2007年11月1日木曜日

男と女のゼニ学

著者名;青木雄二 発行年(西暦);1997 出版社;ワニブックス
 「訴える」という言葉が日常的に使われるようになった時代、それでもおそらく民事裁判で判決までいくのは相当に珍しく、たいていが和解が示談で終了。実際には裁判開始前に示談で終了するケースがほとんどだろう。一つには判決まで待ってもたいていが社会的調和のもと常識的なレベルでの司法判断がでるためで、それならお互い痛みわけというのが常識的なライン。ただいったん判決がでてから控訴までいくとたいてい最高裁までいく。それはもう面子の問題で金銭とか時間の浪費とかいうレベルの話ではないからだ。
 この本ではさまざまな経済犯罪の事例を取り扱っているのだが、民事裁判で争っていた者が刑事裁判に切り替えるところまで描写してくれている。著者はすでにお亡くなりになっているが、スリランカ女性を集団で詐欺にはめた長野県の何某結婚斡旋団体などはその知能的な犯罪に対して適用されたのは当時の公正証書不実記載および同行使で略式起訴で罰金20万円。刑事裁判の後にそのスリランカ女性が民事裁判での損害賠償請求で1200万円という判決の例がある。
 ここから先が著者の鋭いところだが詐欺師の手順について「人間はだれでも今の生活より一歩上の生活をしたいと願っている」「詐欺師やペテン師はそこにつけこむ」と喝破している。そしてさらに「人間が人間であるかぎり詐欺はなくならない」としているのだが、どんな大企業の経営者であれ官僚であれ、基本的には人間、男と女がになっていると分析する著者にしてみれば、旧日本興業銀行を舞台にした1000億円融資事件についてもさほど驚く様子もみせない。
 このあたりの人間の「苦しさ」みたいなものは相変わらずで、今日のニュースでは約200万円相当額を「窃盗」した中学生が逮捕(窃盗罪は10年以下の懲役)。東京の地下鉄構内で発生したセクハラだが、これは民事裁判の慰謝料がだいたい約50万円ぐらい。離婚裁判では、有責配偶者は無籍配偶者に対して慰謝料が請求される可能性がある(裁判官と調停員の査定がおこなわれるが数百万円になるケースも。数十万円から100万円程度が相場か)。一種結果だけ考えれば非合理な行動にも思えるのだが「分をわきまえる」ということを著者は訴える。「値段が高い以上に長持ちするものがある。だからきちんとした品物を年収に応じて選らんでいるのなら問題がない」というありきたりにみえて非凡な結論を出してくれる。「人間の生活には山があって谷がある。ええときがあって悪いときもある。それをわかっているのが賢い女」「賢い人間は、生きていくうえで自分の分に合った夢と希望を描く。けっして分をすぎた夢をいだくことはない」。な~んかいい言葉だ。

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