2013年8月5日月曜日

ジーン・ワルツ(新潮社)

著者:海堂尊 出版社:新潮社 発行年:2010年(文庫本) 本体価格:520円
 官僚を多数生み出す「帝華大学医学部」に務める曽根崎助教は、顕微鏡下体外受精を専門とし、講義のかたわら、新研修医制度や産婦人科希望の医者が激減した影響で閉院間近となっているマリアクリニックで診察もおこなっていた。そこに受診に訪れた5人の女性は,いずれも大きな問題を抱えていた‥。
 いわゆる「代理母」や新研修医制度による地域医療の衰退、産婦人科で実際に発生した医療事故をめぐる逮捕などをおりまぜつつ、「物語」はミステリー仕立ての見事な結末を迎える。しばしば、厚生労働省や日本産科婦人科学会などには批判的な意見を主人公が述べるが、確かに現場で妊婦を診察している医者と行政にたずさわる官僚とでは意見やものの見方が大きく異なってくるのはやむをえない面がある。この「行政の倫理」と「現場の医者の倫理」の対立点がまさしくこの物語の結末につながっていく。読者によっては、医療の論理に肩入れするケースもあるだろうし、逆にまた厚生労働省の論理にも一理も二里もあることは認めざるを得ない場面もでてくるだろう。私個人は、自分の目の前に代理出産を希望する人間がいないこともあるが、行政や司法の論理にもそれなりに尊重するべき部分が多いだろう、という立場だ。
 日本の場合、生物学的親子関係が法律的親子関係には必ずしもならない。代理懐胎そのものが国内では認められていないこともあって、最近はインドなど海外で代理懐胎をおこなうケースが増えているようだ。しかしその場合でも国内法では、生まれた子供の母親は「分ぺん」の事実によって判断される。これ、意外に非人情に聞こえそうだが、法律的親子関係を一義的に決めておかないと、遺産相続の問題や親権の問題などが確定できなくなるというデメリットがある。「子供が欲しいから代理懐胎した」というケースであっても、その後育児放棄や離婚などによって子供の帰属が宙にうくということも起こりかねない(いや、実際に発生している可能性がある)。遺伝子的に親子関係であっても、法律で「分ぺん」という事実関係以上に踏み込んで親子関係を認めていくには、まだまだ社会の基盤は未整備だ。もちろん未整備のままでいいわけではなく、遺伝子的親子関係を戸籍法などでも認めるならば、「代理母」と子供の関係や子供の養育義務をおう親権の中身をもっと厳密に定義するべきだろう。
 重たいテーマを扱っているにもかかわらず読後感は意外に軽い。主人公が重たい過去を引きずりつつもけっこう強気で前向きに、そしてしたたかに生きているせいか。

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