2007年12月9日日曜日

理解できない悲惨な事件

著者名 ;リンダ・ウルフ   発行年(西暦);1989 出版社;晶文社  
 「教授と売春婦」「良家の息子」「双子の産婦人科医」「優等生の転落」「高級住宅地の惨劇」「性転換者とバーテンダーと富豪の令嬢」「蒸発した女性エリート」「傷ついた誇り」「麻薬博士」といった日常的にありふれているが理解できない事件を特集。アメリカの事件だが、この著者はすべて精神的疾患ですべての整合性をとろうとするため、「理解できない」はずの事件が「理解できる形」になってしまう。教授と売春婦とでは、教授が売春婦に自分自身のイメージを描き、それをうちくだかれないためだし、蒸発した女性エリートは躁病のために自殺した、ということになる。
 双子の産婦人科医(マーカス兄弟)は双子の類似性や奇妙な空間について調査しているが調査不足だろう。とはいえこうした「理解できない事件」というのは案外ある。ただそのすべてがヘロイン中毒や統合失調症というわけではなかろうと思う。要は人間だれしも間違うものだし、その間違いにすら気がつかない局面があるということだと思う。それがたまたま「放火」だったり「人殺し」だったりするわけでその後刑務所の中で人生を悔いるということになるわけだが。
 ある程度生きてくると「まっとうな道」「世間での道」「法律の中での暮らし」といったものについて麻痺してくる局面があったりする。だが、そうした道をはずした場合のリスクを多少は計算してだれしも世間に生きるということのなのだろう。個人主義はおそらくそうしたリスク計算について多分間違ったリスク評価をする場合もある。むしろ伝統的な共同体社会の方が間違いが少ないかもしれない。おそらく都市と田舎とでは田舎のほうが保守的だというのと似ているのかもしれない。
 さてずーっと長々とこの本を読んで特に今後得るものはないような気がしたので、捨てることにした。今日もまた何某学校の「先生」がストーカー容疑で逮捕されているが(そしておそらく免職だが)内容をみてみると、タクシーに乗ろうとした女性にすがりついて多少の怪我をおわしたというもの。数年前までは罪にすら問われなかったようなことが今問題になろうとしているのだからやはり社会勉強は必要だ。「共同体」がはたして「法律」なのかあるいは個人と個人の「感情」なのかはこの際どうでもよく、凶悪な犯罪ほど案外病気のせいにはできない理性が働いている場合もあるだろう。安易な精神的疾患に原因帰属するのは現実への考察をおこたる一番の言い訳になるのかもしれない。

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