著者名;荒俣宏 発行年(西暦);2000 出版社;平凡社新書
大正時代から昭和の初期に、文壇にマルクス主義やらアナーキズムをもちこんだ「プロレタリア文学」というジャンルが存在した。今はおそらく高校の現代国語の時間でも「文学史」の一つとして「暗記項目」ぐらいにしか存在せず、書店でも大規模書店でなければ、プロレタリア文学などおいていないかもしれないが、この内容を新書1冊で緻密に分析。エロ・グロ・ナンセンスが飛び交い、スプラッタームビーさながらの描写やこれでもかこれでもかと「残酷な現実をセザンヌのように描写」している様子を紹介。冒頭は小林多喜二など誰もが知っている「蟹工船」の分析だが、それが島崎藤村や志賀直哉に及んでくると筆者の筆は単にプロレタリアート文学の紹介にとどまらず、明治維新の前と後、平田篤胤の国文学と他の国粋主義との相違といった、日本近代の分析に立ち向かう。そして「だからだれもいなくなった」という衝撃のラストの文章に向けて、いかにしてプロレタリアート文学にだれもいなくなったのかを明晰に分析。非常に面白く、またこうした理念先走り型の文学や体験全面派の文学など種々雑多のジャンルが混在した文壇について、さらに興味がわく構図でできあがっている新書。実用的な部分は当然ないわけだが、「苦悩はするが反省はしない」(プロレタリアート)といったところどころにみられる筆者の鋭い分析にあいまいさはなく、きわめてわかりやすく面白いプロレタリアート文学入門書。いや、本当にものすごい…。
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