2007年12月27日木曜日

我が子を東大に導く勉強法

著者名;和田秀樹  発行年(西暦);2004 出版社;PHP研究所
思うに1984年の中曽根政権以来、「ゆとり教育」が推進され一部の高所得者層以外はあまり勉学に力を入れないようになってきた。学歴だけで確かに社会はわたれないが、とにもかくにも企業は採用や昇進にあたって「過去の履歴」を重視する。未来の成長性は不確実だが過去の経験は確定値だ。これはしょうがない流れだろう。
 和田秀樹氏はこの本で巷にある「実力」「理想論」について疑問を呈するが個人的にはまったく同感だ。受験勉強に才能はいらないので野球選手や芸能界に入るよりはるかに簡単なことであるし、また多くの人間にとっては一番目指しやすいジャンルである。また中曽根政権が1984年以来推進している(臨時教育審議会)ゆとりの理念のもとに、数学力も英語力も低下しているのが実情だ。その一方で家計にゆとりがあり、両親が高学歴な家計では、受験のノウハウとメリットが熟知されているので、塾や公開模試などに参加させたりする。アメリカやイギリスのように高所得者層がエリート層となり世襲制のような状態になれば、国全体の活力が低下してしまうではないか。読む・書く・計算はすべての基本なのだから、もう少し「理想」から「現実」に早く立ち返って欲しいものだ。
 さて、和田氏の基本は「人間的な要領のよさ」に集約される文章も多いが、これはこれで評価すべきだろう(要領ということについて好き嫌いは当然あるだろうが)。プライドと負けない気力というのも要点としてあるが、要領がよくなるということはある種の情報を収集してから、それを自分自身で咀嚼し、自分なりの意思決定を下して行動するという一連のプロセスとなる。仕事であれ勉強であれ、そうした「工夫」をするかしないかということはすごく重要なことだと思う。「工夫」があればモチベーションがやや自分で下がってきたと思えばやり方を変えてみる、本を読んでみるといった別の行動原理に結びつくこともあるだろう。それがなければすべて「才能」「人格」といった意味不明な逃げ場に逃げ込むことになると思う。

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