2013年6月6日木曜日

「カルト宗教」取材したらこうだった(宝島社)

著者:藤倉善郎 出版社:宝島社 発行年:2012年 本体価格:743円
 バブル景気真っ盛りの頃、東大駒場キャンパスに突如現れた「ヨガ」の巨大な写真や「グルが浮いている写真」を掲げた一団…。当時は「お笑い」の対象で、しかもその教団が衆議院議員選挙に候補者を出したときにはまさしく「お笑い」以上のトンデモ集団だった。当時はインターネットがない時代だったので、テレビのニュースなどで時折報道される選挙活動やキャンパスのなかでおこなわれるデモンストレーションぐらいしか目にすることがない存在だったが、その後、その教団は地下鉄サリン事件を起こす。そして同じ時期に同じキャンパスにいた学生はその事件に関与し、有罪判決を受ける…。
 「宗教」というのは60年代や70年代の学生闘争のなかではほとんど存在感がなかったようだ。日米関係がテーマの時代には、外交政策や政治理念について熱く語ることが、優先され、「いかに生きるか」といった事柄もマルクス主義や実存主義に形式づけてしまう人が多かったものと推定される。1980年代後半からは様相が変わり、学生運動に関わっている人もいないではないが、相当な下火。むしろ株式市場と土地の価格の高騰で、資産運用に熱を入れる学生やレジャーに熱を入れる学生が多数派だったように思える。そうしたなか、政治でもなく経済でもなく「別の何か」を求めている少数の学生に、「カルト的な宗教」というのはぴったり入り込める存在だったのではないか。
 この本では、ミイラ事件を起こした某集団や宇宙人によって人類は創設されたとする教団、自己啓発セミナー、講談社に抗議運動を展開した教団などを取り扱い、著者自身がその教団のセミナーに実際に潜入していることもある。真に社会的な存在になるためには、情報開示や法令遵守は不可欠な時代だが、宗教法人の場合には財務資料も公開されず、営利事業と非営利事業の区別もつかない得体のしれない活動になっている。フリージャーナリストの著者が、コトの顛末を相手方のクレームも含めてこうした形で開示することによって、信者の勝手な思い込みやら、あるいは教団の非合法な活動(もしそういう非合法な活動があれば、ということだが)が是正されるのであればそれにこしたことはない。歴史を振り返ると、こういう得体のしれない団体はいくつも現れ、そして消えていっている。時代の風雪に耐えて社会的貢献をしっかりおこなっている既存のちゃんとした宗教団体も数多くあるはずだが、そうした老舗の宗教団体が、必ずしも時代の隙間を埋めるには至っていないというのが残念だ。

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