2007年12月24日月曜日

「勝ち組」企業の七つの法則

著者名;森谷正規  発行年(西暦);2003 出版社;筑摩書房
2003年という設定だが、2004年の現時点では企業の設備投資は増加傾向にあり、団塊の世代が大量退職する2007年問題に対応すべく久方ぶりに大学卒業者の内定率が11パーセント増加したようだ。とはいえ元野村総研のアナリストだった筆者は「戦略のミス」を追及する。戦術論のミスではなく、現場主導型の日本企業がいかにして半導体で韓国のサムソンに負けたかなどを分析している。勝ち組企業として名前があげられたのはホンダ、キャノンなど。いずれも同質的生産から独自の領域を開発する「違う」ものへの生産を重視したところに強みがあると分析している。同じジャンルに集中特化するのはこれまでの日本企業の強みでもあった。たとえば電卓戦争がある。早川電気が世界ではじめて1964年に電子式卓上計算機を開発。その後30社を超える企業が電卓市場に参入した。当時の電卓は53万5000円。その後製品の小型化に加えて集積回路を利用し、カシオ計算機が1972年に「カシオミニ」を開発。1万2800円にまで価格を下げた。集積回路は当時宇宙開発事業や軍事事業がメインだったが、電卓市場の発達で集積回路の派生需要を増加させた。1980年代まではこうした電卓市場における過当競争がテレビやトランジスタなどにもみられたようだ。それがまた日本産業の強みにもなったといえるだろう。ただし1990年代になると同じ市場において企業間に優劣の差が大きく生じてくる。特に1990年代の松下電器産業の落ち込みは激しかった。もっとも現在はデジカメ市場やモバイルパソコンの分野で優れた製品を提供しているが当時は大量生産体制が弱みにも転化したと考えられる。「違う」ことを目指して成功したのがホンダのシティや排出ガス浄化エンジンなどユニークな製品群だ。2000年に開発したアシモも同じ流れといえるのかもしれない。これは企業風土の問題だろう。筆者はやや松下電器産業に厳しいが、「違う」つまり普遍的な表現でいえば「差別化戦略」を重視したほうがよい、という結論なのだろう。もう一つ筆者が指摘しているのは「what」の重視ということである。これまで日本企業は「とにかく小型化して低コスト化すること」を重視して成功を遂げてきた‥としている。1980年代までは「いかにして良い製品を安く作るか」が戦略要因だったとする。そうかもしれない。しかもパソコンの分野では、現在もその競争は続いているように思える。モバイルはやはりいかに小型化され、高機能か、というのは常に課題なのだが。DRAMでは日本は1980年代では世界トップといえただろう。とはいえこれもまたサムソン電子に追い抜かれる。東芝はDRAM事業から撤退したほどだ。こうした半導体事業には相当な投資額が必要だが半導体の市場ではシリコンサイクルとよばれる独特の価格カーブを描くのが知られている。韓国はこのシリコンサイクルを利用して1984年に市場参入。日本から半導体製造装置を輸入し、技術者も利用して、アメリカなどに留学した学生を半導体事業に特化させた。サムソン電子は韓国ではトップクラスの人気企業であり、しかも経営陣にはアメリカ仕込の優秀な経営スタッフがそろい、経営戦略を立案している。しかも半導体事業に特化してしまえば、差別化戦略により、日本の総合電気メーカーよりも小回りが利く部分もある。MPUなど特定目的の処理装置の多用化にも韓国がリードしたといえる。何を処理するか、といった目的志向だ。ここで筆者が提唱するのは「何を作るのか」といった製品自体への取り組みの姿勢だ。半導体事業のように、いかにして安く作るかという部分ではなく、いかにして独自性のある製品を市場に提供するか、という視点だろう。ソニー、エプソン、シャープ、オムロンといった企業が勝ち組に分類sれた。必ずしも大型市場ではなく、中型・小型の市場が非常に多く開けていくという発想だ。これは一般的には、「消費者志向」ということになるだろう。ニーズ型の商品開発をいかにしておこなうのか、という姿勢だ。リチウムイオン電池などで世界トップをにぎる三洋電機などモバイル時代にのった商品開発が実を結んだ。これからは半導体事業も特殊目的半導体など市場を細かく狭めて製品を提供していく時代といえるのかもしれない。基本的に「新しいものをめざす」と筆者はまとめているが、ちょっとそれは図式化にすぎるだろう。シーズ型の商品開発だけでは長期的展望はない。著者があげている二つ目の成功要因もまた広い意味では差別化戦略ではないか。このほかに高くても売れるものを作る、ソフトウェア重視、シナジー効果、系列取引ではない連携、環境と安全といったあたりだが、残りの5つはまあ時代性を反映しているし当たり前ともいえる。要は「他の誰でもない」というポジショニングだろう。
 これはキャリア形成でも同様のことがいえるはずだ。つまり誰でもいいような人間、つまり労働力であればそれなりの価格しかつかない。ただし、他の人間では調達しにくいようなスペシャリストであればそれなりにニーズがある。ただし、陳腐化の度合いも激しいことはいうまでもないが。
 思えば高度経済成長期には大量の労働者が学歴によって輪切りにされていたが、それは時代の背景からすればスペシャリストを必要としない時代性だったのだろう。その後、企業社会に適合できなかったリストラ組がでてくるが、これは「いかにして忠実に会社のノルマを果たすか」といったところに視点があったためだ。これからもそうした人材はある程度官庁などでは必要になるかもしれないが、やはりソニー、ホンダといった高い技術力を持ち、しかも企業革新(自己革新)をおこなう人材が必要となるのだろう。けっして中高年にとって不都合な時代ではない。ただし自己革新がない人間はやはりいわゆるルーザーズクラブの仲間入りということになりそうだ。

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