2007年10月27日土曜日

上品な人、下品な人

著者名;山崎武也 発行年(西暦);2006 出版社;PHP研究所
 「集合写真で中央取り」「寸借詐欺」「覗き見」「売り言葉に買い言葉」‥といったようなことはすべて「下品なこと」として紹介されている。「計画性のない上司ほど忙しがる」など実践的なアドバイスも結構あって、読んでいる分には無邪気に楽しめるが、ではだからといって何かの役に直接立つのか…というとそういう内容でもなさそうだ。実際のところ、上品と下品の境目というのが、行為自体で明確に区別できるほど世の中はわかりやすくできていない、というのが難しいところだと思う。「だじゃれ」というのも一種の下品な行為として紹介されているがそれも程度の問題で、場が緊張感にあふれているときに駄洒落を無理に言う…なんていうこともわりと日常ではよくあること。程度の問題とか場の雰囲気とかで「品」というのは実際には相当左右されることなので、もし上品か下品かということが問題になるとすれば、その「場」の空気を読めているか読めていないか、といった「差」から生じるものだろう。ただ「個人的な判断基準に従うかぎりは偏見にすぎない」といったようなビジネスの現場からしみでてくる言葉やアドバイスにはなかなか重いものがあるように思う。異なる意見や生活様式にいかに偏見をもたずに謙虚に耳をかたむけることができるか、といったことがおそらく「力量」とか「心の広さ・狭さ」ひいては「上品か下品か」といったことを決定づけるのだろう。話のネタとしては非常に面白いし、たまにこの本をひろげて我と我が身を反省するときには有用な内容だと思われる。もっとも本当に下品な人は「自分で自分を下品」などと自己反省しないあたりがそもそも下品…といった自己矛盾もあるわけだが…。

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