2007年11月23日金曜日

ハプスブルグ愛の物語

著者名;江村 洋 発行年(西暦);1999 出版社;東洋書林
 ルドルフ1世がドイツ王に選定された1237年からサラエボ事件発生の1914年にわたり約650年間にわたり中欧を支配(あるいはヨーロッパ全土を支配)したハプスブルグ家。その中でも特定のカップルに焦点をあわせた歴史書籍。マクシミリアン1世の子フィリップ美公とスペイン王女ファナの結婚はハプスブルグにスペイン王国をもたらす。だいたいこのファナについてはいろいろ「奇行」が伝えらられているが、この本では精神にやや変調をきたしたのはフィリップが死んでからというスタンスをとる。
 第2章ではこのフィリップとファナの息子カール5世とイザベラ・フォン・ポルトガルをとりあげる。このカール5世がハプスブルグを世界の頂点へのいざなうが、この人はマクシミリアン1世の孫。宗教問題の解決など弟フェルディナントと解決にあたるが、この本ではそうした歴史の話ではなく堅物といわれたこのカール5世がレーゲンスブルグで22歳のバルバラと知り合ったことに力点がおかれる。ただこのカール5世は当時の資料でも相当に生活習慣病をやんでいたらしく通風、糖尿病、腎結石などをわずらいその死に様は「食い死」と表現されている。その後バルバラはカール5世の子どもと「いわれる」ジャロニモを出産。カール5世のあとをついだフィリップ2世の時代にこの「私生児」ジェロニモは一応フィリップ2世に「認知」されるが、名前をドン・ファン・ダウストリアとし、特に軍事面で才能を発揮させる。スペインが失ったネーデルランドを取り戻す任務など相当重要な仕事も請け負ったようだ。しかしチフスで死亡するわけだが、この第2章は本来はカール5世の話のようなのに実はその私生児ジェロニモのほうが重視されているという不可思議さ。
 そして時代は一気にくだり、マリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世とイザベラ・フォン・パルマというルイ15世の孫の結婚にうつる。7年戦争の最中に結婚式がおこなわれ、潔癖なイザベラと「ややいろいろすき物」のヨーゼフ2世の生活ぶりが描写されている。そして第4章ではフランツ・ヨーゼフとかのエリザベートでこれはかなり有名な話ではあるがその章では、フランツ・ヨーゼフがひそかに交際していたカタリーナ・シュラットとエリザベート、ヨーゼフの三角関係に焦点があう。さらにその息子ルドルフとベルギーのシュテファニーの結婚だがなんとこの本でルドルフが性病に罹患しておりシュテファニーも感染したことなどが著述。そしてその最中に17歳のマリー・ヴェッツアラと知り合い、ルドルフが離婚を要請する話を紹介する。しかしカソリックの影響が強い状態で離婚は認められず、ルドルフはマリーを銃撃してさらに自殺してしまうわけだが、イラストや写真も含めてイメージが膨らむ章になっている。そして最後の章はフランツ・フェルディナントとゾフィー・ホテク。ハンガリー人に対して警戒心をいだき、スラブ人との共生をめざすフェルディナンド皇太子はベルギーの女官ゾフィー・ホテクと結婚する(当時32歳)。1914年6月にサラエボの軍事演習に二人は参加するが、王朝打倒をめざす勢力がかなり過激になっていたが、その最中にギムナジウムの学生ガブリロ・プリンシープのたまたま撃った銃で射殺される。650年の王朝がいきもたえだえとなる様子を伝えるエピソードではあるが、特に愛人関係や夫婦関係などにややもすれば過激とも思える描写をはさみ、記述したのがこの本で、個人的には非常に面白く読んだ。なんていってもゴシップというのは人間にはどうしてもついてまわるが、しかもこれはヨーロッパでもなにしおう名家の650年の歴史の中でのエピソード。タイトルがやや扇情的ではあるものの読んでけっして退屈することはないと思う。

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