2012年11月28日水曜日

七つの会議(日本経済新聞出版社)

著者:池井戸潤 出版社:日本経済新聞出版社 発行年:2012年 本体価格:1,500円
 大手電機メーカーの子会社「東京建電」の定例会議は毎週木曜日の午後2時に始まる。やりての営業部長「北川」のもと、営業一課の坂戸信彦課長38歳は華々しい成果をあげていた。しかしある日突然、その部下の八角民夫50歳係長が上司をパワハラ委員会に提訴する…。
 いかにも「「ありそうな人物設定」と「自分でもこの状況になれば」と思わせる迫真の状況設定が1ページ目から最後まで一気に読ませる。とはいえ、途中で我が身も日本企業に勤務する者ながら、「日本の会社だとこうかもしれないが海外では違うのでは‥」という思いもする。
 日本の会社は外部環境に対して強い攻殻をもっていて、さながらカプセルのようだ、という論評を昔どこかで読んだ記憶がある。確かにそういう一面はあれど、この本の舞台となるような大手電機メーカーの中堅子会社という位置づけだと、「子会社だけのカプセルか」「親会社を含む企業グループ全体をカプセルとみるか」「自分の部署だけをカプセルとみるか」というように立場によって「壁」のつくり方が違ってくるようだ(現実もおそらくそうだろう)。で、おそらくこれは、「カプセル」=「胎児にとっての子宮」のようなものではなかろうか、とも感じる。
 「内へ内へ」「内部論理で」という意識は、子供にとっては胎内回帰に相当するもので、「内では」「ここでは」という意識が強い社会は、ある意味では胎内回帰願望が強い社会といえる。この本の登場人物のうち、まず最初にそうした「壁」を打ち破ってしまうのがある女性なのだが、これ、男性の幼児性を揶揄したエピソードのようにも思えた。そして、殻を破っていくもう一人の「英雄」(アレクサンダー大王やナポレオンのように国境やらなんやらをどんどん超えていってしまうような人物)には、意外な登場人物が割り振られる。このへんのキャラクターの割り振りのうまさがこの著者の巧さといえようか。
 後味は非常によい。が、じわじわと「じゃあ、自分だったらどうする」という明確な答えがでてきにくい構図の小説に。今爆発的に売れている理由もわかる。

2012年11月24日土曜日

Study Hacks(講談社)

著者:小山龍介 出版社:講談社 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:733円(文庫本)
 単行本で発行されたときに一度読み、そして文庫本で再読。「ちょっとした工夫」を積み重ねて独自の世界を構築してしまう著者の手腕と感性は見事。「真似してみるか?」といわれると、ちょっと個人的には合わない部分も多かれど、専門誌を定期購読して図を入手するとかevernoteに自分専用の辞書を作成するなどの方法はけっこう使えるかもしれない。
 スキルを増やしたり、あるいは付け加えたりして、たとえば労働市場で新しい価値評価を作り出してくというのは大事なこと。人によってはそれが資格取得だったり海外への留学だったりするが、一番の基礎・基本はやはり「勉強」ということ。その「勉強」の効率性を少しでもましていきたいのであれば、正攻法による勉強以外に、本書のようなハックを活用したやり方も「あり」だろう。どちらにせよ労働市場の「競争原理」はますます厳しくなり、(公務員以外は)スキルアップをはかっていないと、突然首切りにあう時代にもうなってしまった。目標があって、そこに向けた努力を展開していくのであれば、この本の内容にあるような工夫と改善を積み重ねていくことも必要になるのだろう。
 ただ、なんとなく「ハックマニア」みたいな人も増えてきている印象もある。工夫や改善のツールにはやたらに詳しいが肝心の法律やら会計学の知識などについてはお粗末なまま…では本末転倒に。ハックにもこだわりすぎないほうが良さそうな印象。

2012年11月23日金曜日

アド・アストラ Ⅲ(講談社)

著者:カガノミハチ 出版社:講談社 発行年:2012年 本体価格:600円
 ポエニ戦争の英雄といえば、やはりカルタゴのハンニバルとローマのスキピオ。ただその影に隠れてはいるが、「フェビアン戦略」や「フェビアン社会主義」といった言葉に名を残すローマの独裁官ファビウスがこの3巻で登場。歴史的にはナポレオンを壊滅させたロシアのクトゥーゾフ将軍やナチス帝国のスターリングラード侵攻など、「持久戦」はとりうる戦略のなかで、それほど悪い一手ではない(消耗戦にもなるが…)
 ローマの南方カプアにまでせまったカルタゴに対していかなる戦略をとるべきなのか、そのローマの「葛藤」と軍事の天才ハンニバルの飄々としたキャラクターが良い。実際のところ、天才とそれを封じ込めようとするローマの武将のかけひきは、これに近い雰囲気ではなかったか。
 いまだハンニバルは負け知らずの時代で、ローマ帝国はスキピオ・アフリカヌスの登場を待つ焦燥の時代が描かれる。

2012年11月20日火曜日

もうダマされないための経済学講義(光文社)

著者:若田部昌澄 出版社:光文社 発行年:2012年 本体価格:820円
 う~ん…内容はピカ一に面白い。が、タイトルがあまりにも「昭和」過ぎる…。ミクロ経済学(最近は主流派経済学としてミクロとマクロを総称するみたいだが)を知らない読者でもインセンティブの話から市場の効用、通貨政策や中央銀行の役割まで学習できる。トレードオフとインセンティブの関係などもイメージを構築しながら読めるので、グラフや数式に依存せずに感覚的に読み進められるように配慮してあるところが心憎い。ただなあ。やはり内容がある程度「硬い」とタイトルを柔らかくしなければならないという理由はあるにせよ、消費者教育の本とかではないので、もう少しタイトルに工夫があっても…。
 一時期、「タイトルに数字が入っていると売れる」という「神話」がはやっていたのだが、そして実際に売れている新書やビジネス書籍に数字が記載されているケースはあっただのが、これ、因果関係がどうにも怪しい。たまたま売れるような内容の本に数字を冠したタイトルが多かった…という理屈も成り立つ。同じように「柔らかいタイトルでないと読者が購入しませんから」という編集サイドの理屈が先にたって、せっかく21世紀仕様の好著であっても、ダサダサの「昭和枯れすすき」的タイトルをつけられてしまうということは、十分ありうるのかも…。ま、最近はタイトルや装丁に文句をいう著者は減少しているし、内容に自信があれば編集サイドや営業サイドの言い分については大人の対応の大学の先生が「主流派」だから、ということもあるかもしれない。
 アダム・スミスやマルクスなど経済史的なコンテンツも含んでいるので、経済学部の学生や経済学部以外の卒業生の社会人には特に面白い内容になるかも。

オスマン帝国(講談社)

著者:鈴木 薫 出版社:講談社 発行年:1992年 本体価格:740円
 入れ替わりの激しい新書の世界で1992年に初版発行のこの本はいまだに新刊書店の新書の棚の一角を占める。
 イスラム法の体系を調べる目的で購入したのだが当初の目的とは裏腹に全部読み通してしまう。英米法や大陸法の体系を日本の法律は受けているが、イスラム教信者の絶対数が少ないのに比例して、文化的にも法制度としてもイスラム法の影響など皆無に等しい。たまに携帯電話を盗んだ犯罪者が両手を切断されたなどの報道に「ひゃあ」と驚くだけだが、日常生活と宗教生活をまったく分離しないイスラム国家では、犯罪=神への背信行為となるわけだから、表向きの残虐さはともかくも、理屈としては立派に通っている。
 アラブ地域やイスタンブール周辺の地域は民族も入り混じり、商人もいれば武士もいるので、法律の体系を早く構築する必要があった。もともと「シャリーア」とよばれる宗教的道徳の体系があってそれが法律の体系になるわけだから、お仕着せの官僚主義的な法治というよりも、宗教と一体化した生活感覚のある法律となる。そしてこの本ではそのイスラムの法律体系を維持し、法律問題を処理するイスラム法官(カーディー)とオスマントルコにおけるイスラム法官の整備に、新書にしては珍しくページが割かれている。「体系」とはいってもこうなると文化や生活と表裏一体だから、たとえば日本では六法全書とキヨスクでの買い物はダイレクトにはリンクしていないが、イスラムでは直接的にリンクしていることになる。あ、ここまでくるともう英米法や大陸法みたいに何らかの近代意識みたいなもので統一的に把握することはできず、コーランからず~と肌に染み入るようにイスラム文化を理解していかないと、もうイスラム法の体系なんて理解が難しい…ということが理解できる(理解しようとしても理解するまでには何段階かふまえていかねばならない、ということを理解させてくれる新書である)。で、通史的なオスマン・トルコの歴史的事件なども解説してくれているわけで、やはり価格と比してもコストパフォーマンスはやはり高い名著。イラストや地図が豊富に掲載されているので、日本の景気がもう少し良ければ4色で同じ内容をぜひ読みたいもの。

2012年11月18日日曜日

迷って選んだ答えは必ず間違い(竹書房)

著者:西原理恵子 山崎一夫 出版社:竹書房 発行年:2012年 本体価格:952円
 高須クリニック院長との交際が報道された西原さん。亡くなられた鴨さんのご結婚のときもびっくりしたが、収入から性格からご面相から真逆の、しかもなんというかかなり癖のある男性を選ばれるあたりはさすが。一部、「お金目当てじゃん」という声もウェブにあったが、前夫はかなりど底辺の貧乏な戦場カメラマンでしかもアルコール中毒だった方。いずれも中年高年カップルということで個人的にはかなり好感度が高い…。
 で、久方ぶりの「銀玉親方」こと山崎一夫さんとの共著。「ピンチはチャンス」などいろいろな箴言に満ちたなぞのこの本は、自分自身の人生の書ともなりうる可能性が…。まあ、迷う時点でどっち選んでも後悔するわけで、だったらもはや「悩まない」というのがベスト・アンサーなのかも。
 なんだろうなあ、この清々しいほどの博打とお酒に対する「あっけらかん」としたおふたりの著者。いろいろ人間の嫌な面も多々みてきたはずだが、そこを乗り切ってこそのこの「捨て身」の笑いとみた。勢いは「麻雀放浪記」のころとかわらない中高年路線を書籍のほうでも継続中。

2012年11月15日木曜日

ここがおかしい日本の社会保障(文藝春秋)

著者:山田昌弘 出版社:文藝春秋 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:533円
 今日も大卒初任給の額面が20万円以下というニュースが報道されていた。物価が下落しているので実質賃金(貨幣でどれだけの商品やサービスを買えるか)はさほど下がってはいないはずだが、ただでさえも落ち込み気味の民間消費をさらに冷え込ませるのに十分なニュース。すでに20代、30代の貯蓄志向は一定程度統計にもでているということだが、おそらく日本銀行がなんらかの手をうたないかぎり、下手な消費よりも貯蓄で将来に備えるという家計は増加していくだろう。
 この本では最低賃金法や生活保護といったセーフティネットの前提が正社員で夫婦のうち片方が育児や家事に専念しているというモデルを想定しており、現状の労働提供の多様化には即していないことを指摘。そのうえで、著者なりのモデルを提案する。
 規制緩和と市場主義がセットで導入され、その一方でセーフティネットは整備する…ということだったが、現在は規制緩和もまだ中途半端でセーフティネットは「元」正社員に有利。労働市場の市場原理だけは急速に進展中という状況にある。2chなどでも「生活保護」(ナマポ)がもらえるのであれば働くよりマシという声が多く(で、実際に中途半端に貯金したり働くよりも生活保護を受給したまま働かない方が経済合理性にかなうという現実に)、このままでは本当に生活が苦しい家計のセーフティネットは機能せず、生活保護が既得権みたいになっているおかしい現実がうまれている。
 著者は給付金システムの新しい形を提案し、「学者の空理空論」と「自己批判」されているのだが、こういう逼塞状況になると、むしろダイナミックな「国家的モデル」のほうが救いが持てる。その意味では、まだ制度設計を新しく組み替えれば社会保障制度が健全に働く余地があることがわかる。
 ただしその過程でうまれる社会的コストもすさまじく、まずは税率はどの所得層も飛躍的に負担がます。さらに旧制度設計から新制度設計に移行するさいの人件費や資金の利子率、システム構築コストなども莫大なものになる。それをふまえてでもミニマム・インカムの制度にもっていくのか、あるいは中央銀行によるデフレ不況の改善を先行して、ある程度落ち着いてからセーフティネットを模索するのかといった議論は当然ありうるだろう(不況のときの大改革は必ずしも景気浮揚策につながるわけではない。好況時に大きな社会システムは構築して、不景気に新しい社会システムを運用するという考え方もある)。
 いずれにせよ読者はページをめくるごとに「自分ならこう考える」「この論理にはこうしたメリットとデメリットがある」といった思考を展開させてくれる「力」「素材」がつまっている本で、最低賃金法などのもともと期待されていた機能など社会保障制度の基本を学ぶにもいい書籍だ。問題提起だけでなく著者独自の解決案が呈示されている点も好感がもてる。

2012年11月14日水曜日

重原佐千子の驚速!電卓速打ちテクニック&トレーニング(インターブックス)

著者:重原佐千子 出版社:インターブックス 発行年:2010年 本体価格:1360円
 昔ビッグカメラの書店でカシオの電卓とともに販売されていた本を即購入。その後積ん読だったのを業務の関係で至急読むことに。
 テクニカルな話だけかな、と思いきや姿勢や心構えなど意外に(?)基本的なことを重視。この著者、とてつもない計算能力や数字感覚をもってらっしゃるのはテレビなどで見たことがあるが、そのバックボーンはやはり手先のテクニックではなく、基礎・基本の重視にあったようだ。
 日常生活でわりと使う電卓だが、メモリーキーやGT機能などを適切に用いると、わりと事務処理が効率的にすすむことが多い(メモリー機能を使わずに電卓を使うのはある意味もったいない)。この本にはGT(グランドトータル)の練習問題や使い方などが掲載されているので、原価計算などで変動費率と固定費率を計算したあとに合計比率を算定する場合などにはけっこう使えるテクニックものっている。ただそうしたテクニカルさはあまり著者が好んでいないのは明らかで、「電卓にも礼儀を」という一文のほうが個人的にも心に残る。パソコンの操作と同じで個々の機能はまあ1回記憶してしまえば、なんとかそれなりに使えてそれなりに効果もでる(短期的には)。ただ長期的に「電卓」(であれなんであれ)の操作に習熟しようとするのであれば電卓に対する「礼儀」や丁寧な扱い方みたいなものが大事になるのだろう。この本、なんと裏見返しに「お守り」なども付属。

2012年11月13日火曜日

ダイナー(ポプラ社)

著者:平山夢明 出版社:ププラ社 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:740円(文庫本)
 大藪春彦賞を受賞したバイオレンス作品がなんとポプラ社から発行。昔のポプラ社というと児童文学系の地道な出版社というイメージだったが、数年前から自己啓発の書籍やらタレントの小説やらと話題作を提供。一部やや勇み足はあったとはいえ全体的には21世紀の出版社を担う有望株という印象。
 で、この小説もまあ…悪くはない…とはいえ必ずしも良くもない…がまあ面白い実験作品かな…ということで読後感は悪くはない。過激な描写もまあまああるが、ラストはわりと勇気がでる結末。映画「レオン」などを彷彿とさせる場面描写もあり、可愛げはないが物語に花をそえる犬なども登場してある程度楽しめる。
 ウェブ社会を反映して、主人公「オオバカナコ」は闇サイトで募集していたあるアルバイトに応募。車を運転するだけの簡単なバイトと思いきや、拷問されて殺されそうになった寸前に「会員制のダイナー」とウェウイトレスとして一命を得る。「殺し屋」専門のそのダイナーには「オオバカナコ」がウェイトレスになるまえにすでに8人のウエイトレスが「顧客」によって殺害されていた…。
 ミステリーもそうが、このヴァイオレンス小説も「閉ざされた空間」。「バトルロワイヤル」も「脱出不可能な島」という閉ざされた空間だったが、ある程度密度が濃い世界観を打ち出すには物理的に閉鎖された空間が理想形なのかもしれない。これ、地下にあるコンクリートの壁に覆われたダイナーだから緊張感が濃縮されるが、オープンテラスの「会員制ダイナー」ではここまで濃密なヴァイオレンス描写もできなかっただろう、などと思う。

斎藤孝のざっくり!西洋思想(祥伝社)

著者:斎藤孝 出版社:祥伝社 発行年:2011年 本体価格:1500円
 「ざっくり日本史」「ざっくり世界史」がともに面白く、また歴史の新たな視点を与えてくれたので書店に並べられているのをみて衝動買い。で、後悔なしの良著である。
 西洋思想をソクラテスなどギリシア哲学の「山」、デカルトやカントなど近代合理主義の「山」、そしてニーチェやフーコーなど現代思想に連なる系譜を3つめの「山」として書籍を構成。すでに原稿執筆段階で書籍の世界観が明確になっているので読者も「ここはどこの山の話だっけ」と頭のなかに地図を描きながら西洋史の流れを終える。そして随所に関数fや「理性>身体」といったような数学記号が挿入され、そのたびごとにそれぞれの「山」の違いも認識できる。
 西洋思想がなんの役にたつか…というと日本の社会構成も少なからず西洋思想の影響を受けており、たとえばそれは民法や会社法といった法律の随所にうかがわれる。法律の条文1条目にはたいてい立法趣旨なるものが規定されているが、これ、プラトンのイデア論とか理性への探求(カント)みたいな理想への憧れみたいなものが感じられる。現実はたいてい法律の趣旨には適合しないので、そうしたときにどうするか…というと法律では判例がその指針を示すが、西洋思想ではメルロ=ポンティの身体論みたいなものになってくる。文章で構成される法律が実際に解釈されて運用されるときには生身の人間を考慮しなければならない、なんて2つめの「山」と3つめの「山」の関係に近い。思想だけ趣味的にかじっているとどうしても全体像がつかみにくくなってくるが、会計学でも法律でもおそらく西洋思想に日本文化をミックスされた形で現在の規定は作成されているので、「なんかうまく運用がいかない」といったときにはその源に立ち返って考えるのが、おそらく一番の近道になる。
 主観的産物である複式簿記の世界なんて、まさに関係性の世界だから、ひょっとするとソシュールとかレヴィ=ストロースの世界のほうが、ルカ=パチオリの技術的な書籍よりも、ずっと思想的には近いものになるかもしれない。

2012年11月12日月曜日

64(文藝春秋)

著者:横山秀夫 出版社:文藝春秋 発行年:2012年 本体価格:1900円
 平成64年。わずか7日間だけ続いたこの年にD県警をおそった史上最悪の幼女誘拐殺人事件。その未解決事件はD県警関係者にも重荷となり通称「ロクヨン」と称された。そして平成14年、警察庁長官がD県に視察予定。広報官三上はその対策に追われることになる…。
 新聞社の若手は一部の経済専門紙を除いて全国の支局に勤務し、警察周りから修行を始める。一部の例外というのは日本経済新聞で、この新聞社の若手はいきなり検察庁担当や経済部などに所属するが、NHKなども含めて警察周りが原則だ。それだけ将来につながるいろいろなスキルを学べる場所ということだろう。20代の若手新聞記者と刑事部から広報官になったこの主人公「三上」。そして警務関係を司る警務部長や県警本部長といった警察庁のキャリア組。必ずしも広いともいえない建物のなかに、出自が異なるノンキャリア刑事部上がりの広報官とキャリア組、ジャーナリスト。それに警務警察(公安警察)と刑事警察の軋轢なども関わってくるから、話はむちゃくちゃ盛り上がる。「踊る大捜査線」でも描かれていたが、自治体警察で警察庁にモノが言えるのは東京の警視庁ぐらいで、ほかの県警ではたてつくこと自体ありえないはず。ただし隠微なかたちで「争い」はあるから、そこに未解決誘拐事件がからんでくるともう一度ページをめくるととまらない。648ページの大部だが、本当に一気読み。広報部(あるいは広報室)が警務関係に属するとかそうしたエピソードも面白い。開けた空間でのミステリーというのもないではないが、息詰まるミステリー展開の醍醐味はやはり閉ざされた空間にこそあるのではないか。そしてその閉ざされた空間が外部に窓を開いた瞬間こそが「物語」の終わりとなる。まさしく物語のラストにふさわしい終わり方で最初から最後まで完成度の高い緊迫した雰囲気がゆるがないのがすばらしい。

2012年11月7日水曜日

遺品整理屋は見た!(扶桑社)

著者:吉田太一 出版社:扶桑社 発行年:2009年 本体価格:619円
 購入したのは2011年9月20日の3刷。栄枯盛衰の激しい文庫本ではロングセラーの領域に入る。それだけ「死」ということに対して敏感にならざるをえない時代なのかもしれない。単行本段階では「孤独死」という表記だったが、テリー伊藤さんらの「孤独死は悪いことなのか」という疑問を受けて文庫本段階では「孤立死」という表記に改めてあるそうだ。孤立死の場合、遺品の引き取り手がないほか、死亡時から数日、場合によっては数ヶ月経過してから発見されることがある。そうした場合の清掃や遺品整理をおこなうのが著者の仕事で、場合によっては自殺現場や殺人現場などの清掃もおこなわなければならない。描写がとにかく生々しく、こういう描写はやはり現場をふまえた人でなければ書けないだろう。
 高齢社会になって、しかも地方では過疎化、都市部では個人主義が発達すると、おそらくこうした孤立死の事例は増加していくと予想される。著者は遺品整理のビジネスをおこないつつ、孤立死の減少にも取り組んでいるが、自分が死んだあとの「遺品」で自分の人格や人生が推し量れるのだとしたら、いったいあとに何が残せるのか…を考えさせられる。理想としては書籍とパソコンと携帯端末のみ残して、それも全部火葬にしてもらうのがベストだが、それだけでは社会に対してなんだか申し訳もたたないし…。新聞の死亡欄に掲載されるような人は孤立死ではないが、おそらく一年に何万人もの人が孤立死をしている。読み終わったあと峻厳とする文庫本である。