。

世界地図で読む五大大陸の興亡  

著者名;湯浅赳男 発行年(西暦);2001 出版社;日本文芸社
 この本を楽しむにはせめて高校の教科書レベルの西洋史と東洋史の流れは記憶しておく必要性があるかも。五大帝国、つまりローマ帝国・中華帝国・ビザンツ帝国・イスラム帝国・ヨーロッパ帝国を併記して扱い、文化論から習俗までコンパクトに著述されている。ページ数は見た感じでは薄いが実際には読み通すのに結構時間を必要とした。イスラム圏とヨーロッパ圏についても相関関係をちゃんと扱っており、東洋史と西洋史の概論といった感じ。非常に面白い。

若者の法則  

著者名;香山リカ 発行年(西暦);2002 出版社;岩波書店
 精神科医にして助教授、かつコラムニストによる若者論。とかくいろいろ言われるこの筆者だが、この本ではあえて「大人」のスタンスをとり若者論と同時にその上の世代である20~40代にも下の世代に負担をかけない生き方を力説する。とかくすべて若者に社会の負担がおしかかるが、それはもちろん上の世代の責任でも実はある。「下積み時代には妥協、プライドの傷つき、ウソ、泥臭い努力といった純粋で美しいとはいえないこともたくさん経験しなければならない」といったきわめて現実的な視点をまじえつつ、すべての責任を世代ごとに、あるいは「大人」と「若者」とに、区分けして論評している姿勢には好感がもてる。人生にはカセットテープのようなポーズのボタンもあれば早回しのボタンもあり、だからこそデジタルでは割り切れないアナログの人生といったものは世代を超えて語られる。その努力を放棄した場合には、かつて私自身が批判を加えていた現在の50代のさして変わらない人生になってしまうのだろう。

実力のつけ方

著者名;桝井一仁 発行年(西暦);1989 出版社;ごま書房
 ある種のビジネス本というのにはかなり批判的な視点でいつも「読むことは読む」というスタンスを維持している。この本も実はそうしたスタンスでいる。90パーセントはどうしようもないが、残り10パーセントは自分の仕事にはとりいれることができそうだ。
① 手紙セットを持ち歩き、特に出張などのときには活用する。
筆不精ではあるが、こうした「手紙」「震災見舞い」などのような威力はメールやウェブにはない「誠実さ」を示す良い機会である。別にプライベートではそんなに手紙を書く必要性はまったくないと思うが仕事になればなるほど確かに住所録や手紙セットの重要性は認識されるべきだろう。
② 公共図書館を利用する。
これが案外できそうでできない。というのは、やはり公共図書館には独特の「資料」の癖みたいなものがあるためとパソコンなどの機器の持ち込みは原則として禁止されているケースが多いからだ。だが雑誌などのコピーや最新書籍などの活用などには図書館、わけてもできるだけ大規模の図書館にいくべきなのだろう。

そのほか仕事についての情報機器には投資したほうがよいなどのアドバイスはすでに実践している。おそらく現在ではパソコンやモバイルなどがかつての万年筆などに相当するのだろう。だが、ソフトウェアも含めて自分自身の生活に活用できるものは確かに取り入れていったほうが生活全体は一時的には投資額だけ圧縮されるがトータルでは便利になる。長期的視点でみれば自己投資というのはやはり最大のノーリスク・ハイリターン投資であるといえそうだ。

言論の自由対○○○

著者名;立花隆  発行年(西暦);2004 出版社;文藝春秋
 東京地裁において今年ある雑誌がプライバシー侵害にあたるとして出版差し止めの仮処分がなされた。その後高裁にて仮処分は取り消されたが、当時憲法の自由と私人のプライバシー保護が利益衡量できるのかどうかなどが争点となった。基本的には立花氏が本書で指摘しているように「衡平法」の世界で争点となるのは財産法が主であって憲法とプライバシーとではそもそも仮処分の対象ともなりえない。マックレイキング(社会の腐敗部分をかきまわして空気をいれる作業)は必要と主張するこの本書は地裁の仮処分命令を全文収録し、裁判所の民事訴訟における役割を再確認している。民事訴訟法第二条においては「裁判所は民事訴訟が公平かつ迅速におこなわれるようにつとめなければならない」と規定しているがこの事件では「迅速」のほうが重視されたようだ。現実的悪意」「北方ジャーナル訴訟」など憲法や英米法、大陸法などの基礎的概念は説明してくれているので、今後もこの本書の役割は(緊急出版という形態であったにせよ)2004年と同様に失われることはないだろう。 

管理会計論ガイダンス

著者名;田中隆雄・小林啓孝著 発行年(西暦);1995 出版社;中央経済社
「管理会計」についての論文指導を主目的とした著作物だが、参考文献のインデックスや最新理論の入門書としても利用できる優れもの。多彩な気鋭の学者が原稿を寄せて管理会計の内容や動向を説明してくれている。
① 直接原価計算
② ABC原価計算
③ 品質管理と原価計算
④ 原価企画
⑤ ソフトウェアの原価計算
⑥ 経営戦略と管理会計
⑦ マネジメントコントロールと企業予算
⑧ 不確実性の意思決定
⑨ 情報経済学
⑩ エージェンシー理論
⑪ 会計情報システム
⑫ 経営分析
⑬ 管理会計の歴史
⑭ レポートの組み立て方
といった内容で構成されているが、要は管理会計のインプットとアウトプットをこまめに初心者用に説明してくれている本ということ。これから管理会計の技法はさらに発達していく可能性があるがおそらく情報技術との発展とリンクしていくのだろう。これからの時代をも予感させる一冊。

会社法改革

著者名;上村達男 発行年(西暦);2001 出版社;岩波書店
 アニュアルレポートのように商法は年次更新されているが(今年ついに民法も全文が口語化されたが)、特に昨今の改正の中で注目されるのが平成14年の商法改正であり、日本の株式会社は厳しいルールと司法のもとに営業活動を行うことになった。裁量からルールへという時代の流れはこれから法規制が厳しくなるとともに法律の規制が多くなることも意味している。著者は昭和のバブルを「システム」がない時代にいたずらに規制緩和gあされた結果バブル景気が生じたものとする。規制緩和と規律強化の歴史は相関関係にありアメリカはその苦渋の歴史を繰り返してきた。日本はまさにこれから厳しい市場原理と司法の論理の中で株式会社は活動することになる。商法の沿革とともに、証券取引法との関係性などを大規模公開会社の「あるべき論」をまじえて展開する。

ローマ人への20の質問

著者名;塩野七生 発行年(西暦);2000 出版社;文藝春秋
 ローマの歴史については「学者の立場ではない」といいながらも多くの日本人にローマ文化を紹介している偉大な作家。塩野氏による「裏庭から入る」ローマの紹介だ。ローマの滅亡の原因や奴隷制度、また植民地政策からギリシアとのかかわりまで新書サイズで縦横無断に歴史や文化を紹介してくれている。ビジネスパーソンに塩野氏の著作のファンが多いときくが、かしこまった歴史本よりもずっと面白く、新興宗教めいたビジネス本よりも現実の生活やニュースの分析にはより客観的で深い洞察ができるようになること間違いない。
 ヨーロッパの学校ではローマ史を一般教養として学習する学校が多いようだが、ローマの流れをたどることで現代日本のあり方もかえりみることができる。とにかく面白い一冊。

2007年12月25日火曜日

人びとのかたち

著者名;塩野七生 発行年(西暦);2000 出版社;新潮社
 雑誌「フォーサイト」に連載されていた映画を題材にした人間論。いきなりエヴァ・ガードナーというハリウッド歴代の中でも屈指の美女がテーマとなる。「月の輝く夜に」、グレタ・ガルボ、「プラトーン」、「地獄の黙示録」、ゲーリー・クーパー、「恋人たちの予感」、「摩天楼」、「今を生きる」、「アメリカン・ジゴロ」などが取り上げられている。個人的には実はこの本で取り上げられている映画のほとんど全部を見ており、さらに内容が楽しめた。文庫本ではあるが貴重な俳優のスチール写真や巻末には映画の索引などもついており、かなり丁寧なつくりの本。映画論としてもエッセイとしても、またハリウッド映画の歴史本としても楽しめる内容。

意外な世界史  

著者名;井野瀬久美恵  発行年(西暦);1996 出版社;PHP研究所
 この本はもともと高校生用に連載されていたものを社会人向けに編集しなおしたものらしい。内容的には基礎的なものばかりだが、興味がわくように映画の紹介などもされている。たとえばチャップリンの「独裁者」という映画が発表された前後に独ソ不可侵条約が締結され、その結果チャップリンは「共産主義者」ではないかという疑いをかけられることになるとか「ラストエンペラー」をもとに「中国における黄色」という高貴な色の説明とかがなされる。
 インドのタージ・マナル建設の裏事情や遊牧民族の文化などとにかくテーマは受験生に興味をもたせるように配置されているのだが、もちろん社会人が読んでも面白い。産業革命が毛織物業ではなく木綿業から始まった理由を「需要」の観点から科学的に説明したり、カンボジアの歴史を日本の侵略時代からフランス占領、そしてシアヌーク殿下がもともとフランスよりの政策をしていたことから隣国ベトナムからフランス占領に手を貸す人間がいたことからポル・ポトのベトナム嫌いが始まったことなど。ポル・ポト自身がもともとフランスに留学していたインテリだったというのはよく知られているが共産主義に目覚めたのは、フランス留学であったと筆者はしている。だとするとヨーロッパの中でもフランス共産党というのはかなり力をもっていたが、まさかあの大虐殺をおこなうところまでは共産党自体も予測はしていなかっただろう。文化を考えるときには歴史も考慮に入れる必要性がある。世界史というのはとにかく面白いし、それと地図をあわせ読んでいると自分の世界がちょっとだけ広くなったような気にもなる。

年収300万円時代を生き抜く経済学

著者名;森永卓郎  発行年(西暦);2003 出版社;光文社
 森永卓郎氏といえば、日本専売公社や三井情報開発総合研究所などをへて現在UFJ総合研究所に在籍しているユニークな名物アナリストだ。マクロ経済や計量経済学がご専門だからこの手の本はある種の「啓蒙書籍」としてご本人は位置づけられているのだろう。2002年当時の経済分析を基礎に小泉内閣の構造改革路線を批判している。もっともその後当時の株価(8579円)や失業率(5・5%)などは改善しつつあるが、これは大企業に限定されただけの話で現段階では「景気回復の足踏み」といった微妙な段階となっている。その意味ではまだ基本的な経済環境は大きく変化はしていない。ただ当時の内閣の公約は多少ずれこんだとはいえデフレ脱却の目標期間を2005年度においているから、これから半年の間は日本銀行の短観などには要注意なのであろう。
 財政収支の改善、つまりプライマリーバランスの黒字転換は2013年とされているが、昨今の日本経済新聞は定率減税の廃止や社会保険料制度の保険料の値上げ、さらに政府関係機関のさらなるリストラを進めようとしている。2013年まで実はそれほど時間はないが、もし公務員のリストラまで手を入れることができたならば、ある程度までのプライマリーバランスの改善は可能な範囲かもしれない。
 森永氏はデフレ経済の原因の一つを「供給力過剰」にあるとしている。企業をつぶすことで供給力を下げようとしてる経済政策をまず批判している。シュンペーターの影響による「創造的破壊」によって新事業分野がでてくる‥といったことが想定されていたようだが、森永氏はリフレ政策を支持している。フリーターの増加にも警鐘をならしているが、この呼称は現在ニートという表現になった。ただし20代後半で正社員を希望する人間が増加しているというリクルートによるリサーチは現在でも妥当なところではないかと思う。税制改革により「研究開発減税」というものもあり、相続税の減税もおこなわれているが、これも一時的なものにすぎないかもしれないというのは私の個人的な感想である。現在土地の時価が理論的な時価を下回る‥といった現象を森永氏は指摘しているが個人的にはこれもどうかな、という気がする。この理論時価は収益還元法で算出されるがこれは賃料をもとにしている。つまり「賃料が高すぎる」ので「理論的時価が高くなる」ということは考えられるだろう。実際適正な賃料というのは算定が難しいはずだ。森永氏はしかし逆バブルの解消は外資による土地の買占めが終了した後の2004年3月まで、と予測しているが、シティバンクの個人事業撤退を含め、外資系がそれほど「買占め」に走ったという印象もない。脅威が報じられたフランスのカルフールも撤退しそうだし。森永氏はさらに日本銀行による土地の購入やインフレターゲットまで提唱しているがこれはもう空想の世界に近い。さらに「中高年のリストラ」を企業が断行するとしているがこれも個人的にはどうかと思う。若年層と中高年の差が昔と比較してなくなってきたのは事実でこれからは「若年層でもリストラされる」「中高年でもリストラされない」という時代になるのではないかと思う。もちろん弱者に厳しい日本になるという基調路線については同感である。
 今回UFJ銀行の副頭取が検査忌避にて逮捕されたが、それを主席研究員である森永氏がこの本である程度予測していたのはやや皮肉でもある。金融再生プログラムの「責任の明確化」という箇所を批判しているからだ。「有能な銀行員はこの時期の頭取なんて絶対に引き受けない」というくだりもあるがこれは結構あたっていると思う。一時期金融機関にしては珍しく銘柄大学出身ではない人間が頭取になっていたが、そのほとんどは退任か逮捕されている。森永氏は「シャーデンフロイデ」という表現をしているがおそらく銀行内部ではある程度そうした内部事情がオフレコでささやかれていたのだろう。
 さてとにもかくにもいずれ「インフレ経済」はやってくる。森永氏は108ページからインフレ到来後の日本経済について「経済格差100倍」という表現を用いている。これはあたる可能性が高いのではないか。市場原理は実際のところマスコミが報道するほど甘いものではない。これは民間企業の人間なら肌身にかんじているはずだ。たとえばs地方公務員を20年間続けてきた人間が転職するとして一体どこの企業がこれからその転職を認めるだろうか。もう現時点でそこまできているのだ。森永氏はヨーロッパ型の経済社会をめざすべきとしているが年金制度も含めて日本はすでにアメリカ型に舵をきっている‥。ただしアメリカでもハーバード大学の授業料が年間300万円ということからもわかるとおり、これから富裕層による学歴占有、階級維持社会というのはあながち的外れではない。日本でも東京大学入学者を輩出する公立高校はもはやベスト10からは消えている。1976年当時の国立大学の授業料は3万円~4万円というレベルだったが独立行政法人化でこれからどこの国立大学も授業料をあげてくるだろうし。それに知的創造分野ではこれまでの第二次産業や第三次産業以上に格差が開きやすい傾向がある。一部の本当の天才には魅力的な世界だが大半の凡才は冷や飯を食べる世界といっても過言ではない。「創造」とはそんなに楽なものではないのだ。
 森永氏の予想で141ページの「土地の二極化」という表現には感心した。おそらく地域によってマンションの建築設備のいかんを問わず、スラム化する地域と高級マンションかする地域とに分かれていく傾向は続きそうだ。知的創造の世界は多種多様なニーズにこたえることだから、セーフティな路線も確かに存在しなくなる。景気が回復しても正社員を増やさない企業も増えてくるだろう。
 そして156ページからはもっとも人気の高い森永氏特有の「価値観」の変化に対する論説だ。正直いってもうこうした価値観の転換というのは森永氏の最大の功績であって、「勝ち組」「負け組」といった幻想を捨てろ、というメッセージは本当にこれから必要になってくると思う。実際に不透明な時代であるから、何をやっていれば安心というものではない。銀行にいても逮捕される時代であるし、かつては親方日の丸業種だった教員の世界ももうすぐ免許更新制度が導入されるだろう。かつては一回教壇にたてば一生食いはぐれない家業がもうすぐ実力制度になる。となれば地方公務員の世界でまずリストラが始まるのは予想にかたくない。地域密着とはいっても地方税がもし今以上に格差が広がれば移住する人口が増えるだろうからだ。すでに東北の一部は県外流出人口が相当な数になると予想されているが、こうした動きは始まるのだろう。それも予想よりも早く‥。


 こうした経済書についてあれこれ語るのはすごく楽しい。だがこの本がベストセラーになったこと自体、すでに「予定調和的に」森永氏の予測が一部あたる可能性を高めているともいえる。

日本経済幻論

著者名;しりあがり寿・日本総合研究所 発行年(西暦);2001 出版社;PHP研究所
しりあがり寿が朝日新聞の4コマ漫画を描き始めた頃にはびっくりした。個人的には「ガロ」の人‥というイメージが強かったからだ。おそらく戦略もあるのだろうが、朝日新聞の4コマではどちらかといえばほのぼの系統の正統派4コマに徹しているように見えるがときに「毒」が垣間見える。この本はそうした「毒」の魅力で経済学をぶったぎった‥といえる。文章部分は日本総合研究所の4人の研究員が担当しているが、もちろん文章より漫画のほうが面白いし、頭に残る。「10年後のサラリーマン」「さよなら日本的経営」「能力主義という幻想」が最高に面白い。環境変化への対応や複雑系による「収穫逓増の原理」といった議論もあるが、シェア獲得企業が利益のほとんどをもっていくという議論はかてから経営学やマーケティングの分野ではいわれていたこと。まずは娯楽系統の経済書としてお勧め。

現代思想の遭難者たち

著者名;いしいひさいち 発行年(西暦);2002 出版社;講談社
 ハイデガー、マルクス、フーコー、デリダ‥といった現代思想の超人たちの漫画だが、あまりにも内容が高度すぎて「笑っていいんだかどうだか」といった状態に陥る。ただし漫画のヨコには詳細な注記がしてあり、編集者の「思い入れ」を感じ取ることができる。この企画はいしいひさいちという天才と講談社という出版社の組み合わせだからこそ成立できた企画かもしれない。「売れない」ようでいて奥付をみると結構な増刷だ。日本はけっこうすごい国なのかもしれない‥。

大人の教科書 世界史の時間

著者名;大人の教科書編纂委員会  発行年(西暦);2002  出版社;青春出版社
 古今東西の世界史の教科書から、おそらく「適当なところ」を「○○○ぐい」して編纂した「○○○○本」としかいいようがない。このような書籍を出版している会社の編集部の○○が○○○われる。「現代人必読の教科書」‥となっているが‥。「試験に出る英単語」でみせた出版会の革新的な意欲は消えてしまったのか‥だとすればそれなりの出版社の体質を具現化した出来ということにもなるが。(ということで不適切と思われる表現につきましては自粛して○○という伏字で表現させていただきました‥)

自由主義の再検討  

著者名;藤森保信 発行年(西暦);1993 出版社;岩波書店
 価値観というものと市場原理というものはどうにも相性が悪い。近代経済学では外部性経済効果などと称したりするが、要は市場原理だけではハンドリングできない公害などのことをさす。市場原理で「道徳」や「観念」をおしはかることもできず、これは経済学ではあつかえない題材なのだが、この本では、あえて価値観としての「功利主義」(ベンサム)や「議会制民主主義」と「自由主義」との関係を考察したものだともいえるだろう。市場主義が優勢になれば議会制民主主義は「価値観」ではなく「欲望と利益集約」の場の化す。やや今では古めかしいコミュニズム的な著述もあるが、それは1993年という時代のせいでもあるだろう。個人をなんらかのモデルで社会的関係にとりこませるシステムのようなものを模索していたとも解釈できるのだろう。ただし、それは当時の筆者が予想もしない情報化社会がデジタル回線である程度可能にしたということもみれる。英語の読み・書きさえできれば国際的コミュニケーションもきわめて低額な通信料でできるようになった時代でもある。情報倫理という言葉でおそらくは、ある種の価値観がこれから社会的に共有されるに違いない。デジタル社会では実は性・権力・言語、そして年齢といったものは実はコミュニケーションの障害やノイズにはならないという特質をもつ。アナログとは異なるコミュニケーション時代であり、そこではエイジング差別もレイプも存在しない。ただ存在するのは「言葉」による「礼儀」や「倫理」といったものになる。
 自由主義の再検討はおそらくこれから新たなツールの世界で再構築されるべきなのだろう。所得の再分配が近代経済学のテーマだったとしなたらば今後は「情報の再分配」も一つのテーマになりうる。そんな予感も本書で感じた。内容はかなり高度で社会思想に興味がない場合にはちと辛いかもしれない。

改訂版 退職給付会計  

著者名;吉木伸彦著・大澤豊著  発行年(西暦);2001 出版社;税務研究会出版局  
 年金制度自体がかなり注目をあびており、日本商工会議所主催のDCプランナーなどの受験者も安定した人気となっている。実は個人的にもDCプランナーの2級と3級を受験して取得したが、その知識は確実に退職給付会計の理解にも役立っている。
 さてこの本では図解を立体化したボックスで表現するとともに、勘定科目もコンパクトにまとめてくれている。建設業会計においてはおそらくほとんどの会社が確定給付年金制度がまだ主流だろうから、これまでの現金主義会計から発生主義会計への転換や取得原価主義から時価主義への転換といった事象は結構経理部の負担になっているのに違いない。手順をおって説明してくれているのでわかりやすく、また楽しく退職給付会計にについて理解できると思う。
 ちなみに著者の一人である吉木氏は公認会計士であると同時にTACの専任講師でもあった。わかりやすい授業と板書には定評があった先生である。

詳説船荷証券研究

著者名;大崎正瑠著 発行年(西暦);2003 出版社;白桃書房
もともと簿記会計においては未着商品売買という「得体の知れない」取引においてよくもちられるのがこの船荷証券。要は商品を引き渡したときに商品を受け取る人にこの「有価証券」(ただしこの書物でも明らかにされているがアメリカでは有価証券とはされていないようだ)であり、これを転売することもできる。要は有価証券の売買を未着商品売買といっているだけなのだが、この船荷証券を担保に為替手形を振り出して「荷為替を取り組む」などの表現がでてくると簿記会計はとたんに苦しくなる。かなり細かい実務的な流れがあるがこの本では歴史を丹念にたどって、船荷証券に興味がわくような構成にしてくれている。最新の貿易取引についても紹介してくれている。
ちなみに荷為替手形とは、この船荷証券を担保に為替手形を振り出し、この為替手形を取引銀行に持ち込む。そして商品を受け取る人に為替手形を引き受けてもらって現金を手にするというもの。こうした手形と船荷証券は昔は電信やファックスだったものが最近では電子メールでほぼ瞬時に移転するとのこと。このとき商品を受け取る人に船荷証券を渡すのは、その人が為替手形の引き受けを承認するかあるいは「支払う」かのいずれかでおのおの「引き受け渡し」とか「支払渡し」などと実務では用いられているようだ。
 このときに為替手形の金額が売買代金の金額そのままである場合を「丸為替」といい、手形金額の一部が「置為替」として銀行に留保されるケースもある。こうした荷為替の取り組みは、日本国内ではほとんどみられないが、主に国際間の取引では用いられている。簿記はやはり遠大なる商人の歴史と無関係ではないからこうした用語の意味を楽しむ姿勢も重要かもしれない。しかし建設業会計には船荷証券はまず絶対にでてこない。建物を船で運ぶというケースは…ちょっと…考えにくい…

 法律論も語られているし貿易の実務も著述されているが、どちらかといえば、歴史の本を読んでいるのかと錯覚するほど緻密な文献が併記されており、文書をもとに理論を構築する大変さもしることができる。

野村克也「勝利の方程式」

著者名;永谷脩 発行年(西暦);1996 出版社;三笠書房
 自他ともに認めるヤクルトファンということもあるが、野村克也氏がヤクルトに就任してからのこのチームはまるで生まれ変わったかのように勝負強い野球をするようになった。野球はもちろんゲームなのだが、ただ単に面白い・楽しいだけではなく集団スポーツであると同時に、サッカーなどとは異なり単に足が速いから盗塁を決められる、腕力があるかたヒットが打てる‥といった単純なものではなく「頭脳」を働かせる余地が大きい。時間がかかるという批判もあるがこれは時間がかかる分、もちろん選手も観客も考えているためなのであり、きわめて知的なスポーツなのだ。
 野村克也氏が監督に就任するまでは、どちらかといえば「才能で野球をする人」が主流であったのに対して、「才能がない分頭を使って野球をする人」というのが増えてきたような気がする。私はこの野村克也氏のB級選手をいかに組み合わせて試合に勝つかという「こだわり」から数知れない多くのものを学んだ。それはおそらく自分自身がB級の人間であることを認めることから始まり、ではどうすればいいのかといった実現可能な方法論を考えることにつながったからだ。思うに大企業の役員に巨人ファンが多いのに対比して中小企業にヤクルトファンが多いのは、B級選手と自社の社員とをオーバーラップしているにほかならない。そして、実際に中小企業が大企業をしのぐ場面もみられるようになってきたのである。誰もがやっていることをちゃんとやるのはあたりまえだが、それをさらに高めようという意欲は誰しもが持っているわけではない。正しい努力とプロセスを重視する態度こそ野村監督の手法であり、そしてそれはまた偶然にも認知科学の教えるところとほぼ一致しているのだ。この本をこれからも何度も読み返すに違いない。

2007年12月24日月曜日

30歳から本気で始める大人の勉強法

著者名;西山昭彦  発行年(西暦);1998  出版社;中経出版
 これはもう確信に近いが年齢を経るたびに人間は「あきらめ」が早くなる傾向になる。試験前でも若ければ若いほど徹夜してでも‥という意欲がわくがある一定世代以上になればある程度「先読み」ができるので「無駄な努力」は放棄してしまうというわけだ。だいたいこういう「大人」の姿勢をみて10代前半の人間が「夢をなくした人間なんて‥」とかいいだし、ついにはニートとかフリーターになるケースも「少しは」あるのだろうから、やはり今の世相を生きる「大人」はそれなりの根性をみせつけてやらねばならない。しかしもちろん生物学的には30歳以上というのは正直いって、まあ、無理がきかない体になっているのだから、そこはそれ「工夫」と「努力」である。
 30歳すぎてからいきなり司法試験を受けるといっても実現可能性は少ないが、それよりももっと敷居の低いところから順番にステップアップしていくとか、会社や特定の組織を超えたスキルを身につけるとかそうした「技」みたいなものがもっと発揮されてよい。そしてまた年齢を重ねるほどそうした姿勢を社会にみせておかないとこの日本はどんどん活力を失う。多少「ドンキホーテ」だろうがなんだろうが下手かれてしまうより、あーでもない・こーでもないといった見苦しいまでの生きる姿勢というもの。そうしたものを身につけたい。と、いうことで根性だけでも無理、徹夜もできん、という方々へ、勉強のスキルを紹介したこの本。それなりにお勧め。20年後の自分をみすえておくことが必要、というのと近代経済学と統計学の素養が大事、また各媒体にいろいろ発表してみる‥といった実現可能なスタイル満載のビジネス本!!

邪馬台国はどこですか?

著者名;鯨 統一郎  発行年(西暦);1998 出版社;東京創元社
 とあるバーのカウンタで繰り広げられる歴史談義をミステリー風にまとめた一冊。「悟りを開いたのはいつですか?」では釈迦について、「邪馬台国はどこですか?」では畿内説でも九州説でもない新たな邪馬台国の見解、「聖徳太子はだれですか?」では「日本書紀」を引用しつつ大胆な渡来人と原住民との相克を‥などなど日本史を中心にミステリアスな部分をえぐりとる歴史小説のようなミステリーのような不思議な会話を描く。とにかく面白いし、歴史があまり好きでない人にも「歴史って面白いのでは?」を興味をひく仮説のたてかた。お勧め。

超勉強法 実践編

著者名;野口悠紀雄  発行年(西暦);1997 出版社;講談社
 この本が出た頃は一読してもその「真意」がつかめずにいた。当時の自分にとってはこの本で書かれていることがある意味では「高度」過ぎたのである。ただし時代は流れて現在、今度は「あたりまえのことではないか」という「不遜」な感慨も湧く内容に思えてきた。これは野口氏が7年前の日本では驚異的な先見性をもっていたことにほかならない。たとえばプレゼンテーションについては訓練が必要‥といっても当時の日本人でパワーポイントを操作してプレゼンするなどということは特殊な分野でしかありえなかった。現在では中学生もマルチメディアの授業で発表形式の授業をおこなっている(学校もある)。当時の「携帯ワープロ」を使用した作業もあまり一般的ではなかったが現在では表計算そのほかも含めて、電車(特に新幹線)で作業するビジネスパーソンは多い。膨大な情報の格納をパソコンは可能にし、そしてまた時代は第二段階を迎えた。「何」を情報として捨てるか‥ということである。また日本語能力と数値計算というアナログな分野でも再び国語と数学が脚光をあびている。入社試験にしろ大学入試にしろ「書く」「計算する」といった能力を軽視する「一流」というのは少なくとも私が知る限りありえない。文系大学院でも統計学の能力は求められるし哲学の最前線では数学も駆使されている(たとえばプール代数)。これから「解答を覚える」「8割主義」といった野口氏の提唱がさらに常識となってくるに違いない。なぜならこれからさらに膨大な情報量が供給され、その中での「効率的な需要」というのが必須の能力になってくるからだ。

逐条解説 企業結合会計基準

著者名;斉藤静樹 発行年(西暦);2004 出版社;中央経済社
 これまで日本の企業合併は商法に規定されている「時価以下主義」でおこなわれていた。「時価以下主義」とはつまり、「時価」以下の任意の価格で被合併企業の資産・負債を評価して引き継ぐというものだが、こうした利益だしを容認するような会計処理が国際的には通用するはずもない。実際に世界になだたる都市銀行が地方銀行に吸収合併された後、商号を変更する‥などという事例もあった。そこで規定されたのがこの企業結合会計基準だが持分プーリング法を容認しているとはいえ相当に厳しい会計基準である。「後世の批判をまつ」というくだりに企業会計審議会のメンバーの意気込みを感じるがこの会計基準は再来年にも実施される。その前におこなわれる超巨大都市銀行の合併があるが、なんとなく旧来の商法規定で合併処理をするのではなかろうか。いまだ実務指針はでていないうえ、規定にまだ解釈の余地が相当あることは事実だが会計基準策定のプロセスがこの本でより明確になる。意見交換やメンバーも収録されており、国際会計基準を意識しつつも商法会計よりの先生もまじっておりバランスをとりつつ審議されたことがうかがえる。「やさしい」とはいえない本だが貴重な本だとはいえる。

ある通商国家の興亡  

著者名;森本哲郎 発行年(西暦);1989 出版社;PHP研究所
おそらくカルタゴとローマの間に発生した3回にわたるポエニ戦争について記述されるとともに同じ商人国家であったにもかかわらずギリシアの文化は2000年にわたり持続し、カルタゴは滅亡してしまったその姿に「20世紀末」の日本を重ね合わせたのだろう。ラストは格調高くヴェルギリウスの「アエネーイス」を紹介している。古代トロイアの武将がギリシア軍によって滅ぼされたトロイから脱出し、北アフリカのカルタゴからさらにまたイタリアに出航していく話だ。
 第三次ポエニ戦争におけるローマのカルタゴ殲滅はとにかくもすさまじかったようだが、このあたりの描写になるとさすがに元新聞記者の著述だけあってとにもかくにも迫真性が高まる描写だ。思わず読んでいる人間を引き込んでしまう。文章の妙味や歴史の味わいなどが感じられる面白い本。読んで損はなし。

勝負運の法則  

著者名;谷川浩司・谷岡一郎 発行年(西暦);2002 出版社;PHP研究所
第17代名人と大学学長の「勝負」の話であるが、基本には統計学があり、いわゆる「運」とか「ツキ」といったものを否定し、オーソドックスな「努力」、しかも確率的に成功に近い努力を推奨する書籍である。ばくちにしろ宝くじにしろ統計的には回数を重ねれば重ねるほど「期待値」とよばれる数値に収束していく。宝くじで万が一を狙うのであれば回数と金額を減らしていくしかない。パチンコにせよ何回も重ねて通っていると結局は損をするシステムとなっている。
 「運」を否定し、論理を追及する。そしてしかしビジネスには「ランダム」と「偶然」が支配する面もあると語られる本書は、オカルト色を脱した勝負論である。

永遠のローマ  

著者名;弓削 達  発行年(西暦);1994 出版社;講談社
 歴史に学ぶ‥という姿勢で本を読むとたいてい挫折するものだが、歴史を楽しむという立場からだと旅行をしていてもテレビをみていてもすごく楽しい。この本はどちらかといえば「歴史を楽しむ」という姿勢でかかれたものだといえる。タイトルこそ「永遠」となっているが、約400ページにわたる本書の内容のほとんどは西暦410年、つまり西ゴート族がローマに入場し、西ローマ帝国が滅亡した背後関係にさかれている。「永遠」といいつつやはりはかなく散っていった巨大帝国の文化・歴史・風俗を丹念に拾い集めたノートブックという捕らえ方もできるかもしれない。巻末には詳細な索引がふされており、一読した後、興味のあるところをさらに検索もできる。個人的にはブリタニア、現在の大英帝国とローマとの確執の著述が最高に面白かった。購入して損は無い本。もともとは大学の一般教養の授業のテキストにも指定されていたようだ。

賭けとイギリス人

著者名;小林章夫  発行年(西暦);1995 出版社;筑摩書房
 賭博をめぐるイギリス人談義。サイコロ賭博はローマ時代からあったが十字軍遠征時には規律維持のためにリチャード一世(獅子王)やフィリップ二世が禁止令を出したとか、タキツスが「ゲルマニア」の中でゲルマン人の賭博を紹介しているとか、王政復古で復帰したチャールズ二世が現在の賭博好きの基礎をきづいたなど面白いエピソードがてんこ盛り。確かにピューリタン革命で共和制になってしまえば、ピューリタン独特の「節制」の精神では賭博はできない。そこに「王政復古」がかんでくると賭博が流布したりコーヒーハウスがはやるのもわかる気がする。あたりまえだがこうした本を読んでいると「常識」だと思っていたことが実はきづかなかった理由で支えられていたりすることにきづき非常に面白い。

ユダヤに学ぶ世界最強の勉強法

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2004 出版社;ビジネス社
 和田秀樹氏の持論である「競争に強い」子どもを育てる‥そのためのノウハウが公開されている。ややエキセントリックな議論もあるが、おそらく確信犯的に書いたのだろう。運動会や学芸会ででも「平等」といったものが強調される時代だが、22歳以上の人間はどういう形でであれ、何らかの競争にさらされる。早い話、恋愛だってそこには「選択」という作業がある以上、誰かが勝って誰かが負ける。就職や大学入試だってそうだろう。そのおりおりに人間は必ず負けたり勝ったりするわけで、そのプロセスで勝負というものの本質を見極めていく。受験だけがもちろん人生ではないが、それでも希望する学校にいければそれにこしたことはない。だから努力しよう‥というような前向きなプロセスなのだが、そうしたプロセス自体が否定されると、「打たれ弱い」人間が増加していくのではないか。ましてや芸能界などといった才能を売る商売ででは最も競争が激しい世界だと思うのだが‥。こうした本音丸出しの本というものはアレルギーももたれやすいがそれでも必読の本ということになるのだろう。

理系発想で経済通になる本

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2003 出版社;日本実業出版社
 近代経済学を教養学部レベルででもやったことのある人にはやや「奇異」に感じる本かもしれない。むしろマクロ経済学やミクロ経済学の基礎・基本を固めてからこの本を読まないとちょっと「癖」がつく危険性もあると感じた。とにかく説得力はあるのだが、これはあくまでも経済学ではなく「商業」というカテゴリーで分類するべきなのかもしれない内容だ。基本的には所得の上昇を意識した内容になっている。
 ただし巻末には一応キーワードも掲載されているし、膨大な経済学のジャンルからどの範囲から勉強しようかと悩んでいる人には一つの打開策としてお勧め。異端ではあるが、入門書はいろいろ紹介されているし、一橋大学経済学部非常勤講師の肩書きをもつ筆者の本を読むことで一橋大学の講義を臨時聴講していると考えれば本の値段は安いものである。また精神科医の筆者がここまでの内容を執筆するまでの勉強方法は確かに参考になると思う。要はいろいろな本を読み、そこから発想を得たうえで自分なりの仮説を立案し、それを試行し、そして最後に検証するという一連のプロセスを筆者が身をもって開示してくれているのである。

アダム・スミスの誤算

著者名;佐伯 啓思 発行年(西暦);1999 出版社;PHP研究所
いわゆる「新書ブーム」もある程度一段落したようだ。一時期は粗製乱造ともいえるほど各出版社が新書シリーズを出版していたが、現在ではそうしたシリーズも一定の冊数におさまってきているように思う。岩波新書と講談社現代新書はもちろん老舗であり、新書もかなりのレベルに達している本が多いが、それでも「ええー」といいたくなるような本もいくつかある。そうした中で平凡社新書とこのPHP研究所の新書はかなりいい本を出している新興新書シリーズといえそうだ。この本ではアダムスミスの「諸国民の富」や「道徳哲学」をもとにアダム・スミスが生きた戦乱の時代(スペイン継承戦争・対仏戦争・英仏戦争)そして国内のスコットランド併合やジャコバイトの反乱といったテーマを追求するとともに重商主義への反論という形で「諸国民の富」が執筆されたというようなことや現代のグローバリズムの検証とともに著述されている。
 必ずしもわかりやすい内容とは思えないが、アダム・スミス自体が相当に難解かつ深遠な議論をもとに執筆しているだけに高校の教科書レベルの現在の常識をひっくりかえすにはやむをえない構成だろう。600円とプラスアルファでこうした本が読める日本というのは本当にいい国だとしみじみ思う。また担当編集者のご苦労もしのばれる。

政治の教室

著者名;橋爪大三郎  発行年(西暦);2001 出版社;PHP研究所
「政治」を社会科学全般の立場から考察する。特にユダヤ教・キリスト教・儒教の観点から現代を切り取る手腕は見事。政治意識のための「草の根」的提言もおこなわれている。キリスト教もしくはユダヤ教がもたらした西洋的なもの。儒教がもたらした中国的なものといったものが要素分解され、いろいろな場面に応用可能なスキルが満載の一冊。

受験英語攻略法

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);1998 出版社;学習研究社
 「慣れ型プロセス」といった独自の学習方法がめにつくかなり内容が濃い本。読んでみるとかなり役に立つノウハウが詰まっている。「読める→わかる→覚えられる」といった学習プロセスの提示や「限られた情報から受かる戦術を引き出す」といった魅力的なテーマが並ぶ。「正答率よりも時間内回答率をあげる」という作戦も正しいと思う。「つまらなさに耐えて道が開ける」というのも面白い。「ワラばんし」や「カード作成」などを使って知識の定着を図るというのもアナログだが記憶力を高めるには効率的な方法だ。高校の先生の中には、頭の悪そうな教員ほど「教養が大事」「理論が大事」「実践が大事」などと愚にもつかないことをいう人がいるのだが、そうした抽象論しかできないから学校を卒業してから人生のほとんどを「学校」の中ですごすという単調な人生を歩むことになるのだとも考えられる。実際には「使える知識」「使える勉強」が大事なのであって、そのための努力をいかに効率的におこなうかがポイント。わけのわからん授業や「実験みたいな理論や人生論」は耳を貸すに値しない。

最先端心理学による受験革命  

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;学習研究社
マネジメント理論はつきつめると心理学になる。さらにはモチベーションを高めることに成功すれば、ある種の問題解決能力は向上する‥。たとえ間違った目標、邪悪な目標でもないよりはあったほうがよい。そこで和田秀樹氏はやや目標が喪失されている高校生に、受験を通じてある種のモチベーション管理を指導する。ただしそのノウハウは社会人にも活用できるもの。これを普段の生活に応用しない手はないだろう。

「勝ち組」企業の七つの法則

著者名;森谷正規  発行年(西暦);2003 出版社;筑摩書房
2003年という設定だが、2004年の現時点では企業の設備投資は増加傾向にあり、団塊の世代が大量退職する2007年問題に対応すべく久方ぶりに大学卒業者の内定率が11パーセント増加したようだ。とはいえ元野村総研のアナリストだった筆者は「戦略のミス」を追及する。戦術論のミスではなく、現場主導型の日本企業がいかにして半導体で韓国のサムソンに負けたかなどを分析している。勝ち組企業として名前があげられたのはホンダ、キャノンなど。いずれも同質的生産から独自の領域を開発する「違う」ものへの生産を重視したところに強みがあると分析している。同じジャンルに集中特化するのはこれまでの日本企業の強みでもあった。たとえば電卓戦争がある。早川電気が世界ではじめて1964年に電子式卓上計算機を開発。その後30社を超える企業が電卓市場に参入した。当時の電卓は53万5000円。その後製品の小型化に加えて集積回路を利用し、カシオ計算機が1972年に「カシオミニ」を開発。1万2800円にまで価格を下げた。集積回路は当時宇宙開発事業や軍事事業がメインだったが、電卓市場の発達で集積回路の派生需要を増加させた。1980年代まではこうした電卓市場における過当競争がテレビやトランジスタなどにもみられたようだ。それがまた日本産業の強みにもなったといえるだろう。ただし1990年代になると同じ市場において企業間に優劣の差が大きく生じてくる。特に1990年代の松下電器産業の落ち込みは激しかった。もっとも現在はデジカメ市場やモバイルパソコンの分野で優れた製品を提供しているが当時は大量生産体制が弱みにも転化したと考えられる。「違う」ことを目指して成功したのがホンダのシティや排出ガス浄化エンジンなどユニークな製品群だ。2000年に開発したアシモも同じ流れといえるのかもしれない。これは企業風土の問題だろう。筆者はやや松下電器産業に厳しいが、「違う」つまり普遍的な表現でいえば「差別化戦略」を重視したほうがよい、という結論なのだろう。もう一つ筆者が指摘しているのは「what」の重視ということである。これまで日本企業は「とにかく小型化して低コスト化すること」を重視して成功を遂げてきた‥としている。1980年代までは「いかにして良い製品を安く作るか」が戦略要因だったとする。そうかもしれない。しかもパソコンの分野では、現在もその競争は続いているように思える。モバイルはやはりいかに小型化され、高機能か、というのは常に課題なのだが。DRAMでは日本は1980年代では世界トップといえただろう。とはいえこれもまたサムソン電子に追い抜かれる。東芝はDRAM事業から撤退したほどだ。こうした半導体事業には相当な投資額が必要だが半導体の市場ではシリコンサイクルとよばれる独特の価格カーブを描くのが知られている。韓国はこのシリコンサイクルを利用して1984年に市場参入。日本から半導体製造装置を輸入し、技術者も利用して、アメリカなどに留学した学生を半導体事業に特化させた。サムソン電子は韓国ではトップクラスの人気企業であり、しかも経営陣にはアメリカ仕込の優秀な経営スタッフがそろい、経営戦略を立案している。しかも半導体事業に特化してしまえば、差別化戦略により、日本の総合電気メーカーよりも小回りが利く部分もある。MPUなど特定目的の処理装置の多用化にも韓国がリードしたといえる。何を処理するか、といった目的志向だ。ここで筆者が提唱するのは「何を作るのか」といった製品自体への取り組みの姿勢だ。半導体事業のように、いかにして安く作るかという部分ではなく、いかにして独自性のある製品を市場に提供するか、という視点だろう。ソニー、エプソン、シャープ、オムロンといった企業が勝ち組に分類sれた。必ずしも大型市場ではなく、中型・小型の市場が非常に多く開けていくという発想だ。これは一般的には、「消費者志向」ということになるだろう。ニーズ型の商品開発をいかにしておこなうのか、という姿勢だ。リチウムイオン電池などで世界トップをにぎる三洋電機などモバイル時代にのった商品開発が実を結んだ。これからは半導体事業も特殊目的半導体など市場を細かく狭めて製品を提供していく時代といえるのかもしれない。基本的に「新しいものをめざす」と筆者はまとめているが、ちょっとそれは図式化にすぎるだろう。シーズ型の商品開発だけでは長期的展望はない。著者があげている二つ目の成功要因もまた広い意味では差別化戦略ではないか。このほかに高くても売れるものを作る、ソフトウェア重視、シナジー効果、系列取引ではない連携、環境と安全といったあたりだが、残りの5つはまあ時代性を反映しているし当たり前ともいえる。要は「他の誰でもない」というポジショニングだろう。
 これはキャリア形成でも同様のことがいえるはずだ。つまり誰でもいいような人間、つまり労働力であればそれなりの価格しかつかない。ただし、他の人間では調達しにくいようなスペシャリストであればそれなりにニーズがある。ただし、陳腐化の度合いも激しいことはいうまでもないが。
 思えば高度経済成長期には大量の労働者が学歴によって輪切りにされていたが、それは時代の背景からすればスペシャリストを必要としない時代性だったのだろう。その後、企業社会に適合できなかったリストラ組がでてくるが、これは「いかにして忠実に会社のノルマを果たすか」といったところに視点があったためだ。これからもそうした人材はある程度官庁などでは必要になるかもしれないが、やはりソニー、ホンダといった高い技術力を持ち、しかも企業革新(自己革新)をおこなう人材が必要となるのだろう。けっして中高年にとって不都合な時代ではない。ただし自己革新がない人間はやはりいわゆるルーザーズクラブの仲間入りということになりそうだ。

「感情コントロール」で自分を変える  

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;講談社
 感情コントロールの重要性を説いてきた著者が、「感情に左右される人間」は「顔にでやすい人間」などの実務的経験も含めてまとめた一冊。年齢や性別によって人間の立場は多種多様だが、少しでも「相手の身になる」という気持ちは自然の気持ちだろう。和田秀樹氏もやや「感情的」な書き方を2年ぐらい前はされていたが、さらに円熟味を増されたようだ。

人間にとって法とは何か

著者名;橋爪大三郎  発行年(西暦);2003 出版社;PHP研究所
宗教社会学を中心として主に社会学の視点から法学のありかたの通説を説明したもの。ハンドブックとして非常に有用な新書で、小室直樹氏の直弟子らしい憲法とユダヤ教のかかわりなど明確な説明がなされている。古代オリエントのバビロニア、アッシリア、ヒッタイトなどの部族国家とのかかわりとユダヤ教の神との契約がそっくり同じということから、ユダヤ教における神と契約とは=になるという指摘など歴史から現在を学ぶという態度がとにかく面白い。平易に書かれているので、30分ほどで十分楽しみながら読める本となっている。そしてユダヤ教の思考が現在の日本国憲法にもちこまれているということとなれば実定法という概念、自然法という概念がよくわかるようになる。もっとも著者は正直に「これからの課題」「ゆっくり考えなければならない問題」というのも示してくれているので、さらに考察を強めていけなければならない分野についてはさらに専門書を読む必要性があるだろう。小室直樹氏の「痛快 憲法学」と合わせて読むともっと明快な憲法論が語られるようになるかもしれない。

天皇制の基層

著者名;吉本隆明・赤坂憲雄 発行年(西暦);1990 出版社;作品社
柳田國男、折口信夫といった「文化人類学」「民俗学」とったジャンルで狭く解釈されている学者の検証と天皇制についての考察。単なる賛成・反対といった狭い意味ではなく、感覚的また精神的な土壌から根底として制度を検証する姿勢は思想家としてあるべき姿だと思う。現人神信仰についてもなぜにそれが日本人の信性に適合するのかといった視点で考えなければ戦前のような過ちはまた起こる。いわゆる戦後民主主義の短絡的な天皇制についての議論、そしてまた明治維新以後にかなり改変されたと思しき大嘗祭についてもそれが本当に「伝統」に該当するのかいなかといったことについてもよく承知をしておかなければならない。縄文時代という「始まり」からよくこの島国に住む人間のありかたを総合的に考えていかないと人間というのはともすれば単純な議論に逃げ込む癖がある。単純でわかりやすいというのは「資格試験」や「受験」ではかなり有効なスキルだが、文化論ではむしろ現実がかなり錯綜しているものであるため、とてつもなく難しくしんどい作業になる。それを忘れた瞬間におそらく学問の進歩は止まるのだろう。

情熱の殺人

著者名;コリン・ウィルソン 発行年(西暦);2000 出版社;青弓社
 とにかく翻訳がひどい本だ。コリン・ウィルソンの明晰な論理展開がむちゃくちゃ。さて、殺人の下には多くの秘密がかくされているという趣旨で書かれたこの本は、いくばくかの推理があるものの歴史上の殺人事件について独特の考察をとげている。
 地理的な要因や気候的な要因まで考慮にいれているのが面白い。16世紀のエリザベス朝の人々は特に「情熱の殺人」に熱狂したという。「オセロ」のその分類に属する。エリザベス女王の愛人といえばロバート・ダッドレーだが、この妻の死因にも不可解な面がある。もう一つエリザベス朝では、ロンドン塔でトマス・オバーベリー卿が殺害された事件があある。エリザベス1世のあとをついだジェームズ1世は同性愛でロバート・カーという小説家が愛人だった。ジェームズ1世はカーの結婚話がもちあがるとオバーベリーをロンドン塔に幽閉。その後毒殺される‥。この時代、密通・毒薬・同性愛というのも殺害にからみちょっとした人間模様だ。清教徒的なイギリスでは公然と不倫はご法度だったが、フランスはそうでもないようだ。ルイ14世のころは不倫は日常茶飯事だったという。ただし黒魔術にからんだ殺人事件についてはルイ14世もびっくりして記録を歴史から削除しようとしたが、裁判所の書記官が残した議事録が残っていたという。
 古代ギリシアでは真理とは一定の儀式のもとで明らかになる。真偽を定めるのは人間の定めた法律(ノモス)ではなくゼウスの怒りだったのだ。しかしギリシアにはゼウスではなく論理つまりロゴスで真理と真理を比較しようという流れがでてき、ポリスの改革とともに裁判制度が整備されていく。この時期に多数決の原理が確立され、ソフィスト(プロタゴラスが有名)が活躍し、真理を判断するのは個々の人間であり、絶対的な真理は存在しないという主張がでてくる。これがギリシアの真理の一つの定義だ。これにたいしてプラトンは「法律」において、神の裁きを重視する旨を説いている。こうしたロゴス重視のシステムが確立されると、中世では真理を保証するのは神の言葉とそれを伝達する聖職者がにぎることになる。ミッシャル・フーコーは西洋に於ける裁判のモデルとして古代の「尺度」、中世の「糾問」、近代の「試験」をあげている。中世の拷問では、破門と拷問の体系のもとに犯罪者から真理を引き出す独特のシステムが発達する。近代から、この拷問システムが「調教と試験のシステム」へ変化していく。このあたりはフーコーの「監獄の歴史」に詳しい。近代の陪審システムは宗教的な威信の低下とともに歴史上うまれてきたともいえる。陪審制度はいわば国民が真理の判別機能を果たすシステムともいえる。司法の専門家ではない素人の陪審員に真理の判断をゆだねる根拠は社会契約説にあるといわれる。王権神授説に対抗した社会契約説は、王が現在権力を有しているのは、原始時代に社会の構成員が自己権利を委譲する契約を締結したからだ、というのが論拠となる。近代市民革命の「抵抗権」という考え方もこの社会契約説に原初がある。もし犯罪をさばくのであれば、社会を構成する市民そのものという発想だ。当然陪審員制度が一番よいということになる。このとき陪審員制度の到達する真理は絶対的な真理ではなく、社会のその時代の平均的な思考が妥当とする相対的な真実ということになる。陪審員制度が市民社会をキョウゴに構築する機能を有していることも念頭においておく必要性はあるだろう。「社会の無意識」というのはきわめて怖い存在ではある。しかし絶対的な真実に到達できない以上は、日本もまた社会契約説にのとった陪審員制度を導入することになる。「情熱の殺人」とは、必ずしも、恋愛や不倫のみに限定されるわけでもない。

キャリア転機の戦略論

著者名;榊原清則 発行年(西暦);2004 出版社;筑摩書房
 経営学者によるキャリア論だが、この榊原先生は一橋大学でのキャリアをなげうって英国に留学し、現在は慶応大学の教授だ。企業戦略論とキャリアアップには相当共通する部分が多いとは前から感じていたが、この本を読んでますますその考え方を強めた。キャリア初期、中期、女性のキャリアについて英国を中心に考察がされているが日本人にとっても有益な指摘が多い。キャリア中期の人間はある程度実務も積み重ねている上に、自分自身の強み・弱みもはっきりしていきている。むしろ初期の人間が戦略をきわめてたてにくい日本では、中期の人間の方が、キャリアアップをはかりやすく、しかもキャリアアップを心がけている人間とそうでない人間とで大きな差が生じるのかもしれない。20代から30代までただ一つの企業で、単純作業をしていては、能力開発など無理というものだ。

心を読みかけひきに勝つ思考法

著者名;谷川浩司・古田敦也   発行年(西暦);2002 出版社;PHP研究所
 勝負の世界は「偶然」に左右されるケースもあるが、勝負以前にすでに勝ち負けが決定されている場合も多い。古田敦也は、立命館からトヨタ自動車、そしてヤクルトに入団し、データ重視の排球で野球のあり方を変えた存在だ。将棋の世界でも谷川はこういう。「スペシャリストというのは、たとえば藤井猛九段のように先手でも後手でも四間飛車で押してくるようなタイプです。こういうマイナーなスペシャリストというのも、その人自身はその戦法を長年にわたって指し続けていますので、なかなか負かすのは大変なんですね」。全員が羽生善治や古田敦也のような存在にはなれない。ただしマイナーなスペシャリストをめざすことは誰にもできる戦法だ。社会のあり方と自分自身をみつめなおし、得意戦法をしぼりこむという作業は将棋であれ、野球であれ、ビジネスであれ、変わらない。古田自身も「いろいろなアドバイスがあると積極的に自分自身で試した」といっている。人のいいところは盗んで真似して試してみる。「そのスタイルはプロに入ってからもあんまり変わらない」「バッティングのうまい人が練習するのをじっと見ていたほうがよほどためになる」。認知科学を知らないプロが認知科学の原理を野球に即して語る。古田は「されどプロ野球選手」なのでもある。

幸せと成功をつかむ人は3日会えばわかる

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2005 出版社;新講社
 おそらくこの本の内容に書かれていることは昔は老人が次の世代に語っていたことなのかもしれない。しかし、種々の事情から「本音」についてはなかなか語りにくいヨノナカになってしまった。こうした本音丸出しの本もおそらくは著者にとっては一種の挑戦のようなものだと思うが、素直に受け入れられる人とそうでない人がでてくるかもしれない。ただし一般常識として著者がゆうように未来への展望がない人や現在・過去・未来との折り合いがない人というのは疲れるし、感情的に安定していない人というのも一緒に何かやるのは厳しいと思う。将来のために我慢できる人かそうでない人かという見極めも大事なのだが、こうした価値尺度というのは現代では表立って評価されることは少ない。和田秀樹氏のこうした啓蒙活動の今後をとにかく一読者として堅く支持したい。

頭がいいとは文脈力である

著者名;斉藤孝  発行年(西暦);2004 出版社;角川書店
 おそらく「現代国語」系統から人文科学的な知識を習得するには斉藤孝氏の本はかなり実践的だが、理数系等にはなかなか応用しにくい。その一方で和田秀樹氏の本は「数学」から理数系等に応用がしやすいノウハウ本だと思う。
 この本では「頭の良さ」を文脈力という言葉で表現し、いわゆるペーパーテストから業務上の会議やインタビュー、プレゼンなどに応用するプロセスが収められている。和田秀樹氏が認知科学の用語で頭の良さを「問題解決能力」と表現しているが、斉藤孝氏の表現はより日常生活に接近した表現だ。いわゆる「共感能力」のことを斉藤孝氏は重視しているのだと思う。仕事や勉強に「段取り」を重視する姿勢も一貫しており、自分を客観的にみつめて努力すべきポイントを発見しようという態度もかなり実践的だと思う。

これでも終の住処を買いますか

著者名;川井龍介  発行年(西暦);2000 出版社;新潮社
 土地・建物・都市計画について元新聞記者の筆者が検討を加えたもの。売買物件と沈滞物件の質の格差や欠陥住宅、都市計画のずさんさなどについてルポが加えられている。現在話題のドンキホーテと地域文化との摩擦についても2000年時点ですでに検討が加えられている。
 ホッブズの「万人の万人に対する闘争」という言葉が引用され、公共性というものの問いかけがなされている。この数年規制緩和がなされ、都市計画の整然さはさらに失われたような気がする。中古物件の怖さや建売住宅の品質の問題など「住まい」に関する幸せや「生活の質」などについても言及された好著。
 「住まい」に関する問題はある種人生の問題でもある。ファイナンスや損得の問題で語られるべきではないだろう。そうした「基本」を再確認させてくれる。

世界史悪の帝王たち

著者名;桐生操 発行年(西暦);1994 出版社;日本文芸社
 女性作家二人の合同執筆になる本。カリギュラ、チェザーレ・ボルジア、ヒトラー、カリオストロ伯爵、デオンの騎士、ラスプーチン、コール、マノレスコ、マルケスといったあたりを読み物風に再編成。巻末には参考書籍があるがネタのほとんどはこのあたりから安易に拾ってきたものと推察される。とはいえ仕事が忙しい最中にも歴史に触れたいというニーズはそれなりにあるはずで、世界史の「ウラ」をもるのにこうした文庫本サイズの本はありがたい。興味のわいた人物については巻末の参考書籍をみてさらに読みすすめるということもできるはずである。
 カリオストロ伯というのが個人的には非常に興味深かった。ただしこうした悪人たちはすべてアナログ時代の産物。このデジタル社会でおそらく影響力をもちうるのはヒトラーぐらいだろうか‥。

企業不祥事の心理学

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2003 出版社;PHP研究所
和田秀樹氏の「リスク管理」に関する本。現在は「ウソが隠せる時代でもなく」「ウソがばれたときの損害も大きい」時代であるとした上で「情報公開」による規律を訴える。三菱自動車は確かにリコール問題で現在会社の経営危機的状況にまで発展している。これは車の欠陥云々ではなく「ウソ」(を結果的にもつく形になったこと)が原因と分析している。
 情報公開というのは実はそれほど易しいことではないがこれだけウェブが発達すると誰かが必ず情報発信をしている。確かに隠せるものではなく、そしてばれたときの被害も大きい。
 そしてこれは企業だけでなく企業を構成している個人にもそれぞれあてはまる事柄だと思う。実用的な心理学の本。

できる社員は「やり過ごす」

著者名;高橋伸夫 発行年(西暦);1996 出版社;ネスコ・文藝春秋
 タイトルだけからすると「インチキ・ビジネス本」のようだが著者はれっきとした東京大学大学院教授で論説もすべてきっちり統計学によるデータの裏づけによる。「やりすごし」という現象から「見通し」の有無が実際にはビジネスパーソンの意思決定を左右するものと解く。著者の言葉によれば「未来傾斜原理」である。直属上司との人間関係がいきづまっていても通常の企業では「人事異動がおこなわれるという見通し」があらうので、すぐに企業から「離脱」する人間はいないという論法だ。過去の実績や現在の力関係よりも未来の実現の期待によりかかって意思決定をするというのが未来傾斜原理の骨子だが、これは感覚的にも納得できる結論だ。途中アクセルロッドの理論研究を引用し、長いつきあいを重視する上品な「プログラム」こそが一番長生きすることも著述されている。この論法で企業文化や経営理念の重要性も再認識される。たとえ実現不可能でも「夢」や「経営理念」がとかれる企業には不思議と人材は集まるものだ。

説教名人

著者名;斉藤孝 発行年(西暦);2004 出版社;文藝春秋  
親鸞、今東光など古今の説教名人を特集したもの。「親鸞の説教は常に低い位置からおこなわれる」などといった「説教の構え」を解説している。ただし、おのずと説教から「先輩に学ぶ姿勢」といったものも養われる構造の面白い本だ。「自分を活かしてくれる職場、学んだことを活かせる企業、冗談をいっちゃあいけない」といった大島渚の言葉が痛い。社会の実務と自分の距離感をはかり、そこから実際的な対策が始まることを暗にいっているわけだ。大学で学習したことを活用してやるなんていう企業はまず企業社会では確かにありえない。会社というのは不条理かつ非情だが、現実の存在ということを確認してから‥という立場からの発言で、自分と社会の距離感をみて戦うということがないかぎり「甘い」といわれてもしょうがない‥といったニュアンスを感じる。耳の痛い発言を網羅的に収録。

日本人は思想したか

著者名;吉本隆明・梅原猛・中沢新一  発行年(西暦);1995 出版社;新潮社
個人的には三人とも偉大な思想家ではあるが都市国家に生きる思想家との見解を持っている。三人とも銘柄大学出身のいわば思想界のエリートであるため、市井の「感覚的なもの」を語るときにはある種の情報のフィルタリングがかけてられているのではとの思いがぬぐいされない。とはいえ、西洋哲学から東洋哲学まで縦横無尽に語りつくされる鼎談の内容と豊富な注はきわめて魅力的な構成だ。マルクスが近代思想の一つにすぎなかった‥などといまさら語られてもちょっと遅い感もあるが、自然にまみれていないころの人類などを把握しきれない思想の限界は今でも限界であり続けている。日本の神道の二重性(伊勢神道と民間神道)など種々のテーマは常に日本の思想をテーマにしているが、その基調に縄文時代が設定されているのは興味深い。伊勢神道が発達したのは南北朝時代といわれているが、縄文時代と南北朝、そして梅原氏がいわゆる京都学派であることから、鼎談の内容が非常に興味深くなってくる。たいていの「神話」は儀式と結びついているが、それと「歌」との関連性も面白い。レヴィ・ストロースが「古事記」を読んで感嘆したというが、神話の共時的構造を明らかにした文化人類学者をも感嘆させた古事記をめぐる箇所も面白い。ただし相当な「文科系」でないと、途中で投げ出したくなる箇所もあるかもしれない。中沢が一連の中で切れ味のよい司会ぶりを発揮。

まず動く

著者名;多胡輝  発行年(西暦);1995 出版社;高木書房
もはや古典のビジネス書籍に分類されるのかもしれない。「心理学講座」や「頭の回転」などを専門に書いていた著者が「心のありかた」をテーマに書いた。その後、東洋経済新報社で生命保険営業のトップがこの書籍を愛読していることもあり、ベストセラーになった本と記憶している。
 人間はともすればネガティブ思考になりやすいが、日本の場合はこうした本がポジティブに気持ちを切り替えさせる役割を演じている。動作や日々の微妙な工夫の積み重ねが将来大きな差になるとは頭ではわかっていても実際に行動にうつすまでがそれなりに億劫だ。まず動くことで習慣を確立し、日々を微妙に「プラス」に動いていこうという提案だが、出版されるのがもう少し最近でも同じテーマでもっと売れる本だと思った。

天下無双の建築学入門

著者名;藤森照信 発行年(西暦);2001 出版社;筑摩書房
 東京大学生産技術研究所の教授、というよりも南伸坊氏や赤瀬川源平氏らとの路上観察学会での活躍のほうが有名なのかもしれない。縄文時代には、磨製石器というやややわらかめの道具が用いられていたが、実際につかってみると栗などの広葉樹の硬い木の方がきりやすかったという。弥生時代になると鉄器が稲作とともに入ってくるのでやわらかめの杉・檜を加工するようになってくる。現在のボルトではなく「しばる技術」の再検討。弥生時代特有の「竹」という素材。基礎と土台の区別(基礎の上に土台がたつというのが建築学では正しい)。そこから始まる歴史的考察だ。縄文時代には「基礎」という概念がなく、柱を土の上に直接たてていた。腐りやすいのが欠点だが栗の木は丈夫で1万年たっても腐らない。飛鳥時代から日本では礎石と檜の組み合わせが多くなり、現代では栗の木は九州南部と東北地方などだそうだ。江戸時代中期に「土台」が始まり、礎石、土台、そして柱という現代建築の基礎ができあがる。ただし古代の柱にはやはりなにかしらの神秘性があったようだ。出雲大社の発掘現場で著者は地表から2メートル下の発掘場所に、帯金でしばられたと思しき丸太だ。もともと出雲大社については古代、その高さが96メートルとも48メートルともいわれていた。しかし48メートルの高さを維持するには、木を東大寺のように寄木にしなくてはならない。その発掘物は古代出雲大社神殿の高さをある程度立証できるものであったわけだ。中央の柱は神様がおりてくるノリシロでその名残が「大黒柱」「床柱」といった言葉にあるのかもしれない」「茶柱」だってそうかもしれないが‥。また日本住宅にしめる階段の特異性についても著者は言及する。日本の住宅や建築の中で階段が重きを占めていたことはないそうだ。金閣寺や銀閣寺には一応二階はあるが、さしたる意味もなかったらしい。古代ローマではすでに階段が一般化していたが、ルネサンスからは室内空間にも取り入れられ、高い天井の玄関ホールが広がり、その正面に階段があるという構図となる。「風とともに去りぬ」のイメージか。その威光は開国したばかりの日本に伝わり、外にあっては塔、中にあっては階段という明治時代の威信装置となる。戦前に作られた博物館や西洋館にそうしたつくりが多いのは階段の歴史性にあるという。日本人はその歴史の中で水平性を重視する民族だったのかもしれない。
 建築学から歴史をみて、社会をみる。そうした試みに支えられたこの本はとにかく面白い。

現代〈死語〉ノート

著者名 ;小林信彦  発行年(西暦);1997  出版社;岩波書店
1955年の「戦後が終了」したときからの死語を特集。ただし著者が「死語」としている用語でも微妙に現在に生き残っている言葉もある。「ベティ・サイズモア」の中で「ケ・セラ・セラ」が流れるシーンがあるが、この言葉は1956年の「死語」とされている。「知りすぎていた男」でアカデミー賞主題歌賞を受賞したのがきっかけだが、別にこれは死語ではあるまい。時代背景としては神武景気がひとたび終わろうとしていたという時期にあたるが、平成大不況の現在に通じる言葉なのかもしれない。同年、シスター・ボーイとして美輪明宏。「ゲタバキ住宅」も1956年だが、今年のマンション管理士のテキストには「俗語」として紹介されている。最初のゲタバキ住宅は東京の三田だったとか。「トヨタ・クラウン・デラックス」がもととなって「デラックス」もはやったようだ。なんと「永すぎた春」は現在でも使用されるがもともとは三島由紀夫の長編から。「ながら族」の出現は1958年。1959年にはビート族という実存主義とビートニックをまぜあわせた存在が。映画「パリの恋人」の影響のようだ。岩戸景気の影響で「消費革命」という言葉も。1960年には「松竹ヌーベルバーグ」として大島渚の「青春残酷物語」など。またこの都市に森永製菓がインスタントコーヒーを販売して「インスタント」が流行している。1960年より池田内閣が所得倍増計画。「反面教師」も流行するがもともとは毛沢東語録とのこと。否定すべき存在によって肯定的なものを明らかにし、比べ合わせながら鍛えられ成長していくこと、というのが毛沢東の本意だったとか。なんともこうした風に読んでいくと結構楽しめるので娯楽度は相当にある本だ。ただし異論や反論も相当ある本ではあろう。

英国大蔵省から見た日本

著者名;木原誠二  発行年(西暦);2002 出版社;文藝春秋
財務省の若手キャリア官僚による英国大蔵省と日本との比較論。年代からすると20代からロンドン大学に留学されていたようだが、歴史論など深くふみこんだところから慣習法、成文法の国との実務的差異などに言及。頭のキレの鋭さを感じる。もっとも筆者はまだ30代前半であり、これから課長、審議官と官僚機構の上に移動していくにつれ、さらに円熟味を増すのだろう。サッチャーのヴィクトリア王朝への回帰とグラッドストーンへのシンパシーと日本の比較は面白い。教育論議も一部はいっているが、一度落ちた社会的学力はなかなか回復しないという一節もある。当人は予算権限を握るキャリア官僚だけに将来、文部科学省に対しては相当厳しい姿勢で臨む可能性が高い。制度信仰について懐疑的な文章もあり、制度だけでなく思考方法をどう変えていくのかといったところにまで言及されている。こうした人材が中央省庁に在籍しているというのは日本にとって幸せなことではないだろうか。

前代未聞のイングランド

著者名;ジェレミー・パクスマン 発行年(西暦);2000 出版社;筑摩書房
よくある「イングランド紹介本」だが著者はイングランド人そのもの。自虐思考でイングランドの歴史と現在を概観する。ケルト民族以来からのスコットランド、ウェールズ、アイルランドといった「隣国」との関係も辛らつに描写している。英国国教会はもちろんプロテスタントに属するが戒律等にはさほど厳しくは無く、それがイングランド気質を作り上げる一つとなったという分析はもしかすると巷では有名な話なのかもしれないが個人的には興味深かった。ナショナル・トラストなど「英国」を有名たらしめている事柄をコンパクトにまとめてくれている。装丁は緑を基本としたおしゃれな本。定価が2600円とやや高いのだが、アングロ・サクソン文化の「一端」についてイメージが湧く本としてお勧め。

「五感力」を育てる

著者名;斉藤孝・山下柚子 発行年(西暦);2004 出版社;中央公論新社
身体感覚を重視するという著者二人の立場は一環している。コミュニケーション障害児の発生原因の一つとして、身体文化の喪失が挙げられているのだが、「おんぶ」「だっこ」といった「触感」の欠如も原因にあげられる。武道の上達と学問の上達はけっして矛盾するものではなく、それぞれに身体感覚の技化ともいうべき、上達の法則がありそうだ。これまで割りと上半身と下半身が区別して体系化されていたきらいが日本の場合あるが、この本を読むとけっしてそれは正しくないことが伝わってくる。結局のところ何かを習得するのに、どちらか片一方ということは感覚的にもありえない。情報だけで生活をしていると「息」が軽くなるという指摘にはうなづけるものがある。

困ります、ファインマンさん

著者名;ファインマン 大貫昌子訳  発行年(西暦);1988 出版社;岩波書店
ユダヤ人であり、戦時中は原爆開発にも携わった物理学者ファインマン氏のエッセイ集。当時原爆開発者が多くかかったといわれる腎臓のがんで死去されている。この本はもちろんユーモアあふれたエッセイ集なのだが、冒頭はやはり若くして死去した奥様との思い出につづられている。権威や権力といったものについて距離を置いていた著者だがやはり原爆という科学に携わった事実について、「すべての楽園に通ずる鍵は地獄にも通じる」といった言葉を残している。
 「偉大な進歩はおのれの無知を認めることから生まれ、思索の自由なくしては手に入れられないことを知らなければなりません。その上でこの自由の価値を鼓舞し懐疑や迷いは危惧するどころかむしろ歓迎され、大いに論じられるべきであることを教え、その自由を義務として次の世代にも求めていく、これこそ科学者たる私たちの責任であると考えます」という言葉で締めくくられるこの本はある種「痛み」すら感じさせる内容だ。だが物理学者であるにもかかわらず「人間愛」「ユーモア」といった事柄を重視した著者は、硬さを感じさせない筆で、「死」についても飄々と書き連ねる。夫人の死で涙を流した瞬間の描写はおそらく万国共通の涙だろう。

経済学をめぐる巨匠たち

著者名;小室直樹  発行年(西暦);2004 出版社;ダイヤモンド社
近代経済学・近代経営学・社会学の隣接科学の境界線は実ははっきりしない。高田保馬氏も社会学の学者としては職がなく経済学の講師をして業績をあげていたこともある。また経済学の理論で説明できない事象を社会学の理論を援用してそれなりの実績をあげる方法もあるようだ。とはいえこの本では一般に「経済学」として分類される学者の理論を中心にアダム・スミス、リカード、マルクス、ワルラスといった学者から日本の学者まで、やや通説もしくは私個人とは異なる理解の著述もあるが、わかりやすく解説してくれている。簡単な経済史の参考書籍として立派に利用できる本でもある。マックス・ウェーバーの説明は簡潔にしてわかりやすい。資本主義に必要なものとして○1労働そのものを目的とすること②目的合理的な精神③利子を正当化する精神といった3つのテーマで解きほぐしてくれる。生産力・資金・商業といった古典的な理解だけでは足りないとするマックス・ウェーバーの理論の一部が本当に明瞭だ。この3つの柱から「行動的禁欲」「伝統主義の打破」といった概念に下位分化していくという手法である。目的合理論により労働の水準を高めていく精神こそが重要であるし、そうした精神のもとに複式簿記が発達していった‥という展開である。
 またケインズについても、貯蓄のすべてが投資にまわるだけでなく、取引的需要があり(流動性選好)、貯蓄のすべてが投資されるわけではないので有効需要が不足する‥といった下位分化の理論展開で読み解く。大学生の学部レベルであれば、これに数式をマスターすれば十分優が取れる内容だ。ただし、やはり簡単なミクロ経済学やマクロ経済学の教科書、パーソンズの理論といったあたりを読んでからこの本を読むと、より内容が鮮明に理解できるのではないかと思う。経済学のダイナミズムと社会学の理論基礎との関わりも知的好奇心を刺激してくれる。実務に関係しているとまたいろいろな形での応用が考えられそうだ。

世界認識の方法

著者名;吉本隆明 発行年(西暦);1980 出版社;中央公論
 共同幻想論でマルクス主義に絶望した世代をとらえた著者が、その解説をフーコーなどの対談とともに平易におこなっている。マスクーゼ、マルクス、エンゲルス、フォイエルバッハ、ヘーゲルをそれぞれ区分して、社会主義国どうしの対立といった当時では予期されたいなかった事態とともに、幻想を明らかにしていく。意志といったものを個人と共同に区分し、共同においては、必ずしも予定調和的な結論が導出されるわけでもなく必然ではなく偶然の戯れとして、現実をとらえることで思想性を豊かにする方法を明らかにしている。
 わかりやすいとはいいかねる本ではある。ただし、わからなくても当時の状況から判断すると、すがりたくなった思想家がこの著者なのだろう。ただし最近の言説はもはやこの当時のものほど影響はなく、おそらくこの世界認識の方法と共同幻想論でその役割をおえてしまったのかもしれない。しかしかなりよい本である。

言語・性・権力

著者名;橋爪大三郎 発行年(西暦);2004 出版社;春秋社
 わかりやすく社会学や法学などを説いてきた著者が学術論文主体の文章を1冊に編成しなおしたもの。おそらく一定程度の社会学、人類学の基礎知識を前提にはしているが「理論社会学は特定の学問の幅には規定されない」ということで経済学、政治学などの出身者もイエ社会などの問題にとりくんでいるようだ。ただしこの手のものの限界としてスッキリ何かがわかる‥といったカタルシスはない。‥やや高度だがもう一度挑戦してみたい本である。

マルチメディアと教育

著者名;佐伯 胖 発行年(西暦);1999  出版社;太郎次郎社
 教育工学から認知科学へご専門を移した著者の「考え方」の遍歴と実際の教育現場との相関関係を把握するのには非常に役立つ書籍である。また昨今の情報科学のあり方にもすでに1999年から警鐘をならされていたのは著者の慧眼であろう。ある種の「証拠」「論拠」「方法論」「目的」を律儀に捕らえなおそうという姿勢には好感がもてる。ただしじっくり観察し、妥当な教育論を確立しようとする立場はやはり学者の立場で現場では「現在進行中」という事実はわきまえておく必要性があるのかもしれない。マルチメディアと教育の関係は確かに重要だが、現実にこの今、パソコンがある程度使えないと不利になる立場の人間もいる。長期的にはのぞましくないが、ある種の技術論に偏りがあるのはしょうがないことなのかもしれない。ただし、「ハイテク技術にふりまわされない」「頭を冷やした」教育活動を提唱する著者の立場は、現在貴重である。表現重視の教育も重要だがその反面実質への問いがなおざりにされるようでも困る。ビジネスでもやたら見栄えがいいプレゼンであっても、「だから何」といたくなるようなプレゼンがなくはない。キレイゴトや形式論理で世の中は割り切れない、という当たり前のことをあらためて考えさせる本である。ただし2000円は非常識な価格であり、これは出版社にはあらためてほしい価格設定だ。内容のほとんどが雑誌等からの転載であり、もう少し読者に買わせる価格設定(あるいは価格を高めに設定するなら装丁を考えて欲しい)をしないと、マーケティングに対する熱意を疑わせる。

嫌われる言葉

著者名;斉藤孝 発行年(西暦);2004 出版社;講談社
何気ない発言が人を傷つけるということはままあること。この本はビジネスの現場でよく用いられる無神経な言葉を分析したもの。まず知恵をだせ、知恵を出さないものは汗をかけという松下幸之助の言葉が引用されているが、まずは汗をかくことからすべてが始まるのかもしれない。とはいえ、時代劇言葉を多用すると急場はしのげるとか「おっと」という言葉でかわす技術だとかあいも変わらず不可思議な言葉によるマジックを楽しむのが教育学者斉藤孝氏の魅力だ。

潰れない会社にするための12講座

著者名;吉岡憲章 発行年(西暦);2002 出版社;中央公論新社
 企業がなぜ潰れるか、について実地の修羅場を経験した人間がそのプロセスを語る。倒産というのは法的用語ではなく法律上は①会社更生②会社整理③民事再生④破産⑤特別清算という形になる(民事再生法ができる前までは和議だった)。倒産すると会社は「死ぬ」がそれはまず税務署の差し押さえから始まる。税務署に手形で税金を納付する場合もあるが、これは「期限の利益の喪失」ということで差し押さえにあい、取引銀行の口座もすべて停止される。さらに社会保険庁が口座を差し押さえるケースもある。給料に先取特権があるといったって、実際には税金や社会保険料のほうが優先される。民事再生法でもこうした税金等の差し押さえは免除されないのだ。財産保全命令がでても、割引手形の回収を次に命ぜられる。顧客が銀行口座に振り込んだお金はすべて銀行へ。さらに債権譲渡予約が実行されて、債権はすべて銀行の手中におさまるという手はずだ。著者は映画「タイタニック」と会社倒産をなぞらえるが確かに共通する部分が多いともいえる。会社更生法では3分の2、民事再生法では50パーセント以上の債権者の同意が必要となるが、かなり高いハードルということになる。
 成功した経営者の講演会等については著者はかなり批判的である。成功したポイントはヒトによってかなり個人差があるものだからであろう。新規事業というのにも批判的だ。大企業が情報収集力を駆使して参入しているこのご時勢に、目先は支出しかありえないからである。経営の目的は、利益の確保であり支出と収入のバランスをとること以上のものでも以下でもない。売上高はいくらでも経費をつぎこめばあがるが、利益の獲得はきわめて難しいのだ。ましてやデフレ不況なのだ。売上高を伸ばす、と意気込んでも銀行は多分陰で失笑しているであろう。年商10億の会社が利益率を5パーセントから10パーセントにあげれば、売上が二倍になったのと同じ効果があるのである。
 最終的には3年から5年かけて、手形の支払いゼロ、銀行借り入れゼロ程度まで目標にするべきなのだろう。法人税等が大体46・85パーセントとすると利益の半分は税務署がもっていく。だから経常利益率は10パーセント以上は常時確保できるだけの経営体質にもちこんでいく必要性があるのだ。借入金の売上高の50パーセント以下抑制。これがデフレのもとでは、重要な指標となるのだろう。
 かなりシビアな経営分析だが、失敗から得る話ほど実践に役立つことはない。備えあれば憂いなしである。こうした重要な本がもっと出版されるとよい。しかし出版したのが経営困難に陥った中央公論新社というのも妙に因縁めいているが‥

増補〈私〉探しゲーム

著者名;上野千鶴子 発行年(西暦);1998 出版社;筑摩書房
 この本は単行本として出版されたのが1987年でその後「日経トレンディ」などの連載を加えて1998年に増補版として再出版されている。日経トレンディに連載されていたこともあってか百貨店や小売商、クラスターマーケティングの限界などについて、社会学者らしい見解が提示されている。そこに問題解決的な議論はあまりなく問題提起型タイプの著述が多いのも、上野氏らしい。
 商業や建築といった分野はもとより細かい商業学や建築学の枠組みの中だけで議論しているとどうしてもどん詰まりになる。広く社会科学全体kらとらえなおす動きがないかぎりタコツボ現象を起こして最後は「身内」のなあなあ現象になってしまうのだが、こうした題材に積極的に取り組んでくれる正統派社会学者の存在は頼もしい。
 
 上野千鶴子氏はなぜに東京大学の教授になれたのか。

 (答)手法も結論もきっちり統計学的なデータ検証を踏まえており、マスコミにながされずマスコミを利用するしたたかさがあるから、と考えられる。

今すぐ転機に備える95の方法

著者名;森山進  発行年(西暦);2001 出版社;成美堂出版
 マネージャーとリーダーの比較検討が面白かった。「混沌の中での統率力」を発揮するのがリーダーであり21世紀型とされ、「安定した状況下における管理」をするのがマネージャーということになる。日本型社会では多くはマネージャーということになるが、これからリーダーが必要となる。とはいえリーダーシップというのはそれほど誰にでも備わっている能力というわけでもない。西洋のように特別教育でもすれば別のなのだろうが、簡単にはなかなかいかないというのが現実だと思われる。
 とはいえベルギーで仕事をしているという著者はベルギー唯一の植民地がコンゴだった、とかベルギーの公用語はフラマン語(オランダ語の方言)とフランス語だ、とか、ベルギーは大国の中で政治的交渉力を磨いたなどのチップスが豊富だ。こうしたベルギーの話などはなかなか文庫本サイズで仕入れるのは貴重な体験だろう。

マンションにいつまで住めるのか

著者名;藤木良明  発行年(西暦);2004  出版社;平凡社
やや区分所有法や建築設備の知識がないと「楽しんで」読む本には該当しないかもしれない。ただし区分所有法上の解説や主要な判例紹介、またローマ時代からの長屋形式の歴史などマンションの一般知識が相当コンパクトにまとめられている。
 もっとも都市問題の象徴ともなってきたマンションだが、政府当局が予想しているほど状況は甘くはなさそうだ。これからまだ解決すべき社会問題が相当数存在する。そうした社会問題の出現を予測しているプロの視点でしかも社会学的考察が加わっている点で一読に値する本だといえる。著者は愛知産業大学教授。工学が専門だがその謙虚な語り口は好感がもてる。

問題解決のための社会技術

著者名;堀井秀之  発行年(西暦);2004 出版社;中央公論新社
それほど難しい本ではないが、とりかかりがやや理系向きの本かもしれない。設計と社会技術の類似性や、ブレークスルーのために他の分野で成功している技術を「移植」するなど実験にあふれた書籍である。東京大学工学部の教授の執筆によるが、工学における理論をいかに無理なく社会技術に転用するのかに心をくだかれている様子が手に取れる。丸善から1957年に発行されたという「いかにして問題を解くか」(ポリア)の紹介もかなり面白い。こうした文理総合系統の本はたまに編著者の知識の偏りや勉強不足が鼻につく場面もあるが著者にはそれがない。ややとっつきは悪いが、最初の20ページを乗り越えたら結論まですぐいけるだろう。実生活にも有用な示唆が多い。お勧めの新書サイズ。

伝記に学ぶ人間学

著者名;小島直記  発行年(西暦);1988 出版社;竹井出版
特異な伝記作家小島直記の人間学と称する本である。巷の保守派の論調と異なり是々非々で歴史人物をさいていく。人間の強さをちゃんばら映画から読み解き、人間の強さは構え(肩書き)ではなく間合いにあると喝破する。剣術の達人は間合いの重要性を説く。間合いを維持しながら皮をきらせて肉を切れということになる。相手を斬るにはまず自分が斬られなければならない。肩書きで人をひきつけてモノを売ることはできない。肩書きとは別のところで売る努力が必要となる。何かを捨てなければ相手は切れず、斬ることは斬られることである‥。一種の禅問答のようだけれども昨今のゲーム理論からすれば、けっして非科学的な言説ではない。完全勝利などありえず、自分も何かを犠牲にしなければ競争相手には勝てない。そしてまた相手を攻めるのであれば何かを犠牲にする。つまりは自分が斬られなければならないうことだ。
 こうした儒学風の読み物は最近はやらないが、歴史の風説に埋もれた人物を拾い上げる努力は必要であろう。成功した人間の奥さんや部下に言及されていない自伝や他伝がいかにインチキかということを実証した本でもある。

スランプ克服の法則

著者名;岡本浩一  発行年(西暦);2004 出版社;PHP研究所
タイトル自体は際物だが、内容は認知科学にそったきわめて科学的な構成。タイトルで選んで購入された方はほとんど読まないケースもあるのではないか。新書サイズだが「上達」にいたるまでのプロセスを科学的に解説。理論書の読書の重要性についても解説されており、スランプだけに限定されない内容である。この本から認知科学へ進むルートもあると考えられる。

40歳から伸びる人40歳で止まる人

著者名;川北義則  発行年(西暦);2003 出版社;PHP研究所
この著者の川北さんはとにかく面白いのだが本が内容の割りに高すぎるのが難点だ。やはり定価で購入するにはそれなりの覚悟がいることだろう。なにせ中身は究極の「ビジネス」本である。読者層に女子高生がいるとはまったく考えられないネーミングで、しかもしれが増刷だから購入しているのは「中年の」「男性の」「会社員」となる。ただし現在を楽しむと同時に、将来を見越しておく必要性は実感できる内容。「好いたことをして暮らすべきなり」という「葉隠」の言葉が印象的だ。あらゆる成功の秘訣は健全な精神とはデール・カーネギーの言葉だが現在の日本社会での「偏差値50ライン」を見事に具現化してくれている内容。この本を読むとまっとうな中年男性会社員と個々の自分との距離感を計測することができる。
 ビジネス本の内容で自分に取り入れられる内容はとりいれるべきだ。しかし全部を真に受ける必要性もない。結局のところ読書のありがたみはそうした距離感の計測器にもなる、という点である。

ゆとり教育崩壊

著者名;小松直樹  発行年(西暦);2002 出版社;中央公論新社
 ゆとり教育論争というのは確かにあるが中央所管省庁がどれだけ論陣をはろうと世間も海外も、そして経済産業省や厚生労働省ですら当の何某省庁については問題外にされている。もともとその省庁はかなり審議会等の答申をかなり忠実に実行するという点ではかなり評判のいい省庁ではある。しかし、ここ数年の目標ありきの迷走はさらに信用を失墜させた。とくにマスコミに露出がつよかった何某審議官については省庁内部でも相当に評判が悪かったことがこの本には記載されている。
 指導要領には解説書が付属するが、これは別に法的拘束力をもつものではない。ただし著作権は文部科学省がもつという不可思議な書籍で書店でむちゃくちゃに安い値段で売られている。巻末には教科書会社が印刷を請け負っているようだが、これはおそらく種々の利権の温床になる可能性が否定できない。印税は著作者に配分されているのだろうか。またこの価格でどうして公共入札なのか。ただしこの元審議官は、不幸な星のもとにもある。埼玉県の業者テスト問題でも当該所管の課長だったりした。遠山プランで名高いあの文部科学大臣は現在の指導要領については批判的だったようだ。文化庁で同期だった事務次官も本当のところはあまり賛成していなかったふしがみえる。しかし、「行政の継続性」と実際のデータ公開がこれからもとめられることから、いくつかの変換をむかえていかなければならないようだ。学力向上フロンティアプランなど、これから一種の確かな学力を育てる方向性にいかざるをえない。もっとも受験戦争をあおるという弊害への批判も一時期相当厳しかったし、それに対応する責務もあったのかもしれない。生涯学習など種々の教育行政の対応はもちろん他の省庁よりも良心的だったともいえる。しかし学力向上論争についてはついぞまともな対応はしてこなかったと総括されてもやむをえないだろう。初等中等局はいわば相当な大所帯ではあるが、2002年に相当な入れ替え・人員配置の転換をおこなったようだ。幼稚園課・小学校課・高等学校課の課長など主要な課の課長の多くが局の「外」にでたようだ。今後はリーダーシップのある人材など多種多様な方向性へ生まれ変わるものと信じているが、もし10数年後まで先延ばしされると、おそらく金持ちで私学の卒業生が日本社会を牛耳ることになるだろう。そう、審議官を含めてやはり旧帝国大学卒業生がプランニングしていることは変わりはないのである。文部科学省は。

あのプロジェクト成功の法則

著者名;斉藤孝  発行年(西暦);2004 出版社;中経出版
ニーズをつかむ力(ヤマト運輸)・最初にベストを投げる力(スター・ウォーズ)・使命に徹する力(新幹線)・信念を貫く力(ディズニー・ランド)の事例をあげて分析する。参考文献をもとに事例から教訓を導出する斉藤孝氏のオリジナリティはそこらの三流ビジネス本とはやはり一線を画す。単なる引用だけでは終わらず、種々の事例を組み合わせ変容さえる技をみせる本である。読者によっては「ただの事例本」としてかたずけられる可能性もあるが、別の読者にとってはこの手法を現実に自分のケースにあてはめていく場合もあるだろう。価格は1200円だがこの投資をいかにして回収するかは読者の「読解力」と実践力、そして本質的な頭の良さにゆだねられたともいえる。

勝つための「心理戦略」

著者名;内藤誼人 発行年(西暦);2001 出版社;光文社
経営行動学などを専攻していたという著者による。タイトルはいささか扇情的でもあるが、内容的には日本的経営にはかなり都合のいい「戦略」があげられている。ビジネスの基本は生きた情報を集めて活用すること、とか頭の中にバラバラに搭載されている知識がそれぞれ連関してくるといったくだりは認知科学の痕跡もあり。攻撃の基本は一点集中といった孫子の教えと認知科学を組み合わせたところが新味なのだろうか。
 個人的には「間違った目標であってもないよりはよい」というテーゼが割りと気に入っており、「目標があるととりあえず努力の方向性が決まる」といった心理学者の研究が紹介されている130ページあたりが参考になった。とはいえ、無理に読む必要がある本という感想もいだけなかったが‥。

ブランドはなぜ堕ちたか  

著者名;産経新聞取材班  発行年(西暦);2001 出版社;角川書店
 雪印、そごう、三菱自動車のそれぞれの歴史と会社が危機に瀕するまでのプロセスをかなり綿密にレポート。とはいえ、この本が出版された後、雪印は食品偽装疑惑事件を、三菱自動車はさらなる消費者問題を発生させてしまっている。問題提起はそれぞれなされたが、最終的なツメまでは経営者が変わったぐらいではできなかったのだろう。西武百貨店も親元の西武グループが有価証券報告書の記載事項に問題があったとして上場停止になるなどかなり大きい痛手をこうむっている。
 もともとそれぞれの企業の創業者は、高い品質や顧客重視といった商売にはあたりまえのテーゼを経営理念としていたのだが、どうしてそれが営利至上主義になっていったのかが不可思議である。そごうは明らかに創業者の一人が後継者を育てず、何某大学の学閥を構築してしまったのことに原因がありそうだ。また時代の流れが店舗の大小には左右されない店舗のブランドなどに移ったことも見抜けていなかったのだろう。
 これは産業構造の変化を暗示する一連の事件なのかもしれない。ハードウェアからソフトウェアへ移動する時代。実は店舗よりも無形のブランドの方が重視される時代へと移り変わってきたことを示唆するのかもしれない。
 これを個人レベルで考えると、おそらく自宅持ち家にこだわることが重要ではなく、その人のライフスタイルといったものが重視される時代になってきたということなのだろう。こうした事例をどう解釈していくのかが読者にゆだねられていると思う。

日本人のための経済原論

著者名;小室直樹  発行年(西暦);1998 出版社;東洋経済新報社
 ある程度近代経済学をかじったことがあればかなりスイスイ読める本ではあると思う。一部大学の教養学部レベルの社会学の用語などもでるがそれはこの本を読んでマスターするのがよいのだろう。経済的困難をお金不足か物不足と明解に分類し、膨大な貯蓄(ストック)が消費(フロー)になるにはどうしたらよいかを考察してくれている。問題の所在をミクロ・マクロの経済学の手法を使ってかなりシンプルに提示してくれているという点で明確さは100点。ただし現実の経済現象や経済学者はこの著者がいうほど無能ではなく、こうした問題点を克服したさらにその先をみているケースも多いので、この本だけで経済学のすべてがわかるようになるのはきわめて危険。これはあくまで読み物としての経済・社会学入門としてお勧め。

交換教授(上)(下)

著者名;デビッド・ロッジ   発行年(西暦);1984 出版社;白水社
デビッド・ロッジという作家にはもうひとつ「素敵な仕事」(大和書房)という名作あがあるらしいが、いずれも「交換」がメインのテーマとなっている。この本はおそらく純粋なエンターテイメントで、イギリスの片田舎の大学のうだつがあがらない講師とアメリカの名門大学の教授がそれぞれ交換教授として半年間授業や生活を交換し、その後、なんやかんやあって奥さんまで交換してしまう。そして最後には4人の夫婦は、共同生活を送り始める。交換というのは文化人類学のテーマではあるが、ロッジはストーリーを通して1969年当時のウーマンリブも含めて世相や文学理論、大学の制度といったものを批判する方式である。すべての制度から自由に解放されようという文学理論の現実には適用不可能な状態を小説でしめしている。発行されたのが1984年なのでおそらくニューアカデミズムが大学生の間で盛んな時期。多分相当売れたんだろうなあ。原作を書いたロッジは1935年イギリス生まれ。ロンドン大学で英文学を学習下あと、バーミンガム大学へ教師として。ホーソンデン賞を受賞。1970年代を代表する小説とされている。作者は「コミックを通して不条理を描きたかった」などと能天気なコメントをよせてはいるが、おそらく本心ではあるまい。エンターテイメントとして、また1970年代当時のフェミや文芸理論のテキストとして、ぜひともおすすめしたい上巻・下巻の2冊構成である。

聖書と甘え

著者名;土井健郎  発行年(西暦);1997 出版社;PHP研究所
信仰と甘えなど西欧文化にみられる「甘え」現象を解読する。もっとも適度な甘え自体を否定しているわけではなく、意識されていない「甘え」の功罪を緻密に分析しているのがこの本である。キリスト教は一神教であるがゆえにすべて神との契約によって社会全体が構築されている。しかし筆者はその厳格な一神教の中にも選民思想などに「甘え」をみる。また甘えと関連して他人の妬みという現象も取り扱う。
 こうした社会全体の基礎にある甘えと契約社会との対比はすばらしいの一言に尽きる。こうした優れた書籍を新書版で購入できるという幸せをしみじみと思う。

悪の民主主義

著者名;小室直樹  発行年(西暦);1997 出版社;青春出版社
 ジョン・ロックの思想を簡潔に紹介し、労働によって利用可能資源が増加しうるため自然状態でも万人の万人に対する闘争は起きず、また当時の身分社会をとりあえずモデルの外に置き、仮説を打ち立てた学者として紹介されている。その後ロックの思想は英国古典派(アダムスミスなど)に受け継がれ、「個人の悪徳は公共の美徳」といった概念がうまれてくる。
 また同時に社会契約説についてもわかりやすく紹介されており、史上初の社会契約説による建国の例としてアメリカ合衆国が紹介されている。
 いわば社会思想のわかりやすい紹介というところだが、残念ながら「悪の民主主義」という題名には程遠いわかりにくい内容。アメリカ合衆国の建国宣言にはキリスト教的世界観があるとかなんとかそういう話が続くわけだが‥。別に無理して読むことも無かったかなあ‥という感想しかもてない。ただし著者がやたらに民族教育に熱を入れてることだけは伝わったが、それにしてもなあ‥。

大英帝国

著者名;長島伸一  発行年(西暦);2000 出版社;講談社
 ヴィクトリア王朝の大英帝国の生活史を分析。産業革命後の大英帝国の繁栄と衰退、そして衰退期にありながらも福祉国家、女性解放へと大英帝国が舵取りをする一方、大衆娯楽生活が充実しはじめたころを描写する。一面的な歴史の著述ではなく大衆生活というこれまであまり重視されてこなかった分野に光をあて綿密な科学的分析に力が費やされている。「ジャックと豆の木」から植民地支配の陰の部分を分析するなど著者の実力がいかんなく発揮されている一方で歴史小説としても十分楽しめる名著。すばらしい。

ユダヤと華僑に学ぶお金持ちになる習慣術

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;ビジネス社
 大阪商人を自称する著者が本音丸出しの勉強術である。いささかタイトルが扇情的すぎてレジにもっていくのには度胸がいることはいる。が、内容的には江戸っ子の美学よりも大阪商人の本音を書き連ねている。
 要はあきらめの早い同世代に向けてのエールということになるのだろう。人間はどうしても年齢を重ねるほどにあきらめが早くなる傾向にあることは否定できない。しかし20万人が勉強術を読んでもそれを実践に移せる人間がいかに少ないかを力説する著者は現在の不況をビジネスチャンスとしてとられていることがわかる。試行錯誤の末に失敗することがあってもそこから立ち直る術を磨くこと、またその精神力をつけることの重要性を重ねて説いている。「次を試せる体力」と表現されているが「資金力」以外にそうした「次」とか「失敗への反省」といった作業はどうしても不可欠である。
 扇情的であるがゆえにこれをそのまま実践に移すのにはそれなりの度胸はもちろんいる。ただし自己への信頼を失うことなく挑戦することについては、誰も反対できないし今こういう時代だからこそ祖国をもたない優秀な民族であるユダヤや漢民族に学習する姿勢は重要なのだろう。

ギリシア神話、神々と人間たち

著者名;さかもと未明 発行年(西暦);2001 出版社;講談社
 ギリシア神話自体はもともとかなり人間くさい話ではあるが、この本で紹介されている神々はかなり残虐性をも帯びている。とはいえギリシアという古代文明を支えた地域にさまざまな民族宗教が混和してこの形になったのかと思うと、神話の類型の中に心理学が入り込むのはある意味当然かもしれない。ヘルメス(商売と通信の神)、アテナ(知恵の神)、ヘイラ(ゼウスの妻)、ポセイドン(海の神)、エロス(愛の神)、アポロン(太陽の神)、ヂュオニソス(葡萄と酒の神)、アルテミス(月の神)‥といったところが主な主人公となる。
 もともと紀元前2000年ごろアカイア人がギリシアに登場し、オリエント系統の先住民族を征服していくプロセスでこれだけの神々の物語ができあがったとされている。ゼウスがアカイア人のインド・ヨーロッパ的思考で動いており、その妻ヘイラはオリエントもしくは地中海的思考で動いているのでこの夫婦である神はよく喧嘩をする。トロイア戦争があった時期のミケイア文明の頃にはポセイドンが主人公だったもののその後アカイア人の特徴をもつゼウスが主人公に躍り出ていく。こうしたギリシア神話の多くは線文字Aもしくは線文字Bといわれる言語で記録されていたようだがまだこれらの文字は解読されていない。したがって現代のわれわれが読むことが出来るギリシア神話はホメロスやヘシオドスが口頭伝承を記録したものということになる。ちなみにギリシア文字が誕生したのは紀元前8世紀ごろ。
 またギリシア神話にでてくるプシュケーは心理学(サイコロジー)の語源となっている。エロスとの顔を隠した恋愛が艱難辛苦の末に夫婦となるプシュケー。ただし何の葛藤も苦しみもなくプシュケーは幸せになるという‥。このプシュケーは「魂」そしてティモスは情動を意味する。この身体感覚や現実感覚のないプシュケーが魂でそれがエロス(愛)と夫婦となり、喜びをうむというのはなにやらそれこそ哲学的だ。なおプシュケーが飲んだネクタルという神々の飲み物はおそらく現代のネクターにつながるものなのだろう‥。ギリシア神話は非常に奥が深い。

2007年12月23日日曜日

マンションは大丈夫か

著者名;小菊豊久 発行年(西暦);2000  出版社;文藝春秋
 建築設備と区分所有法の知識がないと簡単には読みすすむことはできない本ではある。また内容は改正前の区分所有法さがそれを差し引いても水回りや部屋の構造、住宅政策などについて提言されている問題と解決方法は今でもなお通じるものがある。
 給排水やマンショントラブル、騒音、ペット問題などこの国の住宅問題はそう簡単には解決しないということがよくわかる書籍。

苦手な人とつきあう心理技術

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2001 出版社;大和書房
 正直言って私は人付き合いが非常に苦手である上に、別に一人でも生きていけないことはないぐらいまでに思っていたりする。昔はそうした孤独が身にしみたが最近ではかえって気楽なぐらいなものだ。とはいえ仕事の関係上、電話で話をしたりもするし、会社に行けば集団作業を円滑に進めなければならない。みんながみんな良い人であればよいが、たいてい業務関係では嫌な奴いることはいる。
 そうした場合に感情的に行動するよりもむしろ感情を押し殺すぐらいが実はちょうど良い。この本ではさらに「甘え」「コミュニケーション」といったことを重視しているが、実際には嫌な奴に甘える‥というのはほぼ不可能だったりするのだが‥。
 ともあれ集団作業やチームワークといった観点にはこの本は応用が利くと思う。

座右の諭吉

著者名;斉藤孝 発行年(西暦);2004 出版社;光文社
 福沢諭吉といえば、晩年はやや「帝国主義的」言説がめだったものの基本的には学問を「実学」としてとらえた人物として有名だ。一種西洋合理主義の走りみたいな部分もあることはある。
 斉藤氏はさらに福沢諭吉を分析し、写本や適塾などの状態について、現在に活用できる部分を提示している。その中でも「修行」という言葉が印象的ではある。一種の「才能の開花」といったものをあまり福沢諭吉は重視しておらずそれよりも現実世界で生き延びることを重視していたような感じがする。おそらくは一種の天才を除いて実際に仕事なり研究なりをこなしていくことでしか、才能も結果も開花することはないのだろう。きわめて常識的な内容が書き連ねてあるが、実はこうした常識こそが今一番社会に欠落している部分でもある。

株価の読み方

著者名;安達智彦  発行年(西暦);1997 出版社;筑摩書房
 基礎的なマクロ経済学の知識の若干の財務分析の知識がないとちょっと読むのには辛いかもしれない。ただし統計データについても被説明変数や統計学的に有意かどうかまできっちり説明されているので、新書にしては科学的な説明がなされていると思われる。個人金融資産の増加は国全体でみれば貯蓄の増加だが、それがストックのままでフローとして動いていかない。貯蓄がそのまま投資となれば景気も上向くというのは経済学の基本だが、この原因を心理学におくのかあるいは不確実性といったキーワードで読み解くのかは学説によるのだろう。
 ただし分散投資や投資理論がいかに発達しても株価の予測は本当にできない。結局は経済のファンダメンタルや個々の企業の投資意欲に株価は依存するのであって、マクロ経済学はその後追いをしているに過ぎないのではないかという印象を抱いた。

私の知的生産の技術

著者名;梅棹忠夫  発行年(西暦);1993 出版社;岩波書店
 知的生産について古今東西の「アマチュア」によるエッセイの集大成。1993年当時と比較すればパソコンもかなり進化しているが当時のこの技術は現在でも十分応用可能。情報を収集し、それを組み立て加工した上で、さらに論理をつきつめていく手法はパソコンを活用すればさらに充実したものとなる。すばらしい。

変わる思考術

著者名;畑村洋太郎  発行年(西暦);2004 出版社;PHP研究所
外部環境が変化すれば当然企業内部の人間の思考様式も変化しなければならない。ただし、そうした「変化」をどの方向性に求めるかは非常に難しい問題だ。
 失敗を99パーセント所与のものとして、失敗の中から成功を導出するというのが筆者の立場だと思うが、この失敗自体も日本社会ではあまり許されないという土壌がある。かなり一般人には難しい方法が展開されているが、おそらくは確率論的に成功すると思しき分野に向けてなるべく合理的な方法で努力を積み重ねるという以外には今のところ打つ手はない。なるべく失敗しないために失敗を分析するという方法は有効だとは思うが、もう少し実践的な内容の失敗例が掲載されているとありがたい。

「資本」の会計  

著者名;弥永真生 発行年(西暦);2004 出版社;中央経済社
 ある程度会計と商法の基礎が固まると非常に面白く読める本である。資本という概念については会計学と商法とではイメージが異なるという点について自己株式や利益処分なども含めて諸外国の会計基準や法令なども詳細に連ねて著述されている。商法は資本を一種の入れ物として認識しており、資本取引によってその入れ物の大きさ自体が増減する。企業会計は逆に利益剰余金などが損益取引によって増減するというイメージで構築されているとする。
 いわば会計学では資本というのは入れ物の中に入っている水のようなものということになる。商法では資本という制度は配当可能利益算定のために存在するものであるから、すべてがこの利益配当という枠組みから構築されてくると考えられる。そうすると現行の資本準備金・利益準備金といった区分はあまり意味をもたないし、区分の意味がなければ区分表示も意味がない‥ということになる。
 かなりドラマチックな資本会計の分析であるがこれで企業会計の抱える問題点がかなり明らかにされている。読み応えがある一方で興味がない人間にはかなり厳しい本かもしれないが、少なくとも商法が関わる分野においてなんらかの仕事をする場合には必読の本といえそうだ。

イギリス人の表と裏

著者名;山田勝 発行年(西暦);1993 出版社;NHK出版
 イギリスという島国の歴史や文化の本はとにかく面白い。同じ島国でしかも王室をもつという共通性はあるが、表層的な部分はまるで異なる。伝統と格式のあるクラブは都市貴族によって創設された‥とうくだりはタイタニックに乗船していた男性貴族たちのふるまいを想起させる。イギリス紳士というカテゴリーも歴史をさかのぼると、貴族・地主階級に限定されそうだが、次男などは産業革命以前は商店などに勤務していた。ということは現在では、商人のなかにも貴族・地主階級が混在しているということになる。そして、その後商人がイギリスの支配層になっていたという経緯もある。19世紀のマナーハウスは日本の荘園に相当するが、近代以後もゴシック様式が好まれていた。筆者はそれを中世封建領主への憧れと形容している。
 高い塔は水道に役立てられ、現在の貯水槽に相当していた。イギリス黄金期はヴィクトリア女王の死後、エドワード7世が就任してからといわれているが、当時個人資産のほとんどは人口の1パーセントが掌握していたという。エドワード7世は陽気で贅沢の限りをつくすイギリスをうみだした。ローストビーフは中世の料理方法のまま進化していないなど歴史の古さを事細かに分析してくれている。都市計画をまずてがけたのはイギリスだし、公園の整備もそうだ、日本の江戸時代末期にはパリにさきがけてロンドンでは地下鉄が走っていた。小学校教育では1990年代でも「怠けるものは救貧印」といった風土が残っているらしい。ただし階級社会が相当厳しくそれが社会の進歩をさまたげているのかもしれない。またイギリスには地震がないので石造りの家が何百年もの耐久性をもつという日本人には信じがたい話もある。土地に対する執着も無く、120年土地権利付きといった家の売買が中心らしい。イギリスの一般的感覚として「紳士が国を動かし」「経済観念しかない人間を軽蔑」といった用語も興味深い。ヨーロッパでもイギリスほど自由を享受した国は少ないのかもしれない。中世ではローマからもっとも遠い国であったし、ルネサンスにはすぐ英国国教を設立し、ローマ法王の支配から脱出している。一応、プロテスタントではあるが、労働の尊厳をといた働かない上層階級で、生産活動に従事したブルジョワが貴族的生活に憧れを持つという矛盾の社会。18世紀のロマン主義はまた文学に彩りを与えている。伝統の国が新奇性をうむという点で音楽、政治そして映画に今後大英帝国が存在力を示す時代は続きそうだ。

囚人が愛した女

著者名;ロデリク・アンスクーム 発行年(西暦);1997 出版社;扶桑社
 イギリス生まれの精神科医でもある著者のミステリー。サイコ的な要素と脱獄、監獄、逃避行、恋愛ともりだくさんだが面白い。妻を殺害した主人公が、この真相をテレビのキャスターあてに書く手紙から始まる。実はこの手紙が伏線で読者としても途中で「やられた」と思うところがあるのだがそれがこのミステリーの真髄かもしれない。狂気を扱う専門家としてハーバード・メディカル・スクールで学習した著者だけあって境界線上の主人公の扱いがうまい。
 狂気はルネサンス以前は、理性と明確には区別されていなかった。狂気は無秩序とされ、人間を楽しませるものとされ。モンテーニュやパスカルは理性の一部として考えようとしていた。17世紀以後、デカルトが狂気を「思考の成立不可能」とみなしていらい扱いが変わっていく。個人が社会や自然環境と適合できない場合を「狂気」とみなしていくのだ。そして「監禁」されていくものが増加していくようになる。人間は、身体をもちながら思考するのではなく、人間の認識は身体があることで初めて認識が可能となる‥なにやら斉藤孝氏の身体感覚に通じるが‥そうした考えで従順な身体をつくりあげるために近代の監獄が生産された。ここまでくるとミッシェル・フーコーの「監獄の誕生」の世界となる。下敷きとして「狂気の歴史」もあるのだろう。権力は無数の点から出発し、あらゆる社会現象の中に権力関係は存在するし、権力は家族・社会・翔手段の下部からうまれ、それが全体権力の基礎となる。権力はいつでもどこでもたえず生産され、最初は暴力や金であったとしても、それぞれの関係性においてそのありかたは微妙に異なってくる。主人公は知力と情報操作で「権力を行使」していくのだ。また性衝動も権力のひとつのありかたとして認識されている。ケビン・コスナーが映画化権を獲得。2004年の現在もまだ映画にはなっていないが、この狂おしい物語をいかにしてしたてあげていくのか(心配ではあるが)期待したい。

40歳からの仕事術

著者名;山本真司  発行年(西暦);2004  出版社;新潮社
 新潮社新書の1冊だ。思考法・戦略・分析技術といった展開で対話形式で講義が進められる。思考法としては仮説主義、そして分析技術としては3・4・7といった数字の活用と、プレゼンテーション理論・利害関係者論また、企業経営の論理を日常生活に応用するというものである。もともと不確実性に直面した企業戦略と個人の生活とで大きく異なるところはない。企業にとって有用な理論は個人にとっても有用である。そう考えたほうが1冊の本から多くの実践がうまれることになるだろう。
 キャリアの観点よりも細かいスキルで学ぶべき指摘も多い。選択と集中にポートフォリオを応用(投資する仕事・捨てる仕事・ヘッジ仕事・刈り取り仕事)やメリットのない話の無駄(営業活動など)など主要な話より細かい話で有用なものがたくさんある。「気を使うな、頭を使え」など印象的な言葉が目白押し。あまり経営理論本体は役に立たない本だが小さな情報収集のほうが面白いという実務家が書いた本にはよくあるタイプのもの。

ピエールの司法試験合格レシピ

著者名;石本伸晃 発行年(西暦);2002 出版社;ダイヤモンド社
 外資系のディーラーから司法試験合格、現在政策秘書の著者のレシピ。う~ん。いまだちょっとわかりにくいのだが、資格取得だけでも新しい人生は無理なのだろう。ただしディーラーの日々時価評価の手法やリスクヘッジの手法を現実の生活に活用しようという姿勢に好感がもてる。
 要は、人間も時価評価されるものであるので昔のように10年一日というわけにはいかないのだろう。論文の書き方なども参考にはなる。

 ただし2005年を迎えてさらに部屋の本の廃棄を進めることにした。ある程度捨てるか捨てないかのより分け基準は決めているが、別にこの本があろうとなかろうと私自身の人生にさして大きな意味はないので廃棄することに決定。お金を出して本を購入するということは債権法に照らして処分の自由もあったりする。ただ法律の勉強に役立つ本であることはお断りしておきたい。それなりのニーズもあるであろう本だとは思う。

甘えと日本人

著者名;土井健郎・斉藤孝   発行年(西暦);2004 出版社;朝日出版社
甘えという理論や見方を提示した土井氏の対談本。医学の歴史が自然科学とむすびついたのは近代として、現代の歴史を甘えや身体論(おんぶ、相撲など)から読み解く。もはや日本人の古典ともなった「甘え」について学説をうちだした泰斗だが発言の内容はいたって謙虚。

石の扉~フリーメーソンで読み解く歴史~

著者名;加治将一  発行年(西暦);2004 出版社;新潮社
 東京タワーのすぐ近くにフリーメーソンの東京ロッジがある。もともと石大工に由来する職能集団はその後金融などの上層階級を巻き込み、独特の閉鎖集団を結成した。ただしその理念は基本的には博愛精神にもとづき、白人・ユダヤ教徒が多いことには多いが日本人はもとよりイスラム圏にもロッジは存在する。次期大統領はどちらが勝つにせよ、フリーメーソン出身者だ。「リーグ オブ レジェンド」など多くのハリウッド映画にもフリーメーソンの影響は感じられる。そもそも自由の女神は、フランスのフリーメーソンからアメリカのフリーメーソンに贈ったものというのが、通説のようだ。
 歴史小説としても面白いが著者の推測はちょっと鼻につく。また、「書けない事柄」というのも多いらしく、それが問題であろう。ただし娯楽としては1級品だ。

キャリアアップの投資術

著者名;山本昌弘 発行年(西暦);2003 出版社;PHP研究所
これからのキャリアアップについて会計学とファイナンスの観点から情報と理論がまとめられている。標準化されるであろう英語・情報技術・国際会計といったスキルをマスターする上でキャリアアップとしてビジネススクールなどが隆盛するという前提にたつ。ただし個人的にはビジネススクールや法科大大学院への需要はいずれ落ち込むだろうと予測している。
 司法試験受験生の多くは資格で生きていこうという人間が多い。しかしこれまでも年収500万円以下の弁護士は少なからず存在していた。これからは資格は入り口という扱いになるのだろうが、そうなればわざわざ時間とお金をかけてまで弁護士になろうという人間は少なくなるだろう。結局一時期の歯医者のように、現在では銀行には見向きもされない構造不況業種になる可能性がある。あ、プロ野球選手もそうかもしれないな。あれは何某新聞社とコミッショナーが旧体制の人間なので、構造不況業種だがライブドア、楽天といったサービス産業が入っていくとああした合併問題でのストライキは発生しようがなかった。ともに時代の変わり目を読むことができなかった人たちである。さて、投資をするからにはリターンを常に念頭においておく必要性がある。
 資格取得で何を獲得できるのかはちゃんと理解して授業料は支払おう。ということで1000万円以上も大学院に通学することには何の意味もないと予測しておく。

30代からのサバイバル経済学

著者名;宮内章 発行年(西暦);2000 出版社;PHP研究所
 同じ30代とはいっても30歳と39歳とでは異なるだろう。しかし40代の前提として30代があるわけだし、20代もいずれ30代に突入するわけだからこうした書籍を読んでおくのはけっして無駄ではない。日本社会は裕福といわれているが、実は多額の借金を背負い込んで悲惨な社会生活になっている人間も多数いる。自分の人生をチェックしておく必要性はいつの時代も誰にでもある。哲学論は結構だがその前に生活を設計しておく必要性はあるのだ。
 まずは自分の収入と支出をしっかり認識しておくこと。無駄な支出はできるだけ削減しておいたほうがよい。そのためには複式簿記で使う損益計算書や貸借対照表などを利用するのがよい。自分の現在のキャッシュ・ポジションがプラスかマイナスかを判断する材料になるだろう。住宅ローンや生命保険なども検討材料に入る。
 その後にマクロ経済学について学習しておこう。現在は「将来の予測が成立しにくい時代」ではある。「不確実性の時代」だ。不確実性が拡大しているからこそ日本人の消費よりも貯蓄のほうが増加してきている。マクロ経済において一番心配されているのがインフレーションだ。2002年ごろから「ハイパーインフレーション」のリスクが懸念されているがまだその予兆すらみえない。オイルショックなどが再来すればインフレーションになるが‥。物不足がおきればインフレにはなる。その結果、しかし株価が暴落するリスクなどもあり、イラクの戦争がはたしてインフレーションに良い方向性を与えるとはちょっとは思えない。また小売商の変遷をみても非常に変化が激しい時代であることは間違いない。イトーヨーカ堂は4シーズンではなく10シーズンに衣料品を区分けしているようだが、それだけ消費者の志向はめまぐるしく変化している。1999年に老舗の東急日本橋百貨店が閉店セールをおこなったが、1ヶ月にも及ぶ閉店セールで他店の在庫を持ち込んでうちさばいたという。それだけ在庫には各種生産者や流通業者は頭をなやませているのである。また技術者も30代になると大学時代に習得した技術が活用できない。コンビニエンスストアで日常的にクリーニングサービスを行う時代も予測不可能ではない(すでにセブンイレブンが横浜で実験)。コンビニエンスストアでは昔はスポーツ新聞しかおいてなかったが最近では日本経済新聞なども置いている。これは中高年の消費を念頭においているためだといえよう。
 中高年の定義は難しいが少なくとも34~35歳までに「何らかのスキル」を身につけていない人員はこれからリストラ対象の枠に入る可能性は高い。単なる余剰人員の整理という段階から現在では事業所ごとあるいは事業部門ごと廃止・統合する時代になってきている。これは厳しい。専門能力のスキルアップをはかるのはおそらく30代が最後のチャンスともいえ(40代でもなにもしないよりはよいが)、そのあたりが各個人の人生観ともからんでくる微妙な問題だ。また両親の資産といったものの有無もこれから大きく影響してくるだろう。3500万円台のマンションを購入する世代は32,33歳が多い(大京)ということだが、このローンの支払能力の査定を金融機関がどうしているのかも疑問だ。というのは家具の販売量がそれほど伸びていない。ぎりぎりのところでローンを組んでいるとしたらそれはそれで恐ろしい話ではある。
 生活レベルをいつでも落とすことができるような精神構造に自分自身を作り直しておく必要性がある。そのためにはやはり歴史に学習しておくことは重要だ。第一次オイルショックなど、当時の家計をどうやってやりくりしたのかは非常に役に立つノウハウがあるのだと思う。
 今後の日本企業で年棒制度がじわじわ増加してくるのは避けられないが、それはおそらく次の方向性をたどると通説でいわれている。
 支店でリテールの業務をする場合にはたしてどれだけのスキルがもとめられるかというと実はさしてたいしたノウハウが必要なわけではない。各種の銀行が店舗拡大をとりやめ、削減しているのは、クラーク(事務員)的な銀行員の人件費を削減していくためであろう。逆に高度な金融ノウハウをもっている人間はかなり数が限定されてくるのでこれから需要は増加してくる。本当のバンカーにはそれなりの成功報酬を与えるという論理だ。
 昭和40年代までは、都市銀行は住宅ローンをてがけていなかった。そこで個人向けの住宅ローンをおこなうための機関として住宅金融専門会社が設立された。当時の田中角栄内閣の日本列島改造論などとあいまって都市銀行、住宅専門会社農林系金融機関などが無茶な貸し出しをしてあのバブルとなったわけである。住宅金融公庫のステップアップ返済方式では、5年ごとに金利が見直されるがそのとき高金利だととんでもない支払利息の負担を抱えることになる。デフレ、インフレといったマクロ経済の分析はこれからの生活保護にも絶対必要なのだ。またインフレになると予測される場合には株式を1000株からはじめてみるというのもひとつの手法ではある(証券会社が倒産しても株式は保護預かりとなる)、長期投資・分散投資は投資の基本だからその種類のノウハウ本を何冊か読んでおくよいだろう。リスクとリターンの関係も常に変化の時代では変化する。今日のリスクが明日には2倍になっていることもあるかもしれない。常に年収の8割程度の貯蓄は維持しておくことがひとつの保険になる。お金に余裕がなければ生活にも余裕がなくなる。金銭というのはある意味それだけシビアなものなのだ。また流動性が高いのだから、コンビニエンスストアとファミリーレストランの競合といった業種・業態の異なる競争というのもこれから出てくるのであろう。いずれにせよそうしたマクロな変化の中で自分自身のライフスタイルや哲学をしっかり確立しておくことが最大の重要事項ということになりそうだ。
①サラリーマンにとっての無形固定資産を増やせ
 教育および教育効果から派生した付加価値を増加させる。スペシャリストとしてのスキルを身につける。変化の中で生き残るひとつの手段だ。30代からならば十分ひとつの分野でスキルを身につけることができる。営業部員であれば人脈を確立させる。営業は「物ではなく人を売る」のだから、そうしたノウハウはどこの世界でも通用するはずだ。好奇心を発揮してグラフひとつ見るのでも好奇心を満たしきるまで調査する。そうした疑問をもつ力がスペシャリストへの道を開く。
②自分の視野を拡大する
 情報を顧客に伝えるという作業を行う。そのためには英字新聞(フィナンシャルタイムスなど)を活用するのも一つの手だろう。コソボ問題や東ティモールといった問題を自分自身の問題として理解・活用できればそれがまたスキルアップとなる。
③他人の話を活用する
 他人と会ったときに必ずメモをしてそれを次回あったときにフィードバックする。いかにえらい人とはいえ、自分の話を記憶していてくれれば悪い気持ちはしないし、営業上も有効だが、それをまた自分なりに咀嚼することもできる。
④情報には2種類ある
 インターネットなどで垂れ流された情報をインフォメーション、このインフォメーションに何らかの付加価値をつけたものがインテリジェンスだ。情報にいかに付加価値をつけていくのかは結構難しい。レポートについては3つの論点を盛り込んでおくというのが重要らしいが単なる数字の垂れ流しでは判断する場合にもこまるであろう。またインテリジェンスとは一種の「提案」ということでもあるから、単なる「御用聞き」ということではなく「提案営業」といった視点にもつんがあるかもしれない。
 与えられた情報を自分なりに吟味していかないと新聞もインターネットももはや情報の垂れ流しとなっているので、危険すぎる時代にもなった。
⑤資格の必要性
 資格に対する勉強について社内外の人間にあれこれいわれる筋合いはない。学習してきたプロセスや知識をそれこそインテリジェンスとしてまとめることができるのだから、むしろ自腹を切っても勉強したほうがよい。
⑥これからの人事評価
 目標設定と達成度で計測するケースが増えてくる。これにはやはりメタ認知ができる能力を維持しておく必要性があるだろう。また、心理学を活用したビジネスはますます増加するし、電子商取引が発達してもショッピングを楽しみたいという消費者(主婦層)はあるのだから小売商がすべて電子商取引に特化していく必要性もない。
 この宮内章氏の本は、30代に限定されているが実際には40代、50代にも活用できる情報がつまっている。また、慶応大学経済学部卒業後、野村證券、野村総研、イトーヨーカ堂常務取締役といった実力主義を標榜する企業を渡り歩いているだけに非常に有効な事例があふれている。しかし株式投資などに甘い著述があるのはちょっと残念ではあるが‥。最新版がでることを期待したいが世代論というのはあまり流行しないのかもしれない。しかし、先人に学ぶことは多数あるとともに単に情報を入手するだけでなくそれを整理・加工していくことが重要であるという指摘にはまったくもって賛成だ。また無形固定資産としての勉強や資格取得はやはり個人的にも挑戦をさらに続けて生きたい。そうした意味ではやや時代遅れの感がしないわけでもないが有用な書籍だと思う。しかし、ここに書き込んだのが最後の読み返しで、さて、捨てることになるだけれど(だって変化が激しい時代に、予測がはずれたノウハウ本なんか大事にしまうのは場所と時間の無駄でしょ)

日本語力と英語力

著者名;斉藤孝・斉藤兆史  発行年(西暦);2004 出版社;中央公論新社
英語というのはもともとノルマン、アングロサクソンといった言語が複合してできたものだ。現在、コミュニケーション重視の名の下、英会話ごっこが学校を席巻しているらしい。もっとも斉藤孝氏などは文部科学省に対してかなり攻撃的な態度をとっているが、かなり勇気のある行動だ。ただしどっちも東大卒業生だしな。英語の専門家は東京大学の助教授だ。相当な自信がある二人だからこそいえた内容というのもある。
 反復練習・芸事の重視‥といった基礎にたちかえる論法は、かなり尊重されるべき。反復練習をとおしてみえてくるものというのも確かにある。そこに上達の原則があり、その原則をつかみとってから、別の分野にいけばよい。その意味で受験勉強や複式簿記の勉強はけっして無駄ではない。そこ得た自己肯定力に、自らを客観的にみえる力をつければ、鬼に金棒だろう。ただし両方ともそう簡単に身につくものではない。この本ではたまたま英語が話題になっているが、それはおそらく本意ではあるまい。ゆとり教育は多分もうおおかた失敗しているから、どうしようもなく学力が低下し、その結果、国際競争力が減退してもまあ、心配することはない。ただし実際の企業が「ゆとり」世代を敬遠してきたならば、逆に中高年にとってはチャンスという見方もある。ひょっとするとそうしたことまで念頭においた文部科学省の国家プロジェクトなのかもしれないと思えてきた。

ネットワーク型思考のすすめ

著者名;逢沢 明  発行年(西暦);1997 出版社;PHP研究所  
ネットワーク分業やネットワーク効果といったものを予測的に分析しているがすでに2004年のこの現在、ネットワークは著者の予想通りの部分と若干超えていった様子もある。インターネットは「ヨコ社会」といった分析やイントラネットで組織はどう変わるかなどといった分析もある。しかしさして現実にはインターネットの発達と日本の組織論とは相関関係はない。ネットワーク化が進んでも失業は増えないと力説されているがそれはどうも考えられない。情報処理化が進めば事務処理関係のニーズは大きく減少する。書店に行かなくてもインターネットでいろいろな評論を目にすることができるし、商品知識も補充できる。最終的に店舗に行ったとしてもあらかじめ予習をしておけば販売員の役割はレジを打つだけ‥ということだって考えられる。そもそも金融業などは情報処理化で人員削減が大幅に減少している分野である。これからコンビニエンスストアと金融業界の融合化が進み、ますます人員削減は進むだろう。
 もちろん著者も産業革命直後のイギリスで「オリバー・ツイスト」が書かれたことについても言及している。ただし企業の生産性の向上と失業率の上昇はリンクしないと書いているのは間違いだと思う。供給過剰になれば商品の価格は下がるし、そうなれば当然個々の企業は固定費削減に入る。一番大きな固定費は人件費なのだから企業の陶器純利益は増加しても国民所得が増えなければ景気はよくならない。失業率はしたがって情報化が進めば進むほど沈滞していくという見方も提示できるのではないか。
 ただし歴史をネットワークで見直した点は面白い。四大文明を「水のネットワーク」、ローマ帝国を「道のネットワーク」、そしてアメリカを情報ハイウェイのネットワーク(全米情報基盤のことだろう)としているのは面白い。ただこうしたネットワークも時代の変わり目には衰退しているだが‥。デジタルのネットワークからただ「何か」が無限にうまれてくるというのは理系研究者の幻想のような気がする。
 日本はオモチャ文化であり、ゲームソフトなどで新たな文化が生まれてくるというのも結論だとしたら相当甘いといわざるを得ない。オモチャはもちろん文化だが、文化にはやはりそれなりの経済的基盤は必要なのだ。優秀な人材や技術が海外に流出していけば「日本」という国家や国家独特の文化を語る余地もなくなる。
 愛国心は誰しももっているはずだが、昔と違って、国の制度に対して抗う人間が海外で独自のライフスタイルを追求する選択肢がかなり幅広くできている点が1960年代や1970年代と異なる点である。社会主義の実践がしたければキューバにいけばいいわけだし。環境主義者は日本国内でも人口密度がきわめて薄い過疎地域で地場産業に貢献するライフスタイルも追及できる。そしてまたそれを補完する技術としてこのパソコンは機能するだろう。
 国際化。地域主義。この相反する価値概念がデジタルである程度両立できるようになったところが極めてこの情報化社会の面白い点だと個人的には考える。で、この本の評価は星印ひとつ。要は読んでも読まなくてもいい本ということで‥

ベムハンター・ソード

著者名;星野之宣  発行年(西暦);1998 出版社;スコラ
10光年四方にだれもいない宇宙の中、自殺した恋人のアンドロイドと人工生命体とともに、宇宙生物狩りをするベムハンター・ソード。細かい線を重ねて描写したベム(宇宙生命体)がかなりおどろおどろしい。どんな宇宙生物が生息しているのかも不明な地域に一人ふみこむ姿はまるで慢性的な自殺を図っているようにも思える。
 こうした孤独な職人肌の主人公を描いたのはおそらく手塚治虫の「ブラック・ジャック」が初めてなのだろう。現在では「ギャラリー・フェイク」などそうした孤独な天才肌の人間が地球上では多数描かれるようにもなった。
 永久に夏と冬を保つ惑星ファイオリ。そのトワイライトゾーンに生息する生物ファイオラの話が切ない。

自分のことを「傷つきやすい」と感じている人へ

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004  出版社;全日出版
「傷つきやすさ」を克服していかないと結局は「ソン」をする。明解な論理構成で、行動を正していこうという趣旨だと思う。
 人間の「自己愛」というものはもちろんだれにでもあり、これがゆがめられるとおそらくは、行動自体もおかしくなる。他人の自己愛を尊重しつつ、自分自身の自己愛もみたしていくような行動をとっていこうということなのだろう。一種の自尊心ということでもいいのではないだろうか。
 この自己愛が成熟していない場合にはイエスマンを多く周囲に配置し、そうでない場合にはやや「厳しめ」の態度をとる人間の意見でも採用ができたりする。こうした角度でビジネスなどに取り組むのも面白いと感じた。

40歳から何をどう勉強するか

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2003 出版社;講談社
 2001年に単行本で発刊されていたものを文庫本にしたもの。実は単行本も購入していたのだが、「持ち歩ける」「加筆されている」ということで、この文庫本も購入した。生涯学習という優先課題はやはりそのままである。
 知的社会ということは知性がある一つの資源ということにもなる。実際にある種、社会全体から距離をおいて、物事をみるといった作業は本能だけでは無理な面もある。記号で社会が動いているとすると、その記号の動き方の法則だけでも立証できれば、それは一つの優位性を確保したことになるのだろう。
 「あきらめない」という姿勢が一貫している著者の意見は、「あきらめ」がとかく早くなりがちな中高年層にエールを送っているようにも思える。

情報を捨てる技術

著者名;諏訪邦夫 発行年(西暦);2000 出版社;講談社ブルーバックス
 捨てる技術の中でも、これは特にデジタル情報を中心に著述されている。おそらく情報自体は使える形でなければほとんど意味がない。そこで重要になるのが情報の整理・加工ということなのだがこれがなかなかできない。捨てるという行為には勇気が必要になるが、この本ではその勇気を喚起するとともに、その技術を伝授してくれる。
①入手可能なら捨てる
 おそらく書籍でいえば図書館で入手できるなど代替手段が確保されているのであればそれを利用するということなのだろう。実際、休日などに図書館に行けば、そこで読める本をわざわざ自宅に「ためておく」必要性はあまりない。図書館を一種の自分の書斎のような形式で利用するという発想がでてくる。
②将来の利用可能性
 ただしこれがわからない。5年ぐらい前に購入した本や雑誌がいきなり役に立つということもあり、この情報の将来可能性については判断がなかなかできない。ただし、ある一定期間の間にあまり利用したなかった情報ソースは確かに捨てる基準にはなりそうだ。
③情報をフローとストックに分ける
 フローの情報はいずれ蓄積されてストックになる、という発想だと思う。フローの情報が年末などに書籍になるのであればそれを利用したほうが確かによい。テレビ番組のデジタル録画がいかに100時間あっても実際にそれを活用できないのであれば捨てたほうがいいようには思うのだが‥。

 現在、大量の書籍の廃棄をしているのだが、この捨てる行為を通じて購入するときの選別をより厳しくしている自分に気がつく。
 いずれ人間は死ぬのであって金や財産は火事などがあればなくなってしまうのと同じ。自分の頭の中だけは、まあ多少のことではなくならない‥という一種の「無常」の発想は結構自分には有用な考え方だと思っている。

女は男のどこをみているか

著者名;岩月謙月  発行年(西暦);2002 出版社;筑摩書房
 この本はある程度売れたものらしい。あるフェミニストが「こういう本が売れるということでフェミニズムの歴史は否定された」と書いていたが、フェミに限定することなくすべての思想はこうした儒教的思想に敗北したともいえる。それだけ中身ははてしなく「ビジネス」しているのである。
 なにしろ女がみている男は「勇気と知恵」なのだそうな。ははん。「自己実現とは自分がもっとも楽しく感じられることを実行すること」‥はー。「人に説教するときは、おのれの責任においてするのが礼儀」‥これは大学教授が書いた由緒アル出版社の出版物であり、しかも売れたものである。最後はいい人生の定義でしめてくれます。「いい人生とは一日が長く感じられること」です!!大変だよ。日本。


 その後、この著者の名前を新聞で拝見した‥。報道によれば、やや厳しい立場に追い込まれたようにも思えるが。心理学の専門家でもやはり「人を見る目」というのはなかなかできないものだ‥とあらためて思う。国立大学の教授だったのか‥。

ストレス知らずの対話術

著者名;斉藤孝  発行年(西暦);2003 出版社;PHP研究所
 ちょっと安手のタイトルだがこれはおそらくビジネスマン向けの書籍の売り方なのだろう。会話(特に喫茶店など)を重視する筆者が独特の対話術を展開するもの。本音をいえば人間関係がうまくいくといった幻想を破壊して、あくまで実用的な会話術を展開するものだ。

眠らない女

著者名;酒井あゆみ  発行年(西暦);2001 出版社;幻冬舎
「眠らない女」はいわゆる「ダブルフェイス」の女性たちの本である。昼間、オペレーター、証券会社、学校などで働く女性たちが夜は別の顔をまとうという15人の話。多少脚色もされているだろうが、70パーセント程度は真実だろう。表向きの顔を装うのはさして難しいことではない。東京電力OL事件というのがちょっと猟奇的に騒がれたが、コトの本質はそんなところにあるのではなかろう。昼間の生活の「やるせなさ」に夜の顔にむかい、そして自分を失いそうだから「昼間の仕事をやめない」‥。そこには「貨幣」というものが介在しているのが印象的だ。身体と貨幣をいったい何に消費しているのかというと自分自身の欲望とやるせなさの解消に消費している。そして「お金」とともに、自分自身の容貌について「30を超えると‥」という現実的な計算も入り混じる。こうした「したたかさ」こそがこのダブルフェイスの特徴だが、その後の人生の安定まで保証できるものではない。もっとも安定というものに「価値」は見出していないのだろうが‥。日常生活の論理とは異なる市場で性を媒介して生きていく人生がある。ただしそこに成功というものがあるとすれば、再び「日常性」の中に埋没せざるをえないというしがらみがあるわけだが‥。

冒険としての社会科学

著者名;橋爪大三郎  発行年(西暦);1989 出版社;毎日新聞社
 まだソビエト連邦でペレストロイカが進行中のときの書籍である。よって中国やソ連についての著述もでてくるが、世代論を読み解く上で、欠かせない書籍であると同時に1960年代、70年代当時の「若者」が何について悩んでいたのかを知るにもいいテキストだ。戦後当時の戦後知識人とよばれる世代についても理解が深まる。いわゆる安保世代にも2種類ぐらいはある、と考えていたが、1960年代の20代(現在の60年代)がわりと組織的なマルクス主義者もしくは確信犯であったのに対して1970年代は孤独の陰がつきまとう。そしてそれは敗北と再生の時間であったのかもしれない。その後1980年代(現在の30代、40代)はシラケ世代とよばれるが、ある種、その当時は1960年代からの「バカ騒ぎ」がなんら生産的ではなかったことを見抜いていた世代でもある。まさか先人が内ゲバやら闘争とやらで敗北した歴史をみているのに、その真似をする必要性はないだろう。そして現在、情報化社会の製造業者の多くはシラケ世代の技術者が支えている。
 結局のところ、前の世代が残した遺産をうまく活用したのは現在の30代、40代ということになるが、前の世代が残したバブルという不良債権に苦しまされたのも、その後の世代だ。
 大企業や金融機関がこれだけのたうちまわっているその根源は、50代以上の遺産だが、それについてはあまり反省がなく、退職給付や税金をくいつぶしている世代でもある。ある種、10代が夢がもちにくいのは、そうした負の遺産が大きすぎるのかもしれない。ニートという世代あるいは生き方は暗黙の「闘争」もしくは、最大の「逃走」論かもしれない。

世紀末の指導原理  

著者名;佐々淳行  発行年(西暦);1994 出版社;文藝春秋
 もはや古典ともなっている「危機管理のノウハウ」の著者による「新・新危機管理のノウハウ」本。著者の自己アピールがやや気にはなるが、ナポレオンの敗戦事例や199年代の外交問題などを豊富に取り上げ、実用度は高い。危機管理の定義としては、「味方をなるべく多く、敵をなるべく少なく」という、あたりまえだが、ともすれば敵を増やしかねない昨今のビジネスにも有用な教えが並ぶ。人間関係にカットアウトを、という提言は当時アナログ通信時代のものだがデジタル社会にはもっと必要な提言かもしれない。

ビジネスマナーブック

著者名;安田賀計 発行年(西暦);2000 出版社;PHP研究所
  なにせベストセラーである(第47刷)。会社の業務に関するビジネスマナーが非常に豊富に掲載されている。人前での文句は百害あって一理なし,顔で笑って心でなく体験も成長には不可欠,部下の人格を尊重,ビジネスが商いである以上頭を下げることから始まる…といった古臭そうな文章や儀式で埋められているが,いや,日本人社会で生きていく以上はこうした儀式に無頓着な場合にはサバイバルはムリと考えるべきだろう。
 ティーンエイジャなら,ある程度までの寛容さを期待できるが20代以後は,礼儀知
らずは「破棄捨て」状態となる。いわばこうしたビジネスマナーブックは生き残りのための処世術として活用されるべきなのだ。

世の中のウラ事情はこうなっている

著者名;日本博学倶楽部  発行年(西暦);2002 出版社;PHP研究所
こういう雑学ものはよくキヨスクで販売されているが、確かに読むものが無く時間があまっていたときにそれなりに知的生産をはかるには割合適度な本なのかもしれない。移動時間を利用すればすんなり読める。2000年に発行されてから、内容的には古いところも改定せずに24刷というのもすごいところだ。とはいえ、まっとうに読書しようと思うならば、あまり好ましいジャンルというわけでもない。雑学の中からどれだけ普遍性のあることを引き出せるかは読み手の読書力によるだろう。
 この雑学系統からなんらかの体系的な知識は採取できないが、それはとりもなおさず頭に残らないということでもある。やはりある程度の体系なりなんなりがなければ、人間は知識を頭に残そうとはしないものらしい。

ワープロ作文技術

著者名;木村泉 発行年(西暦);2002 出版社;岩波書店
 あちこちで評判の文章読本なので読んでみる。確かに単なる文章読本ではなく、実際に使えるスキルが紹介されており、きわめて有益である。東京工業大学の教授の執筆だがソフトウェアの工程と文章作成の工程の類似点を指摘するなどきわめて有益な視点がある。人文科学の著者の文章が読みにくいのに対して理系的なセンスにあふれた本だ。巻末の参考文献も面白く、やはりすでに古典としてあげられている本だが、それなりの内容があるものと関心する。

愛国心

著者名;田原総一郎・西部邁・姜尚中 発行年(西暦);2000 出版社;講談社
 旧制度のもとでは、「左」「右」といった単純二分割の枠組みでとらえられていた三人が愛国心について鼎談。「アンチ左翼」の安易な風潮に警鐘をならしつつ、教育基本法から外交にいたるまで幅広く議論のテーマにあげる。伝統というものをそれぞれの立場で重視しつつも、確固たる現在をみすえた議論が続く。
 この三人の膨大な鼎談を文章として、校正をかけた上で条文や用語集などを作成したOという編集者は相当な企画・編集の熟練者なのだろう。プチ右翼めいた言説が安易にとりかわされているのを「虚無感」と切り捨てるあたり「なるほどな」と思わせる。現在、旧体制でいう「左翼」といったものは実体はほとんどないので、そうしたところを叩くことにはたいして意味はない。むしろ、過去の遺産を無邪気に受け入れている自分自身がかえってまずいのではないか‥などといったことを考えさせてくれる。編集者の企画立案能力が実にすばらしい。

2007年12月22日土曜日

作家の値打ちの使い方

著者名;福田和也   発行年(西暦);2000  出版社;飛鳥新社
 一貫して戦後日本社会の偽善を鋭く批判し続けているというのが「売りの」文芸評論家であり、慶應義塾大学環境情報学部助教授でもある著者。文芸批評が機能していないのを憂えた著者が、点数評価で小説を採点したものについてその使い方を指南してくれている。だが、この人がどういおうとあまりこの人が薦める本は買いたくないというのが本音。あらためて日本のミステリーの豊穣さに感嘆しているイノセンスぶりはやはり象牙の塔の学者の特権ではある。研究費用で本は買えるのだから。しかし一般の人間にとって読書にどれだけお金をかけるかは、生活レベルでも大きな差異を生じる。こうした点数評価で文芸のなんらかの発達やらなんやらを巻き起こすには、やはりこの著者の力量では無理なのだろう。と、いうことでさらば福田和也。この人の著作物に対する私の点数評価は0点。かつ支出するお金も今後はなかろう。

永田町精神分析報告

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2002 出版社;小学館
 シゾフレとメランコという二分割で政治家を分析する。ある種の役回りというものがそれぞれの政治家にはあるはずだが、それを精神科医の視点で分析。田中角栄を戦後唯一の理系的政治化と分析するあたりは「なるほど」と思わせる。教育議論については小泉内閣はあまり重視していないこともうかがわれる。もっとも事態がここまで深刻なのに自らの無謬性を主張する何某官庁もどうかしているが、別にもうドーデモイイコトなのかもしれない。若い人間の数が減少すればするほど量より質でいかなければ、いつまでたっても子どもは成長できないとは思うが。ニートに対して自己批判をもとめるのは間違いだろう。おそらく「社会そのもの」が間違っているというのもあるのかもしれない。
 きれいごとをいわなければならない政治に対して自己のパーソナリティをいつわるのをやめよ、という著者の主張にはうなづける。ただし政治議論だけに自分の小さな生活についての実用性はあまりない。そこが残念。小学館という大出版社からの本だけにもっとテーマを庶民の日常生活にそくしたもののほうがよかったのではなかろうか。

渾身、これ一徹

著者名;斉藤孝・坂田信弘   発行年(西暦);2002 出版社;角川書店
 対談形式ということもありきわめて読みやすい本である。ある種の成功・不成功というよりも基本的な公共心について両者の意見は一致する。しかしこうした公共心が現在評価されることは少ない。ムカツク・キレルというのは一種の自己満足だがその段階ですべての人間は「進歩」を忘れる。身体感覚というものを両氏はきわめて重視するが身体で記憶すべきことというものはやはり確かにある。一種の習慣ともいうべきだろうか。基礎・基本の繰り返し、単調な練習に耐えることがその後の応用力につばがる。イレギュラーな展開や応用力はその後の話ということになる。エネルギーを出し切った状態というのは気持ちが良い。そしてエネルギーはつかわなけければ枯渇してくる。
 最近の学校教育は「ゆとり」をきわめて重視しているが実際の企業社会は「ゆとり」がなく、その「溝」はすごく深くなってきている。この溝を飛び越えることができれば別に問題はないが、学校社会と企業社会の論理がこれだけ異なると、今の子供が社会にでるのを嫌がるのは理解できなくはない。
 ただし、だからこそ、基礎・基本を重視した「繰り返し」に耐える力、「習慣」といったものを重視していくことが重要なのだろう。「高校中退」や「転職」というのは実はハイリスク・ローリターンであまりかける意味がない。しかしそうしたひとつの場所でできることをできるだけやっていくことも大人は教えていく必要性があるのではないだろうか。
 この本はもちろん教育書籍といった性格のものだが、社会人が何かの技を習得するときにも使える有意義な本である。お勧めしたい。

心理学を知る辞典

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;日本実業出版社
 和田秀樹氏にはもうひとつ集英社インターナショナルから出版された類似の書籍として「痛快 心理学」があるが、この本はその本の二番煎じにあらず。用語辞典としてどこから読み始めても面白く心理学の歴史が解説されていると同時に、後半にいけばいくほど普段の生活や勉強、マーケティングなどに応用可能な事例が紹介されちている本だ。
 もともと和田秀樹氏の著作物は相当読み込んでおり、また実践にも自らうつしてその理論の成功率を見極めていると自負している。100パーセント自分自身に応用可能ではもちろんないが、ほかの著者の書籍より自分自身がプラスに活用できた部分が多い。もとより書籍をただ鑑賞して読むというのも読書のひとつではあるが、やはり実践してそれがふだんの生活にフィードバックしてくるとより前向きなライフスタイルとなる。
 知識を使って推論をするという認知科学のスタイルで、受験勉強やライフスタイルをきりとっていくのは、難しい哲学書を何冊も読むより面白く、そして実用度が高い。
 暗記主義というのはひたすら忌み嫌われる言葉だが、しかし暗記力が強い、もしくは暗記量が多いというのはけっして非難されるべき点ではない。パソコンがこれだけ便利になって肝心の人間の頭脳が衰退しないかどうか、それが心配なほどだ。ただの暗記だけでも知らないよりは知っていおいた良い。またそうしておくことでいざというときに、活用や推論ができる。
 この書籍はおそらく人口の1割とか2割を占める天才肌の人間は読者層として想定されていない。むしろ凡人であることを自覚しつつ、なんとか前向きの道を切り開こうとしている学生、社会人にとっては最適の書籍である。心理学の知識とその活用例を1,545円で入手できる。これはお勧めしたい一冊だ。

今日からできる情報整理術66の方法

著者名;西村晃  発行年(西暦);2000 出版社;成美堂出版
 仕事をする上で情報整理は確かに重要だ。筆者はすべてを「情報」と認識してその整理方法を提唱している。もともとなにがしかのアウトプットが情報には不可欠であり,それをなにがしかの「形」にして初めて活用したといえる。パソコンはそのツールの一つと割り切ればよかろう。情報の取捨選択の基準としては「有用性」で割り切ってしまうのが一番早い。そのあたりこの筆者はスクラップを提唱されるのだがどうだかなあ…というのが感想である。分類が情報をいかせるかどうか,といった視点には賛成。どんなに豊富な情報量を集積しても結局,自分なりの分類基準がないと,いざというときにはあまり役に立たない。スクラップにはその点で賛成はできないのだが。
 行動計画の点からも計画どおりにいかなければ,行動を修正するというあたりまえの原則が提唱されている。スケジュールの管理などもある種当然のことだが,問題発生を防止するのも仕事の一つ。こうしたこまごましたところまで意識化しておくことが重要なのかもしれない。とにかくなんでもかんでも整理しておく,という発想。使える状態にしておく,という発想そのものには見習いたい。ただし,こうしたことを本を読んでまで意識化するのはちょっと疲れるので,この文庫本は捨てることにしよう。

化粧せずには生きられない人間の歴史

著者名;石田かおり 発行年(西暦);2000 出版社;講談社現代新書
 人間の身体を加工するという欲求を歴史を通じて検証する。新書サイズなので、読みやすくまた著者のメッセージも伝わりやすい。ただし巻末の膨大な参考書籍のコンパクト版といった印象も免れないが、それは新書サイズの限界かもしれない。
 とはいえ、身体の加工といった観点から衛生面と化粧といった関係の考察や、ロココ調にみられるかつらの始まり。また電車内での化粧に対する社会学的考察など実生活を新たな視点でみることができるのは、この著者の力量だろう。
 平安時代の畳は板敷きで、室町時代以後に青畳となるといった豆知識も豊富で非常に勉強になる。理想社というところから「おしゃれの哲学」という本もだされているようだが、機会があれば読んでみたい。
 化粧といった作業は男性にも大いに関係あること。また人間の生活には不可避なものであること、またそのリスクについても述べられており、歴史や生活を違った側面から認識できる点で非常に面白い。

クビ論

著者名;梅森浩一 発行年(西暦);2003 出版社;朝日新聞社  
 チェースマンハッタン銀行、ケミカル銀行などの人事部長を30代で務めた著者。1000人以上のリストラにかかわった人であるが独特のクビ論を主張する。日本人離れしているとは思うが、その一つ一つが正論である。ただし著書の中で執筆者も書いているとおり、訴訟になった場合には相当苦しいことになっていただろう。それをたくみに理想的な組織に近づけるために努力してきた点が外資系企業で評価されてきたのだといえる。とはいえ日本企業がかつてもっていた終身雇用制度に対してはまた一定の理解が示されている。要は企業風土にあわないリストラクチャリングはかえって企業の活力を弱める傾向が強くなるということであろう。去り際に人望や実力があった人間についてはフェアウェルパーティ(サヨナラ会)がおこなわれるがそうでない場合には、そうした会は開催されない。外資系では最後の最後まで実力の差異が出る。pay for performanceといった公平さがひとつの尺度になっている。パフォーマンスに応じた給料ということだが、これはこれである意味割り切りやすい論理ではある。しかしどのスパンでどの程度パフォーマンスをあげればいいのかはまた企業や上司によるのだろう。成果主義にはそれなりのまたリスクを背負うこともあり、それがまた日本企業の苦しみを深くしているようだ。1994年時点と比較すると金融業に従事している人間は、およそその3分の1にあたる人間が金融業を離れている。これはもう立派なかつての石油・石炭・鉄鋼と同様の構造不況業種に近い。実力とはそれではなにか、リストラされないのにはどうすればよいのか、といった場合に著者はナンバー1ではなくオンリー1になることを薦めている。また社内の話、内向きの話が日本企業ではまだ多いという欠点もある。早い話、どこの日本企業でも自分の会社の話だけに詳しくなってもどうにもならないのだ。
 厳しい内容の本ではあるが外資系企業のフェアな論理と、それを外形的に取り入れてしまった日本企業の問題点がうかびあがる名作である。

「勝ち組」大学ランキング

著者名;中井浩一 発行年(西暦);2002 出版社;中央公論新社
 少子化は現在の大学に対する需要を減少させる。1980年代後半から文部省がその行政を規制緩和に乗り出し、大学相互の自由競争にゆだねることとした。その中で「大学設置基準」も緩和される一方、教養部の存在意義が奪われることとなり、東京大学、京都大学を除くほとんどの大学から教養学部は姿を消した。東京大学では唯一、駒場の教養学部を拡充し、大学院重点化に乗り出した。そのプロセスで教官の業績評価など改革を推し進めると同時に、法学部・理学部・工学部などの部局化各学科のタコツボ現象の廃止などの改革を推し進めたプロセスが記述されている。「ユニバーサルイングリッシュ」は書店でもベストセラーとなったが、それとともにビデオ教材などの作成もした。また1994年には「知の技法」など非公式テキストもベストセラーとなっている。柴田翔氏は教養学部を応用人文学として位置づけ、文学部を基礎人文学の研究の場として機能させることを考えていたようだ。「基礎人文学の防衛は、重点化の波で着ていく可能性があり私大では守れない」。無駄は学問には必要でそれが知的生産性を高めるという考え方には個人的に共感を覚える。
 タイトルとは裏腹に、いわゆる「勝ち組」などのランキングはされていない。実際のところ教養学部などの解体のプロセスやこれからの大学のあり方といった本質的な議論が展開されている。むしろ同じシリーズの「潰れる大学、潰れない大学」(中公新書ラクレ)の方がいわゆる「勝ち組」ランキングに等しい内容かもしれない。この本では退職勧告制度をはじめて取り入れた山梨大学、日本語教育を行う高知大学、関西大学の資格講座、私立大学の経営困難といった事象を紹介している。
 いわゆる遠山プランでは、国立大学の再編・統合、国立大学に民間の手法導入、トップ30を世界最高標準に、という3つの柱がある。このうねりの中でどういった改革のプロセスがとられているのかは大学の外からはみえない。とはいえトップ30の候補にはやはり、旧帝(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州)、旧六(千葉・新潟・金沢・岡山・長崎・熊本)、旧官立11(東京工業・一橋・神戸・筑波・広島・弘前・群馬・東京医科歯科・信州・鳥取・徳島・鹿児島) がある種のランキングにはなる。こうした序列が戦後あまり崩れたことはないが、どれだけ研究や教育の成果が出せるかで決まるのだから、おのずと確かに自由競争が大学間の中でさらに強化されそうだ。

数字で考えれば仕事がうまくいく

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;日本経済新聞社
 数字にこだわった和田秀樹氏の著作物。かなり最近は多作傾向だがそれでも確かに、一連のつながりの中で読者にメッセージが伝わるように構成されている。一人の著者にこだわって読書を深めていくことは、それなりに多読・濫読の中でも意義があるものと思う。一冊ではよくわからなかった著述が関連図書の中で理解・実践につながるケースも多いからだ。
 シミュレーションや確率論など一定の数値についてはやはり一種の能力が必要だし、平均・最頻値・メディアンといった概念をもっているだけで、情報の取捨選択につながる。資格試験でも単なる倍率だけではなく、深読みができるようになるのでそれがメリットだ。客観的に自分自身を認識するのは確かに大変なことだが、数値やグラフがある程度自分自身をみつめなおす手がかりを与えてくれる。
 和田ファン、必読のビジネス本。

ブッシュ妄言録

著者名;FugaHUga Lab  発行年(西暦);2002 出版社;ペンギン書房
 「ほとんどの輸入品は海外からもたらされている」(輸入品は全部海外から)
 「今年は最高の年だったよ」(同時多発テロの起こった年)
 (子どもにホワイトハウスはどういうところかと聞かれて)「白いよ」‥
 実際の英語表記もされており、パンチの効いたコメント付き。英語の初歩的な勉強にもなるが、小学校4年程度の語学力ともいう第43代アメリカ合衆国大統領のお言葉である。国家に対する尊敬とアメリカ民主主義に敬意をこめて尊重して聞かなければならない。もっとも文法上のミスなどはアメリカのネットでも相当「ネタ」となっているらしい。日本語訳でも相当楽しめる書籍である。11月からは、民主党候補のケリー氏と選挙戦をする。小泉首相の盟友でもあり、今回相当な国際的混乱と悲劇をまきおこしたイラク戦争の責任者でもある。イスラム教とfalse religionと表現し、これもまた世界のモスリムに対して相当失礼な発言であるが、これがアメリカ合衆国の最高責任者の言葉だ。実際に音声等も記録されている時代なので、反論はしにくいだろう。とにかく楽しめる上に、英語の勉強にもなる。さらには娯楽度も相当高い本なので、この本の第二段がでるためには、次の選挙にブッシュ氏に勝ってもらわなければならない。期待して、東洋の島国から観察していよう(あ、小泉首相は「サージェントコイズミ」(軍曹コイズミ)とよばれているみたい)。

「反」読書法

著者名;山内昌之  発行年(西暦);1997 出版社;講談社現代新書
 イスラム史や国際関係の歴史を専門とする著者が伝記作品やミステリー、時代小説などを読む楽しさを伝えた本。筆者は読書は「娯楽としての読書」「仕事のための読書」と大別し、どちらかといえば「娯楽」のための読書を紹介したもの。啓蒙主義めいた読書紹介など信用しないと明言している著者は、エンターテイメントから仕事への活力がうまれる例なども引き合いにだし、「カントやハイデッガーなど面白くない」などとも書いている。読書の醍醐味を紹介している本としては出色の出来具合。読書日記や巻末には本の詳細な索引も作成されており、編集も丁寧になされていると実感できる内容の本でもある。

30歳からの成長戦略

著者名;山本真司 発行年(西暦);2005 出版社;PHP研究所
MBA神話なるものがあるが、あまり身近に経営学修士を獲得した人間がいない(学生時代の友人がスタンフォードなどで取ってはいるが‥)せいもあって、業務上のメリットというのは実感できないでいた。しかし日本企業にあきた人間がアメリカやイギリスに留学するケースは増加しているという。
 おそらくは、日本では学習できない理論を学びに海外にいくのだろうが、ほとんどのスキルは日本の書店で得られるものであり、著者はまずMBA神話を否定し、人文科学や自然科学などをトータルにみた総合力で勝負しろと説いている。
 語学力がこれからある種のスキルになることはもちろんだろうが、それは必ずしも必要条件とはいいきれない。成長分野で他人が手をつけていない分野にこそ、進出するメリットがあるというスタンスには好感がもてる。
 有望分野に進出するということはただし誰もが手をつけることだが、それだけではもちろん結果は失敗に終わる。情報関連産業はこれからかなり多くの労働者や企業が参入する分野であるだろうが、同じサービスを提供する会社は実は2つはいらない。有望分野ではあるが、自社には他にはない強みがあるという実感がある場合にのみ進出が可能となる。ソフトウェア関連ではおそらく人材ということになるのだろう。また多角化という場合のデメリットもある。「選択と集中」というが、「選択して集中した場合」と「何でもやる」といった場合とでは集中していたほうが絶対に強い。それだけ集中というのは強みを発揮するのである。自分自身も含めて人間の感情というものは外からはみえない。自分自身のことですら自分ではわからないケースもあるのだ。
 それを考えれば、読書やディスカッションといった作業がいかに大事かということをこの本は教えてくれる。また「マーケティング」といった科目には常々疑惑をいだいていたが(はたして有効なのかどうか)、その答えもこの本には書いてある。
 おそらくコンサルティング業界からみた成長戦略で、しかもある程度アカウンティングや意思決定理論を学習した人間向けの書物であって、マーケティング等をこれから学習してから読むべき本(でないとマーケティングなど勉強しなくてもよいなどと思い込む可能性もある)だとは思う。基礎・基本を固めたその次に何をやるかを決めるのにはいい本だ。

現代史の争点

著者名;秦郁彦  発行年(西暦);2001 出版社;文藝春秋
 客観的な事実を積み上げることで、実は左翼と右翼の両方から毀誉褒貶のある学者である。しかし学問に対するその真摯な姿勢が好感を呼ぶ現代史の解説書。数々の争点(南京大虐殺、家永三郎判決、従軍慰安婦問題、新編日本史騒動、新しい歴史教科書など)を取り上げ、最終的には情報公開法の弾力的な運用を提言されている。
 南京大虐殺については、犠牲者ゼロの「まぼろし派」から「虐殺数30万人」まで幅広い幅をもつ。しかし左右に共通する現象として「レッテルバリ」攻撃というのがある。この「レッテル」というのが非常に耳に入りやすいが、実は偏見をも招く可能性がある(有効なプロパガンダではあるが‥)。そうした手法に実はもう大半の人間があきあきしてきた。社会民主主義も共産主義も民族主義もあるひとつのレッテルのしたには個人の顔がみえず、一種独特の排他的集団関係を築き上げる。これは日本人特有の事象なのかどうなのか。
 さて「作る会」の「自虐史観」というレッテルもあまり信用がならないが、さりとて多様な教科書が中学校に供給されるのは悪くない話である。教育委員会が教科書を決定するという手法はいささか問題ありだが、実際に教育の現場で使用してみてから、PTAなど利害関係者の意見をフィードバックしていくのがこれからの新しい歴史を育てる礎になるのではないだろうか。確かにある種の「社会民主的な」香りを70年代から90年代まで日本はまといすぎた。現在はそのゆりもどしの時期だと思う。
 ただし秦氏は「多様な価値観」をこの教科書に対して肯定しているのであって、必ずしも新しければなんでもいいとはいっていない。小堀圭一郎なる東京大学のドイツ文学者の歴史著述についてはかなり痛烈な批判を加えている。実際に誤字・誤植・年号や客観的なミス等が検定合格後もかなりある教科書というのは、日本語を大事にしたい昨今どうだったのだろうか。新しいとはいっても、当然、教科書としてのユーザーの使いごこちが悪ければ当然排斥・批判すべき対象となる。これは教育書籍の宿命であろう。

新 コンピュータと教育

著者名;佐伯 胖  発行年(西暦);1997 出版社;岩波新書
適応教育の観点からすると人間の適応能力はかなり高いのでわざわざ学校に情報教育を持ち込む意義はないとしていている。いちおう,情報選択能力や情報倫理といった
必要性は重視されるものの具体案となるととたんにアイデアはでてこない。そうしてみるとパソコンの操作などについてわざわざ学校で時間をとり必要性はこの観点から
は薄い。
 予想される力に対抗力をつけるための道具として情報教育を活用するという視点もある。ただし人間はかなりしたたかな生物なのでこれもあまた対抗力はある程度育つ
ものと著者はしている。学校改革として情報を利用するというのもおかしい。教育というものがテクノロジーの進歩で変化するものなのか,といった疑問を著者は提出す
る。アフォーダンス(ある種の余裕)やわかりやすさといったものを備えて道具は機能し,パソコンは道具に過ぎないといったさめた観点も著者にはみえる。
 しかし道具としてのパソコンを活用して「知識」のあり方をかえようという姿勢は認知科学ご専門の著者らしい。その一例としてCSILEというオンタリオ教育研究
所のシステムを紹介されているが,子供同士で知識を共有する場を学校にもちこもうというシステムは相当面白い発想ではある。認知科学自体がまだ「情報」というスキ
ルの活用の方向性にとまどっているフシがみえなくもないが,教育の場におけるパソコンのありかたを考えるには良い書籍だ。

人が好きになれる技術・人に好かれる技術

著者名;ハイブロー武蔵 発行年(西暦);2002 出版社;総合法令
 結構名前のしれている著者の著作物だしシリーズで総合法令さんが出版している。しかも読書量が相当ある著者のものということで購入。「人間の幸せは人に好かれることです」といったような箴言が並んでいるのだが‥。そろそろ本の整理に入るが、これらの本はすべ購入したものの特権として捨てることにした・ブックオフに売却してもたぶん一冊10円にもなるまい。ついでにいうと同時に購入した以下の書籍も捨てることとしよう。「一流の仕事ができる人になる技術」「自分を変えてくれる本にめぐりあう技術」(いずれもハイブロー武蔵著、総合法令)。ただし紹介書籍の目録は役に立ちそうなのでまだ個人的に読んではいないものの有用そうなブックリストを下記に引用したい。そして今後個人的にはハイブロー武蔵氏の本を購入することはないであろうことを宣言しておく。
「新史太閤記」(司馬遼太郎 新潮文庫)
「福翁自伝」(福沢諭吉)
「フランクリン自伝」(岩波文庫)
「蝉しぐれ」(藤沢修平 文春文庫)
「チャーチル」(中公新書 近代ヨーロッパの歴史がわかりやすいらしい)
「マリー・アントワネット」(シュテファンツワイク 岩波文庫)
「海軍主計大尉小泉新吉」(小泉信三 文春文庫)
「俺の考え」(本田宗一郎 新潮文庫)
「ある運命について」(司馬遼太郎 中公文庫)
 こうした書籍リストが入手できるのはこれからの読書計画立案でひとつの参考にはなる。それが投資した読書代の対価ともいうべきか‥。

タイムライン(上)(下)

著者名;マイケル・クライトン  発行年(西暦);2002 出版社;早川書房
 「ジェラシック・パーク」「ロスト・ワールド」「遊星からの物体X」「ツイスター」と原作をことごとく映画化されたエンターテイメントの旗手マイケルクライトン。この作品も映画化されているが、ハリウッドがやることだから原作の格調から何からぶちこわしの映画であろうことは容易に推察がつく。中世の百年戦争の舞台に20世紀から送り込まれた教授と大学院生4人。城をめぐる攻防戦の中で果たして教授を14世紀から連れ戻すことができるのか。衣装、騎士道、中世の綿密な時代考証がこの作家の取材力を物語る。一種の「中世暗黒時代説」を否定し、火薬が伝わったころの話もエピソードとして織り込んである。もちろん舞台考証として専門家がみればまだ不備な点があるのかもしれないが、考古学の最近の動向も含めてエンターテイメントとして完璧なまでに計算された小説。上巻、下巻で各1700円とけっして安くは無いが、この本を読み終えるまでに得られた快感や擬似経験は何事にも変えがたい「価値」あるものだといえる。歴史ファンにもSFファンにもお勧め。そしておそらくは最低の映画であったろうものをみて失望した人も、原作を読めばクライトンがいかにすぐれたライターなのかがわかっていただけるはずだ。そう、ハリウッドは「はしょり」の名人であると同時に、面白さも半減させることに関してはプロだったりするのである。

子どもに伝えたい3つの力

著者名;斉藤孝  発行年(西暦);2001 出版社;NHK出版
 2001年に発行されて2004年に13刷となっているベストセラーである。教育書というカテゴリーに入るのかもしれないが、内容的には社会人のビジネススキルにも大きく通じるものがある。コメント力・段取り力・まねる力といった3つの概念を提出し、「生きる力」というきわめて抽象的な概念を具体的なレベルにまでブレークダウンしてくれる。テキストとして豊富な解釈が生まれる本と自ら定義しているだけあって、具体的なメソッドについては読者がさらに応用発展できる要素が多々ある。
 これまで斉藤孝氏の本をいろいろ読んできても全体としての統一性というものがいまひとつはっきりしてこなかった。しかし何か重要なことが著述されているという感覚があり、それはこの本を読んではっきり認識することができた。名著であり、またいろいろな局面で応用可能ということで今後も何度も読み直すテキストとなるだろう。また教育という舞台のみならずビジネスの場でも多くの人に手にとってほしい本でもある。

常識力で書く小論文

著者名;鷲田小椰太  発行年(西暦);2001 出版社;PHP研究所  
中国は科挙の伝統で社会主義国家であるにもかかわらず相当な学歴国家であるとか、イギリスは学歴は関係ないが逆に階級社会であるとか、アメリカはハーバード大学のトップは東大のトップの10倍の初任給を得るとかそうした雑学を獲得するにはいい本。しかし、肝心の小論文の書き方についてはたぶんこの本ではうまくならないだろう。論点を3つにしぼることの重要性を書いていながら、この本の中身はあっちへいったりこっちへいったり。福沢諭吉は「学問をしないから不平等が生じる」とかいったとかそうしたエピソードは面白いのだがなあ‥。この著者の本はいずれもタイトルは魅力的だが中身はそのタイトルにそっていないケースが多い。しかしそれでも読者層は一定あるようでかなりの本を書いているという現代資本主義のブランドとはすごいものだとあらためて痛感する。

養老孟司・学問の格闘

著者名;養老孟司  発行年(西暦);1999 出版社;日本経済新聞社
 「バカの壁」で一躍ベストセラーを出した著者が「脳」について最先端の14人の学者と語る。日経サイエンスというかなり良い仕事をされている雑誌で連載されたものから厳選されたインタビューから14本が選ばれ、注釈や用語説明を丁寧につけている。願わくば索引を充実してくれたならばもっと出版の歴史に残る本になったと思うが。
 対談集ではあるが非常に難解な書籍である。しかし内容的にかなり知的好奇心を刺激してくれる本格的なサイエンスの本である。ただ難解なだけの内容空疎な本ではなく、何度も読み返して内容把握につとめるべく努力していくべき本であろう。自分の読書力や知的レベルをさらにあげてから、再読をめざしたい名著である。「わからなさ」を自分の中にためこんで、さらに次の刺激を待ってから新たな飛躍を呼び起こす。そうした名著にはなかなかお目にかかれるものではない。

カオスだもんね!①②⑧

著者名;水口幸広 発行年(西暦);2000 出版社;アスキー出版局
 よくある「体当たり実感」系統の漫画である。個人的にこの系統では西原理恵子の漫画に高い評価だったりする(逆に「ダメンズウォーカー」系統はちょっと‥)。週刊アスキーで現在でもなお連載中の漫画であるが絵の緻密さ、著者のセコサ、コンピュータ系統から風俗系統、イベント系統まで幅広い題材の取り上げ方など秀逸である。担当編集者の方の題材の選び方も相当になってあるのだろう。絵の細部にこだわる著者の姿勢には相当好感がもてるものであり、人気シリーズとなっている理由もよくわかる。またこの詳細な記録性はいずれ10年後、20年後も資料として活用できるほどの価値があるものと思われる。週刊アスキーは毎週購入しているので現在進行中のものはすべて呼んでいるが今回は、増殖編、始動編、麦酒造り編の3本を一気に読み通す。細かいテクニックや豆知識も充実しており、買って損の無い漫画といえよう(なお途中には著者結婚のエピソードなどもあり、こうした私生活での細かいチップス情報も読者にはうれしいかぎり)。

2007年12月21日金曜日

商人

著者名;永六輔  発行年(西暦);1998 出版社;岩波新書
「雨が降ったら傘は二本もってでて一本は売って来いといわれました」(社会貢献と営利性の同時追及)
「商売の恩は石に刻め。商売の仇は水に流せ」
「つくるのは努力すれば誰でもできますが売るとなると才覚がありませんとね」
「商売は約束を守ることで信用を作るのが第一です」
「必要だから買うのが買い物です」
「屏風と店は広げると倒れやすくなります」
「やくざは経済評論家よりも目先がきくので景気のいい町にしかいません」
「宣伝はお客様のしてくださるもので自分でするものではありません」
「農作物もブルセラも作った人,使った人の顔が見えるものが高く売れるんです」
「農業10兆円,パチンコ産業30兆円。農村に巨大なパチンコ屋が開店するわけですよ」
 ビジネスということばよりもやはり「商業」「商人」といった言葉にこだわりと伝統を感じる。一つ一つの言葉に矛盾もあれど,それを実地にかみしめていく作業こそ伝統を継承する我々の仕事でもある。ビジネスではなく,商人という言葉や職人という言葉に集約された重みには,やはり捨てがたい魅力がある。すべての商人がこうした言葉をはけるわけではない。やはり道を極めた人間だけがいえるせりふがここには,ある。

商品企画7つ道具  

著者名;神田範昭  発行年(西暦);1998 出版社;白桃書房
 市場に出回ったものが商品,出回らなくてもとりあえず製造されたものが製品という明確な定義づけからこの本は始まる。またサービス業も商品という概念に統一しているのは商品企画のツールは無形のサービスにも適用可能だからである。
 また企画と開発とでは,開発のほうが広義であるとして,テストマーケティングパッケージング・広告等すべてが開発に含まれるものとしている。開発のすべてをこの本で扱っているわけではなく,開発全体の最初の消費者ニーズを把握し,アイデアを展開し,コンセプトを確定する段階を「企画」としている。ともすれば種々の用語が錯綜して途中で訳がわからなくなる本が多い中,用語の定義づけがしっかりされていると後半も読みやすい。
 商品コンセプトとは粗筋までしかできていない商品イメージであり,商品力と販売力の相乗効果で売上が決定する。商品そのものがもつ魅力をいかにして企画するか。それがポイントである。商品企画の7つのツールとは具体的には,①グループインタビュー②アンケート③ポジショニング分析④発想チェックリスト⑤表形式発想法⑥コンジョイント分析(属性の組み合わせ)⑦品質表をさす。このそれぞれの7つ道具について詳細かつユニークなケーススタディを用いて説明がなされている。時代はパソコンによるきわめてデジタルな時代ではあるが,この本のアナログ的手法は現在でも十分有効なものだ。アイデア発想にこまったときには是非とも開きたい一冊である。

価格戦略論  

著者名;ヘルマン・サイモン  発行年(西暦); 2002 出版社;ダイヤモンド社
 情報化社会によって地理的にはなれているというだけでは,顧客に異なった価格を提示することはできなくなった。それだけ企業の採用する経営戦略はより複雑になってきている。いわゆる価格設定は収益を確保するための最後の戦いと位置付けられ,パワー・プライサーはプライシングと価値創造を協調させようとする。スウォッチは低価格のスイス製腕時計としての市場地位を獲得したが,「生活の喜び」を与える商品としても機能した。プライシングはすぐれて企業の経営戦略にもとづくものであるが,この書籍は経営学もしくはマーケティングの観点からプライシングを緻密に分析したものである。顧客の「知覚価格」を下回るプライシングをおこない,同時に利益を獲得し,他者との競合に勝つ。こうした行動は多角的な情報処理を必要とするが,経済学のツールも用いたこの書籍では,具体的事例も含めて分析している。495
ページにもなるこの本はまた読み応えがあるが同時に難解さも相当なものだ。インターナショナルな市場価格など実際には考慮しにくい部分をとばしても,しんどいというのは事実。現段階では私の手にはちょっと…という感じの本である。

スラムダンクな友情論

著者名;斉藤孝 発行年(西暦);2002 出版社;文藝春秋
 キャリアの中でアイデンティティというのは非常に重要だ。自己同一性などと翻訳されるが、実際のところのイメージはわきにくい。自分を自分たらしめるものをアイデンティティというのであれば、自分が本当にやりたいことがやれる場所や時間がアイデンティティということになる。そうした意味では、自分のやらいたいことがやれない場所に身をおくのは非常につらい。精神的においつめられるケースが最近増加しているのは、アイデンティティが見出せない職場などがふえてきたからかもしれない。友情などというものには幻想はいだいていないが、この本はむしろ友情(コミュニケーション)を通じてアイデンティティ論を語る本だと考えられる。内容的には漫画などを題材にとりあげて入り込みやすいが理解はしにくい。結構、実践していくには難易度が高い本ではある。何回やってもほぼ同様の結果をえることができることを「技」というならば、そうした技をみにつけていくプロセスもまたアイデンティティの確立に有用であろう。もっとも技の確立には注意と反復が必要であり、たとえば部活動などで単調な基礎練習を繰り返すのは、そうした技を確立していくための必要不可欠なプロセスともいえる。
 インテリというのはただの物知りということではあるまい。認知科学でいえば問題解決能力の高さを意味するが、それは客観的な状況分析と自分の能力の見極めができて、さらにその方法の解決策を考案できるということになる。ツワイクがバルザックを手本意したような見本となる人間を早く「友」とし、刺激しあう。そしてそれは一種の緊張感を保つものであり、なれあいにはならない‥。
 甘い人間関係ではたぶんこれからは生きていけないのだろう。だからこそ、しかし、友や友情などは、たぶん、必要不可欠なのだ‥二律背反的な要素を含むがゆえに、おそらく読後感はたぶんすっきりしたものにはなるまい。しかしそれだけ人間関係の深さや難しさを豊富な題材で示そうとした著者の意気込みが感じられる。