2007年11月23日金曜日

日本社会と天皇制

著者名 ;網野善彦 発行年(西暦);1988 出版社;岩波書店
 日本の伝統文化とか島国とか表現をする場合、どうしても前提にしがちなのが、縄文時代から日本は単独で現在の国境に準した範囲内で民族意識を固めていった…というような過ちである。実際には西日本文化圏内と東日本文化圏内に大別でき、西日本文化圏の基盤が弥生時代、東日本文化圏内が縄文時代でその文化が同じ時間軸に並ぶには約200年のタイムラグがあったとされる。また北海道南部と東北北部に存在したアイヌ文化圏や沖縄の琉球王国文化圏、さらに西日本と朝鮮半島を同じ文化圏でくくることも可能というダイナミックな歴史を紹介され、どうしても歴史認識という場合にそもそも地理的前提を最初からうのみにしている素人の度肝をぬいてくれる。ただ済州島をはじめとする日本と朝鮮半島のかかわりについては昔から興味があったうえ、日本語とハングルの奇妙な近接についてもかねてから好奇心をもっていたのでさほどの違和感がなく読み進めることができる。
 そして本題は南北王朝に入るがこの時期の奇妙さは日本の皇族が南朝と北朝に分離し、さらには南朝が吉野を中心として独特のエネルギーと威信をほこっていたということだろう。何が正当かを決定するときに、正当性を血族に求める場合、後醍醐天皇というある種日本文化の転換時代を演出した異色の王権を忘れることはできない。著者は当時の後醍醐天皇が独特の社会勢力を動因しエネルギーにあふれる社会変革を志した歴史的証拠で実証し、後醍醐天皇がよりどころとしていた信仰や曼荼羅も紹介する。そして平安時代、鎌倉時代そして室町時代と続いていった一連の時代の中で南北王朝がはたした役割を考察し、被差別部落についての認識が南北王朝以後、江戸時代にいたるまでに変質していったプロセスを考察する。また白拍子といわれる白拍子舞を踊る遊女が平安時代には神社などにも系列をもつ社会的地位が高い存在だったのが南北朝時代以後変質していった原因も明らかにする。「平家物語」などに紹介される白拍子は「男舞」などとよばれていたようだが、けっして今考えるような存在ではない。
 ただこうした考察は21世紀の日本人にとっては確かに信じられないような世界観ではある。だがしかし、過去の歴史や文化遺産をさらに深く読み込んで浅薄な民族意識ではなく、人間がもつもっとドロドロした深い深層を含めて民族というものを考えていかないとこれからの国際社会では清廉潔白で優秀な大和民族といった単純な民族観では諸外国の逆に軽蔑を受けることになるのだろう。静かに、そして深く、ときにはドロドロした深いところから高みをめざすといった気概がある人で歴史に興味がある人には絶対に面白い本であるに違いない。

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