2018年2月12日月曜日

絶望ノート

著者:歌野晶午 出版社:幻冬舎 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:838円
 「神は人の痛みを測る概念に過ぎない」(ジョン・レノン)の言葉を引用しつつ,「壮絶ないじめ」にあっている「大刀川照音」(たちかわしょおん)14歳は「絶望ノート」をつづる。学力は高くなく,運動も苦手で痩せて背が低いうえ,父親は社会不適合者の無職45歳,母親は仕事をかけもつ48歳。パソコンもスマートフォンも持てない県営住宅暮らしが続く。そうした「大刀川照音」が日記をつづるうちに不穏な事件が学校で発生していく…。
 いわゆる叙述ミステリーだが,見事に自分も「嵌った」。形式的な「物語」が興味をひく内容であればあるほど,最後のオチが際立つ仕掛けとなっている。で,この本はまた主人公の「大刀川照音」以外に,わき役の「平均以上に地味な印象を与える」48歳の母親「瑤子」やジョン・レノンに感化されている45歳の父親「豊彦」からの視点も挿入されている。これがまたえらくリアリティのある話で,それぞれが離婚を経験し,経済的に苦しい生活を送りながら子供を育てている様子が描写されている。他の家庭についても記述されているのだが,ここではいわゆる「家庭」の枠組みが崩壊しており,殺人事件など発生しなくても,結末にさほどの違いはないまま「不幸」に突入していったであろう伏線がちりばめられている。

 この一連の事件の犯人は,他のミステリーの犯人と同じ動機付けで「犯行」を重ねていく。つまり「今」(今ある状態)よりも「彼方」(今とは異なる状態)のほうが,必ずや「良い状態」だとイノセントに信じ込めるという無邪気さが動機付けだ。エドガー・アラン・ポー以来の伝統的な犯罪者の考え方を踏襲している。ただ,実際に「今」から「彼方」に移動してみると,さほどのことはなかった,むしろ前のほうが良かったということも実際にはあり得る。48歳の母親の人生も45歳の父親の人生も,また14歳の「大刀川照音」の人生も,「今より彼方」をめざそうとして,これ以上はないほどの結末を迎えるのだが,状態や環境に手を加えてコントロールしていこう…という発想そのものが不幸を招くという作家の主張がかいまみえる気がしないでもない。いずれにせよ主要な登場人物は結局,「神」ではなく「人」によって人生が変わる。いずれも神に祈る時間も機会もなかっただろうから,確かに「神様なんているわけない!」ということになるのだろう。
 

2018年1月8日月曜日

未必のマクベス

著者:早瀬耕 出版社:早川書房 発行年:2017年 本体価格:1,000円
 「ヒーロー」が登場する物語では,「ヒーロー」が帰還するのが原則だ。なぜなら帰還しなければその英雄譚を周囲の人間に伝えることができない。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の最終も副題は「王の帰還」だった。しかしこの小説では最初から「帰還」が想定されていない。下敷にされている物語が「マクベス」ということもある。主人公の運命は最初から宣言されているわけだが,それでも「面白い」のは,古典的な神話の体系を「マクベス」のさらにその下に置いているからだろう。「マクベス」の下にある「物語」とはホメロスの「オデュッセウス」。トロイア戦争に参加した後に諸国を旅してさまよい,その間王妃ペネロペは貞節を守りながら帰還を待つ。求婚者が多数現れるが,オデュッセウスにしか扱えない弓をひいて的を射貫いた者がペネロペと結婚できる。オデュッセウスは放浪者としてペネロペの前に現れ,見事その弓で的を射貫く…(この小説ではオデュッセウスの弓矢に相当するのが積木カレンダになる)。
 主人公の「中井」は38歳のビジネスパーソンで独身。2歳年上の彼女はいるが,どうということはない経歴で,「英雄」としての片鱗が,冒頭ではまったくみえない。それがカジノの「大小」(ダイシウ)でたまたま稼いだ400万円程度を,未公開株式の購入にあてたことから物語に巻き込まれていく。物語なのでさまざまな「怪物」と出会い,最後は自ら設定したビジネスコードと「目的」にしたがっていくのだが,この小説が泣けるのは,主人公が自ら設定したビジネスコードと「目的」に頑なにこだわりつづけるからに他ならない(これがもし普通の優柔不断な男であれば,ここまでこの物語が話題になることもない)。「目的」のなかには「初恋」「ビジネスコード」「正義」「衡平」といった要素が巧みに配置され,多くの読者が共感できる仕組みも設置されている。そしてラストは「渋谷」のなんてことはないバーに場面が引き戻される。物語の始まりは「男性2人組」でラストは「女性2人組」のシーンになる。その瞬間,帰還するはずがない「王」が帰還したことが積木カレンダで暗示される。厳密にはもちろん「帰還」はしていない。ただ「0.999999…」が「1」とほぼ同じであるように,「帰還」したのも同然の終わり方だ。かくして現代の「悲劇」はきっちり様式美を保ったまま完結する。この小説は一度読んだあとにもう一度読んでも面白いはずだ。なぜなら「結末は秘密にしてください,なんていう話はつまらないに決まっている」(9ページ)からだ。