2007年11月17日土曜日

宮沢賢治~縄文の記憶

著者名;綱澤満昭 発行年(西暦);1996 出版社;風媒社
 「商業」に対して「農業」に生きた宮沢賢治。父親との確執と日蓮宗への傾倒。そして柳田邦男が「山男」(稲作を生業としない人々)の研究から離れていったのに対して縄文時代、つまり稲作をせず自然と共生しようとしたライフスタイルに作品の根源をみる。また稲作は近畿に発生した王権国家の国家政策の一環だったともしている。本来の日本文化は稲作文化よりも幅広く奥深いものであったはずだが、それを具現化していたのが宮沢賢治だったのではないかという指摘である。また性欲や食欲をとにかく抑制して作品に昇華しようとしていた様子も紹介されているが、どうにも本全体の中では落ち着きは悪い。生産性や分類することで「大人」になるという分類があるとすれば宮澤は子供と大人という分類さえも拒否していた、そして大人になることへの拒否についても相当なエネルギーを消費していたのではないかという論調で、ちょっと面白い宮沢賢治論ではある。

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