2012年8月29日水曜日

プロ野球 勝ち続ける意識改革(青春出版社)

著者;辻発彦 出版社:青春出版社 発行年:2012年 本体価格:848円
 ヤクルトファンの私は、西武から辻選手が入団してきたとき「信じられん」と思った。日本シリーズで伝説に残る1991年、1992年の2年間にわたり対戦し、ヤクルトファンを最後まで苦しめたのが、辻選手。入団してからもベテラン選手に注意したり、統率したり、あるいはショートの宮本選手がお手本となるべき存在として辻選手の名前をあげるなど、目にみえる打率や打点以上に1990年代のヤクルトに大きな遺産を残した選手である。その辻氏が広岡監督、森監督、野村監督、王監督、落合監督などにつかえた経験値をさらに書籍という形で凝縮したのがこの本。タイトルは「意識改革」となっているが、これは編集サイドでつけたタイトルで、むしろフォロアーシップの在り方や「鍛錬の方法」など意識の「向上」に重点が置かれているように思う。いずれも歴史に残る名監督ばかりが例にとられているが、その共通点や相違点を選手として、あるいはコーチとして分析し、野球ファンに伝えてくれていることこそが有意義だ。
 もともと努力型の選手だったということもあるかもしれないが、「意識」については常に「上積み方式」(過去の意識にさらに改良を加えていく方式)と分析(采配のかげにある理論をみぬく力)が卓越している。普通の野球選手であれば、走塁中のイチローの何気ない視線や監督との何気ない会話などは記憶にもとどめていないはずだ。それができたからこその名選手、名コーチ、そしていずれは名監督候補にもなりえたのだろう。最初から「金」のような存在であれば、こうした視点や分析能力はなくても一流になれるのかもしれない。ただしほとんど多くの人間は「金」ではないので、着実に着実に上積みを積み重ねたり磨いたりして「いぶし銀」のような鈍く、しかししっかりした光で一隅を照らす。辻氏のこの本にはほかの野球関係者の書籍にはない「いぶし銀」のようなしっかりした光を感じる。

2012年8月28日火曜日

秘密とウソと報道(幻冬舎)

著者:日垣隆 出版社;幻冬舎 発行年:2009年 本体価格:740円
 情報を大量にもっている人間とそうでない人間との攻防戦は面白い小説になる。推理小説などでもたまに見られるが、完全な情報をもつ犯罪者とそれをおう探偵や警察の攻防戦は面白い。さらにいえば、まったく勝負にならない攻防戦よりもある程度情報量が均衡していてそれがわづかな差であるほうが盛り上がる。
 この本では、「秘密」を知るターゲットと「秘密をかたる虚言癖のひと」、そしてそれを取材源とする「報道」の三者をおもに取り扱っている。「取材」である以上は「秘密」を知る人に肉薄しなければならないが、その過程で大誤報につながりかねない「虚言癖」のひとへの注意事項がまとめられ、それが取材源などに対する倫理や報道のあるべき視点の多様性といった話に展開。足利事件や外務省機密漏えい事件などが題材となっている。
 人的行為による犯罪や事故などでは必ずだれかが真実を知っている。ただしそのプロセスでノイズが多数入ってくるが、それを除去する作業は案外ウェブが発達したからこそ大変な時代といえる。この本はマスコミが主な「書き手」として想定されているが、個人レベルでも「思い込み」「偏見」「根拠のない事実」などにふりまわされることはあるもの。一元的なモノの思い込みや型通りの判断では、「真実」(おそらくそうであろうと思われる事実と一定の根拠ある見識)にはせまれないということだろう。
 「踊る大捜査線」もそうだし、ハリウッドのミステリーもそうなのだけれど、最近の犯罪者はとてつもないIQをもった天才という位置づけにしいてることが多い。科学的捜査と圧倒的な人的資源をかかえるFBIや警察を相手にしては、そういう設定にしておかないと、見ごたえのある攻防戦というのはなかなか設定しにくい。が、この本を読んでいるうちにもう1つの可能性もあると思った。
 真犯人はきわめて平均的人間だが、環境が「ウソ」を招きやすい環境で、探偵もしくは警察は「真実」になかなかせまることができないという設定。いやいや、これはストーリーになるぞ、と思ったら、よく考えてみたら、それは芥川龍之介の「藪の中」という名作がすでに…。

2012年8月26日日曜日

「アレはなぜ合法なのか?」(経済界)

著者:間川清 出版社:経済界 発行年:2012年 本体価格:800円
 購入して読み終わったあとに経済界の新書シリーズであることに気づいた。昔は独特の編集方針による独特のトーンの雑誌がメインの出版社だったが、英語特集なども雑誌で組み、料理の書籍なども発行しているようだ。ある意味では消費者のニーズの多様化にだいぶ柔軟に適応しているようなイメージを受ける。新書サイズの書籍も四六判のビジネス書籍などのニーズをより低価格で受け止める土壌があるし、法律・経済・ビジネス関係の新書書籍はこれからも多数発行されていくのだろう。では四六判の書籍の果たすべき役割は…という新たな模索は始まるが。
 内容的には弁護士の著作物ということもあり、相当にプライバシーなどの配慮されている。明らかに「あの有名人の…」と思わせるエピソードまでもが抽象的にぼかされていて、ここまで配慮しなければならないのか、と逆に本文そのものに驚く。
 刑法の事例がメインだが相続や道路交通法、親族法などの事例も扱われている。なかなかこうした新書で法律のイメージをつかまえるのは難しいが、逆にこうした新書から法律の世界に入って入門書を体系的に読み解いていくという方法だって考えられる。「ブラック企業で働いている店長は労働法で守られているか?」など興味深い事例もあり。

2012年8月25日土曜日

偽善系(文藝春秋)

著者:日垣隆 出版社:文藝春秋 発行年:2003年 本体価格:686円
 週刊「エコノミスト」の巻頭言のころから注目していた著者だが、最近さらに日垣隆さんの書いたものに興味深々となっている。この「偽善系」では、少年法や裁判所の在り方、種々の「迷著」、ある経済評論家に対する批判、そして長野オリンピックなどを取り扱っているのだが、ある意味ではバラバラなテーマの素材をうまく配列して面白い本にしたな、という点が興味深い。
 もともと各種メディアに時期も含めて別々に書かれた原稿なので、1つの書籍にするのはけっこう難しい。ま、「偽善系」という一種曖昧なくくりで本になっているが、一番苦心したのは題材の配列だろう。この文庫本ではさらに2冊の単行本を1冊にしているので、単純に構成したのでは、読者には記憶に残らない雑文集にもなりかねない。それを1つの統一的な視点でまとめると「こうなる」という編集の技がさえている。
 経済評論家の取材方法や論理構成を批判したあとに長野オリンピックの批判が展開されているのだが、これなぞ「他山の石」をもって自分の取材と論理構成で完全な批判とする、というグーの音もでない構成。辛口批判だけなら確かに取材力がなくてもできなくはないが、では肝心の批判する自分の取材ならばこういう形になる、という究極の展開・構成。で、おそらく「偽善系」という批判は題材として扱った各種の人物や団体、制度と同様に著者自身もおそらく含まれているだろうから、大雑把な読み方だけでなく、書き手の細かい文章のあちこちに「偽善だよね、多分」「でもこれだけは書いておかないと」という一種の「矜持」も感じ取れるようになっている。ま、ネーミングは確かにややださださなのではあるが、そうしたマイナス面を考慮してもプラスに作用する「仕掛け」が非常に多い文庫本だ。

ざっくり日本史!(祥伝社)

著者:斎藤孝 出版社:祥伝社 発行年:2010年 本体価格:619円
 「ざっくり!世界史」が近代化やルネサンスなど非常に面白く読めたので、引き続き日本史バージョンも購入。日本史というよりも万葉仮名とか鎖国の影響など文化論的な内容。でもまたそれも面白い。
 大化の改新からの公租公田、そして三世一身の法から墾田永年私財の法に至る農村統治の苦しさみたいな解説も面白かった。「田んぼ」というのはいったん手入れを怠ったり、転作すると、再び水田として活用するのにはとてつもない手間がかかる。水田を捨てて逃亡する農民の「管理」はかなり大変なものだったろうと思う。
 その後、農地をめぐっては太閤検地から地租改正、戦後の農地改革をへて現在に至るが、現在もなお、農地については社会的に適切な均衡に到達しているとは思えない。
 著者は土地所有の上限が必要という持論を展開しているのだが、私的所有性こそが近代の産物で、さらに種々のモチベーションになっている面もあるので、むしろ不動産の証券化など「所有」の在り方をかえていくほうが将来の日本にとってはいいことなのかもしれないと思った。 
 現在議論されているTTPについても数学的に自由貿易のほうが社会的メリットが高いことは証明されている。TTP反対派の論拠は、文化論や一種のイデオロギーみたいになっているのだけれど、推進派と反対派の議論がかみあわないのは立っている土壌が違うからではないかと思う。推進派の論拠を崩すひとつの在り方としては、たとえば稲作がもたらす環境保全によるメリットや、緑化政策の推進にも役立つといった市場外の外部経済をなるべく計量的に測定して、TTPによる自由貿易のメリットは○○億円だが、それによって失われる外部不経済の貨幣的価値は××億円で、○○億円<××億円であるからTTPによる国内農業の衰退は避けなければならないといった議論展開だろう。国内農業が壊滅するとイドロギッシュにいわれても兼業農家が多数をしめる現在では、小作一揆が起こる余地もなく、今ひとつ反対派の言い分が伝わってこない(自分が都心に住む非農業所得者だからかもしれないが)。日本の歴史の特に土地をめぐる考察は、国際化や情報化が進んだ現代になっても、意外に過去の政策と共通する論点が多いように感じる。

2012年8月23日木曜日

知的幸福の技術(幻冬舎)

著者:橘玲 出版社:幻冬舎 発行年:2009年 本体価格:457円
 正体不明の作家「橘玲」氏による「自由な人生のための40の物語」。とはいえこの橘氏、自由から逃れようとしても自由は日常生活にしのびこんでくる…というおそるべき視点をもっている作家で、「自由」をめざしていなくても「自由」になる…。私なりの解釈でいえば、会社勤めを志していても会社が倒産すれば「自由」になるし、学校に真面目にかよっていても「退学処分」になったりする…というニュアンスなのだと思う。
 放浪にあけくれて家庭が崩壊した「知人」や、「憧れていた人物」の生活の荒廃や破滅のエピソードに「自由」に対する著者の警戒心がうかがえる。
 ただそれが警戒心で完了しないのも、この著者の魅力で、たとえば「選択肢の多さ」「未来への不安は希望」「目の前の課題の解決」といった個々のテーマで解決策が「暗示」されている(絶対的な解決策ではない)。絶対的な解決策ではなく、相対的な解決策というのがやはりこの著者の優れたところで、「これこれの金融商品がいいですよ」「だめですよ」というテーマが不変的かつ普遍的であるはずがない。一定のヒントさえ読者に与えれば、あとは読者の個々の状況で「自由とは」「経済的安定とは」という問題に対して、それぞれ個別に解決策を出すべき問題であろうから。
 エーリッヒ・フロムの学説をここで援用するのはけっして場違いではあるまい。中世から近代に至る過程で、人は「封建主義的なもの」「地縁的なもの」などから一斉に解放されて「自由」になった。が、どこへ向かう自由なのかは、正直判然としない。その結果、近代の人間は孤独と無力感にさいなまれる。それが1940年代においてはファシズムやあるいは民主主義だったわけだが、現代の日本では、それが「誰しもが皆加入する生命保険」「一定の年齢になれば誰しもが購入する一戸建て」「だれしもが努力する受験勉強」「だれしもが目指す自己実現」…あれ、これテーマあるいは目的が「民主主義」やら「アーリア民族の優秀さ」からミニマイズされただけ、といえそうだ。
 

2012年8月20日月曜日

中原の虹 第4巻(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2010年(文庫本) 本体価格:695円
 最後まで読んでなんと袁世凱が中華帝国を立国して失敗…というあたりで第4巻終了…。え?え?。この中途半端な感じはやや肩透かし。中原にのぞもうとする張作霖はいまだ日本帝国との関わりが一将校としかなく、日本に亡命していた変法派の学者も復権して活動を始めるにはいたっていない。これはシリーズ続編の「マンチュリアン・レポート」で…ということかもしれないのだが。
 歴史上の人物があまりに登場しすぎてだれがだれの背後にいるのかいないのかも判然としない状態へ。ま、こういう混乱状態もまた悪くはないのだが、第4巻ラスト間際に時間軸の進行度合いがあまりに早すぎてついていけない部分も。ヒーローが「ロード・オブ・ザ・リング」のようにどこかに出かけて、そこで何らかの力を得て、再び帰還してくる…という役回りならば、中国から日本い亡命した元進士で日本で大学教授をつとめていたという「蒼穹の昴」の主人公が実は最後でまた「ヒーロー」候補として再登場した、という仕掛けなのかも。ただまあ続編まで読み進めるかどうかは、読者の「根性」による。

中原の虹 第3巻(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2010年(文庫本) 本体価格:695円
 中国の人口は清の時代に大幅に増加し、約4億人に達した…という説がある。農業生産力があまり伸びないケースで人口が増加すると食料不足に陥る。この第3巻では、清王朝の滅亡と張作霖による軍閥政治の拡大の時代が描写されるが、つねに底流には「貧困」のトーンが。
 そして通常の歴史の本では想像もしなかった大清帝国から中華民国への「権限委譲」の様子がこの第3巻で描かれる。科挙が廃止され、中国東北部では軍閥が活躍し、北京ではいつ東北から軍閥が攻め込んでくるか、あるいは南部の孫文が率いる革命軍がやってくるか…という時代に入り、「蒼穹の昴」の登場人物の影がようやく薄まってくる。
 その合間合間に明の滅亡の様子が描写されるのだが、中原、わけても北京の戦略的な重要性を著者は描こうとしたのかもしれない。天命がなかった李自成の様子がオーバーラップしてくるのは、まぎれもなく張作霖とその息子がたどる人生そのものなのだが…。ここまで張作霖がある種大きな器の人物として描かれているのも珍しい。

2012年8月19日日曜日

中原の虹 第2巻(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2010年(文庫本) 本体価格:695円(文庫本)
 「ラストエンペラー」でもほんの少し西太后は登場していたが、大清帝国末期を支えた西太后が第2巻で没する。そして次期皇帝の愛新覚羅溥儀も登場。後の満州国の皇帝となる人物だ。
 これもキャンベルの神話論からすると英雄は境界線をこえた段階で、流動的で輪郭がない状態で試練に遭遇することになる。漫画「アイ・アム・ア・ヒーロー」でも主人公は伝染病がうずまく世界で一貫性のない不気味な世界で生き抜くことをしいられるが、溥儀や袁世凱などこの第2巻に登場する人物のほとんどが老婆からの託宣を受けて、イニシエーションに立ち向かう。史実として勝ち残るのは一応毛沢東ということにはなるはずだが…。神話はある意味では、あらゆる成長段階における人間に対しての指導規範となりうる(だからこそわかりやすい設定となっている)。この第2巻では年齢や性別にかかわらず登場人物が錯綜してイニシエーションに立ち向かい、悪役もまた善人の側面をもち、いずれは満州帝国崩壊に直面する(はず)。そうなるとますます、今のこの日本とそこに住む読者に共通点がでてくる予感が。

中原の虹 第1巻(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2010年(文庫本) 本体価格:629円(文庫本)
 神話学者ジョセフ・キャンベルの「千の顔をもつ英雄」と照らし合わせて読むと非常に興味深い。
 著者はおそらく神話などはあまり参考にせずに執筆しているはずだが、百歳を超える占い師は前触れの「使者」に相当し、冒険への召命を主人公に託す。そして一定の過失(あるいは偶然)が、思いもよらぬ世界へ引き寄せられていく…。物語の場所は「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」と同じく大清帝国末期の中国だが、やや北上して満州は張作霖が物語の主役となる。この「召命」はキャンベルによれば、再生と死を意味するが、いささかの不安を抱えつつも、主人公や登場人物は、銃やあるいは言論を片手に混乱の世界へ躍り出る。キャンベルが例示している物語の磁場の道具立ては「中国竜」(召命にふさわしい環境条件)なのだが、「宝物」はこの本では「龍玉」。
 すでに「蒼穹の昴」で、悲劇的な結末がある程度予兆されているのだけれど、日本の外交政策や軍事がその後張作霖に対しておこなう活動は周知の事実。すでに神話や伝承などで語り尽くされてきた物語を大清帝国の滅亡とからめて著者が再びとりあげる魅力は…21世紀の「今」にもおそらく大清帝国の滅亡や中華民国の再生がからみあっているせいか。

2012年8月17日金曜日

珍妃の井戸(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2005年(文庫本) 本体価格:629円
 これも10年ぶりの再読。義和団事件で西太后とその周囲が西安に移動するさい、光緒帝の側室珍妃が何者か(歴史上では西太后)によって井戸に突き落とされて殺害された。この本では7人の「目撃者」が珍妃殺害の様子について調査にあたった列強の外国人に証言をはじめるが…。
 登場人物の幾人かは「蒼穹の昴」と重なる。というよりも「蒼穹の昴 外伝」としたほうが、読者にとってはいいのかもしれない。読む順番を間違えて「珍妃の井戸」から「蒼穹の昴」に進んでしまったら、何がなんだかわからなくなるのでは。これは一種の実験小説で、「蒼穹の昴」のように時系列で物語を進めるのではなく、たゆまずたゆまず同じ時間を違う視点でリフレインしていこうという趣旨なのだろう。カトリック教徒に対して排斥的な姿勢をとり、「大道芸人」に発したなどその出自もあまり明らかではない義和団の事件だが、少なくとも当時の列強が大清帝国の首都にそれぞれ軍隊を進めて紫禁城内部にまでたてこもったのは事実。その義和団を支持もしくは扇動した西太后や政府関係者もこの義和団の事件以後、再び北京に戻ってくるが、ちょうど大清帝国と列強8国との緊張感が高まっている時期の話ということになる。21世紀の今からみると、「列強」のおこなった行為についてはもはや論議の余地なく、この小説にでてくるようなメンタリティの各国貴族も存在は想定できる。が、20世紀初頭の列強諸国でこういう軍人や貴族が果たして存在しえたかどうか。もっと腐敗しきっていた状態であったのかもしれないが、それでもなお「清」という国は中国を「中華民国」という別の政府にたくして、生き延びたのだからやはりたいしたものではある。これだけ列強諸国の標的になりつつも「中国」という歴史そのものは生き延びたのには、それなりの原因がありそうだ。
 こういう難しい時代にそれでもなお日本、英国、米国、ロシアという外国人と国内の西太后、光緒帝(元変法派)、進士と宦官といった対立軸を設定して物語を紡ぎ出すのだからやはり浅田次郎氏は大したもの。

蒼穹の昴 第4巻(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2004年 本体価格:629円
 単行本で10年以上前に読み、文庫本で改めて読み直してみると、すっかりストーリーは忘れている。ただ大清帝国末期の時代を取り扱っていた小説という印象だった。歴代王朝の権力のシンボルとして位置づけられている「龍玉」は、それほど登場人物は意識もせず、また必死で探す様子も見えない。金銭的なものではないが、権力の継承に値するかどうかを判断するリトマス試験紙的な扱いなのが印象に残る。架空の登場人物と袁世凱など実際の歴史上の人物が入り乱れるが、世界が近代化していくなかで、必死に変化を拒んだ王朝が壊れる一歩手前の世界で、これはやはり90年代やゼロ年代ではなく、2010年代に改めて読み直されるべき小説といった感がする。
 かつての変法派が現在の国際化の流れに相当し、飢饉や略奪がデフレ不況、内閣支持率が「龍玉」といった置き換えが可能で、登場人物のどのキャラクターに自身をなぞるのかはそれぞれの読者の選択による。いずれにせよ(現実と同じように)ハッピーエンドの数は少ないが、それでもこの優れた小説が現在もなお重版を続けているというのは、小説の可能性もまだなお持続しているとみるべきか。

2012年8月16日木曜日

蒼穹の昴 第3巻(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2004年(文庫本) 本体価格:590円(文庫本)
 歴史的には戊戌の政変で変法派(近代合理主義を取り入れていこうとする反西太后グループ)は壊滅状態となる。その一歩手前までの清朝末期の歴史を取り扱う。映画「西太后」などでは、「人間ダルマ」などかなりひどい扱いになっている西太后だが、現在残存している写真や歴史研究などでもそれはフィクションそのもので、そうしたフィクションが流布した「理由」みたいなものもこの第3巻では取り扱われている。英国の香港租界に交渉相手として辣腕をふるう李鴻章、孫文なども脇役で登場。そして第1巻からの主人公である春児は、宦官のなかでも下から押し上げられる形でトップをうかがうポジションへ。そして文秀は、変法派の若手実力者として活躍する。いずれも歴史的には未来が望めない立場なのだが…。
 こういう歴史小説はもちろんフィクションなのだけれど、フィクションとわかりつつも読みすすめてしまうのが不可思議。もしかしたらあったのかもしれない未来と小説に重ねあわせてみてしまうからかもしれない。

蒼穹の昴 第2巻(講談社)

著者;浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2004年(文庫本) 本体価格:590円
 単行本と文庫本とでは、同じ内容であっても読者の印象は大きくことなるような気がする。特にこういう大部の書籍になると単行本のほうが「一気読み」に適していて、文庫本のほうが少しづつ読み進めていく感じがする。最近は単行本で発売して数年経過してから文庫本化されることが多いけれど、同じ内容を単行本と文庫本でそれぞれ読んでみる…というのはそれほど意味がないわけではないと考える。第2巻では西太后を中心とする宮廷派と光緒帝を中心とする変法自強派との争いが深まる場面が描かれる。李鴻章は大方の予測に反して西太后にたより頼られ、袁世凱はまた西太后につきつつも野心をかくして動き始める。歴史を振り返れば日清戦争あとの変法派の「敗北」はもう間近で科挙制度の廃止も間近な時代に、同郷の文秀と春児はそれぞれ科挙に合格した進士と宦官としてそれぞれ国の中枢部に地位を占めていく…。「清」という国はそもそも「明」という漢民族の国を滅亡させたわりには、異民族統治に成功した国だった。それは漢民族であっても科挙や宦官制度で優秀な人材を取り込みつつ、チャンスの平等は人民に保証していたせいかもしれない。またモンゴル民族に対してはモンゴル民族の慣習を重んじるなど、かつてのローマ帝国さながらに異なる文化に対して配慮をみせていたのが成功したのかもしれない。それが次第に組織の腐敗と腐臭を招き、西太后の独裁政治になっていった過程はあまりにも土地が広大すぎて人民が多すぎたせいかもしれない。国が滅亡していこうとするさなかに試行錯誤していく20代の青年たちの必死さが痛々しい。

2012年8月15日水曜日

蒼穹の昴 第1巻(講談社)

著者:浅田次郎 出版社:講談社 発行年:2004年(文庫本) 本体価格:629円(文庫本)
 初めてこの「蒼穹の昴」を読んだのは10年以上も前の単行本。すでに粗筋は知っているものの、大清帝国の末期の黄昏の雰囲気は10年以上続く日本の逼塞感をやや共通するものがある。映画「ラスト・エンペラー」では西太后の死去から溥儀が帝位につき、満州国が滅亡するまでが取り扱われていたが、この「蒼穹の昴」では、太平天国の乱が終わり、清仏戦争の賠償問題が争われている時代になる。
 歴史を知っている立場としては、このあと中華民国が成立して宦官制度も大清帝国の官僚制度も崩壊することを織り込んで「物語」を読んでいる。だから冒頭に予言されている文秀の成功も春児の「成功」もそのまま額面通り受け取るわけにはいかないわけだが…。
 「逼塞感」に取り囲まれて、犬のように取り扱われてきた春児や、家族から疎外されてきた文秀が、それでも「世間」と戦おうとしている姿が胸をうつ。ジュンガル帝国やチベット遠征を手がけた乾隆の時代を織り交ぜながら、西太后の権威が宮廷のすみずみに及ぶ1886年夏までを第1巻では描く。

2012年8月13日月曜日

たかが英語(講談社)

著者:三木谷浩史 出版社:講談社 発行年:2012年 本体価格:1000円
 英語というよりもビジネス向けあるいは非英語圏向けのグロービッシュをめざしていたのか、と楽天の目指す方向性がわかる本。電子商取引での通信販売で、さらに東南アジアなどへ国際展開した日本企業あるいは国際展開しようとしている日本企業はおそらく楽天のみ。アジアやオーストラリアなどの社員も雇用してコミュニケーションをとっていく場合、日本語オンリーでは不都合が生じる。そこで今からグロービッシュの下地をつくっておこう、ということのようだ。すでにコンビニエンスストアでは国内店舗よりも海外店舗のほうが数が増えたという現象がある。小売商が国際展開していくうえで、有店舗小売商よりも無店舗小売商のほうが可能性や市場性は高いと見込まれるので楽天のこの壮大な実験は試してみる価値は十分だと思った。流通関係ではこれまで総合商社の語学力が突出していたが、海外展開ということではコンビニエンスストアも電子商取引もベースは同じと考えるべきなのだろう。論理的な話し方などもグロービッシュでやっていくということなので、その手法はほかの業種・業態にも応用できそう。

2012年8月12日日曜日

図解でわかる民法大改正追補版(自由国民社)

著者:東京弁護士二一会研究部ほか 出版社:自由国民社 発行年:2012年 本体価格:1200円
 A6サイズ、1色、104ページで1200円はかなり…強気な値段。しかしそれでも100年ぶりの民法大改正がわりと近づいてきてる。公序良俗規定の具体化やら意思表示規定の改正、代理人契約制度の改正などこれまで各種国家試験でも定番だった部分がリニューアルされるとのこと。これ、対策をたててていくのはかなり大変ではないかと思う。実務的にはおそらく混乱は逆に生じないと予想されるが(暗黙の部分が明示化されるため)、理論的に整合性をとっていったり制度の問題部分を指摘していくという研究者などの立場のほうがおそらく厳しくなるだろう。すでに最新の法制度をとりいれて日本の法律家もかなり協力しているカンボジアの民法などが参考にはなるかもしれないが、これは国家試験を受験予定の受験生の負担もけっこうなものになりそうだ。
 ただ危険負担と解除制度を一本の制度にするなど、これまで特定物の危険負担についてはかなり素人目にも苦しい規定だったのが整備されるのは確かにメリット。条文はこの本によると現在の2倍に増えそうだとのこと…。法学部の学生はあまり留年などはしないほうが良さそうだ…。

伊藤真の商法入門第7版(日本評論社)

著者:伊藤真 出版社:日本評論社 発行年:2009年 本体価格:1700円
 やはり割高な本ではあるし、しかも2009年が最新ということもあって、おそらく会社法の改正がまた予定されているこの時期ではだんだん売れ筋ではなくなってくるかもしれない。ただしそれでも会社法や手形・小切手法などについての基本的な考え方がイメージとしてつかめるし、民法で基礎が固まっていればおそらくこの第7版もそれほど時間をかけずに読み終えることができるはずだ。この200ページあまりの書籍に商法総則や商行為、会社法、手形・小切手法を収納してしまうというのも一種の才能だが、いきなり500ページも600ページもある書籍に取り組むよりもずっと効率的に全体像をつかむことができる。
 ただまあ資本金や準備金といった概念は会計学を学習しているとずっと理解が早くなるし、民法などで権利能力の主体となりうる「人」(自然人と法人)の理解があれば、商行為などもずっと理解が早くなる。そして債権譲渡の一般原則の理解があれば、約束手形の裏書などは流通を促進するという基本機能にてらして理解も深まることだろう。
 今日はこの本を含めて法律書籍を4冊固め読みしているが、実は明日「会議」で休日出社。そこで一夜漬けでいっきに本を読んでいるわけだが…。固め読みは本当に力になると実感。

伊藤真の法学入門(日本評論社)

著者:伊藤真 出版社:日本評論社 発行年:2010年 本体価格:1500円
 200ページ弱の書籍で価格がやや割高に感じられる可能性はあるが、非常にわかりやすいうえ、法律の解釈や適用などにもバランスを重視している。教養科目としての法学入門というよりは、新司法試験制度をやはり重視して編集されていると思われるが、別に司法試験を受験しない大学生やビジネスパーソンが手にしてもおかしくない内容。もともと現在の日本国憲法の改正には反対のお立場であり、日本の法制度の整備などをふりかえる部分でもそうした色合いが非常に強い。が、だからといって特定の見方にかたよるわけでなく(というよりも公務員であれ受験生であれ日本国民は憲法にもとづく行政社会に生きているわけで)こうした編集方針もあり、だと思う。いきなり大陸法や英米法の説明にはいる前にボアソナードや江藤新平などの著述をもってくるあたりがやはり単なる受験テクニックの本でない証拠ではないかと思う。リーガルリサーチや法律的な文章の書き方などの章立ても充実している。索引がある程度整備されていれば、完璧ではないかと思うのだが。

本当の経済の話をしよう(筑摩書房)

著者:若田部昌澄 栗原裕一郎 出版社:筑摩書房 発行年:2012年 本体価格:940円 評価:☆☆☆☆☆☆☆
 新刊だが、コストパフォーマンスが高くて非常にいい書籍。大学を除籍になった人文科学専門のライターと経済学史専門の教授の対話形式で進められる本で、経済史はもちろん現在のテーマもからめて近代経済学や社会思想史のオリエンテーションが繰り広げられる。人文科学系では最初からTPP反対の図式があることなど一種の「テリトリー」みたいなものが構築されているという指摘も興味深い。理論とか研究ってそういうテリトリーから脱け出すことも必要になるのではという問題意識も芽生えてくるし、巻末の膨大な参考書籍はさらになんらかのテーマを追求したい読者への情報提供として利用できる。新書で300ページを超えているため、分量はかなり多い部類だが、内容が面白いのですっと読みすすめてしまう。政府の所得の再分配がはたして必要なのか、など既存の近代経済学の枠組みになれきっている読者にも新しい視点が必ず呈示されることだろう。教授の説明に対して、生徒役の栗原氏の「それって質点みたいなものですね」という斬新な解釈がまた読者の理解をさらに深めてくれる。優れた聞き手と優れた話し手がいて、すぐれた対話集、さらに書籍ができるというお手本のような書籍だ。素晴らしい。

先送りできない日本(角川書店)

著者:池上彰 出版社:角川書店 発行年:2011年 本体価格:724円
 消費税増税法案が可決したので、これで確実に2014年度に8%、2015年度に10%の消費税増税となる。この本ではおもにTPPや国際貿易の自由化について取り扱っている。TPPについては日本は実は周回遅れですでにアメリカや中国を軸にして交渉の枠組みが決まろうとしているので、これに参加しなければ国際的にはおいてきぼりであとから参加してもルールの作成にはなかなか携われない状況も考えられる。反対しても賛成せざるをえない状況ではないかと思われるが、日本の農業という産業はたしかにボコボコにうちのめされる可能性もあり、国内でコンセンサスを得るのは難しそうだ。これは広告宣伝というのを各政党がやはり今ひとつ効果的にうちだせていないことが原因ではないかと思う。「先送りできない」課題はいくらでもあるのだけれど、たとえば自由貿易推進派がよりどころとする比較優位の原則がTPPであてはまるのかあてはまらないのか、といった議論に反対派がなかなか乗り切れないでイデオロギー闘争みたいになってしまっているのが残念だ。自由貿易では各国が経済成長ととげつつ、GDPを拡大していき、生活が豊かになる可能性もあるのだが。議論なり賛否なりはある程度、賛否以前に議論の水準なり展開なりを同一平面でおこなわないと、いたずらに時間がすぎていくばかりといった印象を受ける。
 で、この本では一応一般的議論をわかりやすく展開してくれているのだが、統計データやグラフが少ないのと参考書籍などの一覧がないのが残念だ。よってたつ基盤が明らかになればもっと説得力がでるだろう。
 また社会保障費関係の増大と財政赤字の問題も、そろそろ切り離して議論するべき時期に来ていると思われる。確かに社会保障費はこれから支出額は年々増加していくだろうが、財政赤字の原因が社会保障費関係にあるのかないのか、というところで疑問が生じる。わかりやすい議論と、妥当な結論が得られる論理展開はやはり違うものであるようだ。

2012年8月11日土曜日

不動産絶望未来(東洋経済新報社)

著者:山下努 柳原三佳 出版社:東洋経済新報社 発行年:2012年 本体価格:1600円
 経済合理性を追求する山下氏と家の居住性やライフスタイルを追求する柳原氏との共作。個人的には山下氏の考え方に共鳴するが、ライフスタイルをひたすら追求する柳原氏の考え方も非常に魅力的ではある。
 アメリカのサブプライムローンでは低所得者層が自宅を失ったが、日本と比較すると実は被害はそれほど深刻ではない。アメリカの法律ではローンの支払いはノンリコースなので、ローンの対象となる家を失った場合には、さらにそれ以上のローンの支払いは原則として求められない。しかし日本の住宅ローンはリコース型なので、たとえば東日本大震災などで住宅ローン未済のご自宅を失った家庭にも、原則として銀行への支払いは続く(建設基準法違反で立ち退きを要求された事例でも実はローンの支払いはずっと続くというのが日本の制度だ)。35年ローンなどを組んで途中で大震災が発生して自宅を失った場合でもローンがそのまま続くという意味では、山下氏のいう「原発並み」の「持ち家リスク」という表現はきわめてまっとうな気がする。震災のあとなどは「2割以上の値下げにも応じる」ケースが紹介されているが、津波のリスクがここまで認識されている以上、海沿いや地盤の弱い不動産の販売状況は今後も厳しいのだろうなあ、と思う。資産価値や時間軸などを考慮にいれ、さらにライフスタイルも考慮して…となると個人的には「都心に」「マンションで」「地盤がしっかりしていて」「一定の年齢までにローンは払い終わっていて」「値引きにも応じてくれる」不動産を購入…というのが理想と思われるが、そもそもこのリスクが読めない時代に、不動産をもつ必要性すら疑わしくなってくるというのが実感。
 

ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義(PHP研究所)

著者:藤野英人 出版社:PHP研究所 発行年:2011年 本体価格:820円
 投資信託会社社長による日本の歴史と「商売」の論考。海幸彦と山幸彦の日本の物語を軸にして、秩序と規律を重視する山的な時代と冒険主義的な海的な時代とで歴史を読み解く。ちなみに現在の日本は秩序重視の山的な時代で、遣隋使や遣唐使の時代は海的、江戸時代は山的ということになる。仕事の参考書籍として読み始めたら意外に面白く全部読んでしまった。
 こうしてみると日宋貿易を一手にになっていた平清盛などは中国貨幣の流通を増減させる今でいう中央銀行的な権力を握っていたといった別の日本の見方ができるというのが興味深い。西日本は海的な要素が強く、東日本は山的な要素が強いという著者の分析もあり、山的な今の時代に東京中心になっていくのはやむを得ない面がある程度はあるのかもしれない。室町時代に金融業が発達したというのも、室町幕府が課税や貨幣を重視していたこととリンクして説明されており、バラバラに商業の歴史をおっていくよりも「流れ」で理解できるようになっているのが非常に便利。

「お金」おもしろ雑学(大陸書房)

著者:中江克己 出版社:大陸書房 発行年:1992年 本体価格:505円
 かつて存在した大陸書房の書籍で自己破産した1992年に発行されていたのがこの本。長らくこの本を古書店で購入していらい、ずっと積んだままだったのを仕事の関係で読んでみると案外面白い。もちろんその後の歴史研究の結果、富本銭など改訂が必要な部分はあれど、バブル末期の時代に「お金」についての関心がそこそこあったのが伺える。「お金」の歴史は残存している実物や歴史的文献から進められるが、古代の貨幣についてはやはり現物の発掘がないとどうにも弱い。日本最古の貨幣は「富本銭」らしいといわれているのも意外の最近の歴史研究の結果だ。またおそらくは金融の実務などで科学的ではないにせよ定着した呼称などもあるので、意外に新しい発見が難しい分野ともいえるかもしれない。物品貨幣が金属貨幣になって、それが紙幣になっていった…というと理屈としては筋が通っているが、日本だけでも最初は物品貨幣で金属貨幣も生まれたが、その後コメや絹などの物品貨幣が実際には流通し、さらには中国の貨幣のほうが価値が重視されていた時代をへて、ようやく明治維新で円や銭などの10進法の紙幣が登場してくる(藩札なども江戸時代にはあったが)。商取引そのものは漸次拡大傾向にあったが、その取引に用いられたものは必ずしも金属貨幣ばっかりではなかった(あるいは国内の金属貨幣ばかりではなかった)というのがなかなか興味深い。
 なお、この1992年に大陸書房は97億円規模の負債を抱えて倒産。ヒチコックの「下宿人」などのセルビデオを販売していたことがあり、CDなどコンテンツを廉価販売市場を切り開いた出版社だった。面白い会社だっただけになんだか残念でならない。

闇の貴族(幻冬舎)

著者:新堂冬樹 出版社:幻冬舎 発行年:2010年 本体価格:838円
 文庫本で発行から2年経過しても書店で平積みされているというのは、そこそこ売れている本なのだとは思う。が、バブル期の80年代やそのあとの90年代を舞台にしたダークストーリーがさっこんメインになっているのは、やはりデフレ不況下では、悪事もデフレーションせざるをえないということなのか。いわゆる会社の自己破産のあとに手形やや小切手などをまきあげて、それを乱発し、筆頭債権者となってから残余財産をすべて手中にするという稼業を「整理屋」という。このビジネスでは債務額などはあまり問題にならず手元にある残余財産の処分価値そのものが目標となる。大手家電量販店の社長が最後の拠としたのが整理屋で…というストーリーなのだが、平成不況のもとでは今ひとつリアリティが欠ける。短期賃貸借など改正前の民法の規定も物語では残存しているほか、どれだけコストパフォーマンスが悪いのだろうという人材活用方法なども物語には登場。おそらく整理屋とバッタ屋との裏商売などは今でもけっこうありうるとは思うが、海外がらみとなるともはや日本国内にこのストーリーだけの魅力があるかどうか…。GDPが縮小するにつれて、貨幣の流通速度も一般には低下する(因果関係は別にして)。表も裏もそのへんは変わりがないのだなあと実感する小説。

三月のライオン 第1巻~第7巻(白泉社)

著者:羽海野チカ 出版社:白泉社 発行年:2008年~ 本体価格:467円
 「擬似家族」しかもたないプロの棋士桐山零17歳とあかり・ひなた・モモの三姉妹の交流。ほとんどすべてのものを失い、大きな川沿いの下町の一室で将棋と向き合う少年が、次第に社会と交流を深めて失っていたものを回復してさらに新しいエネルギーを獲得していくプロセスを描く。「週刊ダイヤモンド」などでもオススメ書籍になっていた漫画で、主人公は17歳という設定だがそれ以上の年代の社会人が読んでも泣けてくる内容。粗筋のほとんどは、最初に謎が呈示されてそれを説明していく手法なので1巻から読み進めるしかないのだが、さまざまな登場人物が欠落感や喪失感と戦いながら、前へ進んでいこうとする姿が痛ましく、また感動的だ。純粋すぎる世界のなかで、鋭い一手一手が交錯し、世代を超えた感動作になっている。将棋がわからなくてもぜんぜんOKな名作。

2012年8月7日火曜日

札幌刑務所四泊五日(光文社)

著者:東直己 出版社:光文社 発行年:2004年 本体価格:495円
 書店で平積みになっているので新刊かと思いきや2004年発行、2012年7月30日8刷のロングセラー。スピード違反で反則金の督促を受けた著者は、かねてより取材のために刑務所に潜入することを目論んでおり、意図的に反則金7,000円の支払いを無視。正確には「労役所」での留置だが、取材の意図を知った検察庁も経済刑と身体刑は異なることや強制執行をちらつかせて労役場への収監を拒否しようとする…。
 中村うさぎさんがかつて住民税滞納で強制執行される様子を取材しようとカメラマンとともに待ち構えていると、強制執行が延期されたというエピソードが紹介されていた。法的にも問題がない強制執行だがマスコミにその様子が紹介されるのを税務署も検察庁も非常に嫌がる様子が伺える。で、7,000円の反則金を支払わないために4泊5日の労役所への収監は、明らかに行政コストのほうが肥大。人件費もかかるし、食事代もかかる(といって確信犯でなければ普通は入りたいなどとはそもそも思わない)。まして著者が禁酒・禁煙でしかもダイエットに役立つほか、食費もういて本も書けるとか考えているとなると、検察庁としては威信をかけての「拒否」となる。さて、それではそうなったか…というとそれがこの本の内容になる。一定程度ほかの入所者とは隔離されての収監だったようだが、健康診断が一種のデータベースになっているのではないか、という著者の推理はけっこう的を射ていると思う。むしろこの4泊5日をこういう1冊の本にしてしまう著者の力量というか世界観がすごいと思った。一般人ではメモもノートもとれないわずかの時間で、前後のエピソードを含めるとしても限界はある。「札幌刑務所」の朝の音楽が「マイ・フェア・レディ」だったというエピソードとその考察からして、やはり作家と新聞記者などのノンフィクション作家とは物語を構築する手段や世界観そのものが違うのだな、と実感。