2013年10月14日月曜日

国語教科書の闇(新潮社)

著者:川島 幸希 出版社:新潮社 発行年:2013年 本体価格:680円
 国語教科書の題材が画一化してきている。たとえば芥川龍之介の「羅生門」,夏目漱石の「こころ」,森鴎外の「舞姫」などはほとんどの現代国語の教科書で取り上げられている。それはなぜなのか。そしてそうした教材の定番化に問題はないのかを検討したのがこの新書である。
 キーボードの配列方法は昔のタイプライターの配列がそのまま21世紀のパソコンに引き継がれてきたもの…というのが有名だが,国語の定番教材も戦後同じようなプロセスを経て、デファクトスタンダード化してきたものらしい。それで「是」とするわけでなく、もっと良い教材があるのではないか、という著者の指摘はもっともだ。ただその一方で大江健三郎や村上春樹の文体や文章構成が「現代国語」の試験に非常に馴染みにくいのも事実である。現状はこの3作品で保険をかけつつ、徐々に題材を入れ替えて、たとえば「舞姫」の代わりに「高瀬舟」を取り上げるといった試みをしていくのがおそらく現実に妥当するだろう。
 著者が「画一化」の要因として指摘しているのは①著作権の問題②豊富な副教材や過去の授業の実践事例の存在③指導資料の充実といった点である。原典が同じであれば文部科学省の検定意見も類似したものが多くなるだろうから、その意味では定番教材は「保険」にもなりうる。芥川龍之介の小説が検定教科書に登場しはじめたのは大正中期で、芥川自身が「近代日本文藝読本」という国語教育の編集作業に携わっていたらしい(本書52ページ)。芥川自身は「羅生門」ではなく「トロッコ」をこの副教材に入れていた。戦前には「羅生門」は国語教育の題材としては取り上げられることは少なく、著者はそれを「日本の国体や美風」を記し,国民性を発揮するものとしては「羅生門」はふさわしくなかったのではないか、との推論を述べている。本書の中盤は過去の国語の教科書や副教材の歴史を綿密に調査した結果で占められている。これがまた非常に面白い。
 おもえば検定教科書といえば「世界史」「日本史」など歴史関係の教科書に議論が集中していたが,前学習指導要領では「算数」「数学」「理科」が、そしてこの新書では「国語」がこうして話題になっている。「教科書なんで読まないよ」という学生は多いと思われるが、それでも国民共通の文化の下地になりうるのが検定教科書と考えれば、その重要性をここで新書で検討しておくことには意義がある。また同様に教材の定番化や画一化が現代国語のみならず他の教科でも進行している可能性があることも留意しておきたい。

2013年9月17日火曜日

知的文章とプレゼンテーション(中央公論新社)

著者:黒木登志夫 出版社:中央公論新社 発行年:2011年 本体価格:800円
 わかりやすくて論理的で、しかも一定の読者層に受け入れられる本は,手にとった段階ですでにスタイリッシュだ。中央公論新社の新書は全て同じデザインなのに、やはり書店の本棚にあるときから、一味違う。
 第一に「超整理法」「理系のための作文技術」といった名著の内容をふまえて著述されているので、21世紀にふさわしい新しい文章論が展開されている。しかも既存の議論もふまえたうえでの新しい内容だ。
 第二に医学系論文の審査にたずさわってきた著者の文章論なので,文章を書くうえで陥りやすい「わかりにくさ」「過ち」が指摘されている。
 第三に英語によるプレゼンテーションや論文執筆の経験から、日本語による論理展開を国際標準でとらえることができる。日本語特有の文章論だと、「てにおはの使い方」や「接続詞の使い方」といった文法論から書き起こす必要もでてくるが、この本で重視されているのは「言いたいこと」をいかに簡潔明瞭に著述していくべきかといった技術論だ。名文を書くのには一定の修練が必要になる。しかしわかりやすい文章を書くという技術論であれば新書を読むことで習得することは十分可能だ。
 「近代的な論理展開」の世界だとやはり因果関係や結論の導出方法はかなり重要になる。ビジネス文書の枠組み以外に,論文執筆やあるいはこうしたブログであっても、論理展開が重要な場面がある。一回読んですぐ試行できる内容や、章ごとにまとめられた箇条書きの要約が嬉しい。

2013年8月21日水曜日

スタバではグランデを買え!(筑摩書房)

著者:吉本佳生 出版社:筑摩書房 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:680円(文庫本)
 「価格戦略」をミクロ経済学の視点から解き明かした書籍。タイトルは「スタバではグランデを買え!」となっているのだが、これはミクロ経済学的には限界収入と限界費用の関係のお話だと個人的には解した。企業にとっては、限界費用と限界収入が一致する点で供給をおこなうのがベストの選択となる。その結論をコーヒーショップの価格戦略にあてはめて見事に解き明かす「語り口」が素晴らしい。
 ペットボトルのお茶の価格差異やテレビやデジカメの価格の低下傾向、100円ショップの安さの秘密といった話題をときには物流による品揃え機能(消費者にとっては取引コスト)や平均費用の概念で解説し、経済学だけではなく流通やマーケティング的な考え方も学べる。
 素材としてはやや古いテーマがあってもその考え方自体は、現実のさまざまな場面で応用がきく。たとえば、デジカメやテレビの価格戦略は、単行本による新刊を一定期間後に文庫本化し、さらに将来的には電子書籍化して広告料のみ徴収するといった価格戦略についてもあてはまるし、夜間電力料金と日中の電力料金の差はそのまま価格差別の議論があてはまる。書籍についても学生割引などがあってもいいのかもしれないなど、価格というのは考え出すといろいろ深いアイディアがわいてくる。
 この著者の吉本先生はもともとは某都市銀行に勤務されていた方。別の書籍では「仕組み債」や「外貨建て定期預金」の商品としての欠陥が指摘されており、非常に役立った。この本も読みやすい文章で深い考えが紹介されているので、これまで「価格」に興味がなかった人にも役立つことが多いだろう。グラフがかなり豊富に掲載されている点にも好感がもてる。

2013年8月5日月曜日

ジーン・ワルツ(新潮社)

著者:海堂尊 出版社:新潮社 発行年:2010年(文庫本) 本体価格:520円
 官僚を多数生み出す「帝華大学医学部」に務める曽根崎助教は、顕微鏡下体外受精を専門とし、講義のかたわら、新研修医制度や産婦人科希望の医者が激減した影響で閉院間近となっているマリアクリニックで診察もおこなっていた。そこに受診に訪れた5人の女性は,いずれも大きな問題を抱えていた‥。
 いわゆる「代理母」や新研修医制度による地域医療の衰退、産婦人科で実際に発生した医療事故をめぐる逮捕などをおりまぜつつ、「物語」はミステリー仕立ての見事な結末を迎える。しばしば、厚生労働省や日本産科婦人科学会などには批判的な意見を主人公が述べるが、確かに現場で妊婦を診察している医者と行政にたずさわる官僚とでは意見やものの見方が大きく異なってくるのはやむをえない面がある。この「行政の倫理」と「現場の医者の倫理」の対立点がまさしくこの物語の結末につながっていく。読者によっては、医療の論理に肩入れするケースもあるだろうし、逆にまた厚生労働省の論理にも一理も二里もあることは認めざるを得ない場面もでてくるだろう。私個人は、自分の目の前に代理出産を希望する人間がいないこともあるが、行政や司法の論理にもそれなりに尊重するべき部分が多いだろう、という立場だ。
 日本の場合、生物学的親子関係が法律的親子関係には必ずしもならない。代理懐胎そのものが国内では認められていないこともあって、最近はインドなど海外で代理懐胎をおこなうケースが増えているようだ。しかしその場合でも国内法では、生まれた子供の母親は「分ぺん」の事実によって判断される。これ、意外に非人情に聞こえそうだが、法律的親子関係を一義的に決めておかないと、遺産相続の問題や親権の問題などが確定できなくなるというデメリットがある。「子供が欲しいから代理懐胎した」というケースであっても、その後育児放棄や離婚などによって子供の帰属が宙にうくということも起こりかねない(いや、実際に発生している可能性がある)。遺伝子的に親子関係であっても、法律で「分ぺん」という事実関係以上に踏み込んで親子関係を認めていくには、まだまだ社会の基盤は未整備だ。もちろん未整備のままでいいわけではなく、遺伝子的親子関係を戸籍法などでも認めるならば、「代理母」と子供の関係や子供の養育義務をおう親権の中身をもっと厳密に定義するべきだろう。
 重たいテーマを扱っているにもかかわらず読後感は意外に軽い。主人公が重たい過去を引きずりつつもけっこう強気で前向きに、そしてしたたかに生きているせいか。

ファイアボールブルース(文藝春秋)

著者:桐野夏生 出版社:文藝春秋 発行年:1998年 本体価格:476円
 舞台は弱小女子プロレス会社。巡業と練習のはざまで突如発生する身元不明の殺人事件。看板プロレスラー火渡、通称ファイアボールがなぜかこの殺人事件に興味を示し、真相を探り出そうとする‥。種も仕掛けもわりと日常的でかつ平凡な組み合わせだが、プロレスに独自の哲学をもつ火渡がその哲学に即して生きようとして殺人事件の種明かしに至る自然なプロセスが見事。桐野夏生の作品は突如物語がダークサイドに転がって読後感が微妙なものになることもあるが、この作品に関してはそれもなし。でもこれ、「2」もあるから油断もできないが。
 主人公の「火渡」のプロレスに対する哲学は、作者の小説に対する「哲学」にオーバーラップする。「違うね。プロレスってのはいくらでも自分で変えていけるんだ。どうしてかっていうと、自分が作るものだからだよ。だけど団体が小さくて序列ができると決まりきったショウを作るしかなくなる。あたしはそれがいやなんだ。‥プロレスは全人格的なものだってことさ」は、プロレスをそのまま小説に置き換えれば通じるものだろう。ある種の「筋」に準じて女子プロレスの世界でいき、その筋に準じてゆ行方不明のプロレスラーを追いかける。なんだかむちゃくちゃこの主人公、かっこいい。

2013年7月30日火曜日

何のために働くのか(文藝春秋)

著者:寺島実郎 出版社:文藝春秋 発行年:2013年 本体価格:750円
 何のために働くのか‥というテーマとともに連想するのは、今年引退を決めた中日ドラゴンズの山崎選手や山本投手など、ボロボロになってもユニフォームを脱がなかった(脱がない)選手である。もうすでに食べていくのには困らないほどの蓄えはあるだろうし、功なり名なり遂げている選手だ。山崎選手はもし楽天ゴールデンイーグルスのときに現場を去っていたらコーチから将来の楽天の監督候補の道筋もあったはずだが、あえて現場にこだわった。
 この本では「働く」ということについて、給与(賃金)を得るという意味での「稼ぎ」、社会的責任や貢献をおこなうという意味での「ツトメ」という言葉で働くということの意味を説明している。まあ、そうした「ツトメ」と「稼ぎ」の間に微妙なグレーゾーンや当初の目的とは異なる偶然の要素などもあり、意外に人間の人生はふらふらあっちいったりこっちいったりの繰り返しとなるが、そうした偶然との戯れこそ、また「ツトメ」の意義深いところである。当初想定した社会的環境は時間の経過とともに変化していく。社会的環境が変化すれば、自ずと「稼ぎ」も「ツトメ」も変化していく。著者自身が三井物産を辞めようとして辞めずにブルックリン研究所などに派遣されたりするのだが、2年~3年で社会が変化する今、著者の過ごしたキャリア人生よりももっと変化の激しい時代に今の学生は身を置くことになるのだろう。必ずしもこの新書の内容は体系だった構成にはなっておらず、ページによってはまったくテーマから逸脱した原発問題などが語られていたりする点で、読みにくい。しかしこの読みにくさは、著者が考える「働く」という言葉の意味の奥ぶかさと変化の激しさを表しているとも思えなくはない。簡単に結論が出る内容ではないが、「素心」という言葉が心に残る。

2013年7月29日月曜日

多読術(筑摩書房)

著者:松岡正剛 出版社:筑摩書房 発行年:2009年 本体価格:800円
 2009年の初版4刷の書籍だが、この本が水道橋にある丸善の書棚に新刊とまざって棚差しになっていた。手にとってみるとなんだか面白い。そしてこの1冊の本を読んでいくうちに、自分がこれまで読んできた本の記憶が次々と連想されていくという妙な気分を味わうことになる。それはもしかすると千代田区にある富士見ヶ丘教会という自分自身もよくみる教会の話がでてきたり、舞台で証明をやりたかったという筆者の経験に親近感をいだいたせいかもしれない。あくまで個人的な筆者の体験や考え方が、そのまま自分の頭の中にコピーされて、さらにそこから色々な書籍にハイパーリンクが貼られていく感覚だ。一冊一冊を丹念に読み解くだけが読書ではない、速読が精読よりも「読む」ことに近い‥といった趣旨の話が書いてあるのを読むと、普段から「書籍ってインターネットに似ている部分があるなあ」と感じていたことがそのまま文章化されているような気持ちがする。いわゆるビジネスパーソン向けの「読書法」とは対極的な内容ではあるが、逆にビジネスに関連づけてこの本を読むことだって可能だ。
 この本で特に注目というと、やはり98ページから展開されている「編集工学」の著者自らの解説だろう。「意味の交換」のためにおこなわれる編集行為がコミュニケーションだ、とし、そこからマッピングや年表の作成といった具体的な話にまで著述が広がるが、ここまで壮大な話をコンパクトに98ページから119ページという約20ページに「編集」して文章を書いてくれているのだから、この新書という形態と著者の力量、そして筑摩書房の編集者の感性がすごい。

2013年7月28日日曜日

ワーキングプア(ポプラ社)

著者 NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班 出版社:ポプラ社 発行年:2010年(文庫版)
 アベノミクスとよばれる巨大な金融緩和政策と財政出動、そして抽象的ではあるが成長戦略の骨子が公表されて数ヶ月。株価はあがり、円安による影響もあって物価は上昇しつつある。それでもなお、先行きがみえないのが、賃上げや有効求人倍率の上昇といった労務関係の動向だ。
 本来であれば日本は少子化になるのだから人件費は供給される人口が減少していくほど一人あたりの賃金は上昇するのが筋だ。それがそうならないのは、ひとつには企業内部の資金が適正に配分されていないため、どうしても若年層への配分が小さくなる、非正規雇用契約の労働者の増加、海外からの労働力の流入といった要因がある。この本でも、岐阜県の繊維産業で活用される中国人留学生のエピソードと留学生の活用によって日本人労働者や会社の経営が苦しくなる様子や、ホームレス化する若者のエピソードが紹介されている。昭和初期の貧困とは、やはり今の貧困は様子がどうも違う。たとえ正社員であっても「ほんのちょっとしたこと」(離婚や整理解雇、会社の破産など)でワーキングプアに転落しかねないのが今の現実で、そうしたリスクを支える社会のセーフティネットはまだまだ不十分。というよりも失業保険の支給期間なども短縮化され生活保護の給付内容も厳しく制限される傾向にあるなか、この平成大不況をきっかけにワーキングプアにいったん転落すると次の世代にもその「貧困」が継承されかねない危険もはらむ。「貧困をどうするか」について景気の拡大をめざすのであればやはり金融政策や財政政策の運用ということになるが、もうひとつは社会保障費の支出内容を洗い出して、削減するだけではなく、効果的な運用という具体的な「中身」の選別も必要になるだろう。たんに企業の収益が拡大しただけでは、「真面目に働いても報われない」といったワーキングプアの問題は解決できる要素が少ない。

2013年7月9日火曜日

国際会計基準はどこへ行くのか(時事通信社)

著者:田中 弘 出版社:時事通信社 発行年:2010年 本体価格:2000円
 国際会計基準(IAS)あるいは国際財務報告基準(IFRS)については、2009年ごろは5~6年でアメリカや日本も含む世界統一基準になるはずだった。しかしアメリカはその後もFASB(米国財務報告基準)を維持し、日本もまた企業会計基準委員会から公表される会計基準を原則とし、国際会計基準はあくまで一部の上場企業について容認されているのみだ。著者はアメリカがなぜFASBを放棄しないのか、その理由を会計政策の面から分析し、日本についても独自の会計基準を維持しつつ、国際的な調和を図る方法がベストな方策だったことを明らかにする。そのうえで国際会計基準に定められている離脱規定(カーブ・アウト)を活用する利点や製造業にとって有意義な取得原価主義会計の活用を提言する。
 著者の力作であるが、読みながら、アメリカと欧州、そして日本の文化の違いに思いが至る。国際会計基準はもともとは英国に端を発してその後EU域内の統一基準として活用されることが当初の目標だった。したがって、地域の文化や歴史などを重視した原則主義をとる。一方、アメリカはその欧州からカルヴァン主義の影響を受けた清教徒の文化の流れをくむ。「天は自ら助く者を助く」という格言があてはまる自力救済の文化だ。そうした文化では詳細かつ厳密な会計基準が妥当し、FASBは厚さ数十センチというとんでもない分量の会計基準となる。それでは日本はどうかというと、アメリカよりもむしろ欧州のような農耕文化をベースとした歴史、地域、コミュニティを重視する社会だ。そうした文化ではFASBのような詳細な会計基準よりも原則主義の国際会計基準でなおかつ曖昧な規定が残っているほうがかえってうまくいく面がある。その意味では、国際会計基準に大きな影響を与えているアメリカに対して批判的なフランスなどとむしろ協調がとりやすい面がある。
 2010年発行の書籍だが、現在でもなお、アメリカはFASBを維持して、日本は国際会計基準の強制適用の時期を送らせ、むしろその一歩手前で金融庁による暫定的な会計基準の作成が新聞で報道されたばかり。国際会計基準と日本基準の「中間」をどこに求めるかだが、少なくとも数年前の急速に国際会計基準を導入するという方向から、スピードダウンしたことは、幸いだったのかもしれない。この国際会計基準については理論的に正しいかどうかという視点以外に、政治的に有利か不利かといった問題もはらんでいる。農耕文化の国家らしく、ここは国内の会計基準と国際会計基準の彼岸を分析し、日本から逆に国際会計基準に提言すべき論点などをまとめるにはいい機会かもしれない。

2013年7月2日火曜日

トーキョー無職日記(飛鳥新社)

著者:トリバタケ ハルノブ 出版社:飛鳥新社 発行年:2009年 本体価格:952円
 著者の実際の体験を「脱構築」して作り上げた大学中退後に無職の生活をへて、20代後半からようやく働き始める「おれ」を4コマ漫画で描く。ここで描かれる「ニート」の生活は、おそらく著者が1975年生まれということと無関係ではあるまい。1980年代後半のまだバブル経済の余韻が残るころでは、「フリー」「アルバイター」という言葉はむしろ自由な人生を切り開く積極的な意味を持っていた。それがネガティブなイメージに転換するのは、1990年代後半ぐらいからではなかろうか。で、多くの場合、「ニート」が自宅から一歩足を踏み出してからの世間の風は厳しい「はず」だが、この漫画では意外や意外、周囲の人は暖かい。
 「ふつう」、家にひきこもって人間不信で社会人生活もろくにおくっていない人間が、働き始まると、そこでコミュニケーション不全を起こして再び元の生活にもどるか、あるいは無味乾燥な労働再生産のサイクルに落ち込むはずだが、この漫画では、というかこの作者はそうなっていない。いろいろな理由があるだろうが、ひとつは「作者」が作成したホームページから始まるネットワークの存在がある。
 これ、本当の意味での引きこもりには入手できないアイテムで、「ニート」「ダメ人間」と自嘲するわりには、オフ会でそれぞれの人生観を語り合ったり、自分のダメっぷりを暴露したりと、非公式のネットワークが「作者」を支える。出来すぎともいえようが、このネットワークがあるかないかは、そのまま引きこもっているかどうかを分ける大きな分岐点になりうる。作者もあとがきで「ご都合主義かも‥」と書いているが、試行錯誤のすえに漫画家として「成功」できたのは、おそらく利害関係がほとんどないネットワークの力ゆえであろう。
 世相を反映して殺伐とした漫画が多い現在、珍しいほど結末が明るい漫画だ。ちょっとした身のまわりにある「幸せ」を再発見するにも、いい内容だと思う。画力のなさ加減がまたリアリティがあってよい。

2013年6月27日木曜日

犯罪者はどこに目をつけているか(新潮社)

著者:清永賢二 清永奈穂 出版社:新潮社 発行年:2012年 本体価格:700円
 著者は元警察庁犯罪予防研究室などに勤務されていた警察官。いわゆる犯罪心理学といったような理論的アプローチからではなく、犯行現場や実際の犯罪者への聞き取り調査などから犯罪の予防を考えていく手法をとる。本書が出版される理由のひとつに2000年の地方自治法改正により、地域主権の概念が強まったことがあげられている。逆に言うと防犯体制なども地方自治体に委ねられる部分が増えてきたということもでもある。
 内容としては一般市民の生活に役立つ視点やノウハウが数多く紹介されており、地域の防犯体制や生活防衛に役立つ著述が少なくない。最近ウェブなどで、下校・登校途中の生徒からの「通報」が紹介されているが、「犯罪行動は空間距離によって変化する」という著者の視点からすれば、たとえそれが「得体のしれない一言」であっても警戒すべき対象となる。元犯罪者の証言によればだいたい「標的」の半径20メートルの近隣空間が実行決定段階ということだから、「わけわからない人」が自分の20メートル以内に入ってきた段階で、要注意するべき対象ということになる。必ずしも変な人のすべてが犯罪者ではないにしても、その可能性はあるという言い回しで著者は注意を喚起する。生活防衛としては盗難などを「やりにくくする」体制を近所や自分で構築することがあげられており、それは防犯システム以外に「声かけ」やゴミだし、清潔な町並みといった「雰囲気」で醸し出すことができるという。最後に著者は「犯罪基本法」的な努力義務を定めた基本法の制定を提唱。案外まだまだ日本は防犯意識が薄い国なので、そうした基本法の制定は確かに効果があるかもしれない。都市計画というか道路の接合状態や町並みと表通りの関係なども防犯に関係してくるので、そうした基本法によって建築基準法や都市計画法といった関連法規にも防犯の意識が浸透していく可能性がある。具体的かつ実践的な内容で、特に犯罪に興味がない人にとっても読みやすく「実利」がある。

2013年6月24日月曜日

電子の標的(講談社)

著者:濱嘉之 出版社:講談社 発行年:2013年 本体価格:629円
 在韓日本大使館一等書記官の任務を完了して、新たに警視庁捜査一課に設置された特別捜査官に就任したキャリア官僚「藤江康央37歳」を主役にすえて、大手商社の跡取りの誘拐事件解決を描く。「え~、んなまさか~」というストーリーの展開だらけだが、著者はもともと警視庁警備一課、公安部公安総務課などに勤務していたれっきとして警察官。一種、「こういう捜査ができるといいな」という理想が込められているのかもしれない。公安警察と刑事警察の「しきり」をとっぱらい、さらには各種警備会社の設置した防犯カメラや内閣情報衛星センターの撮影画像、組織犯罪対策部との連携やSATとSITの協同作業‥と素人目にみても「そんなに連携とれるものだろうか」というほど、都合よく捜査が進んでいく。理想論のはざまに、元警察官らしくパチンコ産業についての文章や羽田空港警察署についての説明などどきっとするほどリアルな文章もはさまれているのが興味深い。
 さすがにこれだけの機材と組織を運用しただけのことはある「結果」になるが、少なくとも防犯カメラの分析や音声の分析のくだりはもう実用化され、もしかするとこの小説の先にまでいたっているのかもしれないという気がした。防犯カメラも犯罪がどこでどのように発生するか予測できず、さらに凶悪犯罪を防止するためにも設置はやむをえないが、遠からず、発生と同時に容疑者が特定できる時代もくるような気がする。「電子」で担保される平和というのも、複雑な思いだが、それで犯罪被害が軽減されるのであれば仕方がないことだろう。ちなみに主人公はオッサンなのに、えらくもてもての設定。キャリア官僚が現場にこだわる‥というのでは「新宿鮫」シリーズが有名だが、あまりに完璧すぎる主人公よりも、「新宿鮫」のように「陰」がある主人公のほうが、読者は感情移入できるかもしれない。

資産フライトの罠(宝島社)

著者:香港インベストメント取材班 出版社:宝島社 発行年:2012年 本体価格:743円
 一時期外貨建預金がはやった時期があったが、おもにその理由は日本の金利よりもはるかに高い金利が魅力だったのではないかと思う。円高のときに預金して円安のときに引き出せばかなりの為替差益を稼ぐことができるが、(少なくとも)日本の外貨建預金の多くは満期日におけるレートで円換算しておかないと、為替差益を確定することができない。ある意味ではかなりリスクの高い金融商品で、だったら最初から香港やマレーシアなどの海外に預金口座を作ってそこで運用し、都合のいいときに引き出すという方法だってなくはない。ただし、そうした方法にも海外に定住するという目的以外では多くの罠が存在する。この本ではアドバイザーの罠、投資ツアーの罠、ハンドキャリーのリスク(手持ちで貨幣を持ち出し、運び入れること)について解説してくれる。特に海外資産に対する国税庁の課税が詳しい。国籍離脱や海外居住者と認定されないかぎりは、海外で運用した預金にも日本国の税法が適用されるため、せっかく香港では非課税だった運用益でも国内基準では課税されてしまうというリスクだ。全体を通して読むかぎり、よっぽどの資産家でないかぎりは、海外で運用するなんてほとんど見合わない運用方法で、国内にいる場合でもこれだけ為替が変動する状況で外貨建預金や外貨FXなどは、もともと「捨て金」のつもりで運用しないと下手なギャンブルよりもリスクが高いということがわかる。「億」単位の資産家であれば、まあ、海外への資産フライトもありかもしれないが‥。某消費者金融関連の法廷闘争の判例など課税関連の判例の紹介がきわめて興味深い。

2013年6月17日月曜日

数字のカラクリを見抜け!(PHP研究所)

著者:吉本佳生 出版社:PHP研究所 発行年:2011年 本体価格:800円
 エクセルのグラフ作成機能(グラフウィザード)は非常に便利な機能だが、使っていると想像以上に極端な円グラフや折れ線グラフが出来上がる。実際以上に「傾向」がデザインされて打ち出されてくるので数字の実態以上に極端な結論に結びつきかねないリスクもある。この本ではエクセルのそうした機能に惑わされずに、グラフの縦軸や横軸を自分で設定して手間暇かけてグラフを作成するとともに、統計用語の定義に厳密に立脚して数字を分析していこうという「原点」が説かれる。「対数グラフ」がなぜ重要なのかも変化率の説明や見方とともに紹介されており、実践性が極めて高い。企画した商品の売れ行きや在庫予測などだいたいのビジネスパーソンはエクセルを使うことがもはや必須の時代だが、このエクセル、使い方を間違えるととんでもない結論にも結びつきかねない。特になんらかの平均や金額ベースの分析をおこなうことのリスクが丁寧に解説されており、読んだあとすぐに実行できるのが便利。縦書きの本なので数式はまったく出てこないのだが、多少は数式を出しての説明があっても良かったのかも。この本はどうも日本を代表するT自動車の研修などでもテキストとして用いられた模様。

2013年6月11日火曜日

確率論的思考(日本実業出版社)

著者:田渕直也 出版社:日本実業出版社 発行年:2009年 本体価格:1600円
 ず~っと「積ん読」だった本をようやく読了。いろいろな変化の可能性がある時代では「多様性」が大事で、意外に今の世の中は「偶然」が支配していることも多い、とする著者の考えが述べられている。自己啓発というよりも、量子論の紹介から多元的世界の解説へ、失敗の許容と開発から長期的世界観へ、と著者の金融市場を読み解くうえでの世界観があらわれていて興味深い。普通の正規分布とは異なり、株式市場ではほんのちょっとしたことが大幅な株価の上昇や下落を招くことがある。正規分布は独立事象のみを集めたときに見られる現象であって、株式市場ではそれぞれのプレイヤーが相互に影響を持っているためだが、著者はそうした「べき分布」の世界を「複雑系」の概念で読み解いていく。
 著者の略歴をみると破綻した日本長期信用銀行の出身で、その後三菱UFJ投資信託に移籍している。もともと移籍が珍しい世界ではないが、こうして実際に金融市場で生き残れてきている力量のエッセンスがこの本に記されているようだ。著者のさまざまな分野の博学さが魅力。

2013年6月10日月曜日

初歩から学ぶ金融の仕組み(左右社)

著者:岩田規久男 出版社:左右社 発行年:2010年 本体価格:1619円
 もともとは放送大学のテキストだったものを講義終了後に新たに一般書籍として再編集したもの。著者は現在学習院大学経済学部教授から日本銀行副総裁に就任された岩田規久男先生。もともとデフレの問題点と金融緩和による期待インフレ率の上昇やインフレターゲットの論客として知られていたが、この書籍ではインフレターゲットについては最低限のページしかさかれておらず、むしろマクロ経済学の基礎をがっちり固めるという色合いが強い。スワップ取引やオプション取引が脈絡なく突然講義が始まり突如終了するのが唐突だったが、これはやはり放送大学のテキストが元なので、一単元あたりの時間数とテキストの配分によるものだろう。数式は横組みで解説は縦組みだがさほど読みにくさは感じない。ただいきなりこの本で金融論を学習するよりも、やはりマクロ経済学を一通り学習してから金融論に入ったほうが学習効率は高そうだ。ISーLM曲線もでてこない金融の本だが、最近はISーLM曲線で説明する方式にも批判が一部あるようなので、これも時代か。海外部門が黒字主体か赤字主体かの説明のくだりで、これまでなぜ「輸出−輸入」ではなく「輸入−輸出」になるのか曖昧だった部分がすっきりわかるようになった(海外部門からすると日本への輸出(日本からみれば輸入)から輸入を差し引いた部分が貯蓄になるためだが、そういう視点の発想はまるでなかった。こういうのは実際の授業で耳にしておけばあまり誤解することはないのかもしれないが、書籍主体で学習していると意外に「誤解」を十何年もひきずりかねないのが独学の怖いところか。本体価格はやや高めだが、それほど部数が出る書籍とも思えず、むしろ良心的な価格設定ではないかと思う。

2013年6月6日木曜日

今日,会社が倒産した(彩図社)

著者:増田明利 出版社:彩図社 発行年:2013年 本体価格:1,200円
 えらくシンキくさいタイトルで、さらに内容もあまり明るいとはいえない。しかし中規模書店では平積みである。今日、日経平均株価が13,000円を割り込んだ。アベノミクスの三つめの柱である「成長戦略」に「サプライズ」が少なかった、中国経済の先行きに懸念があるといった理由が挙げられているが、史上希にみる金融緩和が果たして今後の実体経済の回復につながるのかどうか、株式市場の投資家が冷静に見極めようとしているのは間違いない。日本銀行の金融政策は短期金利にはきわめてダイレクトに影響を及ぼすが、長期金利市場についてはさまざまな思惑が錯綜するため、大規模な金融緩和が果たして長期金利の低下に本当につながるのかどうかは実は定かではない。というのも都市銀行や生命保険会社は国債を保有してもし国債価格が下落すると損失を出すことになる。勢い国債の購入を控える→長期金利の上昇要因となる…(ただし金融緩和そのものは長期金利の下落要因となる)。上昇要因と下落要因が錯綜してどちらの力が強いのかは正直だれにもわからない。先行き不透明であれば、だれしも投資や消費に積極的にはなれない。結局変化の時代の先行きの不透明さは、今のところ安倍内閣の金融政策と成長戦略の基本方針だけではまだ払拭されていない。
 そしてこういう16人の失業者のレポートが再び売れ行きを示すことにもなる。平成18年に入社して平成24年5月に自主廃業した会社の元社員、服飾会社に勤務していた元デザイナー、元建設会社の社員で失業期間1年目の49歳男性、情報通信関係の元社員31歳…など現在進行中の求職者の体験談をまとめたのがこの本。国家公務員は国家が債務不履行(いわゆる国家の破綻)に陥るまでは永久就職のようなものだが、それ以外は変化の時代に先行き不透明なのは、金融をどれだけ緩和してもあまり変わるところがない。「不確実性」をどれだけ排除できるか、がポイントでマネーストックの量を拡大しても、それが原因で債券市場や株式市場が乱高下するのでは、結局、消費や投資の拡大にはつながらないためである。「不確実性」の範囲があまり縮小しない以上、ややスキャンダラスなタイトルではあるが、こうした本の売れ行きが下がることはしばらくはないように思われる。

「カルト宗教」取材したらこうだった(宝島社)

著者:藤倉善郎 出版社:宝島社 発行年:2012年 本体価格:743円
 バブル景気真っ盛りの頃、東大駒場キャンパスに突如現れた「ヨガ」の巨大な写真や「グルが浮いている写真」を掲げた一団…。当時は「お笑い」の対象で、しかもその教団が衆議院議員選挙に候補者を出したときにはまさしく「お笑い」以上のトンデモ集団だった。当時はインターネットがない時代だったので、テレビのニュースなどで時折報道される選挙活動やキャンパスのなかでおこなわれるデモンストレーションぐらいしか目にすることがない存在だったが、その後、その教団は地下鉄サリン事件を起こす。そして同じ時期に同じキャンパスにいた学生はその事件に関与し、有罪判決を受ける…。
 「宗教」というのは60年代や70年代の学生闘争のなかではほとんど存在感がなかったようだ。日米関係がテーマの時代には、外交政策や政治理念について熱く語ることが、優先され、「いかに生きるか」といった事柄もマルクス主義や実存主義に形式づけてしまう人が多かったものと推定される。1980年代後半からは様相が変わり、学生運動に関わっている人もいないではないが、相当な下火。むしろ株式市場と土地の価格の高騰で、資産運用に熱を入れる学生やレジャーに熱を入れる学生が多数派だったように思える。そうしたなか、政治でもなく経済でもなく「別の何か」を求めている少数の学生に、「カルト的な宗教」というのはぴったり入り込める存在だったのではないか。
 この本では、ミイラ事件を起こした某集団や宇宙人によって人類は創設されたとする教団、自己啓発セミナー、講談社に抗議運動を展開した教団などを取り扱い、著者自身がその教団のセミナーに実際に潜入していることもある。真に社会的な存在になるためには、情報開示や法令遵守は不可欠な時代だが、宗教法人の場合には財務資料も公開されず、営利事業と非営利事業の区別もつかない得体のしれない活動になっている。フリージャーナリストの著者が、コトの顛末を相手方のクレームも含めてこうした形で開示することによって、信者の勝手な思い込みやら、あるいは教団の非合法な活動(もしそういう非合法な活動があれば、ということだが)が是正されるのであればそれにこしたことはない。歴史を振り返ると、こういう得体のしれない団体はいくつも現れ、そして消えていっている。時代の風雪に耐えて社会的貢献をしっかりおこなっている既存のちゃんとした宗教団体も数多くあるはずだが、そうした老舗の宗教団体が、必ずしも時代の隙間を埋めるには至っていないというのが残念だ。

2013年6月4日火曜日

モンスター(幻冬舎)

著者:百田尚樹 出版社:幻冬舎 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:724円(文庫本)
 「化け物」と呼ばれ続けた女性がとあるきっかけで美容整形に目覚め、ゆっくりと生まれ変わり、そして故郷へ帰っていく…。男性の作家が書いているだけあって、「女性から見た頭の悪い男性像」を自虐的に描く描写が圧巻。主人公の女性の心理がどれだけあてはまるのかは想像の範囲内だが、「美女」に手玉にとられるシーンのそれぞれが「あ」「そういえば」「これはあるかも」というものばかり。ということは、「女性から見た頭の悪そうな男性」というのは、「男性から見ても頭が悪そうな男性」とそれほど違わないのかもしれぬ。
 露悪的なまでに「醜い顔」の細部が描写され、さらに美容整形手術を少しづつ受けていくプロセスがなんとはなしに読者にも快感を与えてくれる。水戸黄門ばりに最初は主人公と同じように「化け物」として虐げられつづける心境に陥るが、美容整形によって主人公がパワーアップしていくにつれて読者もなにとはなしにパワーアップしていく。そして小説の冒頭とはうらはらにエンディングは「これでもか」といわんばかりの純愛物語に変化していく。古典的な小説手法ではあるけれど、「宝物」や「武器」を手にした若き勇者が最終的には目的を達成して、さらに別世界へ旅立つ…という構図をそのまま現代風になぞっている。だからこそ読後感もまた爽やか。映画「ロード・オブ・ザ・リング」三部作もそうだったけれど、結局、「仲間」というアイテムを得て「指輪」をしかるべき場所に戻したホビットは故郷にかえってまた再び旅立つが、この小説もまた旅立つ場所は違えど、ホビットと同じように数々の苦難と別離を繰り返した挙句に目標達成→再出発という粗筋をたどる。「モンスター」という言葉のイメージが読む前と読んだあとにこれだけ違ってくるのがまた小説の面白さか。

編集者の仕事(新潮社)

著者:柴田光慈 出版社:新潮社 発行年:2010年 本体価格:700円
 編集関係の書籍は非常に多いが、新書のかたちで技術論的な事柄も含めて出版されるのは珍しい。著者は長年、老舗の出版社で編集者として勤務され、担当された作家は丸谷才一、山崎正和、佐江衆一、辻邦生、矢沢永一、安部公房…とそうそうたるご執筆陣。それでいて非常に謙虚な語り口と含蓄の深い書籍への思いが読者の胸をうつ。「年表は地味な仕事だけれど」「口絵写真は貴重な記録」といった地味な作業の積み重ねがこの新書に結実しているのかと思うと、1ページ1ページを慎重に読み進め、一文に込められた含意を、拙いなりに解読するのも楽しい。
 新書サイズで208ページという構成ながら、書籍各部の名称、製本の区分、目次の作成、本文の組み方、判型、タイトルの付け方、四六判の由来、余白、横組の注意点、ノンブル、見出しと小見出し、索引、写真処理、奥付が縦組の場合に左ページにある理由、校正、原稿の整備、ルビ、引用の表現、活版印刷、文字の字体、欧文書体、約物と罫線、本の装丁、紙の重さ…と一通りのことがすべて網羅されているのも素晴らしい。専門学校系統の編集の参考書は、ともすればとんでもない厚さで読む気を最初からなくさせるが、新書サイズでこの内容は読者の「可読性」にかなり配慮している。まさしく「職人」による職人技の編集の本だ。

2013年6月2日日曜日

民法改正の真実(講談社)

著者:鈴木仁志 出版社:講談社 発行年:2013年 本体価格:1700円
 民法改正の作業が現在進行中で、たまにの中間報告について新聞などでも報道されている。現在の日本の民法にはいくつか解釈が難しい規定があり、たとえばマンションなどの特定物について「危険負担」という考え方がある。マンションを引き渡す前に天災などで目的物が滅失した場合には、民法の規定では債務者がそのリスクを負担する、つまりまだ住んでもいないマンションについてその購入代金を買い手が売り手に支払うといった規定が有り、そうした規定については確かに改正していかなくてはならない。ただ連帯保証の保証限度額に制限を設けるなど貸し手となる金融業界が反発している改正案も含む今回の民法改正は、実務界の理解も得ることが難しそうだ。
 この本では民法改正の中間報告ができあがるまでのプロセスについての問題点(法務省の官僚が勤務時間内に民間の研究団体で試案を作成していたことや、その民間の研究団体からかなりの部分のメンバーが公的な審議会に横滑りしていることなど)が指摘されているほか、「そもそも民法を全面改正する必要があるのか」といった問題提起がなされている。
 商法や有限会社法の規定を整理して会社法を施行したのとは事情が異なり、民法は企業だけではなく一般の市民も巻き込む大改正となる。これを一般社会のニーズと無関係に施行した場合、たとえば保証債務をする場面や契約の解除をおこなう場面などで、かなりこれまでの実務慣行とは異なる場面がでてくるだろう。会社法や金融商品取引法とは異なり、あくまで法律を知らない一般人にも関係してくるのだから、改正にはあまり拙速主義をとるべきではないだろう。改正を推進している内田貴氏(元東京大学教授・法務省参与)の個人的能力の高さや人徳の素晴らしさなどに疑念はない。ただし、同じ手法で将来、よからぬ人間が法律の改正を推進することになっては、今回の民間研究団体の成果を審議会に持ち込み、さらに情報公開にも制限を設けて「50年先をみすえる」というのは、情報公開法が制定され、さまざまな利害関係者のニーズに応えるという21世紀の日本の方向性とは大きく道がそれることになる。関係者には今一度、これまでの改正のプロセスの情報公開や一部特定学派に偏った法改正内容になっていないかどうかなどの自己チェックをお願いしたいものだ。金融関係や経済団体、弁護士会など種々の団体から「懸念」「心配」「反対」が表明されている現在、改正を推進しようとしている法務省も、今一度、改正プロセスに問題点がなかったかどうかチェックをお願いしたいものだ。

2013年5月30日木曜日

アベノミクスが激論で解けた!(小学館)

著者:青山繁晴 須田慎一郎 三橋貴明 出版社:小学館 発行年:2013年 本体価格:1,200円
 アベノミクスとよばれる金融緩和政策、賃上げ減税や投資減税などの財政政策、そして研究開発投資の助成などの成長戦略の3つの柱は、あまりの大量の金融緩和で国債価格の極端な価格のふれや株価の急速な下落など種々の不安定要因をかかえつつも一定の効果はあげてきたようだ。理屈どおりにストレートな結果に結びつかないのは、株価や長期金利といった指標は無作為抽出のデータではなく、それぞれがみえない複雑な要因で相互に影響しあっている変数だからであって、この場合には、身長や体重といった独立変数のグラフとは異なり正規分布ではなく、べき乗分布という中央からずれた数値の発生確率が高くなる。金融を緩和すれば、その分投資活動にむかって、たとえば株価は上がるはずだが、それでも何らかの事情(利益を確定しておきたい外国人投資家の行動など)をきっかけに株価が暴落することもあれば,日本銀行が長期の国債を購入することで国債の価格があがり金利が下がるはずであっても国債価格が下落するといったこともありうる。物価水準の測定の基準に何をおくべきか、サービス業の時給について、産業競争力会議のありかた、消費税率の引き上げ、メタンハイドレートなどのエネルギー政策など種々のテーマを3人の著者が対談形式で論じていくのだが、意見の相違などもみられて非常に面白い。この「意見の相違」がなければそもそも現在の為替レートで円とドルを交換しても、かたや「円安に向かう」と考え、かたや「円高に向かう」という立場の違いがなければ通貨や将来のキャッシュフローの「交換(スワップ)」そのものが成立しないのだから、ある意味市場経済は「多様性」と「民主主義」を色濃く反映したシステムなのだな、とつくづく思う。憲法96条改正問題や保守主義のあり方など経済の枠組みを超えた議論も面白い。

2013年5月29日水曜日

日本経済を壊す会計の呪縛(新潮社)

著者:大畑伊知郎 出版社:新潮社 発行年:2013年 本体価格:680円
 新潮社新書で会計を取り扱った新書としては田中弘先生の「時価会計不況」がある。取得原価主義会計から時価主義会計へ移行が進む過程で、時価評価の危険性や社会的影響を指摘した新書だった。この本ではそれからさらに時代が進み、税効果会計や退職給付会計などが日本基準に組み込まれた段階で、いわゆる国際会計基準の影響を極力排除して取得原価主義会計の体系に財務諸表を戻し、時価情報は注記などで情報提供するべきだ、という著者の持論が述べられる。
 会計基準はルールで、企業経営は経済的実態をそのルールにしたがって財務諸表を通じて描写する。しかしかつての取得原価主義の時代から企業会計原則などよりも税法基準に実際の企業経営が影響され、税法基準にあわせて企業の財務諸表を作成するという「逆選択」が頻繁にみられていた。現在では、かつての税法基準が国際会計基準に入れ替わっただけではないか、というのが著者の主張と個人的には解釈している。雇用調整や消費活動や投資活動の抑制についても、原因の一つに国際会計基準の影響を受けたいわゆる新会計基準があるのではないか、という著者の指摘がある意味では正しいように思える。その一方で繰延税金資産などを税効果会計にもとづいて計上することで、流動比率が向上したり、金融機関の自己資本比率が向上したりといったプラスの面もある。退職給付会計基準にしても、将来膨大なキャッシュアウトフローが発生するのは間違いないのに、かつての取得原価基準ではその「隠れ負債」が貸借対照表には計上されず、いわば日本的経営の名によって、将来の支出を隠したままの投資家情報が開示されていた。取得原価主義の時代の證券アナリストの仕事は今よりも原始的で、そうした隠れた債務を外部で計算して投資家に情報提供することだったとも思える。その意味では、今の日本基準は確かに不況の要因のひとつであったかもしれないが、企業経営の向上や投資家の適切な意思決定に有用性があるというプラスの面もある。
 5月28日の日本経済新聞の報道では、将来の国際的調和にそなえて日本基準と国際会計基準の折衷案を金融庁が策定し、当面は国際会計基準の強制適用はみおくって、その折衷案で上場企業の財務諸表を作成するという案があるようだ。「足して2で割る」という日本的発想のあらわれともいえるが、いずれにせよ世界が資産負債アプローチや割引現在価値を重視する体系に移動しているのだから、それに乗り遅れるわけにもいかない。折衷案でまず国際会計基準と日本基準の相容れない部分(のれんの減損処理など)について折衷案でならしていくというのは、日本の国民経済にとってもベターなことではなかろうか。

 内容的には簿記の知識がないとちょっと読み進めるのに苦労するかもしれない新書。会社の経営がうまくいっているときには税効果会計は非常に良い数字を生み出すが、逆に損失がでると繰延税金資産の取り崩しなどでダブルで企業経営を悪化させるという仕組みなど実践的な説明も多い。

2013年5月21日火曜日

解剖アベノミクス(日本経済新聞出版社)

著者:若田部昌澄 出版社:日本経済新聞出版社 発行年:2013年 本体価格:1500円
 今日の毎日新聞の報道では景気の上向きを実感しない人がだいたい8割という。金融緩和・財政政策・成長戦略の効果が、企業や家計の消費・投資行動を促進して物価が上昇、さらに賃金が上昇するのにはそれなりのタイムラグが必要となる。「もし」、アベノミクスが成功するのであっても、好景気が家計単位で実感されるのには2~3年はかかるのではなかろうか。
 さて、この本はかねてより日本銀行による金融緩和を支持していた若田部昌澄先生の本。世間的にはリフレ派と目されているが、アベノミクスの考えられるリスクについても触れ、反リフレ派の議論も丹念に検討されている。政府の産業政策についても否定的な見解を紹介したうえで、とりうべき成長戦略について検討。書店では現在アベノミクスの解説をおこなう書籍があふれているが、もっとも内容的に完成度の高い書籍と感じる。内容的にはやや難し目で、初歩的なマクロ経済の知識がないと、財政政策の乗数効果が意外に低いといった議論がすんなりは読み込めない可能性はある。ただ初歩的な文言についてはすべて解説がふされているので、別途経済学の入門書を読まなくても第1編さえ読めば対応できるような構成になっている。
 金融が緩和されると一般には物価水準が上昇するということになる。資本(資金)や労働力が完全に有効に使い果たされる長期の状態では、商品やサービスなどの産出量は労働市場で決定され、利子率は財やサービスの市場で決定されるため、貨幣市場で決定されるのは物価水準ということになる(貨幣数量説)。著者の立ち位置はこの貨幣数量説にある程度よっているように思えた(64ページ)。M=kPYという数式で表現できる考え方で(M:マネーサプライ、kは貨幣の流通速度、Pは物価水準、Yは名目GDP)、貨幣数量説の立場にたつとkはほぼ一定でYは財市場で決定されるため、左辺のMが増加すればPが増加するという考え方になる。財政政策を重視するケインジアンなどの立場からは、貨幣の流通速度もYの変化によって変化すると考えるのでこの数式には依拠しない。おそらくアベノミクスに肯定的な学者や政治家が貨幣数量説、必ずしも効果が期待できないとしている立場がケインジアン的な立場なのか、と感じた。著者は物価と賃金の上昇には正の相関関係がある(81ページ)としているので、マネーサプライ(マネーストック)を増加させる→物価が上昇する→賃金が上昇する→消費・投資活動が活発化する→…という循環を意識していることは間違いないようだ。ただ物価が上昇したら本当に賃金が上昇するのか?という疑念がこの本でぬぐえたとは思えない。ひとつには中小企業と大企業の取引関係が近代経済学的関係というよりも社会学的な関係であるため、価格上昇を取引先に転嫁しづらい構図がある。海外から仕入れた商品や部品の価格上昇を販売価格に転嫁できずに自社内部での負担にしてしまうという構図まではケインズもマネタリストも考えていないはずだが、日本ではそうした取引の構図がある。となると、円安が必ずしも社会全体の賃金上昇につながるとは思えない。もしアベノミクスに破綻があるとすると、物価水準は理論どおりあがっていったが、賃金だけは上がらず、失業率も改善されず、一部の大企業と公務員のみ所得が上昇して格差が拡大していった…という展開ではなかろうか。「今」がすぐある程度読み取れ、しかも読者自身があれこれ日々の新聞を活用して仮説をたてる基礎もこの本は与えてくれる。批判はいろいろでてくるかもしれないが、1,500円は安い。もっと値上げしてもよいくらいだ。

2013年5月16日木曜日

日本経済の奇妙な常識(講談社)

著者:吉本佳生 出版社:講談社 発行年:2011年 本体価格:740円
 個人的に最大限の信頼をよせる吉本佳生先生の2011年の著作。貿易・サービス収支・所得収支・経常移転収支などの国際収支の読み方も国際マクロのテキストよりもずっとわかりやすく解説してくれる。これ、たとえば海外留学が盛んな国でいうと、学業をいうサービスを海外で購入するので、資金は持ち出しとなりサービス収支は減少要因、さらには仕送りなどで海外へ送金すると経常移転収支もマイナス要因で、通常の資本投資とは異なり利子率などの配当はないので資本収支には影響しない…といった見方がするっとできるようになる。ちなみに日本の場合は貿易収支よりも所得収支のほうが黒字要因としては大きい(208ページ)。日本人が海外で所得を稼いでくると所得収支は増加要因だが、国内で外国人に給与を支払うと減少要因となる。これだけ海外進出が相次ぐ現在、所得収支の黒字額が大きい…という理由もすんなり理解できる。
 で、この本のテーマとなる「奇妙な常識」とは、たとえば石油資源が高騰しても国内の賃金デフレが深刻化した状況や各企業がリスク管理をしているつもりがさらに株価や債券の暴落を招いてしまうという事象をさす。著者はそうした「常識」の背後にある合理性を読み解いていくのだが、経済学部出身者でなくてもわかる初歩的なマクロ経済学の「ツール」でわかりやすく解説。アベノミクスでマネーストックが大幅に緩和されている状況で、なぜ住宅ローンの金利が上昇するのか、といった2013年5月現在の状況もこの書籍のロジックを援用することで容易に理解できる。
 その昔、「仕組み債」とよばれる複雑な金融商品がいかに購入者にとって不利な金融商品か、ということもこの著者から教わった。アベノミクスの「成功」についても著者は「賃金の上昇率がどうなるか」「賃金格差(男女間の格差、雇用形態の格差、世代別の格差など)をいかにして埋めるか」といった鋭い指摘にあふれている。アベノミクス登場前の新書だが、2013年の今読んでも学ぶところは多い。

姜 尚中の政治学入門(集英社)

著者:姜 尚中 出版社:集英社 発行年:2006年 本体価格:660円
 反証可能でなければ科学ではない、という。最初から反論しようがないのが、いわゆる「職業左翼」の方々だが、終始温和な口調で論理を展開する姜 尚中氏の著述は、賛否はさておいて、とりあえずは反証可能な議論展開だ。これだけでも現代日本では貴重な存在である。
 「アメリカ」「暴力」「主権」「憲法」「戦後民主主義」「歴史認識」「東北アジア」の7つのキーワードから「政治学」を読み解く展開となっている。2006年に執筆されたまま増刷されており、尖閣諸島や竹島をめぐる日韓関係や日中関係の悪化の前の国際情勢から「東北アジア」が語られており、そうした客観的諸条件の変化が書籍に反映されていないのはやむをえない。その一方で、「戦後」を日清・日露・第一次世界大戦・第二次世界大戦の4つに切り分け、さらに第二次世界大戦後も直後の1945年(治安維持法が制定されたまま哲学者三木清氏が獄死)、1946年、1955年以降と細密に展開・分析していく視点は見事。「戦後民主主義の課題」とおおまかに語る言説よりも、1945年当時の戦後、大日本帝国憲法が日本国憲法に改正された1946年から高度経済成長期を迎える1955年まで、1955年からバブル経済を迎える1980年代までと細分化していかないと、確かに議論の方向性を見誤る。日教組がもたらした功罪を論じるにしても、バブル経済当時の労働運動と高度経済成長期の労働運動とでは意味合いも規模も異なるのだから、戦後世代を一括りに論じるのには問題がある。ある程度、論者のよって立つ視点を受け入れつつ、賛否を明確にしていかないと「言論」や「学問」はいつまでたっても高度化していかない。
 その意味では、現在安倍内閣が打ち出している憲法96条の改正と本書80ページ以降に展開されている「憲法」の著述は、面白い。
 著者は、憲法について、①共同の意思によって生み出されたものとみる説と、②憲法固有の体系を重視する説を紹介し、著者自身が②を支持する理由を展開する。安倍内閣など保守派の多くがよって立つのが①の立場で、これはGHQなどアメリカによって作成された憲法であって、日本国民の「共同の意思」がないから改正すべきという流れになる。一方、②の立場でいえば、憲法の条文をもとに膨大な判例や解釈が積み上げられており、すでにそうした解釈を込みにして考えれば、ひとつの立派な体系を有しているという考え方になる。著者は近代国家では、政教分離が原則であって①の立場では言論の多様性がそこなわれ、軍事力の行使につながっていくという議論展開をたどる。

 このあたりは、個人的にはいろいろ疑問をもつところで、たとえばヨーロッパではキリスト教によってたつ政党がないわけではないし、形式的にフランスでは政教分離が徹底されているといってもやはりカソリックの国だなあ、と感じるところは多々ある。祭祀国家が軍事国家につながるという論拠もあやしい。近代国家の歴史ですら18世紀後半にフランスが誕生してからさほどの歴史があるわけではないが、宗教問題よりも経済問題で戦争に走った国のほうが多いようにも思える。ただこうした疑問や反論をすべて可能な書籍であるという点に、実はこの新書の意義がある。政治が生の人間の営みの結果である以上、原理原則で一貫していなければならないということはない。「私はこう思う。しかし反論は受け入れる」、強い論理で一貫しつつも、そこかしこにみえる著者のそうした慎ましさが好ましい。
 
 

2013年5月14日火曜日

倒産社長の告白(草思社)

著者:三浦紀夫 出版社:草思社 発行年:2003年 本体価格:1400円
 学生時代にアルバイトをしていた編集制作会社にそのまま1978年にした著者は、1990年に社長に就任。その後、浮き沈みはあるものの人員合理化と販売促進、資金繰りにおわれることになる。株式会社コアという会社で、途中出版部門を運送会社に営業譲渡し、それがもとで誕生したのがフットワーク出版。たしかこの会社は文京区江戸川橋に事務所があったはずで、自分自身が実際に目でみた会社や早稲田鶴巻町などなじみの深い町名が続出。それだけに、話が進行するにつれて、次第においこまれていく様子が読んでいて辛い。
 しかもメインバンクが金融庁によって強制破綻させられて永代信用組合。株式会社コアの資金繰りを壊滅的にしたのは、この信用組合の強制破綻が致命的だったようだ。とはいえ途中、資金繰りがよくない会社への債務保証や市中金融からの借り入れ、融通手形の降り出しなど、倒産の予兆とされる取引が続出。むしろ2002年までよく経営が継続したものと思うべきかもしれない。成功した企業の物語は山ほどあるが、この本は財務諸表に化粧がほどこされた会社の経営を委託され、その延命に個人財産もついやした経営者の話。非常にレアな出版物で、、しかも整理回収機構に債権譲渡された場合の借入企業の資金繰りや、メインバンクが経営破綻した場合の中小企業の痛手、債務保証のおそろしさや友人の大事さといった貴重なエピソードが満載だ。「万が一」に遭遇したときの生き残りの方向を模索するのにも役立つ一冊となる。

2013年5月5日日曜日

マンチュリアン・レポート(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2013年(文庫本) 本体価格:629円(文庫本)
 昭和3年6月4日、満州軍閥の領袖張作霖が乗った鉄道が爆破。「治安維持法改悪に関する意見書」を配布した志津中尉は陸軍刑務所に収監されていたが、とある「やんごとなき方」からの勅命を受け、事件の真相をさぐりに満州へとぶ…。
 大日本帝国が張作霖の軍閥を通じた間接支配から、柳条湖事件を通じた直接支配に乗り出す時代の狭間を描く。著者の浅田次郎氏は、元自衛隊員だが、独自の視点から日本と中国の関係を見つめ直す作品を執筆。「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」で清国末期と中華民国の始まり、軍閥の活動などを描いたが、シリーズが進むにつれて日本人の登場人物が増えてくるのが特徴。張作霖爆破事件にしても、これまでは張作霖が乗車していた鉄道が爆破されていたものと思っていたが、この本を読んで奉天近くの満州鉄道の橋脚が爆破されたものと知る。
 やや叙情的な場面が多いものの、凄惨な事件が相次いだこの時代を描写するには、センチメタリックな描写をせざるを得なかったのかもしれない。

2013年5月4日土曜日

ビブリア古書堂の事件手帳 4(メディアワークス)

著者:三上 延 出版社:メディアワークス 発行年:2013年 本体価格:570円
 「ラノベ」「ラノベ」とやや低く見られているジャンルではあるが、第1巻から第2巻、そしてこの第4巻に至るまで、続編がでてくるごとに内容がグレードアップ。この第4巻で扱う古書のテーマは「江戸川乱歩」。
 1つの「巻」ごとに小さな題材を扱い、「栞子さん」の家族をめぐる大きな謎が少しづつ解明されていくという流れになる。自分自身もポプラ社版の怪人二十面相シリーズは全巻小学生のころ読んでいただけにこの第4巻には読んでいるうちに時間を忘れる。巻末の参考文献などからして著者はこれまで以上に取材を重ねて第4巻の刊行に及んだものと推測できるが、この本を読むとさらに「押絵と旅する男」「孤島の鬼」といった江戸川乱歩の作品も読みたくなるから不思議だ。
 かつて江戸川乱歩が居住し、作品を書いていた土蔵は現在、立教大学が所有・管理しているが、著者はその立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターからも取材。かつてその土蔵が公開されたときは長蛇の列の最後尾に並び、ほんの数十秒だけ土蔵の中を見ることができたが、あの独特の漆喰の匂いがたちこめる空間から江戸川乱歩の作品が生まれ、そして21世紀にこうしてその世界にインスパイアされた古書モノ探偵シリーズがでてくるということに感慨を覚える。ひとつの優れたイメージは、また時間を超えて別の作家のイマジネーションを刺激して、さらに新しいイメージの世界を創りだす力があるようだ。

2013年5月1日水曜日

日本の景気は賃金が決める(講談社)

著者:吉本佳生 出版社:講談社 発行年:2013年 本体価格:800円
 いわゆる「金融政策・財政政策・成長政策」の3つの柱をうちたてたアベノミクスの出だしは好調のようだ。為替は円安傾向となり、民間消費支出も増加傾向にある。ただしこれはまだ「ご祝儀」相場のようなもので、長期的に見た経済効果はもちろん未知数だ。著者は、このアベノミクスの最終的評価は、物価上昇率ではなく賃金上昇率になると指摘している。
 たとえば、物価が2%上昇しても賃金が1%しか上昇しなければ、生活水準は今よりむしろ苦しくなる。この本のタイトルはそうした「物価」の内訳をみていこう、という姿勢に由来するが、円安傾向が必ずしも国内の物価上昇率を招かない理由として、輸入企業が円安による輸入財の価格上昇を企業内のリストラで吸収している実態を指摘する(小売商や卸売商は中小規模の企業が多く、資材購買をおこなう大企業から値引交渉されると断りきれない)。マスコミやウェブで流れている安易なインフレ待望論に対してきめ細やかにデータや経済白書などを分析して今後の展望を示した良著である。
 安倍総理とそのブレーンがよりどころとしている理論に、合理的期待形成という理論がある。過去の実際の物価上昇率や1年前の物価上昇率だけでなく、日本銀行の政策目標や政治の動向など種々の情報から合理的に導き出される物価上昇率をもとに企業や家計が行動するという理論である。物価上昇率が2%で名目利子率が現在とほぼ変化しないという仮定にたてば、実質賃金率が低下するので企業の設備投資が促進される。また家計は貨幣購買力が目減りするので貯蓄ではなく消費行動を活発にさせるということになるが、この本では「賃金格差」がアベノミクスの結果拡大する可能性を指摘しており、一部の高所得者の消費は拡大しても中低所得者の消費は現状維持か減退する可能性が無視できないことになる。これもまた「日本の景気」は「賃金(上昇率、とそして分配)」が決めることになる。まだアベノミクスは走り出したばかりだが、小泉内閣にあった「悲壮感」がまるでなく、非常に和気あいあいと強気の経済運営・外交政策をとっているのが気がかりだ。デフレーションのもとで、人々の期待を超えるような大規模な金融緩和と国債の買い入れをおこなうわけだから、ちょっと舵取りを間違えば、国債価格の暴落や利子率の上昇、いきすぎた円安展開といった事態を招きかねないのだが、どうも安倍内閣にそうしたリスクの備えが見えない。何が起こるかわからないのが金融の世界のはずだが、この本の著者の的確な分析と問題提起と比較すると、なんだかお祭りさわぎのようになっている政治のほうが不安定材料のような気もする。

2013年4月25日木曜日

快感回路(河出書房新社)

著者:デイヴィッド・J・リンデン 訳:岩坂 彰 出版社:河出書房新社 発行年:2012年 本体価格:1900円
 いわゆる報酬系(本書では快感回路)を生物学的な側面から著述していこうとした本。タバコやアルコール、薬物はもちろんのこと、「知的好奇心による快楽」まで含む「報酬系」の反応について、わかりやすく解説してくれる。科学者らしい抑制のきいた著述で、極端な結論や証明や実験結果のともなわない仮説は述べていない。著者本人の持論について客観的証拠がない場合には、文章中にちゃんとその旨銘記されている。生物学的、あるいは化学的な見地の著述がほとんどだが、たとえばローマ時代のアヘン、19世紀アイルランドのエーテルペルーの「アヤワスカ」といった歴史的なエピソードについても語られ、人類の歴史のある側面に、薬物やアルコールによる「快楽」追求が存在したことがわかるようになっている。
 これが社会規範にのっとっている場合には個人の趣味だが、それが依存症に傾斜していくことも少なくない。著者は、依存症を「持続増強」「長期増殖」の観点から分析する。日本では、受験勉強のノウハウとして語られることが多かった「持続増強」「長期増殖」(長期記憶はなかなか忘れられることがない)だが、快楽を追求する結果、人間の記憶に快楽追求が刷り込まれていくという面が興味深い。自分にも経験がないわけではないが、「勉強そのものが快楽」ということ、実際にありうる。こうした依存症もしくは依存症的な行動についての著者の倫理観は明確だ。人間はなにかの「働きかけ」で、何かの依存症に陥ることはありうる。そのこと自体は必ずしも本人の責任ではない。ただし依存症に陥ってから、そこから脱出することができるかできないかは、本人個人の責任である、という哲学である。「パチンコ依存症」は、たまたまパチンコを始めたら、それが快楽となり、すべてパチンコ優先になってしまう現象といえる。そのこと自体は、さまざまな要因に囲まれて生活している人間生活を考慮すると、必ずしも個人の責任ではない。ただし生活に支障をきたすほどのパチンコ依存となり、そこから立ち直れない場合には、本人の全面的責任になるという考え方だ。生物学者の倫理観は明確でシンプルだが、きわめてわかりやすく、そして正しい。

2013年4月23日火曜日

印刷技術基本ポイント 枚葉オフセット印刷編(印刷学会出版部)

著者:日本印刷産業連合会 出版社:印刷学会出版部 発行年:2010年 本体価格:1,000円
 表紙からして印刷関係の世界に飛び込んだ新入社員用のリーフレットだが、隣接する編集の世界の人間にとっては、これまであやふやだった用語や分類が明確になって読んでいて得るところ大。構成内容は以下のとおり。
Ⅰ「印刷」の概要
Ⅱ「印刷方式」の種類
Ⅲ色とカラー印刷
Ⅳ枚葉オフセット印刷の主な印刷資材
Ⅴ印刷物製作までの流れ
Ⅵプレス(1)~(3)
Ⅶプリプレスとポストプレス
 ところどころ掲載されているオフセット印刷のきっかけや可視光線と色、米坪と連量といったコラムがまた楽しい。たまに新聞で報道されている「水なし平版」(環境問題とリンクしているので経済新聞でも取り上げられる)の説明なども充実。本を読むときに「内容」以外にインクや印刷方式なども楽しめるようになれる本だ。

2013年4月22日月曜日

アベノミクス大論争(文藝春秋)

文藝春秋編 出版社:文藝春秋 発行年:2013年 本体価格:750円
 インターネットが発達した結果、ある程度経済学的な論争の結果がみえた段階で評論家の責任も追求可能となった。民主党政権の是非についても3年前の論評と現在の論評とは、ウェブ上で簡単に相互検証できる。その分、経済評論家の責任もアナログ時代よりはるかに重くなったといえる。
 この本はわずか750円の価格で、アベノミクスの金融政策の是非、リフレ政策の有効性、財政政策の問題点、領土問題、憲法改正について概略を知ることができる利便性の高い内容となっている。金融緩和によって(予想を超える規模の金融緩和によって)、期待インフレ率が上昇し、消費や投資が促進される結果、賃金も上昇していくだろう…というのがアベノミクスの主な論調だが、これに対する批判としては、①金融緩和によって期待インフレ率が上昇するか、またそれが維持されるかは不明②国債価格が暴落するリスクがあるといった批判がある。意外に思った以上にアベノミクスに懐疑的な経済学の先生方が多いのと,財政政策は一定規模にとどめておかないと財政赤字がさらに膨らむ可能性があるという懸念が多い。
 4月21日の日本経済新聞でもG20で日本の財政問題を懸念する他国のコメントが紹介されていた(名指しではないがいきすぎた通貨安誘導を憂慮する声もある)。他の先進諸国やG20かたりからすでに金融緩和が近隣窮乏化につながりかねない懸念や国債価格の下落への懸念がでており、アベノミクスの3つの柱のうち①金融政策と②財政政策については、一定のストップがどこかでかかりそうな気配である。さらに③成長戦略はかつての小泉内閣のような規制緩和路線がメインになりそうだが、この効果がでてくるのには10年ぐらいかかりそうだ。また規制緩和した事業分野が必ずしも成長分野になるかどうかはわからないというリスクもある。とはいえ、ここ数年、あまり代わり映えのしない経済政策が続いていた。二度目の安倍内閣で小泉内閣を超える成長戦略が描けるかどうかは、ちょっと楽しみだ。

脳を創る読書(実業之日本社)

著者:酒井邦嘉 出版社:実業之日本社 発行年:2011年 本体価格:1,200円
 活字は脳で「音」に変換されて言語野に送られ,その言語野で初めて「読む」という行為がおこなわれる。もともと「音」のほうが文字による伝達よりもはるか昔に発達したことと、活字を視覚情報としていったんとらえたあとに「音」に変換するのとは無関係ではあるまい。情報量としては圧倒的に映像が多く、次に音声、最後に活字という順番になるのだという(18ページ)。ただし情報量が不足している分だけ、脳は想像力でその不足を補おうとし、想像力が働く余地としては「活字、音声、映像」という順序になる。著者はここからチョムスキーの理論を紹介し,言葉の再帰性やフラクタル構造の解説をし、そこから「行間を読む」「想像力を働かせて読む」といった実際の現象を解説してくれている。
 さらに電子書籍と紙の書籍を比較し、電子書籍による「脳の進化」(想像力が働く余地)やマーキングなどについてコメントが加えられていく。一見読みやすそうな内容構成だが、テーマの「起承転結」のうち「転」が多く、「結」が慎重に表現されているが、私なりの「結」は「電子書籍と紙の書籍を使い分ける」「電子書籍の使い方に注意する」といった2つに凝縮されるだろうか。
 電子書籍のメリットはすべてを2進法的に表現するため、たとえばひとつの用語を特定の分野に限定するだけではなく、さまざまな分野で相互参照することができる。たとえば個人の蔵書をすべてPDFにして個人のパソコンのなかで所有している書籍に共通する事項を、LANで検索できるようにすると、ほかの読者にはない特定の読者の世界観が浮かび上がってくる…といった効果が期待できる。一人の作者の世界観にどっぷり浸るには紙の書籍だが、複数の著者の世界観を相互参照するには電子化のほうがおそらく適している。で、おそらくそうした個人のアーカイブを創るという作業そのものは「脳を創る」という点で、それほどマイナスの影響があるとは思えない。
 さまざまな著者による様々な言語の根底にチョムスキーの理論や再帰性という概念が潜むという指摘は、この本を読むまで意識したこともなかった。あとはここの読者が想像力でこの本の世界観をさらに押し広げて、電子書籍と紙の本のそれぞれのメリットを追求していくことが大事なのだろう。

2013年4月18日木曜日

独自性の発見(海と月社)

著者:ジャック・トラウト 出版社:海と月社 発行年:2011年 本体価格:1800円
 タイトルだけでは内容がわかりにくいが、著者は実務的マーケティングの草分けジャック・トラウト。コトラーが理論派マーケティングの泰斗とするとジャック・トラウトは実践マーケティングの現役マーケター。統計学的要素はほとんど書籍には登場せず、事例分析を中心に、製品のラインを絞込み、いかに差別化をなしとげていくべきか、その具体的方法を探る。
 戦略論の定石として、マイケル・ポーターのとなえた低価格戦略・差別化戦略・焦点化戦略の3つがそれぞれトレードオフで成立するという説が有名だ。だがマイケル・ポーターの書籍を読んでもいかに差別化していくか、といった手順は何も書いていない。ジャック・トラウトは図式化された戦略論に種々のケーススタディで肉付けし、製品の種類の絞込みとトップシェアそのものがすでに差別化のひとつの要因であることを指摘する。そして「何か」を諦めることで特定の目的に絞り込むことができると説く(たとえばフェデラル・エクスプレスはなんでも運ぶというサービスではなく、小貨物の翌日配達に絞り込んで成功した)。
 さまざまな要因がからみあう現実のなかで、どれか一つに的を絞り込んでそこに資源を傾注するというのは、リスクも分散ができないのである意味では勇気が必要だ。現在では小売商から製造業まですべてがリスク分散を図ろうとしているが、ときには特定のターゲットに絞り込んでいくことも必要になる、というのが著者の提言である。
 ただ残念なのは著者の「どこに焦点を絞り込むべきなのか、その根拠」があまり明示されておらず、さらにリスクの分散とターゲットの絞込みのトレードオフの関係が明確でないのが残念。もっともそれすら理論化できてしまうと、起業家が失敗することもゼロに近い確率になってしまうが。

2013年4月12日金曜日

フランス革命(岩波書店)

著者:遅塚忠躬 出版社:岩波書店 発行年:1997年 本体価格:820円
 「フランス革命はブルジョワ革命である」…とよく聞いたものだが、「ブルジョワ革命」が具体的にどのようなものだったのかは、この本を読むまではイメージできなかった(ちなみにこの本では「市民革命」という用語を用いない理由なども説明してくれている)。
 昔はフランス革命というと、明るく希望にもえた歴史的出来事といったイメージが流布していたが、最近ではロベスピエールの恐怖政治や、ナポレオンによる独裁政治などもひとつの流れとしてとらえ、明暗をきっちり客観的に評価するようになってきている。この本でも、フランス革命の歴史的な捉え方を2つ紹介したあと、貧しい農民の増加や貧富の格差、国家財政の破綻などの要因を検討して「フランス革命は劇薬説」をとる(そのほかの可能性にも言及しているところが好ましい)。
 フランス革命が世界史の教科書のなかでも重要な事項として説明をさかれているのは、単なる歴史的事実というだけではなく、たとえばロベスピエールがとなえた生存権の優位という考え方が、日本国憲法25条と深い関わりをもっていたり、あるいはアッシニャという紙幣の乱発によるインフレーションが食料価格の高騰を招いた事象が1985年の金融緩和によるバブル景気とオーバーラップしたりといった現代に通じる問題点と解決策の材料提供にもなっているからだ。またフランス革命の暗いネガティブな部分をロシア革命がなぞっていったことも想起されるべきだろう。このジュナイブルの本、わかりやすい語り口でかなり高度な内容を平易に解説してくれている。社会人が読んでも学ぶところ大で、しかもなおかつ面白いこと間違いなし。

2013年4月9日火曜日

評価と贈与の経済学(徳間書店)

著者:内田樹 岡田斗司夫 出版社:徳間書店 発行年:2013年 本体価格:952円
 この二人の対談を読んで思ったこと。感性の優れた著者は、「なんとなくこうじゃないかなあ」と日頃感じていたことをスパッと言語化してくれる。この本のなかにも引用されているトリブロアンド諸島の「クラ」という貝殻の交換を通じた社会構成だが、この貝殻の贈与という取引はその形が貨幣による売買取引に変化しても本質は変わらない。しっかり貯蓄するよりも貨幣をぐるぐるまわしていったほうが実は情報も質のいい情報が入手でき、社会構成の上位に位置することができる。その点で現在の不況は売買取引(贈与取引)が停滞しているわけだから、社会全体としても厚生が著しく低くなる。で、この流れを現在の生活にひきつけていくと、「人間の働く意味は誰かを養うため」という命題にいきつくわけだ(159ページ)。
 吉本興行の大物タレントは、無償で売れていないコメディアン志望の若者を飲みに連れて行ったり、あるいは生活の面倒をみた
りする。これ、だれかに強制されているわけではなく、なんとなく慣習として続いていることのようだ(芸能界ではほかのジャンルでもこうした飲みコミュニケーションはあるようだ)。これは大物タレントの慈善事業のようで実は「情は人のためならず」的な考えが根底にあると思う。それもまた贈与の経済学のひとつのあらわれだ。
 こういう贈与をめぐる体系というのは昔の日本でもお大尽様の豪遊や徒弟制度、書生制度という形で日本でもけっこうさまざまな形態でみられていたと思う。このお二人はそのうしなわれた贈与の体系を昔の日本とは違う形で現代に持ち込もうとしており、そしてそれはおそらく「成功」するんじゃなかろうか、と私などは思ってしまう。この段階で、「なんとなく思っていたことをきっちり言葉にしてくれたなあ」という満足感を抱くこと必定。
 ニートという生き方は、この本を読むと贈与の体系に一方的に「受ける側」でしか参加できないという点で「つまらない生き方」だということもわかるようになる。一見、そうは読めないかもしれないが、この本は「働けよ」というメッセージをひめた勤労感謝の本でもあるのだ。ある程度年齢のいった人間よりもむしろ20代前半の若者が読むとさらに得るところ大であろう。

2013年4月7日日曜日

日本人のための世界史入門(新潮社)

著者:小谷野敦 出版社:新潮社 発行年:2013年 本体価格:780円
 奇書「もてない男」を執筆された小谷野さんの新作。世界史のコンパクトな通史入門という捉え方もできるが、むしろサブカルチャーを含む世界史にまつわる書籍ガイドブックというとらえかたもできる。別に書籍リストがまとめられているわけではないのだが、あれっというとことで思わぬコミックや小説が著者の感想とともに著述されていて興味深い。歴史には科学法則性といったものはなく、偶然として発生した「要因」が「年号」などとともに記されている。一応通説として語られる原因と結果も、歴史研究が進むと覆されたりすることがある。フランス革命のルイ16世も30年前までは非常に評価が低いフランス国王だったが、最近ではむしろ自然科学や啓蒙思想などに敏感に対応していた業績が再評価されつつある。
 東大の教員が新入生に進める本のなかなどには、いきなりヘーゲルだの司馬遷だのといった原典が示されているケースがあるが、一部の大学を除いては、こうした新書から世界史にはいって、それから興味のある時代の原典に次第に進んでいくという方向性があっていい。「イーリアス」などいきなり岩波文庫で読むより、ブラッド・ピット主演の映画「トロイ」をまず見てみる、という方法だって当然ある。その点でこの本で、トロイの木馬とガンダムのホワイトベースを関連付けて「読ませる」展開に持ち込む著者の技法も高く評価されてよい。
 というのを前提として、以下の点は改善を望みたいのだが、やはり複数の映画や関連書籍を文中に示している場合には巻末にインデックスをつけるべきだろう。単行本はもちろんのこと新書でもそうした手間はやはり要したほうがよい。また表組がないので、名称の言語による対照なども非常によみにくい。新書だから、というよりも新書だからこそ図版にはある程度手をかけるべきだ。

2013年4月4日木曜日

日本経済を創造的に破壊せよ!(ダイヤモンド社)

著者:伊藤元重 出版社:ダイヤモンド社 発行年:2013年 本体価格:1500円
 市場競争を重視する伊藤先生の最新の著書。いわゆる「アベノミクス」の金融緩和政策・財政刺激策、そして成長戦略について分析し、成長戦略においては既存のシステムを破壊するような創造性が必要とする。インフレターゲティングについては著者は賛成の立場だが、「金融政策だけでデフレ脱却ができるかどうかはわからない」とする。成長戦略とは規制緩和などを含む広い意味での構造改革、もっといえば供給サイドの長期的な成長政策という意味合いで用いられているようだ。エネルギー問題と医療問題が例にとられているが、たとえば電力についても小売の全面自由化や発送電分離などのシステム的な政策がエネルギーの供給形態や供給量を変えるというお立場だ。
 珍しくあえてチャレンジングに、TPPに反対する立場の学者を「保護主義」的な立場と位置づけての批判が展開されたり部分もある。が、経済学的には市場原理で社会的な厚生が最大化されるのは証明されており、あとはいかに現実をモデルの最適値までもっていくかがポイントとなる。明示されているわけではないが、タイトルにも「破壊」とあるように成長戦略として供給構造をさせると、それなりに生活に打撃を受ける会社や人も増加する。理屈では確かに正しい、と思うものの、実際の政治は、TPPによってそれなりに安定している兼業農家のメリットや衰退産業の企業や従業員の声も反映していかなければならない(人や会社によっては今のデフレ安定期のほうが物価上昇率2%の社会よりも快適だ、とすることもあるだろう)。デフレによって実質債務の負担がまして企業収益を悪化させるということは認識されつつあり、「アベノミクス」がこれから実施される段階では、インフレターゲティングだけではデフレからは脱却できないという「リスク」と、成長政策を適用することでそれなりに「痛み」をしょうじることの説明が必要になってくるだろう。

2013年4月2日火曜日

立花隆の書棚(中央公論新社)

著者:立花隆 出版社:中央公論新社 発行年:2013年 本体価格:3000円
 650ページを超える単行本でしかも4色ページを豊富にとりそろえ、しかも一部は「観音折り」という製本手法が用いられている。中央部分から外(小口)にむけてページを開く製本で、単純な二つ折りよりも手が込んでいる。しかもジャバラ折りで立花隆の書棚の写真をみせるあたりはもはや圧巻で、これで3,000円は正直安い。4,000円から5,000円の価格設定も「あり」だと思うが書店は発売と同時に平積みでしかも私が購入したときには残り2部となっていたので、やはり立花隆の新刊というだけで一定の売れ行きはもう確実ということか。
 プロのカメラマンが書棚を1つ1つ何日もかけて撮影を重ね、それにコメントを加えていく方式だが、カメラマンへの謝礼だけでも相当なコストになるはずなのだが。
 もちろんこの書棚の写真をみえて「じゃあ、自分も」というのは一般人には無理。文筆専門のプロでないとなかなかビルごと建てて書籍を管理するということはできない。ではこの本が何に有益かというとガイドブックとしてもっとも使い出がある。書店でこれだけのラインナップの装丁や背を見るだけでも何日もかかるが、この本1つあれば気になる本の装丁や内容を一定程度知ることができる。アマゾンなどでも中古本は取り扱っているが、神田の古書店などではネットには出てこない書籍も多数あり(そうでないと店の経営が成立しない)、掘り出し物をぱっとみつけるときには装丁や背をみるだけでもかなりの手がかりとなる。
 それにしてもこの本の造本だけで相当にこっており、よくもまあ、この価格でこのページ数の書籍を出せたものだ。背の裏側のブルーの花ぎれとよばれるアクセントもおしゃれて、カバーはもちろん表紙も4色。ちゃんと「栞」も織り込まれているのだが、これだって1冊あたりコストが上乗せされる。中央公論新社、さすが伝統の会社の仕事である。

2013年4月1日月曜日

重版出来!第1巻(小学館)

著者:松田奈緒子 出版社:小学館 発行年:2013年 本体価格:552円
 けっこう本屋さんなどにも「重版出来」と貼り紙がしてあることはある。ただし読み方は「じゅうはんしゅったい」が正しく、「じゅうはんでき」は誤り。本文の版面を初版のまま奥付など一部のみ変更して増刷する。とある名門出版社に入社した柔道部出身の「黒沢」が一応主人公となる。ただ物語そのものは、黒沢は「入社」する前も後も変化しないので、けっこうくたびれ加減のおっさんたちの「変化」を中心に展開していく。
 「オワコン」(終わったコンテンツ)というネットスラングに衝撃をうけるベテラン漫画家やら、かつて発刊されていた雑誌が廃刊になったことを受けてフリーで活躍するある編集者など、リアリティ満載の設定。営業部や書店店員をまきこんだ販売促進など、実際に昔も今もおこなわれているプロモーションが描かれる。「船を編む」という地味な作品が映画化されるようになったのも、もともとは書店を基盤にした地味な販売促進が実を結んだ結果ではなかったか。かつての「編集王」は、ボクシングを途中で諦めて漫画編集者をめざす男が主人公で、最初から最後までどことなく哀愁が漂う展開だったが、この「重版出来!」は新人女性編集者が希望に燃えて最初から明るい展開。どっちがどうということではなくて、合わせて読むとさらに面白い。

2013年3月29日金曜日

「面白い映画」と「つまらない映画」の見分け方(キネマ旬報社)

著者:沼田やすひろ 監修:金子満 発行年:2011年 本体価格:1,200円
 「ストーリー」(物語)を13の局面に分け、ストーリーの面白さを分析する。スタジオ・ジブリの映画やハリウッドの「オーストラリア」、日本の「アマルフィ」などが題材になっている。もともとウラジミール・プロップが昔話の構造として分析した結果をもとに、著者と監修者がストーリーの面白さをさらに緻密に分析。この本にその結果と分析例が掲載されている。
 最近みた映画で今ひとつだったなあ、と個人的に思っているのが、っ巨匠リドリー・スコット監督の「プロメテウス」。この本を読んでなんで「プロメテウス」がつまらなかったのかがわかる。
 「第1幕」に相当する背景・日常・事件・決意の部分は、地球のさまざまな遺跡に共通するある種のピクトグラフが発見され、そのピクトグラフをもとにはるか宇宙の彼方に考古学者が旅立つまでが相当する。「んなアホな」という第1幕は、リドリー・スコット監督のかつての名作「エイリアン」と対比すると、あきらかに必然性も物語の深みもかける。さらに「第2幕」の苦境・助け・成長・破滅・契機に相当する部分でも、主役の女性はぜんぜん破滅せず、苦境に陥るものの「エイリアン」のリプリーとは比べるべくもない。そして最後は「対決・排除・満足」となるが、「エイリアン」でリプリーがみせた緊迫のエイリアンとの対決と比べると「プロメテウス」は非常に冗長な感じ。キャストは良かったのに、映画そのものが「つまらない理由」を理詰めで考えることができる点では非常に面白い本。だが「つまらないけれどなぜか感動する映画」とか、「面白いけれどなんだかなあ」という映画もあり、私の場合には、前者はフェデリコ・フェリーニの映画が相当し、後者には「踊る大捜査線」が相当する。面白いかつまらないかという対立軸だけでみるならば、いいのだけれど映画はイメージだけで作成されてそれがそのまま魅力ある作品にもなりうるのがまた微妙。

2013年3月27日水曜日

臆病者のための裁判入門(文藝春秋)

著者:橘玲 出版社:文藝春秋 発行年:2012年 本体価格:780円
 「訴えてやる」というやりとりは日常のトラブルでもよく聞かれるセリフだが、実際の裁判は書類作成と証拠の準備、弁護士への相談料などコストと時間がかさむばかり。この本ではある損害保険会社の窓口担当員が単に事務処理の煩雑さのために、ある被保険者の交通事故を自損自弁したことに対する裁判が扱われている。とはいっても著者はあくまでその被保険者の補佐であり、あとは地方裁判所と簡易裁判所をたらいまわしにされたあげく、ついには東京高裁に控訴するに至る。経済的なメリットは著者にはまったくなく、また実際の原告となった当事者(被保険者)も得たものはわずかばかりの金額で、ほとんど実際には名誉毀損裁判のようなもの。そしてそのプロセスから垣間見えるのは福島原子力発電所の損害賠償をめぐる気が遠くなるような交渉と裁判の事務処理だ。
 もちろんすべての被害者がもれなく福島地方裁判所や観光被害などを被った現地の地方裁判所で裁判をおこない、しかるべき損害賠償をしてもらうのが理想的だが、証拠集めや口頭弁論など時間とコストが莫大なものとなる(原告にとっても被告にとっても)。原発ADRはそうした裁判手続きにまつわるコストを軽減化するものだが、ADRでも未処理の案件が積み上がっていく。福島原子力発電所事故の後始末は、むしろこれから本格化する可能性もあり、その社会的コストを積み上げていくと火力発電のコストなどは問題にならないほどの「原価高」になっている可能性がある。
 この本で扱われているような少額訴訟、意外に10年後はさらに増えているのかもしれない。

学び続ける力(講談社)

著者:池上彰 出版社:講談社 発行年:2013年 本体価格:720円
 「リベラル・アーツ」という言葉をこれまで誤解していた。ヨーロッパでうまれた概念で奴隷を「解放」して自由民にするための「学問」をリベラル・アーツということのようだ(これまで個人それぞれが自由に学習することをリベラル・アーツというものだと思い込んでいた)。アメリカの大学は学部4年間はいわゆる一般教養を学習して大学院で専門教育を受けるのが一般的だが、今の日本の大学は一部を除いて一般教養の課程はほぼ壊滅している。専門教育に1年生から入るのが良いのか、あるいは専門教育にほとんど関係ない一般教養を2年間やるのが良いのか、という議論はつきないが、個人的にはリベラル・アーツのメリットにやや軍配があがる。ひとつにはまず大学の専門教育はせいぜい頑張っても4年間。社会にでてから定年退職まで約40年間あるわけだから、学部の専攻に左右されて、自分が履修していないジャンルへのチャレンジ精神をそこなうデメリットは大きい。著者自身もNHKに経済学部を卒業してから入社し、刑法と刑事訴訟法を独学で勉強している。また会社の仕事の合間に英会話学校などにも通学して英語を勉強。それが今の池上彰さんの下地をつくっているわけだから、大学の専門教育よりも自ら進んで学習した一般教養のほうが影響が大きいともいえる。実際のところ文学部を卒業しても社会人になった段階で会計学や法学などの素養が求められることが多くなるし、情報処理技術は文学部でも論文作成時には必須のスキルとなる。仏文学でもバルザックなど手形法などを作品に用いている場合には、あらためて学習することも必要になるだろう。狭いジャンルで定型的な発想で研究や学習をするよりも、多角的に自分の学習領域を広げておいたほうが、結果的に自らの専門性を深めることもある。本書では106ページに展開されているキーワードをみつけて、キーワードをつなげていくノートの取り方なども紹介されており、興味深い。

2013年3月26日火曜日

投手論(PHP研究所)

著者:吉井理人 出版社:PHP研究所 発行年:2013年 本体価格:760円
 「真っ向勝負」の古いタイプの投手…かつて近鉄バッファローズからヤクルトスワローズに移籍したころの吉井投手にはそんなイメージがあった。また理詰めで勝負する野村克也監督とうまくいくのだろうか、という不安もヤクルトファンとしてはあった。水と油のようにも思えたのだが意外にも吉井投手と野村監督とは相通じるものがあったらしい。野村監督も南海ホークスの監督を解任されてからロッテ、西武と渡り歩いた苦労人だが、吉井投手も抑え投手としては一流だったのに近鉄から放出されたのに等しい。ただし、この本を読む限り、単に「苦労人」というだけでなく、力勝負の吉井投手に頭を使って勝負に勝つ方法を教えたのは野村監督のようだ。コンディショニング作りこそがコーチの役目と自己を規定して、独自のコーチ理論を積み上げていくスタイルは、力勝負の投手というよりもID野球の異端の申し子といえるかもしれない。配球をリズムでとらえる、右投げ左打ちのバッターと左投げ左打ちのバッターとでも打ち方が異なってくる、瞬間瞬間の積み重ねや日常の些細なことがらを大事にする…といった考え方はまさしくプロフェッショナル。実際の生活に応用できる考え方も少なくない。野球選手の著書は日々勝負に打ち勝ってきた人間の言葉で構成されているだけに、人間対人間のアナログな場面や自分自身と対峙してなんらかの目標を達成しようとするさいに有益な部分が多い。大雑把ともみえた現役時代の著者の「外見」とはうらはらに緻密で、しかも繊細な投手の投球理論を学ぶことができる。

2013年3月20日水曜日

計画と無計画のあいだ(河出書房新社)

著者;三島邦弘 出版社:河出書房新社 発行年:2011年 本体価格:1,500円
 このご時世に新しく出版社を立ち上げた著者の奮闘ぶりと書籍に対する思い入れが語られる。キャッシュ・フロー計算書や事業計画書も作成しないで、「思い入れ」だけで直球勝負の出版社経営。しかもその経営理念に共感した従業員が7名集結して、今に至るまで経営が持続しているというすごさ。8万点以上の新刊が1年に書店に流れ込むが、発刊点数が極めて少ないのも常識破りだし、取次を通さないで書店との直接取引を重視するのも異例(ディスカヴァー社などないわけではないが…)。「原点回帰の出版社」ということで、マーケティングや市場効率性などが業務を分断し、「思い」が欠落していくデメリットも指摘。極端な原価計算と市場調査が「計画」、まったく何も考えないでいきあたりばったりに出版していくのが「無計画」とすると、ちょうどこの著者の出版社ミシマ社はその中間にあるといえる(マーケティングを重視はしないが、かといって何も考えずに編集や営業をしているわけではない)。それがタイトルに反映されているが、このご時世に紙の印刷物に思いを託していこうとする若きクリエーターには、おそらく「忘れちゃいけないもの」を著述している本として有益だろう。そして書類の山とゲラの山とに格闘している中堅のクリエーターには「忘れていたもの」を思い出すきっかけになるのではないか。「場」を作っていこうとする型破りな経営者の「思い」が綴られているが、この理念の後継者はなかなか現れないだろうし、まねっこしようとしても真似できる人間はそう簡単にはいない。したがってこのミシマ社ははからずも市場での「差別化」に成功しているともいえる。途中フリーライターに路線変更した従業員もいたようだが、それでもなお多くの従業員がその場で働いているのだから、企業としても「現時点」では成功しているといえるのではないか。それにしてもわずか7年間の編集経験で出版社を設立して、独自の「思い」で取次やら書店やらと交渉して販路も獲得していく手腕はすごい。

銃・病原菌・鉄 下巻(草思社)

著者:ジャレド・ダイアモンド 翻訳:倉骨彰 出版社:草思社 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:900円(文庫本)
 上巻は単行本で2007年だか2008年に読み、下巻は時間が経過してようやく文庫本で読み終わる。単行本がでたのが2000年だからベストセラーとなってから約13年後に読み終えたわけだが、内容はなるほど世界中でベストセラーになるだけのことはある。
 唯物史観的な発想だと、原始共産制から封建制度、資本主義と進化論的に歴史が動いていくことになる。そうした考え方では北米のように高度資本主義社会が発達している地域もあれば、ニューギニア高地のように原始生活とさしてかわらない地域もあったとき、人種の優劣の差が社会の発達の差に反映された…という考え方ができなくもない。著者はそうした歴史の「流れ」を排除し、地理的要因や自然環境などから、技術の伝播や農産物の適性などを分析して、社会のあり方を考察していく。そして、これまでの歴史書では地理的要因というのはあまり表にはでてこない分析手法で、一般人にこの本が与えたインパクトは極めて大きい。著者は理系出身の学者だが、理系や文系を問わない歴史像というのは、こうして編まれるべきものなのかと感心。翻訳も読みやすい。

目からウロコの世界史物語(集英社)

著者:清水義範 出版社:集英社 発行年:2010年 本体価格:686円
 ギリシア時代のソクラテス、マケドニアのアレキサンダー、ポエニ戦争、イエス・キリスト、中国史、ムハンマド、セルジュク・トルコとウルバヌス2世、十字軍とサラディン、ホラズム・シャー王国とモンゴル、メフメト2世によるコンスタンティノープルの陥落、中南米の歴史、グラナダ陥落とコロンブス、狂女ファナとカルロス1世、ムガール帝国、ハプスブルグ家とオランダ、エンリケ王子から産業革命まで、、ケマル・アタルチュク、ガンディーと、なんと世界史数千年をA6判の文庫本451ページにまとめてしまった本。しかも面白い上に解説は斎藤孝という豪華な造り。ややイスラムの世界史の解説にページがとられ、中国の歴史は簡略化されているが、やはり著者はイスラム文化に興味がひかれているようだ。最近の高等学校の世界史の教科書も中南米の歴史や、イスラム文化などについて取り扱いの比重を高めつつあるが、そのデメリットとしてますます世界史のさまざまな事項が、知識偏重になっている印象を受ける(というよりも限られたページ数で、扱う項目が増加すれば、年号と事象の羅列になるのは避けられない)。で、扱わないよりはむしろイスラム文化も中南米の歴史も掲載しておいたほうが、後日、イスラムとヨーロッパをめぐる近現代の事象を解読するさいにも有用という面もある。知識と知識の流れを掴むのには結局それぞれ個人が一般書籍で理解を深めていくより方法はないが、そもそも歴史的知識がなければ流れすらつかめないのだから、やはり知らないよりは知っておいたほうがよい。で、この本は「流れ」を掴むのに非常に適している。もちろん幾分かは遊び心も入っているので、厳密な歴史書というわけではない。ただ、教科書とは異なる大づかみの歴史を知ることができるという意味では出色だ。
 近現代史を重視すべき、という意見もあるが、個人的にはその立場には与しない。イスラム教が生まれてきた流れや、イスラム教とキリスト教が対立するようになった所以などは近現代史のさらにその前提となることがらだ。考古学までさかのぼらなくても、少なくとも有史の一定の知識があって、現在の日本や国際情勢を深く理解できるものだと思う。中国の歴史を振り返れば、中国の最近の覇権主義についても理解が深まるし、フランク王国からローマ帝国の歴史をみればEUがそうそう簡単には全面的に解体することもないことがわかる。そしてパレスチナ問題も含めてイスラム教徒とキリスト教徒の相互理解は、個人レベルでは一定程度達成できてもある一定の組織どうしとなれば今後100年や200年では和解などは成立しえないことも。あ、アラブ民族とトルコ民族が違うっていうこともこの本で理解できるので、そうした理解をもってほかの歴史の書籍にあたればより歴史に興味がもてるようになるとも感じる。

2013年3月18日月曜日

発火点(文藝春秋)

著者:桐野夏生 出版社:文藝春秋 発行年:2012年 本体価格:552円
 「戦う美形の小説家」桐野夏生の対談集。対談の相手も非常に手ごわい顔ぶればかりで松浦理英子、皆川博子、林真理子、小池真理子、柳美里、坂東眞砂子、西川美和といった作家が中心で、たまにまぎれこんでいる重松清、佐藤優、原武史といった人たちが可愛くみえる。なんかこう桐野夏生の小説を読んでいると、ドロドロの世界を髪の毛をつかまれてひきずりまされているような居心地の悪さを感じることが多いのだが、「読んですっきり快適」といった小説は後に何も残らない。後味が悪いくらいでちょうどよいのかもしれない。
 タイトルが「発火点」とあるように極めて友好的に会話が進んでいるケースもあれば、佐藤優氏との対談のように桐野夏生が意地悪く「でも逮捕されちゃったんですよね」と切り込んでいく対談もある。摩擦が生じてそこから炎がたちあがるという意味では、稀代の読書家佐藤優氏との対談が個人的には非常に興味深いものがあった。
 「ふふふ…逆に破壊してしまうかもしれない」と話す桐野夏生、やっぱり実際にあったら怖いよなあ…。その一方で「情けない男は好きです」と言い切る義侠心みたいなものまで散見できて面白い。

2013年3月4日月曜日

働かないアリに意義がある(メディアファクトリー)

著者:長谷川英祐 出版社:メディアファクトリー 発行年:2010年 本体価格:740円
 自分自身が農学部出身ということもあり、農業生物学的な書籍には親近感をいだく。「アリ」(というかハチなども含めて特殊な集団構成をもつ真社会性生物)をテーマにして、素人の読者にもわかりやすく解説してくれたのがこの本。真社会性生物のさまざまな特性と、「まだわかっていない領域」についてコンパクトに語られている。ビジネス書籍としてこの本が紹介されていることもあったが、個人的にはリドリー・スコット監督の「エイリアン」を連想しながらこの本を読んだ。
 アリやハチの世界は女系世界で、「エイリアン」の世界も明らかに女系世界。エイリアンのほとんどはいわゆる「ワーカー」(働きバチ)で、大半は寄生可能な生物が「卵」によってくるまで「休眠」している状態だ。アリの情報伝達は接触刺激か「反応」になるが、エイリアンの場合、相互の情報伝達は事前に遺伝子にプログラムされたなんらかの「意図」がありそうだ…。アリやハチの集団社会と人間の集団社会とを比較しても確かに面白いかもしれないが、情報伝達や人間の場合、必ずしも「遺伝子を長期的に残す」というのが集団目標にはなっていないこともある。だから映画などと連想しつつ、この本を読むと意外にさらに面白いのかも。
 ムシの世界にも公共物への「フリーライダー」(ただ乗り)があるというのははじめて知った。ほかの虫などにまぎれこんで自分の遺伝子を残そうとする種のことだが、公共物のフリー・ライダーは近代経済学でもテーマになる問題(人間の社会では取引という概念を持ち込んでフリー・ライダー問題を解決する方法などがある)である。アリやらハチやらでもフリー・ライダーが存在するというのは「群」(あるいは社会)が存在するうえで不可避の問題なのかもしれない。