2007年10月28日日曜日

会社本位主義は崩れるか

著者名 ;奥村宏 発行年(西暦);1994 出版社;岩波新書
 バブル経済がはじけた後の日本経済の惨状を伝える一種の「古典」に近い書籍になったのかもしれない。企業集団の問題、ケイレツの問題については連結財務諸表作成基準の改正により相当透明化が進んだし、株式所有の法人化についても自己株式の取得が自由化されているほかに有価証券の時価評価制度が導入されているので以前よりも持ち合い株式というものは重要性はなくなった。もちろん持ち合い株式やマトリックス保有制度というものは当然残存はしているだろうが、評価損が膨らんだ場合には経営陣が代表訴訟などにさらされるリスクがあるため、業績の悪い持ち合い株式は当然売却せざるをえないことになる。政治献金の問題もかなり透明化が進んできたと思う。労働から仕事へというハンナ・アレントの言葉がラストに引用されているのだが、もし、これからの日本資本主義が克服すべき問題というのはこの「仕事」思想の浸透ではないかと思う。
 大企業神話というものもかつてほど存在はしていないはずだが(というのは大企業であっても辞めたり転職する人は時代をこえて一定の割合で存在するわけで)、仕事をいかに社会性に結び付けるか、というテーマはこれからますます問われる局面は増えるだろう。情報処理企業のL社が証券取引法違反で現在刑事告訴されているわけだが、こうした事件もバブル期であればもみけしになっていた可能性が高い。4大証券トップの交代や相次ぐ自殺者、都市銀行トップの引責辞任、損失補てんなど歴史に残る経済事件をのりこえて今の時代に到達したのかとおもうと、この10年間はむしろ改革のスピードが速かったといえるのかもしれない。(個人的にはやや息苦しい社会になったような気もするがこれもやむをえない副作用かもしれないし)。
 国際化という言葉が独り歩きをしていたような感じもあったのだが、いい意味での国際化はこれからさらに必要だし、それはただ単に海外で仕事をするとか海外の投資家を国内に招くといった表面的な事例だけではないだろう。測定単位が共通の貨幣尺度になることだけが国際化ということではなく、一種の経済取引の「雰囲気」を共有できる状態が国際化ということになると思う。ケイレツが当時批判されていたのは海外の人間からすると不可解で理解不能な取引であったことにくわえて当時の通産省などもからんだ「三位一体の日本株式会社」といった奇妙な状態が経済鎖国にみえたからだと思う。
 もうこの本の改訂ということは考えにくいが、80年代と90年代の雰囲気と問題点を把握するには格好のテキストではないかと思う。そして戦前・戦後のドラスティックな経済改革と90年代半ばから21世紀にかけての構造改革はそれなりに意味のある改革だったと思える人も多いと思う。

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