2010年8月31日火曜日

バブル女は「死ねばいい」婚活、アラフォー(笑)(光文社)

著者:杉浦由美子 出版社:光文社 発行年:2010年 本体価格:740円
 ネット用語を使ったタイトルが目を引く。「シネ」というのをわざわざカギカッコでくくっているところがまたズルイ。女性執筆者による昭和40年~43年生まれの世代を対象にした「バブル世代論女性版」。ただし著者自身が「その次に生まれてきた団塊ブーマー世代」のためか、上の世代に対するルサンチマンには奥深いものがある。「何もそこまで…」とは思うものの、経済が一番好調なときに青春時代をおくり就職活動をし、バブルがはじけてから割りのあわない青春時代と就職活動をおくってきた世代とではやはりメンタリティが相当に違うものだろう。ま、マクロ論なので個別具体的事例でいえば別にバブル世代の女性が一様に女性フェロモンをふりまき、年上の男性を財布代わりにし、結婚相手には将来有望な30代世代を狙う…てなことはない。まあ、そういう女性もいるのかもしれない…という程度だが、こういう世代論もあと10年が経過すればまた別の展開を見せる。ま、アラフォーという言葉そのものもおそらく10年後は死後になっているので、この本は「時代の雰囲気」をとりあえず表現してみました的な作品ととらえればいいだろう。
 ただ書籍のなかで「男性はオッパイのために働き、女性は子供のために働く」という指摘は鋭いと思った。なんらかのモチベーションが男性にあるとすればやはり究極的には「オッパイ」ということになるのかもしれない(それが母性であれセクシャルなものであれ)。いろいろな人がいるが、男性だけは年齢にかかわりなく、20代はバブリーな世界にすごしたオッサンも、40代を過ぎれば見事なまでに昭和世代の伝統を継承していたりするから不思議。「あんなオッサンにはなりたくない」といいはっていてもいつかはそうなっているという不可思議。これだから「アラフォー女性論」は本として商売になっても「アラフォー男性論」はなんら生産的な物語などつむぐことがなく、ただただひたすらに物悲しいというのが現実(笑)。

2010年8月30日月曜日

デジタル教育は日本を滅ぼす(ポプラ社)

著者:田原総一朗 出版社:ポプラ社 発行年:2010年 本体価格:1400円
 緊急提言!と銘打っての発売。ipodが発売され、2020年度までの端末機器導入などの政策予定なども公表された時期にはタイミングのいい出版だ。5つの章だてになっているが、肝心のデジタル教育とその影響については簡単にe-mailやツイッターなどの使用と最近の学生気質について関係が考察され、その関係性が維持されたままと仮定してデジタル教育が普及すれば、同じようなコミュニケーション能力の欠如などの欠点を内包したままデジタル教育は破綻するのではあるまいか、ここで教育の目標を確認してはどうか…という著者の提言である。
 実際に情報機器の利用がコミュニケーション能力の欠如を生み出している、あるいは助長させているという分析が正しいかどうかがまずわからない。(そもそも1995年以前にもコミュニケーション能力の不足や5月病などの現象は報告されていた)。便利なことが人間を豊かにすることではないという著者の問題提起は正しいが、「それでは教育の目標を明らかにしよう」というのではやや安易な問題提起ではなかろうかという印象ももつ。個人的には第3章で戦後の教育改革の流れをまとめて分析している箇所がこの本の長所であって、「これから」の問題提起をおこなうのにはやや実証データが不足しているのではないかと思う。文部科学省のこれまでの行政に「実証データによる裏づけが少なかった」「日教組による学力テストの実施の困難さ」などが指摘されているがゆえに、「だったらデジタル教育の問題」についても実証データを巻末にでもつければ良かったのではないか…という不満もある。
 京都のH高校の教育の成果などの事例が紹介されてはいるものの、あとは著名人のインタビューなどで構成されている要素が強く、「ちょっとこれでは内容に不満をもつ読者が多いのでは」という気持ちもあり。すでに「よのなか科」や「百マス計算」については個別の書籍で別途紹介されているという実情もあるほか、文部科学省のホームページには詳細な資料がアップロードされているので、もう少し踏み込んだ議論を続く書籍に期待する。
 おそらくデジタル教育の長所・短所を洗い出すのにはアメリカ、韓国、EU諸国、中国といったほかの国々の教育と比較分析をするのがひとつの有効な方法になるのではないか。国際性という観点からはPISAや「危機に立つ国家」などが紹介されている程度でちょっと著述が弱い。またインタビューをした該当の方々の関連書籍や参考書籍についても巻末に付録が欲しい

2010年8月29日日曜日

大聖堂 果てしなき世界 下巻(ソフトバンク クリエイティブ)

著者:ケン・フォレット 出版社:ソフトバンク クリエイティブ 発行年:2009年 本体価格:950円 評価:☆☆☆☆☆
 1346年から下巻が始まる。この1946年にフランス王太子はアキテーヌ公国へ侵攻。イングランド王はノルマンディへ、そしてクレシーの戦いでフランス王はイングランドに大敗する。その一方でいったんは退治されたと思われたペストがまた復活の兆しを見せる…。キングスブリッジの人口のうち約7分の1が死亡し、修道院の修道僧は集団逃亡、絶望のきわにたったかと思われたそのときに、大聖堂の再建設が始まる…。
 身近な農地や城壁の内側だけが「世界」であった人々のなかに、「大聖堂」を通じて「神」「宇宙」といった広大な概念とつながる回路が描かれる。ラストは前作と同じく読者を裏切らない展開へ。世界は絶望の物語ではなく希望がもてる展開でなければここまで続きっこない、っていう物語のとりあえずの「終結」まで中世を舞台にした人間模様がたっぷり670ページ!!

2010年8月28日土曜日

大聖堂 果てしなき世界 中巻(ソフトバンク クリエイティブ)

著者:ケン・フォレット 出版社:ソフトバンク クリエイティブ 発行年:2009年 本体価格:950円
 1337年6月から中巻が始まる。スクワイア(騎士見習い)から騎士、そしてシャーリング伯爵となったラルフと農地をもとめるグウェンダの悲痛な場面から始まる。「領主は農民と取引などしない」という冷徹な言葉が封建制度のなんたるかを簡潔に表現している。「市」がすでにキングスブリッジとシャーリングの両方にとって大きな利権(税収入)を生む土壌となり、市場を活性化するための橋の建築が不可避となる。そして羊毛産業だけでは街がなりたたなくなり、キングスブリッジは布産業への下流へ展開していく。1346年エドワード3世はポーツマスで艦隊を結成し、フランスに上陸。100年戦争で荒廃したフランス本土に修道女2人がわたり、凄惨な戦場を修道女が変装して渡り歩く場面が印象深い。フィレンツェで家族を失った石工は再びイングランド戻るが、ペストの襲来の予兆はイングランドにも現れてくる…。
 魔女狩り、100年戦争、ペストの3つの大きな世界史的事件を背景に架空の街キングスブリッジで芽生えようとしていた自由都市の機運と修道院、封建制度の規制とが対立し、個々の登場人物は人間関係と制度の両方に翻弄されていく。上巻に引き続いて一気に朝までかけて読みぬいてしまう面白さ。

2010年8月21日土曜日

大聖堂 果てしなき世界 上巻(ソフトバンク クリエイティブ)

著者:ケン・フォレット 出版社:ソフトバンククリエイティブ 発行年:2009年 本体価格:950円 評価:☆☆☆☆☆
 「大聖堂」シリーズの続編で前作の子孫の人間模様が描かれる。1327年に物語は始まるが中世14世紀といえば、封建制の崩壊、ペストの大流行、独立自営農民の誕生、ワットタイラーの乱、100年戦争。そして前作では騎士道精神が形式上尊ばれたが、銃などの発明により騎士道そのものが没落して戦争のあり方も変化を見せる時代だ。
 上巻では、修道院が統治するとともに商工ギルドも支配権をもつという独特の「都市」になったキングスブリッジで、商業を中心に街をたてなおしていこうとする登場人物と神の道を説くばかりに独善的になった修道院長の姿が描写される。
 エドワード3世の時代にフランスとの関係は悪化し、イタリア商人との貿易も戦争のために困難になりつつある時代。架空の街キングスブリッジでは商工業者と聖職者との暗黙の闘争が始まる。

2010年8月20日金曜日

大聖堂 下巻(ソフトバンク クリエイティブ)


著者:ケン・フォレット 出版社:ソフトバンク クリエイティブ 発行年:2005年 本体価格:857円
 上巻・中巻では言及がなかった十字軍やイスラム商人の影がちらついてくる。そしてロマネスク様式からゴシック様式への変化も描写され、壁に「ガラス」を使用するというアイデアもうまれてくる。
 この「大聖堂」がミステリー小説ともよばれるのは、冒頭の謎の「処刑」の理由が最後になって明かされるから。実際、「なるほど、そういう可能性も確かにありうる」とも思えるラストが面白い。権力志向のウォールランのラストも泣かせる。
 読んでいると必ずしも目標や理想と現実が一緒に歩むわけではないが、また途中で力尽きて倒れる人もいることはいるが、あるべきところに人は落ち着く…ということが飲み込めてくる。理不尽なことがないでもないが、それでも「大聖堂」というシンボルのもとに民衆が結集していく様子は見もの。「ビジネスにも役立つ」といっている人がいたが、確かにそのとおり。具体的な目標を設定して、その目標にむけて人心を統一していくプロセスは、「営利」という目標のもとに労働力を結集させる株式会社とよく似ている。キリスト教(カソリック)と騎士道精神、そして東方のイスラム文化の勃興といった12世紀イングランドの迷信深い、しかし今と変わらない人間模様が緻密に描写されている。ああ、そういえばカソリックの組織体系と会社の組織体系は「社長=大司教」と置き換えれば、まったく行動原理は同じ。「大聖堂」を建立しようとする石工の姿は、乏しい資本力で大規模事業をなしとげようとする現代の起業家にも似ている。

2010年8月16日月曜日

大聖堂 中巻(ソフトバンク クリエイティブ)

著者:ケン・フォレット 出版社:ソフトバンク・クリエイティブ 発行年:2005年 本体価格:848円
 12世紀前半の英国の架空の街キングスブリッジで進行していく大聖堂の建築。うららかな幸せを予感させる上巻とは裏腹に、すでに読む前の文庫本の背に印刷してある短いストーリー紹介やこの赤をトーンにした表紙が、「地獄」への入り口を予感させる。
 スティーブン王と女帝「モード」との権力闘争は泥沼化しているが、一時は「モード」の捕虜となったスティーブン王が再び立ち上がり、国内は再び戦闘状態に陥る。歴史の教科書的に考えると十字軍によってイスラム文化圏が西欧に持ち込まれ、英国ではロジャー・ベーコンが登場。騎士道文化がもてはやされ、大聖堂といえば、ロマネスク様式が中心の建築美術がゴシック様式に移り始めるころ。主要な登場人物である建築技師トムがめざしている大聖堂もまたロマネスク様式の大聖堂のようだ。そしてこの中巻ではまだ教会が権威を保ち、学問は修道院で行われている。もう一人の主要な登場人物が羊毛をフランドル商人に継続的に売り上げて巨額の富を築き上げていくプロセスが描写されているが、「市場」がようやく形を見せ始め、教皇権が次第に衰退していくとともに、商人が大きく力を伸ばそうとしている時期でもある。十字軍もイスラム文化もこの物語ではあまり形にはでてこないが、世界史の流れのなかで、「貿易」や「取引の拡大」が意味を持ち始める時期でもあった。現に物語の中では「羊毛を来年売って、先に現金を受け取る」という先物取引の萌芽のような取引も描写されている。一種の商業ルネサンスの時代だ。また商人ギルドもしくは同職ギルドの萌芽もこの物語には描かれている。
 司教と修道士の微妙な違いもこの物語で細密に描かれている。清貧・貞潔・服従の三つの誓いを立てた修道士と、リアリティな政治にも関係をも司教のキャラクターの違いがそのまま登場人物のキャラクター設定の違いに反映してきているのが興味深い。この物語の修道士は世界最古の修道士会規則をもつベネディクト修道士会という設定になっている。
 細かいエピソードも興味深い。印刷技術の発達によりラテン語中心の書籍がフランス語中心になるのはだいたい15世紀とされているが12世紀前半のこの物語にはフランス語で書かれた本があるということに登場人物が驚く場面がある。これ、あれこれ考えていくともう上巻・中巻は一気呵成に読んでしまうが、ちょうどこの2冊で1つの世代が次の世代に移り変わってしまう。多くの登場人物の「人生」が凝縮されたこの2巻だけでも十分楽しめるが、やはりこの次の下巻をはやく1ページでも読みたい…。

日本経済のウソ(筑摩書房)

著者:高橋洋一 出版社:筑摩書房 発行年:2010年 本体価格:740円
 日本銀行により一層の量的緩和と公的部門のメリハリのついた財政政策をとなえる新書。郵政民営化については財政投融資が廃止されたことにともない、将来的に資金運用方法のノウハウを蓄積しないと税負担がさらに重くなる可能性を指摘。確かに、もはや財政投融資制度がない今、外資系に対抗しうる業務展開をしておかないと、将来的には巨額の預金を抱えたまま右往左往するはめになりそうな気がする。
 個人的には日本銀行の懸念も理解できるふしがあるほか、いったんインフレ傾向になったら、過剰流動性の懸念がある現在、ハイパーインフレになるリスクも織り込んでおく必要性があると考える。したがって、失業率なども中央銀行の目標に加えるべきという筆者の主張にも一定の理屈があると思うが、いまは意図的にデフレ気味のマネーサプライ供給を実施している日本銀行の努力に目がむく。総体としては小さな政府と市場原理による財政政策も市場の原理にゆだねたほうがよいという筆者の主張には賛成。ただし、中央銀行の金融政策や目標設定については、諸外国の例をもちだされてもやはりインフレの加熱は心配だ。通貨管理制度でマイルドなインフレにおさえることができる…のはともかくとして、マネーサプライがいつ供給を飛び越えてしまうのかは、実は市場がどれだけ冷静に対応できるのかという予測不可能性によるところが大きい。実際にこれ以上の量的緩和をしてみたら、予想以上に総需要が高まってしまい、かえって前よりマクロ経済は悪くなってしまった…ということだってありうる。今は金融政策うんぬんよりも、誰もが予想しない財政政策の目玉を考案するほうが優先順位が高かろう。

2010年8月15日日曜日

大聖堂 上(ソフトバンク クリエイティブ)

著者:ケン・フォレット 出版社:ソフトバンククリエイティブ 発行年:2005年本体価格:852円
 ヘンリー1世の死後、プランタジネット王朝が始まる前の戦乱の12世紀を舞台に、建築職人のトム、ウェールズ生まれの修道院院長フィリップは大聖堂の建築を夢見る。その夢を具体化するためには、いくつもの陰謀と障害を乗り越えていかなければならなかった…。表見返しにはヘンリー1世の関係者が多数遭難したホワイトシップ遭難事件が簡単に紹介され、その後いきなり絞首刑の場面が始まる。そして謎の呪いをかけられた司教たち。上巻では1123年から1137年までが描写。スティーブン王への反乱をこころみたかどで、バーソロミュー伯爵は廃位させられ、その領地の一部を獲得することに成功したフィリップとトム。ただしその生き残りである娘のアリエナはかぎりない辱めを受け、司教ウォールランはフィリップに対して憎悪の炎を燃やす。重苦しく単調と思えた中世に幾多の人間が織り成す複雑な人間模様が進行していくぢ2部の始まりとともに上巻が終わる。

2010年8月14日土曜日

日本のブルーオーシャン戦略(ファーストプレス)

著者:安部義彦 池上重輔 出版社:ファーストプレス 発行年:2008年 本体価格:2200円 評価:☆☆☆☆☆
 「ブルーオーシャン戦略」(ランダムハウス講談社)も名作だが、名作の名作たるゆえんで、なかなか日本人である自分の身近な生活に近づけて考えることができない。そこでブルーオーシャン戦略を日本企業にあてはめて考えていくとどうなるか…を解説してくれたのがこの本である。最近は書店ではこの2冊が並んで置かれているケースも多いが、非常に面白い。いくらブルーオーシャンでも需要数がある程度見込めなければ意味がなく、それは「マスをとる」というような表現でこの本は著述している。またバリューカーブや戦略キャンバスといったツールで、他社には追随できないブルーオーシャンを開拓していく道筋も解説してくれている。なかなか戦略を描写することができないのがブルーオーシャンのブルーオーシャンたるゆえんだが、何か一定の道筋に向けて努力していて、途中わき見をしてみるとそこに思いもかけない「ブルーオーシャンがあった」というのが実際のところだろうか。価格や販売促進など地道な努力は必要だが、そのさらに向こう側に突き抜けることができた企業の事例と解説が豊富。面白い。

頭がよくなる経済学思考の技術(中経出版)

著者:木暮太一 出版社:中経出版 発行年:2010年 本体価格:1429円
 変形サイズの単行本。文字の級数が大きくて読みやすいが、変形だと持ち運びにはやや不便。カバーも規定のサイズが使えないのが難点か。色は緑色で書店では目立つように配慮されているのはポイント。
 内容的には、ルール、インセンティブ、プレイヤーの3つが具体的な市場(たとえば労働市場)でどのように均衡していくか…と分析している。必ずしもすべての議論に納得できたわけではなく、一部は「後知恵ではないか?」といいたくなる部分もないわけではない。ただし寡占市場における価格の均衡(自動販売機の飲料の価格など)など、実生活に有用な分析がわかりやすく解説されている点は評価できる。グラフや数式がまったく掲載されていない経済学の本というのも新鮮さがある。こうした文章を端的に表現するのが数式の役割と考えれば近代経済学のエッセンスをより短時間にマスターすることも可能になるだろう。
 年金制度についての著者の分析については個人的には疑問符。ただ、今の時代をとりまく経済学的問題がだいたい網羅され、それに果敢にチャレンジしていこうという姿勢はやはり高い評価。

2010年8月6日金曜日

ビジョナリーカンパニー②(日経BP社)

著者:ジェームス・C・コリンズ 出版社:日経BP社 発行年:2001年 本体価格:2200円 評価:☆☆☆☆☆
 発行から10年が経過しようとしている本だが、第1作よりも高い評価を受け、さらにロングセラーが続く名作。アメリカの企業を抽出して統計学的に裏づけされた理論をわかりやすい用語で紹介。個人的にも第1作よりもこちらのほうがしっくりする感じがする。
 リーダーシップについても、謙虚さと職業人としての意志の強さを兼ね備えた第5水準のリーダーシップが一番重要とし、規律タイプのリーダーは一種危険ですらあると説く。またきわめて厳しい現実をみつめつつ、理想もしくは目標はゆるがせない(ストックデールの逆説)。特に有用だったのは「はずみ車の理論」。ゆっくりゆっくり力を加えているうちにいつのまにか加速がついてはずみ車が回転していく…というイメージは企業にも個人にとっても重要な「イメージ」ではないかと思う。「あれが転換点だったのだ」と自覚できる瞬間などはほとんどないが、気がついてみると5年前と今とでは確実に変化しているコトがある。それが「はずみ車」の理論で、努力を続けているのに成果がでない…という一種の高原現象に陥っている人には、かなり勇気付けられる理論ではないかと思う。

2010年8月1日日曜日

カバチタレ! 文庫版第9巻・第10巻(講談社)

著者:田島隆・東風孝弘 出版社:講談社 発行年:2007年 本体価格:760円
 週刊誌連載当時、そして単行本、さらには文庫本と3回読んだことになるが、やはり面白い。実際にはありえないが、行政書士事務所の補助者である主人公が、日常業務にくわえてぶちあたる法律の壁。第9巻では内部告発がもとで国土交通省から行政処分を受けた工場の経営のために奮闘する。行政不服審査法上の審査請求まで申し立てるのだが…。実際にはここまでやると事務所の存続すら危ない上に弁護士法にもふれかねない。それをたくみにかいくぐって、審査請求書を提出する…。第10巻ではパートでがんばりながら二人の子供の面倒をみるシングルマザーのために奮闘。胸が痛くなるような生活の描写と行政書士事務所の正義感が熱い。もっとも現実をさらにみつめていけば、こんな行政書士活動を続けていれば2年もたたずに、あちこちからつぶされてしまうのは明らかではあるのだが…。

出会い系のシングルマザーたち(朝日新聞出版)

著者:鈴木大介 出版社:朝日新聞出版 発行年:2010年 本体価格:1100円
 おりしも、23歳の風俗店勤務のシングルマザーが、わが子二人を放置して死に至らせる事件が発生した。この母親の場合には、ご主人と離婚して、出会い系ではなく風俗店で勤務していたので、この本に登場してくる女性たちよりも所得的には余裕があったものと推定できる。住んでいたワンルームマンションもお店の借り上げなので、家賃も払えないという状況ではなかった。むしろホスト遊びに夢中になっていたというから、お金に困る状況ではなかったわけだ。
 似てはいるが決定的に違うのは、出会い系のシングルマザーにはまず「お店」で働けるほどの美貌や自信がない。さらには、精神的にもおいこまれており協調性にも欠けるという分析がなされている。これではまず風俗店で勤務することができない。さらには生活保護の申請にも通りにくい。書類仕事がそもそも苦手で、だからこそ手軽に携帯電話で出会い系で「稼ぐ」わけだが、本人たちには売春をしているという自覚はなく、「友達を作る」「さびしさをまぎらわす」といった側面が強いようだ。事務処理的なピラミッドでも最下層で、風俗店に勤務することもできず、かといって前のダンナは賭博やDVのダメ男で養育費ももらえない…という四面楚歌の状況。ただしわが子との家庭だけは大切にしていきたいという思いをもっている。だからこそ風俗店で勤務してホスト遊びをする女性であれば、「子供が邪魔になる」という発想もでてくるかもしれないが、このシングルマザーは逆に「子供がすべて」ということだ。児童福祉施設などに預けるなどはもってのほかで、なんとか親子(父親なし)の生活でがんばろうとしているというのが特徴的。所得階層としては信じがたいほど低いレベルでさらには実家との関係も疎遠。こういう出会い系のシングルマザーがかつて歴史上存在したのかどうかはわからないが、行政が手を差し伸べるにはあまりにも特殊な状況で、かといって警察が彼女たちを逮捕すれば、その微妙な家庭は壊れてしまう…。家庭にはいくつもの不和の原因や不幸の原因があるが、こうした微妙な問題に切り込んだ週刊朝日の取材は見事。全部が全部ペンキで塗りたくったような不幸せではなく、ここには母親がかかえるトラウマと、子供が今後抱えるであろうトラウマの「種」がいくつもいやになるほど紹介されている。