2008年12月31日水曜日

法廷ライブ秋田連続児童殺害事件(産経新聞社)

著者:産経新聞社会部 発行:株式会社産経新聞出版部 発行年:2008年
評価:☆☆☆☆☆
 巻末の「あとがき」を見ると来る裁判員制度への一種の「資料」としてこの法廷ライブの出版が企画されたらしい。ウェブの世界ではすでに法廷ライブは定着しつつあり、数十万のアクセスを誇るという。毎回裁判所に記者を7人から8人派遣。一人15分程度で交代してメモをとり、本社社会部のワークステーション(サーバか?ただのパソコンか?)に「送稿」され、イラスト・写真を添えてMSNにアップロードされるのだという。活字そのものやイラストは出来上がっているので、後はそのテキストデータやファイルデータをそのままウェブに置くのか、あるいは紙媒体に印刷するのかは判断が難しいところかもしれないが、定価1,400円、ページ数640ページの大著として2008年4月10日に刊行された。
 内容的には非常に地味だがしかし着実に造りこみのされた書籍で、刑事事件の傍聴をしているようだ。また担当記者によっておそらく付されたと思われる太字部分による強調や、コメントが裁判記録をわかりやすくしている。法制度の説明も適宜挿入されておりわかりやすい。弁護側が国選弁護人2人だが、かなり苦しい状況を弁論で検察側に反論している。一方、検察側のゆるぎない事実認定、証拠固め、証人への質問はやはりこれもプロ。後は、弁護側と検察側の両方の弁論を読み比べて最後は裁判所の1審判決を最後に読むことになる。確かに精神鑑定にしても、司法制度にしてもいろいろな欠陥はあるが、これだけ慎重な議論を重ね、さらに複数の弁護士と検察官、警察官そのほか関係者が法廷にたち、記録の「突合せ」が行われると、種々の重厚な見解がぶつかりあってバランスのとれた判決が一定の標準偏差の「範囲内」ででてくることは間違いない。またこうして書籍にすることで、後世の歴史家や法律家の資料としても活用しやすくなる(ウェブのアーカイブでも読めるとは思うがこれだけの分量をパソコンの画面で読み込むのはやはり大変だろう。データの一覧性はやはり書籍のほうが優れている)。最終的には報道されたように控訴審にもつれこむのだが、判決のバランスとしてN事件やH市母子殺害事件の最高裁判例(平成18年6月20日)なども引用され、読者また事件発生時にはテレビで被告の「普通でない状態」をリアルタイムで見ていた者にとってもそれなりに納得のいく判決となっている。
 それにしても感情的にどちらかに入れ込むとおそらく検察官も弁護士も裁判官もかなりストレスがたまることは間違いない上、傍聴席のご家族などの視線そのほかも意識するとお酒でも飲まないとやっていられないのではないか…と思うほどの言論のすさまじいやりとりが続く。これから弁護士の数が増えるとはいっても実際にこうした裁判所で判決を受ける段階になって、公判を維持できる検察官や弁護士というのはペーパードライバーではなく、「場数」を踏んだプロでないと務まらないのではないか。貴重な資料であると同時に、刑事裁判の難しさを思い知ることのできる1冊でもある。産経新聞社のこのシリーズはやはり続けて欲しい意欲と意義のある企画だと思う。

本を読む本(講談社)

著者:M.J.アドラー、C.V.ドーレン 訳者:外山滋比古 槇未知子 出版社:講談社 発行年:1997年 評価:☆☆☆☆☆
 講談社学術文庫の1299番。1940年にアメリカで発行。初級読書から分析読書まで「読み方」を体系的に著述。初級読書とはいわば「分理的に」読む方法で、文法や単語などの形式が問われる読書。たとえば日本国憲法の9条を読んで、単純に解釈してしまうようなことだろう。第2レベルが点検読書でジャンルをまず見分けて大局的に解釈を加える。日本国憲法だと、法学の観点から拡大解釈のケース、縮小解釈のケース、類推解釈のケースといろいろな読み方ができるようになるレベル。そしてその点検読書の次に分析読書のレベルとなる。「系統だった読書活動」ということで、本の内容をかみしめながら読む。日本国憲法だと判例六法や種々のコメンタールを参照しながら「読む」ということになるだろう。そして最終レベルが「シントピカル読書」。比較読書法ということで憲法についても比較法学ではどうか、社会学ではどうかといった種々のジャンルにまたがって考察することが可能だ。単に各テキストの比較ではなく、「はっきりとは書かれていない主題」を自ら発見できる水準ということで確かにこのレベルまでくると、「読書」の真髄に達したといえるだろう。そのほか「書き込み」の方法などさまざまな読書技術を伝授してくれる書籍。本当はおそらくこうした「読解法」のようなスキル本は読書の自由なあり方を制限するのかもしれないが、「濫読」すればするほどこうした「ベクトル」にそった分類は有用となる。定価は900円だが、内容と比較すると格段に安い。すぐには必要なくても購入して本棚にそろえておきたい1冊。

特上カバチ!!第1巻・第3巻・第4巻(講談社)

画:東風孝広 原作:田島隆 出版社:講談社
 「カバチタレ」シリーズはずっと読んでいたのだが、part2であるこのシリーズは初めて。大野行政事務所に補助者として入所したがようやく平成16年に行政書士試験に合格。固定給+歩合給でさらに奮闘する姿が描かれる。前シリーズでもいつ勉強しているのかなあと思うほど忙しい日々を漫画の中で送っていたが、試験合格を描写した幻の「0話」も第1巻に収録されているほか、留置権や債権者代位権など民法の難しい話をストーリーの中で再現。実際に「こう法律を使うのか」とまた面白く読める。試験合格だけではどうにもならない行政書士の世界だが、これだけ実務経験をつんでいくと確かに活躍の場は広がる。小型船舶の登記などもできるなど受験生や実務者にも参考になるようなエピソードが満載。

仕事は楽しいかね?(きこ書房)

著者:デイル・ドーテン 出版社:きこ書房 発行年:2001年 評価:☆☆☆
 雪で閉鎖された空港でめぐりあったミリオネアとビジネスパーソン。目標の設定とその実施というPDCサイクル的な仕事を積み上げてきたタイプのビジネスパーソンだが、現実は常に変化しているのだから自分自身も変化し、さらに「試行」の重要性を認識していく…という小説タイプのビジネス書。表紙だけみると児童書のようだが、実際飛行機は飛ばず、給料もあがらず、かといって大きな展望がこれからさらに開ける要素も少ないという「八方ふさがり」状態の人間にとっては「変化する」という具体的なイメージを抱きやすくわかりやすい構成。とはいっても内容的にはかなり高度で、たとえばホーソン実験などが紹介されているがこれは経営学を学習した人にとっては常識レベルの事例だがいきなりこの本でホーソン実験の「別の考え方」を提示されてもその斬新さが伝わるかどうか…。ま、「試してみるのに如くはなし」という基本テーゼからするとまずこの本を読んでさらに「試行錯誤」をくりかえしていく勇気が出てくるかも。面白い。

人が壊れていく職場(光文社)

著者:笹山尚人 出版社:光文社 発行年:2008年 評価:☆☆☆☆
「自分を守るために何が必要か」という副タイトルがついている。「法令を守らない使用者」と「立場の弱い労働者」の間で労働法にもとづいて解決を図る弁護士が著者。主に著者が実際に扱った労働事件をベースにしたケーススタディ方式で、2008年3月1日施行の労働契約法や労働基準法・労働組合法について学習する教材としても便利。また2006年から施行されている労働審判についても紹介されている。契約内容の変更については申込と承諾が必要という「給与の切下額」のケーススタディが個人的には非常に面白い。「就業規則の変更」によてる適法な切下のケースとそれに関連する最高裁の判例(平成12年9月7日みちのく銀行事件)の紹介である。
 最高裁では労働者の同意なくして労働条件を変更することは許されないという前提を確認、さらに就業規則の変更に合理性が必要、合理性の判断については使用者側の必要性と労働者の不利益との勘案、さらに「賃金給料」については「高度の必要性に基づく合理性」、さらにその合理性の判断には手続きや代償措置なども含むとかなり踏み込んだ判例が示されている。「財務資料に限定されない」という総合的判断の必要性が呈示されているとも考えられ、今後さらにいろいろな裁判例がでてくると最高裁判例の考え方がより精緻化され、余計なトラブルも減少するだろう。「我が国社会におけるい一般的状況」という文言も判例の中に見られ、ヒトと企業との間で発生したトラブルの解決には非常に役に立つ新書。著者の明解な語り口と考え方も好感がもてる。

血と暴力の国(扶桑社)

著者:コーマック・マッカーシー 出版社:扶桑社 発行年:2007年
 1980年代。「激情」型の犯罪が増加傾向を示す中、「古い世代」に属する老保安官ベルが独白を始める。コーエン兄弟によって「ノー・カントリー」というタイトルで映画化された作品の原作。「純粋な悪」のシンボルとして物語の中で動き始めるプロの殺人者アントン・シュガー。メキシコ国境近くで、麻薬の受け渡しの現場に遭遇したベトナム帰還兵のモスは、麻薬と現金を奪って逃避行を始める。そして途中でぶつかりあう「殺す側」の論理と「殺される側の論理」。
 「悪魔がいると考えなくちゃ説明のつかないことがたくさんあるんだ」と語るベルは次第に自分の父親と人生を重複させていく。社会の闇と心の闇を淡々と描く文章スタイルと簡潔な表現で、老保安官は時代の変化ではなく、自分の変化についても悟っていく。いわば一種の「心の成長物語」といえなくはない。犯罪小説ではあるのだが、どこの時代でもどこの国にも起こりうる荒廃した精神の物語。

2008年12月28日日曜日

「経験知」を伝える技術(ランダムハウス講談社)


著者:ドロシー・レナード、ウォルター・スワップ 出版社:ランダムハウス講談社 発行年:2005年 評価:☆☆☆☆☆
 ランダムハウス講談社の翻訳書はやはりどれをとっても秀逸だが、この本も「暗黙知」をいかに他人に伝えるかという一種の心理学的要素も含めてビジネスやそのほかの分野にも応用可能なスキルが紹介されている秀作。経験のレパートリーを拡大して蓄積、さらに蓄積した知識の創造的組み合わせ、さらに知識の移転と興味深いテーゼが多数紹介されている。コーチングを通して自分自身の古い知識をいかにアップデートしていくかもみえるといったメリットも紹介されており、これからさらに読者が増加すること間違いなしの名著だろう。自分自身のディープスマートをいかに構築するべきかといったテーマにも「経験」と「モチベーション」というきわめて明快な解決策が呈示されている点も好ましい。一回読んだだけでは不十分でさらに実践を積み上げつつ、そのたびごとに「暗黙知」を「形式知」に置き換えていくのにも有用なテキスト。

修羅の終わり(講談社)

著者:貫井徳郎 出版社:講談社 発行年:2000年
 キリスト教の影響と「輪廻」(転生)に一貫してこだわりをみせる作家貫井徳郎の文庫本800ページにも及ぶ大作。「叙述ミステリー」というよりも登場人物がそれぞれの「救い」を求めて時間軸や空間軸を超えて必死で生きようとする「因果」の描写がすさまじい。セクシャルな描写は苦手とされている著者が果敢なレイプシーンにも挑戦。物語は1970年代と1990年代の2つに分かれて進行し、登場人物は大きく分けて3つの空間軸で進行していく。ラストにはそれぞれの救いがそれぞれの時間軸と空間軸で展開されるが、あるものは自らの「蟲」に酔い、あるものは復讐に生きる。すべてが終局を迎えたときに読者が抱え込むのはカタルシスよりも、「救い」の多様さに圧倒された一種の虚無感かもしれない。謎解きよりも、「人生」の多様さを楽しむべきか。「物語」ではあるが、リアリティも迫力も十分の大作。

2008年12月24日水曜日

流通戦略の新常識(PHPビジネス新書)

著者:月泉博 出版社:PHP研究所 発行年:2007年 評価:☆☆☆☆
 超成熟社会に勝ち抜ける流通形態とは何か、商品とは何かをデータと豊富な図式で解説してくれた新書。日常規格型商品が国際化の影響で低価格化するのは当然で、コモデティとブランドの「間」が狙い目とする筆者の見解は2008年が暮れようとする現在も非常に参考になる。新書なのに折込の流通業界の勢力図が閉じこまれているのも嬉しい。この新書自体が一種の付加価値をつけた商品となっている。最近の小売商の競争は民間消費支出が大きく落ち込む中、さらに激烈なものになっているが、それでもユニクロのヒートテックなどはやはり大ヒット。低価格よりもちょっと高い水準の価格設定で高付加価値というこの本で書かれているとおりのコンセプトの商品だ。ユニクロのヒートテックで薄着を可能にして、さらに、上にブランドの上着を着てもいいわけで、幅広い消費者の支持を受けたというのもまるでこの筆者が1年後を見通していたかのようだ。
 「ソリューション」と「需要創造」の2つのキーワードをまず示してさらにその詳細を後ろのチャプターで述べていくという構成も読みやすい。流通業界の「今」を知るのにはもっともハンディな新書といえるだろう。

迷宮遡行(新潮社)

著者:貫井徳郎 出版社:新潮社 発行年:2000年 評価:☆☆☆☆
 デビュー作「慟哭」に続く2作目「烙印」を大幅にリライトして書き直された長編小説。平凡かつリストラされた元サラリーマンが主人公で、失踪した妻を追いかけていくうちに「迷宮」の中に入り込む…。ロス・マクドナルドを意識したという作品は、日本の小説というよりもやはりハードボイルド路線の語り口に近く、物語は常に第一人称で語られる。読者は主人公とともに、妻探しのラビリンスにいざなわれるが、ラストはやはり哀しく苦い。
 「迷宮」の中でやはり主人公が求めるのは一種の救済だ。解説で法月倫太郎氏は「巡礼」と表現されているが、キリスト教的な「救済」がどこにみいだされるのかが一連の作品の底流にあるような印象を受ける。物語の設定されている場所は常に「東京」なのだが、この舞台がたとえば仙台であっても、またヨーロッパのどこかの場所であっても十分通じるものだろう。破滅に陥るとわかっていても捜し求める「妻の残像」は、アーサー王物語にもどこか通じるものを感じる。惜しむらくはやはり「妻」のキャラクターがいまひとつ「わかりにくい」「十分でない」「唐突」という点だけか。
 日常生活の中でなんらかの「救い」を求めるビジネスパーソンにこそより高い評価を受ける作品かもしれない。ミステリー小説というよりも切ない片思いの恋愛小説のようだ…。

2008年12月16日火曜日

光と影の誘惑(集英社)

著者:貫井徳郎 出版社:集英社 発行年:2002年
 「長く孤独な誘拐」にまず度肝を抜かれるが、こうした誘拐事件はなさそうでリアリティが相当にある。人によってはお金よりもまず自分の子供が第一と考える人は相当多いわけでこのトリックなかなかのもの。翻訳調の「二十四羽の目撃者」も実験的でユニーク。表題の「光と影の誘惑」は著者が得意とする叙述文体を利用したトリックで、映画化は難しいと思われるが、小説という土俵ではやはり実験的小説といえるだろう。こうした実験がつみあがって独特の貫井ワールドが構築されていく様子と読者の関係は、アイデアの蓄積と発展をリアルタイムで見るようで面白い。
 貫井の小説の表紙もまたどれも写真やイラストが効果的に使用されており、この小説の造本もかなり凝っている。「わが母の教えたまいし歌」はリアルに怖い作品で4つの短編の配列もかなり計算されているとみた。

年収防衛(角川SSコミュニケーションズ)

著者:森永卓郎 出版社:角川SSコミュニケーションズ 発行年:2008年
 「年収300万円時代」の筆者が「年収防衛」をテーマに執筆。かねてから小泉内閣の構造改革路線を批判してきた著者だが、市場経済主義をこの本でもかなり激烈に批判。個人的には地中海資本主義に近い考え方で、ほどほどに働いてほどほどに人生を楽しむワークライフバランスを提案する。会社ののっとりについては「確実に儲かる」と断言し、現在のサブプライムローン問題についてもわかりやすい解説。ルールやお金よりも「曖昧な優しさ」を提唱する筆者の今の時代だから必要なヨーロッパ的な価値観が際立つ。メディチ家と芸術の関係など独特の見方も非常に面白い。現在は大学の教員として活躍する筆者だが、前の職場については「えげつないところが良かった」と断言しており、そうした価値観もまた面白い。ニホンギンコウの最強ビジネスモデルとして、日銀券の印刷と国債の購入、そして政府への日銀納付金までの流れの分析も秀逸(123ページ)。

独身者の科学(河出書房新社)

著者:判田良輔 出版社:河出書房新社 発行年:1988年 評価:最悪
 どういうわけか勤め先の近所の古本屋に大量にあふれていたのがこの本。出版社の老舗である河出書房新社の書籍だけにそれほどはずれはないものと信じて購入したが…。「正しい男女の交際のガイドブック」をめざして作られたというこの本、トンデモ本筆頭の内容で、すべて適当な引用と適当な文章と写真のコラージュで作成されており、それがしかも「笑える内容」であれば文句はないのだが、残念ながらこれっぽっちも笑えない内容で…。「個室と変態」とかいうチャプターもあって、どうせこうしたトンデモ本をつくるのであればもう少しいろいろ工夫できたのではないかと思われる部分も多い。なんなんだろうなあ。アイデアはよく、写真や引用もそれほど悪くはないのだが、アイデアの発展させる方向が間違っていたのではないかと思う。あと一本の工夫が足らない責任ははたして著者一人だけの責任なのかどうか…。

うまくいっている人の考え方(ディスカバー21)

著者:ジェリー・ミンチントン 出版社:株式会社ディスカバー・トゥエンティワン 発行年:1999年
 ある方がこの本を褒めていたのでさっそく購入して読むことにする。一種の自己啓発本というジャンルになるのだろうが、抽象的なことではなくより具体的なことが箇条書き的に記されている。たとえば「いやなことをいう人は相手にしない」とか「自分を他人と比較しない」とか。それが見開き構成になっているので時間がない人や、「宇宙」や「真実」とかいう言葉にやや「?」と思う人には向いていると思う。いや、自分自身もアングロサクソン系統の自己啓発本は苦手で、どうしても宇宙論や世界論にまで話が拡大していってしまうのがどうしても抵抗があり、どちらかというと日常生活のレベルでわかりやすくてしかも実効性のあることが書いてある日本の自己啓発のほうがなじみやすい。ま、それも著者によるのだけれど。他人を変えようとしない、というのは日本ではわりとメジャーな考え方ではないかと思うが、こうして欧米の自己啓発本にあえて活字にしなければならないほどアングロサクソン系では、他人のライフスタイルに干渉しようとする人が案外多いのかもしれない。テーマも結論も日本人には入りやすく、しかも常識的な範囲内で理解可能な自己啓発。確かにこの本のいうとおりに「考える」と結果的に「うまくいく」ことだろうなあと思う…。

慟哭(創元推理文庫)

著者:貫井徳郎 出版社:東京創元社 発行年:1999年
 すでに21刷以上を超えた本作は貫井徳郎のメジャーデビュー作品でもある。連続児童誘拐殺人事件と警視庁捜査一課のキャリア課長、そして謎の「犯人」のモノローグがからみあいつつ、クライマックスをむかえるラストへなだれこんでいく。ミステリーというよりも「娘をもつ父親」ならば…とふと思うほど感情描写が洒脱でしかも深い。警察内部を描写する小説だとどうしても男社会のドロドロがメインになりがちだが、案外貫井のそのあたりの描写はタンパクで、むしろ「救い」を求める「犯人」の心理と、「犯人を追い詰める」キャリア課長の複雑な心理の描き分けが上手い。この構成の上手さがこの小説の評価の高さをさらに押し上げている。
 タイトルどおり、ラストには救いはなく、読者にも救いはない。ただ、底に残るのは「慟哭」と「哀切」のみの暗い展開だが、「謎」を解き明かすことがカタルシスだとばかり一面的に展開する小説よりも、この世にはミステリーはミステリーとして放置したほうがよいという「パンドラの箱」があることがラストに示される。しかしギリシア神話にあるがごとく世界中に災難や苦労がパンドラの箱から飛び散ったあと、一つだけパンドラの箱に残ったものがある。「その一つ」についてはあまり語られることがないのだが、それは「希望」だった。著者があけた「パンドラの箱」は、わずかながらも「救いへの希望」が残っているように思えるのは私だけだろうか。

原因と結果の法則(サンマーク出版)

著者:ジェームス・アレン 出版社:サンマーク出版 発行年:2003年
 聖書の次に売れているといわれる「自己啓発本」の古典。原因は「精神状況」、結果は「リアルな現実」という大雑把なくくりでいいのではなかろうか。「穏やかな心」をいかにして構築していくか、また穏やかな心はどうして大事なのか…といった自己啓発的な文章が並ぶ。この手の読み物は苦手なのだが、ただ「穏やかでないと人は信頼しない」というくだりにはなるほどと思う。動物的な心は最終的には「貧しさ」につながるというくだりも「なるほどなあ」と…。実際、アニマル・スピリットで博打やらそのほかのジャンルにのめりこんだ人って「貧乏」にいたるケース多いし…。1902年に英国で出版されて日本でも自己啓発本の名著として有名に。現在この続編も出版されているがやはりこの第1作を熟読するべきなのだろう。カーネギーなど他の自己啓発本の著者にも大きな影響を与えたとされる古典中の古典。ただし読みやすい文章で書かれており、一気に読み終えることができる。

強欲資本主義~ウォール街の自爆~(文藝春秋)

著者:神谷秀樹 出版社:文藝春秋 発行年:2008年 評価:☆☆☆☆☆
 現役の投資銀行のバンカーによる日米経済論。アメリカ経済の衰退の原因をドルが基軸通貨であることを利用した借り入れ消費体質であることと、投資銀行の暴走にあると分析。ゴールドマン・サックスなどを例として取り上げて、商業銀行と投資銀行の変質などをわかりやすく説明してくれる。モノ作りに経済の根幹を見出す著者は「バンカーは脇役に徹するべき」との持論を展開。強欲というそのネーミングのいわれを企業の買収や合併などの実態から解読していく。
 サブプライムローンがなぜゆえに不良債権化したのかも、この本で解明されるほか、予想以上に大きな変化を日米の経済体制に与えることも実感。下村治氏の著書を引用しながら、健全な消費や健全な経済といった哲学論にまで展開していく。実際のところ、マネーゲームはパソコンの画面の上で展開されるが「お金」そのものはリアルな実物である。アメリカのバブル崩壊のあとに世界同時不況が到来しつつある今、「基本にかえる」という著者の主張にうなづける部分は多い。「金融立国」ではなく、「ものづくりの原点への回帰」を促す著者の主張はバブル崩壊後に常に説かれる話だが、今度こそ耳を傾けて製造業中心、技術立国中心の経済体制をめざすべきときなのかもしれない。

2008年12月13日土曜日

神のふたつの貌(文藝春秋)

著者:貫井徳郎 出版社:文藝春秋 発行年:2004年
 とある田舎町にある教会に突然闖入者が現れる…。場面設定としては花村萬月の「王国記」などを彷彿とさせるが、著者はプロテスタントの教会という設定で寄宿舎も存在せず、教会の造りは大正時代のもの。12歳、20歳、40歳半ばのそれぞれの時代を切り取って3章立てにしたこの小説。日本語の第三人称や舞台設定の著述を上手にトリミングして読者を不安に陥らせ、最後にカタルシスを迎えるという手法。この長編小説ではかなり効果的に用いられている。もともと書き下ろしではなく、巻末に掲載されているが「別冊文藝春秋」に1999年から2001年にかけて3回に分けて掲載されたものを1冊にまとめたもの。プロテスタント、父と息子、大正時代の教会という「質素」「剛健」「沈黙」といったキーワードが連想される架空のプロテスタントの街で、「悪」や「神」を追求し、独特の「救済」をほどこしながら最後は「高見」に上り詰める親子。結局ラストで「主人公」は神を見るのだが、それは冒頭で主人公がカエルを見ていた構図とちょうど逆の構図で下から上を見上げる形で終了する。地図上の「横」の移動はきわめて少ないが、空間的な縦の視線の移動と時間軸の移動が心地よいミステリー小説というジャンルを超えたミステリー小説。