2007年11月24日土曜日

斉藤孝の読むチカラ

著者名;斉藤孝  発行年(西暦);2004 出版社;宝島社
 「間主観性」という耳慣れない言葉で現代国語の答案、とりわけ記述式は出題者の主観と解答する人間の主観との「間」(=グレーゾーン)をいかに埋めていくかと説明してくれる。出題者の意図をくみとって、さらに解答する側は問題文の「限定条件」を判断し、答案を記述するという制度システムを明確に説明してくれる。こうした発想は近代主義の産物だが、斉藤孝氏は別の書籍で「近代が理解できないのにポストモダンが理解できるわけがない」という趣旨のことを書かれている。まずは「おそらくこうであろうという出題者の意図を汲み取り、それにそって近代主義的に答案を書く」という方法論を提示したものだと思う。「絶対問わなければならない問題のツボ」を踏まえた問題が品性のある問題であり、その問題にいかにして公共性、古典(法律でいえば通説か)を引用しつつ的確に答案が論述されるかの方法論について述べられ、必ずしも楽ではないが、しかし近代主義を超えるには必要な方法論を提示してくれていると思う。こうした近代の答案を書くにはもちろん情報処理能力が高くなければならないわけだが、それは限られた時間の中で答案をいかに構成していくかという問題にもなるわけで、限定された資源を最大限活用するという近代経済学の趣旨にもそう。ということはこうした本を読むことも決して無駄ではなく、営業力などにも応用可能なスキルが提示されているのだと思う。いわば答案は違う主観と主観の間を埋める共通理解を示すものだから、「共通理解」「共通理解」といったシグナルを送らなければならない。マークシートであれば当然共通理解はマーキングで提示されるわけだが、文字や論旨などすべてにわたる共通理解を把握するには、う~ん、やっぱり記述式が一番なのか…。

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