2007年11月1日木曜日

皇女アナスタシアは生きていたか

著者名 ;桐生操 発行年(西暦);1996 出版社;福武書店
 「鉄仮面」の題材となったルイ13世とその妻アンヌの謎、フランス革命の嵐の最中、マリー・アントワネットの息子ルイ17世がすりかえられて生き延びたのではないかという伝説、この手の本では必ず取り上げられるカスパール・ハウザー、皇女アナスタシア、そして1978年のヨハネ・パウロ1世といった5人について語られる。鉄仮面の本性についてはルイ13世が性的に不能だった(らしい)ことから、アンヌが産み落とした双子の片割れという説もあるが、このあたりはどうとでも理屈はつくのであまり面白みがない。ルイ17世はルイ16世やマリー・アントワネットの断頭台での死刑とルイ18世の王政復古の狭間でいかにもありそうな話で興味がある程度はわく。ブルボン王朝の血筋というのがこの時期、特に国際的承認が必要なフランス革命政府にとってはそれなりの重要性は当然あっただろうからすり替え説というのも信憑性があるだろう。カスパール・ハウザーについてはコリン・ウィルソンの「世界不思議百科」のほうが面白いし歴史的考察も深い。皇女アナスタシアについては、おそらくこれは都市伝説の一つなのだろう。ただ当時の国際状況の分析がわかりやすい。ロシア皇女のアレクサンドラは祖母がヴィクトリア女王。ということで当時のドイツのウィルヘルム2世とは従弟同士という関係にある。ロシア革命成立後もウィルヘルム皇帝は革命政府にドイツの血をひく皇女とその娘の引渡しを求めていたらしい。1918年にドイツ大使館に押し入った革命党員がドイツ大使を暗殺するという事件が起きるが、レーニンはドイツ大使館に赴いて陳謝している。この事件をきっかけにドイツとロシアの国際関係は悪化。さらに国内の過激派の鎮圧という内外の敵にレーニンは苦慮することになる。この情勢で皇女やアナスタシアを処刑するという行動にはレーニンは確かにでないだろう。最終的にボルシェビキは皇帝を処刑することで国内過激派をなだめ、皇后や皇女についてはドイツに引き渡すことで国際関係を維持しようとしたのではないか、と桐生は推測する。ただ1918年9月以後、ドイツでは国内に革命が勃発し、ウィルヘルム皇帝自身が亡命せざるをえなくなる。この時点で皇后や皇女を国際外交のカードにする必要性はなくなる。さらにその後ソビエトではいわゆる「赤色テロ」が過激化し、1919年9月にはロマノフ王朝の血筋をひく4人の大公が暗殺されるほか、旧体制側の人間が秘密警察によって殺されるという事件が相次ぐ。常識的にはこの時点でアナスタシアも処刑されたと考えるべきだろう。にもかかわらず自称アナスタシアが姿を現すのは、おそらくロマノフ王朝という存在が憎まれつつも、レーニンとは違った意味での統治性を維持していたことに民衆が気がつき始めていたからかもしれない。秘密警察が跋扈し、処刑が相次ぐ世相の中で、労働者独裁というマルクス主義では予想もしないバケモノ国家がそれ以後成長していく。その方向性の間違いに一番早く気がついていたのはおそらく当の市民階級・労働者階級そして農民だったのかもしれない。

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