2007年10月28日日曜日

OUT

著者名;桐野夏生 発行年(西暦);1997 出版社;講談社
 8年前に出版された直後に購入して読破し、気になりながらもこれまで読み返さずにいた。その後映画化もされたがその映画も気乗りがしないまま見ておらず、気が思いながらやはり読み返してしまった1冊ということになる。
 粗筋はもはやその後ベストセラーになったこともあり、また現実にこの小説の内容を地でいくような事件が発生したこともあって、有名すぎるほど有名。「主役」を勤める4人の女性はいずれも「近代家族」の枠組みを外れているし、「敵役」となる「佐竹」も「近代家族」の枠組みから遠く離れた存在だ。「弥生」は祝福された結婚式をあげたものの旦那はバーの女とバカラに入れあげる。「邦子」は消費生活に生きるライフスタイルでクレジットローンで自己破産すれすれの生活。ヨシエは介護と二人の娘と孫の面倒で毎日の生活に追われている。そして「雅子」は、建築不動産会社の営業マンの旦那と高校中退の息子を抱える43歳の主婦という設定だ。この中でも「雅子」がやはり突出しているのは、家族の崩壊を客観的に認知しつつ、さらに個人のジャイロスコープをしっかり維持している点だろう。それだけに自分の意思とは無関係にどんどん粗筋の主役におどりでてくるプロセスが痛々しい。どうにもやりきれない「産業廃棄物」的な仕事でためたお金をもとに人生の再出発を最後ははかるのだが、必ずしも祝福は出来ない上にすでに薄暗いイメージが基調にあるので前途も安泰とはいいがたいという救いのない結末だ。ラストは4人それぞれが「解放」されるのだが、はたしてその「解放」が本当に「解放」だったのかどうかも怪しい。実はそのまま「解放」されたりせずに、現状追認で生きていたほうが幸せだったのかも…と突きつけられるような終わり方が読んでいて苦しいのかもしれない。
 いろいろな読み方があるとは思うが、数百円規模の「話」から数千万円の規模までお金の話がずっと生々しく描かれ、結構大事件を引き起こしている割に「3,000円」のお釣りの話などがでてくる瞬間にリアリティのある現実感に読者は引き戻される。どこにあってもおかしくはない家族の風景にお金の話で、今自分が暮らしている日常生活というのも結構基盤が脆いということを再実感するからかもしれない。読んでいるうちに一種の「崩落感覚」を味わうのはなんだか「悪夢」をみているようなやりきれなさを覚えたりもする。
 なんの教訓めいた話も救いもなさそうにみえるこの本がそれでもベストセラーになったのは、もう一つの人生をこの中に誰もが見出すからかもしれない。これがアメリカが舞台だったならこうはならないだろうし、1990年代のバブル崩壊の暗い世相とバブルの遺産に苦しむ日本の姿もだぶる。

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