2007年12月23日日曜日

ネットワーク型思考のすすめ

著者名;逢沢 明  発行年(西暦);1997 出版社;PHP研究所  
ネットワーク分業やネットワーク効果といったものを予測的に分析しているがすでに2004年のこの現在、ネットワークは著者の予想通りの部分と若干超えていった様子もある。インターネットは「ヨコ社会」といった分析やイントラネットで組織はどう変わるかなどといった分析もある。しかしさして現実にはインターネットの発達と日本の組織論とは相関関係はない。ネットワーク化が進んでも失業は増えないと力説されているがそれはどうも考えられない。情報処理化が進めば事務処理関係のニーズは大きく減少する。書店に行かなくてもインターネットでいろいろな評論を目にすることができるし、商品知識も補充できる。最終的に店舗に行ったとしてもあらかじめ予習をしておけば販売員の役割はレジを打つだけ‥ということだって考えられる。そもそも金融業などは情報処理化で人員削減が大幅に減少している分野である。これからコンビニエンスストアと金融業界の融合化が進み、ますます人員削減は進むだろう。
 もちろん著者も産業革命直後のイギリスで「オリバー・ツイスト」が書かれたことについても言及している。ただし企業の生産性の向上と失業率の上昇はリンクしないと書いているのは間違いだと思う。供給過剰になれば商品の価格は下がるし、そうなれば当然個々の企業は固定費削減に入る。一番大きな固定費は人件費なのだから企業の陶器純利益は増加しても国民所得が増えなければ景気はよくならない。失業率はしたがって情報化が進めば進むほど沈滞していくという見方も提示できるのではないか。
 ただし歴史をネットワークで見直した点は面白い。四大文明を「水のネットワーク」、ローマ帝国を「道のネットワーク」、そしてアメリカを情報ハイウェイのネットワーク(全米情報基盤のことだろう)としているのは面白い。ただこうしたネットワークも時代の変わり目には衰退しているだが‥。デジタルのネットワークからただ「何か」が無限にうまれてくるというのは理系研究者の幻想のような気がする。
 日本はオモチャ文化であり、ゲームソフトなどで新たな文化が生まれてくるというのも結論だとしたら相当甘いといわざるを得ない。オモチャはもちろん文化だが、文化にはやはりそれなりの経済的基盤は必要なのだ。優秀な人材や技術が海外に流出していけば「日本」という国家や国家独特の文化を語る余地もなくなる。
 愛国心は誰しももっているはずだが、昔と違って、国の制度に対して抗う人間が海外で独自のライフスタイルを追求する選択肢がかなり幅広くできている点が1960年代や1970年代と異なる点である。社会主義の実践がしたければキューバにいけばいいわけだし。環境主義者は日本国内でも人口密度がきわめて薄い過疎地域で地場産業に貢献するライフスタイルも追及できる。そしてまたそれを補完する技術としてこのパソコンは機能するだろう。
 国際化。地域主義。この相反する価値概念がデジタルである程度両立できるようになったところが極めてこの情報化社会の面白い点だと個人的には考える。で、この本の評価は星印ひとつ。要は読んでも読まなくてもいい本ということで‥

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