2007年12月23日日曜日

囚人が愛した女

著者名;ロデリク・アンスクーム 発行年(西暦);1997 出版社;扶桑社
 イギリス生まれの精神科医でもある著者のミステリー。サイコ的な要素と脱獄、監獄、逃避行、恋愛ともりだくさんだが面白い。妻を殺害した主人公が、この真相をテレビのキャスターあてに書く手紙から始まる。実はこの手紙が伏線で読者としても途中で「やられた」と思うところがあるのだがそれがこのミステリーの真髄かもしれない。狂気を扱う専門家としてハーバード・メディカル・スクールで学習した著者だけあって境界線上の主人公の扱いがうまい。
 狂気はルネサンス以前は、理性と明確には区別されていなかった。狂気は無秩序とされ、人間を楽しませるものとされ。モンテーニュやパスカルは理性の一部として考えようとしていた。17世紀以後、デカルトが狂気を「思考の成立不可能」とみなしていらい扱いが変わっていく。個人が社会や自然環境と適合できない場合を「狂気」とみなしていくのだ。そして「監禁」されていくものが増加していくようになる。人間は、身体をもちながら思考するのではなく、人間の認識は身体があることで初めて認識が可能となる‥なにやら斉藤孝氏の身体感覚に通じるが‥そうした考えで従順な身体をつくりあげるために近代の監獄が生産された。ここまでくるとミッシェル・フーコーの「監獄の誕生」の世界となる。下敷きとして「狂気の歴史」もあるのだろう。権力は無数の点から出発し、あらゆる社会現象の中に権力関係は存在するし、権力は家族・社会・翔手段の下部からうまれ、それが全体権力の基礎となる。権力はいつでもどこでもたえず生産され、最初は暴力や金であったとしても、それぞれの関係性においてそのありかたは微妙に異なってくる。主人公は知力と情報操作で「権力を行使」していくのだ。また性衝動も権力のひとつのありかたとして認識されている。ケビン・コスナーが映画化権を獲得。2004年の現在もまだ映画にはなっていないが、この狂おしい物語をいかにしてしたてあげていくのか(心配ではあるが)期待したい。

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