著者名;花村萬月 発行年(西暦);2003 出版社;集英社
花村萬月という小説家はおそらく文学という虚構の世界と現実世界とを渾然とさせ、露悪的に描写することで読んでいる人間もまた自らの露悪主義に嫌気がさすといった読後感を味わせてくれる貴重な作家だ。「頭が痛い」という現象で、そこから話が始まるのだが、実はそうした空想世界が自分も大好きだったりする。特にこの虹列車は昭和58年という時代が舞台になっているが(おそらく他の小説はもっと後の時代だろう)、この時代は高度経済成長期からバブルに移行しようとする微妙な時期であり、またマルクスレーニン主義のようなユートピアが喪失した時期でもある。ソビエト連邦はまた存在していたが、そこはかとなく共産主義や社会民主主義が滅びていく予感と冷戦構造のそれでも永続性とが混在しており、「旅」に逃げ場をもとめる学生や社会人が多数いたころだ。「希望」とか「モデル」とかいったものが存在しない時代には人間は誰しも方向性を見失う。安易にある種のイデオロギーやら「象徴」やら「愛国主義」とやらに逃げ込むことができるほど頭が悪くはなく、かといって完全なオリジナルの世界に逃げ込むことが出来るほど万人の頭がいいわけでもない。そうした凡庸な人間にとって「旅」という言葉は逃げ場としてまさしくふさわしいアイテムだったのだ。もちろんこの小説をよんで世界が変わるなどということはありえない。ありえないが、少しでも生活や下半身や結婚や愛やといった空虚な言葉から脱して自分の姿を「実感」することができる。
「音が重力をともなう」という一つの文章に何かを感じることができるかできないかが花村萬月の小説を読む気になれるかなれないかの境目で、しかもその言葉についてある程度花村萬月の意図とはさらに無関係な「物語」をつむげるかどうかが、また人間をさらに分類してくれる。つまり、ただのアームチェア型の読者か、あるいは一度読んだ小説をそのままゴミ箱にすてて自らの世界をさらにつむぎだせる読者である。
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