2007年11月17日土曜日

よのなか

著者名 ;藤原和博 発行年(西暦);1999  出版社;筑摩書房
 元リクルートの社員にして現在は公立中学校の教職員として働く、まさしく「ヨノナカ」を知り尽くした大人のある意味挑戦的なテキストである。セックスや暴力とかいったテーマにも逃げずに取り組み、藤原氏はかつての自分自身の中学生時代の「ささやかなワルコイコト」なども紹介されておられる。ハンバーガーの価格をもとにした国際経済の入門などは非常に導入としては面白いわけだが、やはり一番挑戦的なのはラストの宮台真司氏の論文であろう。
 ニーチェなどを引用しつつ題材は売買春であり、しかも導入部にはニーチェである。中学生によませていいのかどうかわからないが、多分よませたほうがいい題材だと想う。ニーチェの神は死んだ…という言葉をわかりやすく転用し、「今をどれだけ濃密に生きることが出来るか」と問いかける。「意味がみつからないから良い人生がいきれないわけではない。逆に良い人生がおくれていないから意味をみつける」というように。
 確かに人間は意味(物語)ではなく、「強度」(体感・感覚)などで祭りなどの行事を通じて生きてきたわけであり、意味がさきにあったわけではないのに、そこに意味や物語をみつけようとしている。そして近代社会は「意味」をみつけることによって成立してきた…と見事な切り口である。そしてすすめられるのは世界とうまくシンクロして、強度や感性といったものを世界から引き出す術をみにつけないと非常に厳しい…といった鋭い指摘がなされる。おそらく確かに昔は「意味がないから生きていけない」という人が多かったのかもしれないが、今は「世界が楽しくない」「社会に面白みがない」という人間の方が辛いのではなかろうか。そこで進められるのが「一生懸命になること」であって、幸せでもなく不幸でもない人生というものがいかに辛いものかがニーチェをとっかかりに分析されていく。
 そこには絶対性とか論理性とかではなく(つまり近代の教えではなく)偶然に左右され、それにさらされることによって逆に強度が増してくるという見方もでてくるというわけだ。そしてここで日本語として「しょせん」という言葉と「あえて」という言葉の違いに注意を喚起させる。「しょせん」‥だからやらないのか中途半端なのか、あるいは「あえて」不利だからこそやるのかやらないのかといった濃密さの違い。そして売春の動機を金銭ではなくいわゆるマズローの「承認動機」にもとめ、傷つくこと・癒されることといった問題提起にからめて人間の複雑さを描きとる。「性欲は自分ではなく自分の中にある他人である」という指摘にはギクとする。
 男性は自分が自分にたちかえるためにセックスをし、女性は自分でない自分に身を任せるためにセックスをするという2分割思考はやや誤解を招く表現かもしれないが、少なくとも「意味」ではなく「強度」の世界へ近代社会が変換しようとしている現実の一部を社会学者らしく描写しているとは想う。そしてラストに近くなると「日常性の安定性」を確保するために「非日常性の空間化」がなされるという指摘までしてしまう。そして「今」「ここ」をいかにして楽しむか、コミュニケートしていくかということがいかに重要なのかが結論として示されていく。セックスや暴力が本来近代社会の中では意味の体系(結婚や戦争)の中にシステム化されていたものが、その範疇にはおあさまりきれない「濃密な体感」へ拡大していく現状。そして個々に今、そうした「体感」と「ともに生きること」「社会の存続」との両立のテーマを探るというのが最後の問題提起となる。
 理由が不明な犯罪というのはおそらく「意味」ではなく「体感」の世界なのだろう。しかし全員がそれをやってしまえば社会は成立しない。それを野放しにするわけにはいかない。で、なぜこうした論調がラストにきたのか。それは教育という世界あるいは学問という世界で、「体感」や「感性」といったものを感じることができるのではないのか…といった暗黙のテーマ提起に思える。
 論理というのはしょせんは「ただの仮説」。ただしあえてその「仮説」をとなえることで社会の存続と意味の解体とのバランスを図るというのは今後21世紀の日本にとっては大きな課題になるし、また意味を超えた感覚、あるいは神に頼らない濃密な人生といったものをいかに選択肢として、あるいは人生の先輩の実例として示せるかといったことにもつながる。「ヨノナカ」とはとどのところ論理は最低限の問題で現実ではおそらくほとんど感性だけが頼りの世界でもある。そこで意味を放り出すことなく、終わりがないあるいは果てしがない日常生活をいかに感覚的に楽しみながら生きていけるか。
 内容はきわめて濃い。面白い教科書副読本だが…文部科学省は認めない内容だろうなあ、きっと。だって官庁なんで終わりなき日常そのものでしかないし、法令という物語の中だけにしか存在できない組織体なのだし。こんな本が出版されてしまうこと自体が非常に「刺激的」で、すばらしい。

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