2007年11月25日日曜日

ユダヤ系アメリカ人

著者名;本間長世 発行年(西暦);1998  出版社;PHP研究所
 著者の本間長世氏には、英語の授業を受けた経験がある。オーソドクスな授業展開で多分学生の「頭の悪さ」にいらいらされていたのではないかと今思えばするが、かなり紳士的な扱いで授業を進められ、「一般教養」という授業であるにもかかわらずトクヴィルなどの英語教材をわざと理系進学予定の学生に読ませておられた。当時の理系の学生と今の理系の学生とでそれほど意識に差があるとは思えず、「まあ単位さえもらえればいいや」と考える99パーセントの学生の中でそれでも同期の人間の中には1000人に一人ぐらいの確率ではあるがめざましい英語読解能力を身に付ける人間もいたことはいた。なんだか今思えば懐かしい気もするが、当時の教授の姿勢は自ら学ぶ者にはチャンスを与え、そうでない者には単位だけ与える…という合理的な授業展開をされていたように思う。
 さてこの「ユダヤ系アメリカ人」でもほとんどの読者がサラリーマンと想定される新書の中で、かなり大胆な試みをしている。ユダヤ系アメリカ人の歴史をまずヨーロッパ、そしてローマ帝国までさかのぼり、そしてまた現在にたちかえり、アメリカ人とは何かを定義しようというのである。壮大な試みでしかも途中ハンナ・アレントの「全体主義の起源」まで引用されるのだから壮大だ。だがかつての教授がそうであったのと同様にこの新書から巻末の膨大な英語文献に進む読者を1パーセントの確率で模索されているのではないかという予感もしないではない。売れるというより読者を刺激して啓発するという本来の書籍の役割を果たそうとしている気もする。そんな刺激的な本なのである。
 したがってアウシュビッツの歴史も単にドイツだけの問題とはせずにアメリカや英国でのユダヤ人差別も取り上げ相対主義的な観点で材料を調える。キッシンジャーもとりあげられるがユダヤ系マフィアについてもとりあげる。裏社会も表社会と同じくアメリカ人の定義にしするからだろう。そしてこの本のサブタイトルは「偉大な成功物語のジレンマ」となっている。戦後、ウッディアレンなど文化人やエンターテイナーを生み出し、そしてマスコミや金融業界で大成功を収めたユダヤ人は、そのアイデンティティを失いつつある。ワスプとユダヤ人との混合といった現象は、ユダヤ人としての民族アイデンティティを喪失させる結果にもなっていることへつながる。だがしかしそれはアメリカ人を定義することが難しくなることと同じだ。一見差別はなくなったようだ。だがしかしそれはアメリカ人というものをどうするのかといったテーマには実は結びつかない。したがって「ジレンマ」となるのである。面白いし、しかも将来につながる話でビリー・ワイルダーや「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」など映画からの題材も多数ある。

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