2007年11月24日土曜日

初等ヤクザの犯罪学教室

著者名;浅田次郎 発行年(西暦);1993 出版社;ワニブックス
 浅田次郎の小説には一時期はまって読み漁った記憶がある。エッセイから長編小説までその当時入手できるものはすべて入手して読破し、手元に残したのはこの本とあと数冊で残りはすべて処分した。もともと「企業舎弟」として独特の経済犯罪(?)に手を染めた浅田氏はそうした生活の中でも小説家になることを目的として、文章や小説の読破は毎日されていたそうだ。犯罪者としてではなく、直木賞作家としてかなり遅れたデビューだったが、受賞後も売れる本を連続して出版できたのは、それまでの極道としての生活の中で自分なりのデータベースを蓄積していたからだろう。この本の中でも、「拙速を尊ばず」「悪いことほどまじめにやる」「「常に勤勉であれ」とまるで「論語」のような犯罪哲学が説かれるのであるが、「すべて大きな仕事というのはその社会的正当性とは関係なく、すべて知識と教養に支えられているものでありまして、犯罪の分野でもまた然りであります」という一文に浅田氏の人生哲学が凝縮されているようにも思える。「この先、どんな世の中になっても書物こそが精神と頭脳を練磨しうる最大の利器なのであります」と書くその哲学は、シュラバを踏まえつつも社会的正当性が最大限に発揮される文芸という場所で昇華されたように思う。直木賞はやはりバカにはできない。なぜってとれる人間はこれから何十年たっても一握りに過ぎない。やはり賞であれ小説であれ、最初に形にしてしまった人間にこそ賞賛される資格がある。ときに「功利的」とも評される浅田氏だが個人的には、やはり己の人生をかけてそして中高年の領域に達して文章に反映できる浅田氏の生き様は、今のこの逼塞した平成の時代に人一倍味わいぶかいものがあるように思える。

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