小学生のころに両親を殺害した主人公は荒れ果てた家屋のゴミの中で眠る。なにもかもを淡々と虚無的に吸収して、しかも絵画には独特の表現がほとばしるという個性のかたまり。「閉ざされた空間」の中の虚無的な成年という花村萬月の得意なキャラクターがこれまでの作品とは違ったストーリーで第一歩と結末を迎える…。
「キワム」と「チビ」。世俗と聖の対比を織り成す二人は当然一人の人間の中に通常は同居しているはず。説教癖のある組長というのは、暴力を超えてしかし政治家には達しなかった一種の哲学者の役回り。そしてラストでは、片方は傷をおいつつ新たな人生をめざし、片方はひたすら「逃避」し続ける…わかりやすすぎる2分対立なんだけれど…。とはいえ、第1巻や第2巻ではみえなかった「キワム」の「なにもなさ」「しょうもなさ」は後半部分になっていきなり浮かび上がってくる…。「虚」といえば聞こえはいいのだが、「しょうもない」といえば「しょうもない存在」。それがまたとてつもない「力」をもつという矛盾…。
山奥で犬・犬・犬(ドッグ・ドッグ・ドッグ)に囲まれながらヘッドライトの下で自分の世界だけに通じる論理がこだまする。そこにあるのは犬・犬・犬(ドッグ・ドッグ・ドッグ)に食いちぎられた人間の残骸…。映画でいえば「野獣の証明」の松田優作を思い出す…
原作があの花村萬月。擬似家族体を構成しているという風評と主人公が必ず最後は死ぬかあるいは正常な意識を失うか、といったラストのパターン化がここでは別の形で昇華する。世俗的なものすべてに背をむけて自分の虚無の中にしかいきない青年。世俗的な生活をめざすチビ。その二人は山奥で誰にも見られない場所で、ある事件を引き起こす。誰にも取り込まれないで生きようとする人間は自分だけもモラルを貫き通し、最後はそれに準じる形となる。しかしそこでもまだ「自分」の倫理を通してしか、世界がみられないという救いの無さが「さそうあきら」の絵と微妙にマッチ。3年ほど前に第1巻から第3巻まで読んで実はそのままラストまで読めなかったこの漫画。時間を越えて読んでみると第4巻と第5巻のほうが凄い。
「忘れ去られた人間の悲しさってわかる?」という登場人物の女性の台詞が重い。
0 件のコメント:
コメントを投稿