2007年10月31日水曜日

沈まぬ太陽②アフリカ編下

著者名;山崎豊子 発行年(西暦);2001 出版社;新潮社
 パキスタンのカラチ支店からイランのテヘランに赴任する場面から始まる。ペルシア証人=砂漠の民の厳しい商法に耐えながら恩地はテヘランでテヘラン支店の開設準備を始める。論理性・表現性・人格を重視してイラン人の現地採用を充実させ、支店の備品をそろえる。その最中母親が日本で亡くなる一方で、会社では第二組合が創設され、第一組合の組合員は陰湿ないじめにあっていた。現在このモデルとおもわれる企業の21世紀初頭の財務状況は、約2兆円を超える有利子負債にあえぎ、さらに競争会社とのコストカット競争も余儀なくされる中、代表取締役の解任劇が新聞で報道されている。イランのロイヤルファミリーの腐敗ぶりが描かれるが、中近東の情報が少なかった当時の日本ではロイヤルファミリーというだけで取引条件を緩和したり、バックマージンを支払うといったことは十分に考えられる。鹿児島出身の豪快なテヘラン支店長は更迭されるなど、理不尽な人事が横行する中、社内の良識派はどんどん閑職に追いやられていく。そんな中でも恩地のすごいところは「会社が自分の我慢の限界を待っているのだと思うと焦燥の気ぶりは見せられない」と自分にいいきかせているところだ。確かに感情的な行動や尊大な振る舞いは企業社会ではタブー。閑職が長い人間であるのに、そうした客観的認識はカラチ支店からテヘラン支店に異動してもなお衰えることがない。そしてテヘラン支店からさらにアフリカ、ケニアのナイロビ支店への異動が通知される。当時のナイロビには飛行機は飛んでいない。
 10年にも及ぶ生殺しの状態に耐え、時には猟銃を自室で乱射するという行動をとりながらも、あくまで倫理的に行動しようとするこの精神力がこの人物の魅力だろう。
 企業社会というのはどうしても派閥の中で、個人の意見が優先されない面がある。そして会社自身も「個人の意見」はけむたい。ある意味で、こうして非常に魅力的ではあるが、個性的な人物への報復人事はおそらく高度経済成長期には相当におこなわれていたのだろう。作者は執拗に「総務」としての主人公の日常生活を綿密に描きながらも、ストーリーとしては絶妙のタイミングで飛行機事故のアクシデントと隠蔽工作の様子を挿入し、最後は東京都中央労働委員会や国会質問などの様子も描きだす。ここまで「自分」あるいは「ライフスタイル」にこだわる人間というのは現在でも少数派というよりも皆無に近いのではないだろうか。そして会社上層部のほとんどが冷淡な振る舞いをするのも無理はない。個性を殺すことでしか会社経営の中では生きていけないのだから。どんな大企業であっても、最終的には一人の人間が動かしている。そしてその人間が常に高度な判断力を兼ね備えているわけではない。そうしたミスが「空の安全」という社会上の倫理と営業追求という使命の2つを追求していくのは相当に難しい。主人公恩地の姿はある意味ヒーローだが、ある意味では生まれる時代を間違えた人物であるかもしれない。だが多くの人間がこの恩地に共感をよせる理由。それは大方の人間が少なからず、不満をかかえながら自分個人の「倫理性」を貫こうとしているからではないかと思う。そこに日本社会の希望がある。

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