2007年10月1日月曜日

SEの処世術

著者名;岩脇一喜 発行年(西暦);2004  出版社;洋泉社
 SEと編集は似ているという指摘にちょっとぎくっとする。ある程度時間が経過するとソフトウェアの開発よりも管理的側面の仕事が増えてくるが筆者は個人の技術を磨くための姿勢や努力を怠ってはならないと説く。基本的技術に加えて新技術のマスターも必要なスキルと主張し、管理職になっても平社員当時の業務は手放さないにして一種のプレイングマネジャーになるべきと主張。一種のヤクルトの古田監督や楽天の野村監督のような存在をめざすべきだということになる。これは技術的優位性を保ちつつ、知識の裏づけをしっかりあとづけて会社の弱点というか足りない部分を補う存在になることで優位性が保たれるという発想だ。また職人としてのSEは問題の拡大を防止するとともに、得意分野を職人芸として徐々に確率していくべきとする。そして自己の成果に対してあくなく執着する職人気質を読者にもとめる。

 SEという職業ではあるものの打算と計算だけでは組織が成立しないことを説明して、部下が上司を選ぶという姿勢が組織を活性化していくという論理をロードモジュールとソースコードの不一致の確認作業で説明してくれる。バージョン管理ツールが発達してもなお長時間労働が要求される地味な仕事だが、そうした仕事を引き受けることで打算と計算を超えた評価が確立されていくという意味のようだ。さらに厳しい自己管理能力、つまりはモチベーションを維持していく能力とあえて厳しい道を選ぶことでその後獲得できるものはたくさんあると説く。職業とは人の存在意義を示す重要な要素で、なんのために働くかといえば「(尊敬できる上司などの)人のために働く」ことだと目標を設定。極端な出世欲のあるものが重大な問題を引き起こしたり、する例も引きながら、①文章力(ビジネス文書)②交渉力③要約能力④人脈⑤危機管理能力(観察能力)といったものも必要不可欠とする。そのほか会議では最低一言は発言する、制約の中に自由をみつけだして最高の品質をだせるかどうかにこだわる、中世哲学から近世哲学にうつってまだ400年。400年で確立できていない分野があるのにSEのジャンルがしっかり確立・定義できるわけがないといった文章に筆者の教養を感じる。

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