2007年11月20日火曜日

皇妃エリザベート

著者名;名取香子・ジャン・デ・カール 発行年(西暦);2001 出版社;講談社
 フランツ・ヨーゼフが静かに語る場面からエリザベート暗殺まで。さらに息子ルドルフの「心中事件」については、通説とは異なる展開を示す。格式が重視されたウィーンでのハプスブルグ家の生活が結構リアルだったりする。、あたハンガリー帝国への思い入れもビジュアルに伝わる。1837年ミュンヘン生まれのエリザベートは、南ドイツの貴族ヴィッテルスバッハ一族。政治的な動きはあまりミュージカルなどではとりあげられないが、1866年にオーストリアがプロイセンに敗北して、ドイツ周辺への影響力を失うと支配下のハンガリーがハプスブルグに対抗しようとするのをおさえつけ、オーストリア=ハンガリー帝国の創設にも尽力したようだ。この当時ハプスブルグ家は凋落しようとしており、支配していたイタリアも1859年に独立戦争をおこすがエリザベートはイタリアにもかけつけようとした。ただし本人はいずれ共和制へ政治が移行するであろうという予測もそなわっていたという。しかしそうした19世紀の凋落の中でウィーンは世界文化の中でも特筆すべき発展をみせる。音楽ではマーラー、ヨハン・シュトラウス、ブラームス、ブルックナー、画家のクリムト、心理学のフロイト、文学のカフカ、リルケ、経済学者のシュンペーターやそのほかのいわゆるオーストリア学派(微分などを用いて限界革命という手法をうみだした)。このハプスブルグ王朝はエリザベートが1898年にスイスのレマン湖で暗殺された20年後に第一次世界大戦終戦時に帝国内諸民族代表者会議をへて滅亡する。中部ヨーロッパを支配、いやヨーロッパ全体を支配したこの王朝の最後にはやはりこうしたヒロインが登場するというめぐりあわせか…。

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