2007年11月11日日曜日

日曜日の住居学(講談社)

「人の顔はみな違うように家はそれぞれ個性をもつべきだ」(フランク・ライド・ロイド)の言葉が随所に引用される。
 お粗末なライフスタイルをまずは個性的なものに確立させようという建築家の意地がみえる本である。普段の生活がしっかりしていない人間に、新しい設備をかねそなえた空間を入手したからといって、長い間放棄してきた生活空間の充実などはかれないことを指摘。日常の限られた生活空間の中で最大の努力をしていない限り、どんなに優れた建築物を入手しても意味がない。そのことがこの本の主眼である。
 編集者にとって耳の痛い指摘も多い。「長年タッチしてきたという意味では一種のプロまたはプロ崩れ」「送られてきた封を開いてぱらぱらと5分もめくればだいたいの内容はすべて読み取れる」「住宅雑誌の編集者よ怒ることはない。建築専門雑誌にしたところで似たり寄ったりなのだ」「婦人雑誌の何冊かをバラバラにして組みなおして表紙をつけかえると、また同じ雑誌ができあがる」「それはポルノグラフィに似ている。性に関する欲望が幅広くそして奥深いものであることを重々知りつつ、人々はその上っ面にしか興味をもたない」‥住むということは、食べる、性といったことと重要に人生において重要な問題ではあるが、せいぜい住宅雑誌のレベルでしか「ライフスタイル」が語られないことへの警鐘である。
 さらにはリビングルームという空間への疑問もある。日本の住宅の2000年に及ぶ歴史の中でリビングルームという概念はせいぜい50年の歴史。しかもこのリビングルームという概念はアメリカによるもの(ヨーロッパではない)であり、ピューリタンの人間平等の思想・コミュニティの思想・男女平等の思想といったものが根底にあり、家父長制が今でも生きる日本でどの程度活用されているのかといった鋭い疑問も提示されている。南側の部屋信仰や家相信仰などもぶったぎるが、こうしたいわれのない思想こそ実は最大の「無駄」であり、キャリアアップの妨げにもなる要因である。
 みなが誰しも不動産を購入するからという理由だけで自分も購入する必要性はまったくなく、また周囲が結婚するからといって自分も結婚する必要などはどこにもにない。キャリアについて決定するのは自分だけだし、それについて他人は何かいうかもしれないが、責任はとるわけではない。「自己」というものを建築物から認識し、アメリカイズムを問う。この本はそうした入門書籍としてきわめて有用である。娯楽度やファッションなどにも活用できる思想性であろう。

0 件のコメント: