2017年11月27日月曜日

[ノーマンズランド」

著者:誉田 哲也 出版社:光文社 発行年:2017年11月 本体価格:1,600円
 「ストロベリーナイト」シリーズの最新刊で,主人公の姫川玲子は警視庁刑事部捜査第1課で,統括主任日下の下で働いている。虎ノ門1丁目の喫茶店の描写が冒頭にあるのだが,実際に自分自身も利用したことがあるカフェで,小説の描写はかなり的確だ。おそらく著者はこの虎ノ門1丁目以外のいろいろな地域についても実地に足を運んでいるのだろう。当初は21歳の女子大生が自宅マンションで殺害されているのが発見されたことから始まる。ただ容疑者が別の事件で別の所轄警察署(本所警察署)に身柄を勾留されていたことから,姫川は表面的な事件のさらに深層に入り込んでいくことになる…。
 心に傷を負いながらひたすら捜査に入り込み,時には関係部署と軋轢を巻き起こしながらも真相にたどり着こうとする姫川の生きざまが魅力的だ。かつての部下や上司がそうした姫川の心情に思いをはせながら,必要なときには助けを差し出す(一種のエンパワーメントともみえなくはない)。そしておそらくは読者もそうした姫川の「支援者」として物語を読み進めていくことになる。人気シリーズの最新刊で,結局,姫川の心の傷は癒えないままなのだが,検察庁に新たな「支援者」が登場する場面で物語が完了している以上,このシリーズはさらに続くのだろう(おそらくこのシリーズが完結するのは姫川の心の傷が癒えたとき,つまり結婚したときになる可能性が高い)。
 物語の構造そのものは,緻密な現場取材とその描写で,ともすれば荒唐無稽にも思える内容にリアリティが与えられている。そして物語のカギを握る動画データについても,姫川は警視庁のなかの会議室で見ることになる。いわば「宝物探し」には成功しているので,この手の警察小説の常道として読者はカタルシスを得ることはできる。にもかかわらず,読後に落ち着きがなくなるのは,姫川のもう一つ裏のキャラクターといえる「悪徳刑事勝俣」(テレビでは武田鉄矢さんが演じていた)が背後にいて,この両者の戦い(調整)が終わらないことと,おそらくは次回作でさらに「地獄めぐり」を姫川が経験することになる予感が暗示されているからだろう。でもそれは,この「ストリベリーナイト」シリーズの人気を支える基本的な構造でもある。ついに「民自党の政治家で元警察官僚」なる「悪の大ボス」までこの本では登場してきている。読者の日常生活は必ずしも警察や犯罪とは無縁のものだが,「勝俣」「悪の化身」「悪への誘因」「心の傷」といったテーマは無数に存在する。おそらくは…このシリーズの読者は私も含めて,そうした記号を日常生活の別の記号に置き換えて読んでいるのだろう。だとすれば,物語がハッピーエンドにならないのは,マーケティング的にも正解だ。なぜなら悪への誘因もなく心の傷もなく,ライバルのいない主人公に対しては,何の思い入れも持ちようがないはずだからだ。

2017年11月24日金曜日

「白いしるし」

著者:西加奈子 出版社:新潮社 発行年:2013年7月1日 本体価格:430円
 32歳独身で,「アルバイトをしながら,金にならぬ絵を描いて」「国民健康保険料を払うのさえ覚束ない」状態の夏目。高校時代は大人しい生徒だったが,ある日突然,髪を青くして登校し,7歳年上の美容師と交際していたこともある。この本で印象的なのは,「色」だ。主人公の夏目の髪は黒から青へ,そしてまた黒に戻る。そして下北沢のギャラリーで,白い地に白い絵の具をすっとひいた富士山の絵画に出会う。主人公の夏目が,「間島昭史」と出会うきっかけとなる。
 この出会いから主人公は尋常ならない「恋」に陥る。Amazonの書評をみると,「こんな痛々しい経験したことがないからわからない」といった評判なのだが,はたしてそうか。ここで副読本として用いたいのは,「愛はなぜ終わるのか」(ヘレン・フィッシャー 草思社 1993年発行)の41ページだ。恋愛感情の第1段階は「匂い」や「視線」などが影響を持つが,最終的には「思考の地図」だとヘレン・フィッシャーは指摘する。すでに子供時代に家族や友人,偶然の出会いのなかで「思考の地図」ができあがり始めているとフィッシャーはいう。「夏目」は「間島」の用いた「絵の具」に反応したのだが,高校時代に出会った恋人は「青」のイメージであって「白」ではない。おそらくなんらかの「思考の地図」が夏目の頭のなかにすでにできあがっており,「間島」のギャラリーでそれが触発されたのだろう。フィッシャーによるとこの「思考の地図」はビジネススーツだったり,医者の白衣だったりすることもあるという。
 「夏目」の横にはすでに何度も飲み屋で飲んでいる「瀬田」という男もいるのだが,この男は「夏目」の恋愛対象にはそもそもならない。なぜなら「思考の地図」にあてはまらないからだ。
 「夏目」はさらに「好き嫌いがはっきり」しており,「少しでも悪意やずるいのを感じると」許せない「間島」に心をひかれていく(「白い」のイメージがその上に増幅されていく)。そして「夏目」自身も白の絵の具を多用するようになっていく(73ページ)。そして物語は佳境を迎えるが,その部分は省略するべきだろう。いずれにせよ,「夏目」は「間島」と交際し,心の交流を深めるが,「間島」は「夏目」のもとを去る。
 そして「夏目」は夜中にホルベインのジンクホワイトを体中に塗りたくる…。

 小説としては,「恋」の独占欲など「我執」のすさまじさを丁寧に,かつうまく描いている。「ホルベインのジンクホワイト」が一種の性的な象徴なのも仕掛けの一つだろう。だがもう一つ,生物学的な要因もある。人間の大脳片縁系を刺激すると,喜びや悲しみといった感情が巻き起こる。特にフェニルエチルルミンという物資が重要だ。ざっくりいうと,「思考の地図」にあてはまる「間島」に対して,「夏目」の脳が刺激され,フェニルエチルアルミンが脳内をかけめぐった状態になったということになる。そのきっかけが「ホルベインのジンクホワイト」だった…。
 「愛はなぜ終わるのか」の著者フィッシャーは,このフェニルエチルアルミンの効果は1年半から3年で消えるとしている。したがって,ラストはなかなか痛ましい終わり方ではあるのだが,その1年半後(つまり33歳か34歳に夏目がなったころ)には,こうした「恋」または「愛」または「愛着」は消える。ただ,30代半ばのフリーターの日常生活を著者は描こうとはしないだろう。たとえホルモン物質による現実の勘違いだったとしても,その瞬間は,誰にも起こりうる状態だ。そしてもしかすると人生80年のうち,たとえそうした期間が1年半しかなかったとしても…その人の人生は意外に充実したものだといえるのかもしれない。

2017年11月22日水曜日

「先生も知らない経済の世界史」


著者:玉木俊明 出版社:日本経済新聞出版社 発行年:2017年 本体価格:850円
 高校の世界史はすべての一般教養の基礎となるが,そこからさらに奥深い世界に行くのには,ある程度その分野の書籍を読み込んでいく必要がある。ちょうど高校を卒業したばかり,あるいは大学で一般教養や専門分野の歴史について学ぶ必要がある人にはちょうどいい内容ではあるまいか。もちろん大学を卒業してから世界史には触れる機会がなかった社会人にとっても,学校で学習した内容が現在どのように進化しているのかを知る良いきっかけになる。
 おおむね4つの基本骨子(大塚久雄やダグラス・ノースなどの学説紹介・アジアの発展の理由・ヨーロッパの経済成長・社会主義経済をはじめとする近現代の世界経済)にそってテーマごとに執筆されている。特に「流通」に着目した世界史の分析は,この本を読むと理解が進むだろう。スペインのガレオン船と中国のジャンク船については,それぞれ個別ばらばらに学習するはずだが,銀の流通にガレオン船が使われた根本的な理由と当時の中国がこうむった「機会損失」については,この本を読むまで思い浮かべることもなかった。過去を通して現在を見るという意味では,「流通」を軽視すると国家経済にまで大きな影響が及ぶということにもつながる(電子商取引がいかに進化しても,流通をどうするのかはアナログ面で解決しなくてはならない。その意味で,この部分を軽視する電子商取引は目先の利益とは異なる展開を生みかねない…という発想につながる)。
 とはいえ過去に学習したことがらをさらに発展させた内容なので,気軽にすらすらというわけにはいかないかもしれない。googleなどで関連する用語(たとえばセファルディムとかディアスポラなど)を検索して調べながら読む,山川出版社の世界史用語集と横において読むというのも一つの手だろう。単なる歴史マニアの参考書というのにとどまらず,おそらくいかなる分野であっても「今」を考えるのに必要な材料を得ることができるのは間違いない。

2017年11月15日水曜日

「おそろしいビッグデータ」



出版社:朝日新聞出版 著者:山本龍彦 発行年:2017年 本体価格:720円  「ビッグデータ」の威力はすさまじい。Amazonの買物やYahooのお勧めニュースなどで日々それを実感する。便利な反面,そこに薄気味悪さもある。ある種類のアルゴリズムで商品を選定して呈示したり,ニュースを選別して配信しているわけだが,そのアルゴリズムを少し変更するだけで個人が特定されたり,就職や住宅ローンの融資条件に転用することができるかもしれない…。 情報科学の視点よりも著者は憲法13条の理念から,ビッグデータの「おそろしさ」を説明してくれている。アメリカやEUの現在の状況についても情報を入手できるので,「お得な新書」だといえる。なにより憲法など日常生活には関係ないと考えている一般人にとっても,あらためて憲法13条について理解を深める良いきっかけになるだろう。 「情報化社会」とは,情報そのものが金銭価値をもつ時代である。とすれば巨大な情報の集積である「ビッグデータ」はとてつもない金銭価値をもつと同時に,「悪」が入り込む余地が多々ある電脳空間といえる。「小人」である一般人には巨大な悪はなかなか見ることや認識することができない。だからこそこうした新書で,自らのリスク感覚を研ぎ澄まし,目の前にある危機について肌身で感じることが大切になる。
 で,この著者がNHKの夕方の番組で,「個人情報活用派」と「保護派」に番組構成上やむなく色分けされて出演しているのを拝見した(厳密には,保護とりわけ憲法13条に配慮した保護が確立されたうえで個人情報を活用していこう…というのが著者の主張であって,全部が全部保護がすべてという主張ではない)。本書でも紹介されている考え方だが,アカウント名をタグにすれば匿名加工された個人情報であっても,個人を特定することがいとも簡単にできるという現状について紹介されていた。
 便利なことはもちろん便利なビッグデータだが,場合によっては近代国家の原理の一つである個人の尊重がないがしろにされるという指摘については,もっと政府も,そして情報科学や理系の人間は考えてもよい頃だと思う。



















2017年11月13日月曜日

「わたしの好きなおじさん」

著者:南綾子 出版社:実業之日本社 発行年:2013年 本体価格:617 「物語」の主人公には,なにかしら欠けた部分が存在する。この物語に登場する「おじさん」はすでに年齢を重ねている分だけ,「欠けている」といえなくはない。さらに年齢だけでなく,性格的にも個性のあるおじさんが6人登場する。 「ロード・オブ・ザ・リング」などハリウッドの映画が古典的なストーリーで構築されているのと同様に,6つの短編はいずれもその筋は古典的な流れで固められている。いったんは「あっち側の世界」に飛び越えていって主人公は最終的にこちら側に戻ってくるのが実は一番ストーリーが安定する(「ロビンソン・クルーソー」だって主人公は最終的にはこちら側の世界に戻ってくる)。で,将来に行き詰まりを感じた6人の女性も,いったんは「あっち側」(非日常生活)に飛び越えていくが,最終的には「こちら側」(日常生活)に戻ってきて,話自体は安定するという構図である。
 ただそれだけで終わらないのがこの著者の力量で,特に「不思議なおじさん」はとてつもなくすごい仕掛けがあちこちに散りばめられている。一見,悲劇的な終わり方のようでいて実際にはハッピーエンドの予兆を読者に読み取らせるという手腕は見事だ。まあ簡単に「あらすじ」の「さわり」を書くと,死のうとしている元AV嬢が田舎町にやってくる。そこで精神的に大きな問題を抱えているおじさんと出会う。なぜかそのおじさんに心ひかれるが,最後はそのおじさんと悲劇的な別れを遂げる。しかし,その一方で幸せな出会いを予感させるくだりが…ということで,「死のう」としていた女性が「生きる希望」のとっかかりを得るまでのくだりが小説となっている。他の短編は正直ちょっと疲れる展開だったのだが,「不思議なおじさん」。読んでる方にも希望を与えてくれる。




2017年11月5日日曜日

「残酷過ぎる成功法則」(飛鳥新社)

著者:エリック・パーカー 出版社:飛鳥新社 発行年:2017年11月3日 本体価格:1,500円
 あとがきも含めて本文で366ページ,さらに巻末に30ページ以上の参考文献の出典リストが掲載されているので全体で400ぺーいを超える大部の本となる。理由は自己啓発本にありがちな「結論」や「思い込み」をエビデンス(証拠)をもとに検証しているためで,科学的知見を含めた出典を明示することで,読者は自分の実生活にある程度の客観性をもって有効活用できる構造となっている。おそらくは,日本でも多数出版されている自己啓発関連の書籍の多くが心理学やゲーム理論など数々の科学的知見をもとにした内容にこれから変化していくものと予測される。
 で,内容だが正直いって面白い。なにせ「楽観主義がいいのか悲観主義がいいのか」といった不毛な議論について,一定のエビデンスをもとに著者は結論を出してくれている。「ワーカホリックがいいのかワークライフバランスがいいのか」といった議論も納得のいく結論が出されているので,「本当かなあ,どうかなあ」といった疑問を抱きつつ本を閉じるといったことはない。で,おおむね結論は割と「平均的」かつ「日常の常識にてらして妥当」である。楽観主義ばかりではリスクを認識しないので破滅する,悲観主義は事態を正しく認識するが前向きにならない。だから適度にバランスをとろうということになるが,であればあまり自己啓発関連の書籍は読まなくてもそこそこうまく人生は運ぶような気もする。
 個人的に参考になったのは,困難な事象に直面したさいに「ゲーム性(娯楽性)を導入する」というアイデアだ。大きな目標を小さな目標に分割するのは誰でもやっていることだが,そこにゲーム性を持ち込むとさらに楽しさが倍増する。読み方は人それぞれだろうが,「どうも自己啓発系はうさんくさいなあ」と日ごろから思っている方には特におすすめの内容である。