2007年12月22日土曜日

現代史の争点

著者名;秦郁彦  発行年(西暦);2001 出版社;文藝春秋
 客観的な事実を積み上げることで、実は左翼と右翼の両方から毀誉褒貶のある学者である。しかし学問に対するその真摯な姿勢が好感を呼ぶ現代史の解説書。数々の争点(南京大虐殺、家永三郎判決、従軍慰安婦問題、新編日本史騒動、新しい歴史教科書など)を取り上げ、最終的には情報公開法の弾力的な運用を提言されている。
 南京大虐殺については、犠牲者ゼロの「まぼろし派」から「虐殺数30万人」まで幅広い幅をもつ。しかし左右に共通する現象として「レッテルバリ」攻撃というのがある。この「レッテル」というのが非常に耳に入りやすいが、実は偏見をも招く可能性がある(有効なプロパガンダではあるが‥)。そうした手法に実はもう大半の人間があきあきしてきた。社会民主主義も共産主義も民族主義もあるひとつのレッテルのしたには個人の顔がみえず、一種独特の排他的集団関係を築き上げる。これは日本人特有の事象なのかどうなのか。
 さて「作る会」の「自虐史観」というレッテルもあまり信用がならないが、さりとて多様な教科書が中学校に供給されるのは悪くない話である。教育委員会が教科書を決定するという手法はいささか問題ありだが、実際に教育の現場で使用してみてから、PTAなど利害関係者の意見をフィードバックしていくのがこれからの新しい歴史を育てる礎になるのではないだろうか。確かにある種の「社会民主的な」香りを70年代から90年代まで日本はまといすぎた。現在はそのゆりもどしの時期だと思う。
 ただし秦氏は「多様な価値観」をこの教科書に対して肯定しているのであって、必ずしも新しければなんでもいいとはいっていない。小堀圭一郎なる東京大学のドイツ文学者の歴史著述についてはかなり痛烈な批判を加えている。実際に誤字・誤植・年号や客観的なミス等が検定合格後もかなりある教科書というのは、日本語を大事にしたい昨今どうだったのだろうか。新しいとはいっても、当然、教科書としてのユーザーの使いごこちが悪ければ当然排斥・批判すべき対象となる。これは教育書籍の宿命であろう。

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