2007年12月27日木曜日

退却神経症  


著者名;笠原嘉  発行年(西暦);1988 出版社;講談社
 1980年代の本であるがこの当時からある種の「無気力・無関心・無快楽」な人間集団が問題とされていたようだ。最近ではニートとよばれる集団に該当するのかもしれない。とかく世代論で最近の若いものは‥といわれることがあるが、現在の30代・40代も「シラケ」世代などと上の世代からはいわれていたのである。「自我」という観念はすごく難しいが、定義はできないけれども「自分の他人のかかわりを説明するときに用いること」が自我ともいえアイデンティティともいえる、とか無気力の原因として「何を行動しないために行動から逃げるのか」といった問題解決法は結構有意義でもある。たとえば「なぜ労働しないのか」という問題を考えるときに「何をしないために労働しないのか」ということと問題自体は裏表の関係だ。表の問題解決ができないのならば、その対偶としてのウラの問題を考えることも有意義だろう。
 さてこの本自体の内容は現在では相当に古びてきているのではないか、というのが個人的な感想だ。1980年代はいわばアイデンティティが崩壊、イデオロギーが崩壊する一方で未曾有の好景気の時代でもある。特段にまじめにしていなくても大方の大学生は一部上場企業に就職できたし、多少留年や浪人しても経済的ロスはさほどなかった時代である。現在の27歳以上あたりがその恩恵には浴していると思う。この時代の「退却神経症」と現在の「ニート」では現在の方が問題の根が深い。日本社会における「成功パターン」とよばれる神話がもはやないため、都市銀行への就職が決まってもそれから先の競争社会は以前よりもすさまじい。就職してからその先は年下の後輩や先輩とも業績を争うことになり、それがしんどい、という気持ちはわかる。
 もともと日本人には競争原理というのはあまりなじまないところにアメリカ型経済原理がもちこまれたのだからそれはしんどい‥。社会民主主義にはもちろん限界はあるが、英米型の経済原理のほかにもフィンランドなどの北欧型資本主義の形態もこれからの日本社会には取り入れていく必要性があるのだろう。「退却」すること自体が悪いとは個人的にはぜんぜん思えない。むしと「納税が」「年金が」と上の世代の論理で切り捨てるのには問題がある。勉強や労働がすばらしいものであるならば、なぜゆえにすばらしいのか、ということを社会全体で映し出すしかないのだろう。‥おそらく好きで生き生きはたらいている世代があまりにも少なく、お手本にはなれないのがニートの原因の一つではないのか。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

記事読みました。すごく共感できました。

具体的な解決方法を、
ニート状態の人が手に入れるにはどうしたらいいのでしょうか。

gie さんのコメント...

コメントありがとうございます。おそらく私がこの本を手にしたのは自分自身が「退却したい」という願望を実感したからだと思います。具体的な解決策については,おそらく専門の産業カウンセラーに相談するのが一番ではないでしょうか。ニート状態ではあっても市役所や各地の公民館などでシンポジウムやコーナー(ジョブカフェなど)が開催されるケースがありますので,そうした場所にまず行ってみるのが一つの方法だと思います。この本を実際に図書館で借りて見るのも方法だと思いますし,わりと悲観的なことを書いてしまいましたが,憧れるような先輩やOBなどの話もきっと役に立つのではないでしょうか。御自分のライフスタイルに適したお仕事,きっとあると思いますし,それほど世の中は悪いことばっかりでもないみたいですよ…。