著者名;梅棹忠夫 発行年(西暦);1986 出版社;岩波書店
どうにも理由がわからないがこの古びた岩波新書が捨てられない。いや個人的な役には立たない上にカードの整理などはある程度のスペースと根気がなければ続かないことももう自明の理。著者は大学の研究者だったからこうした情報整理もできたかもしれないが、一般市民にはまず無理な話である。それに今はパソコンもある。とはいえこうしたアナログな情報整理が有用かもしれないのは、まずこうした時代の苦労を知ることで自分なりのパソコンの利用方法を知ることもできるという点にあるのだろう。
知的生産の技術には王道はないのだから、カード整理が必ずしもすべてだというわけでもない。
何事もすべて文章にしてカードにするというのはおそらくパソコンを活用すればもっと容易にできることかもしれない。ただし情報の相互関係をビジュアルに把握するにはパソコンには不便な部分がある。ウェブや書籍で調べたことをいったんブンショフォルダにすべてうちかえて、それを並び替えていくことで一定の「流れ」がつかめることも個人的には多い。おそらくこれを徹底的にやるとなると京大式カードで一項目一枚の原則にならい情報整理をすることになるのだろう。
スキャナというのも一応持ってはいるがそれを何かに活用して成功したという経験がまだない。これはカードとのからみで一応考えておくべきことかもしれない。ただし情報を一定の大きさに規格化してしまうと確かに情報整理には相当有効だ。カードではなく、何かしらの大きさなどにそろえてしまうことが重要なのだろう。また情報整理は人間の尊厳にも関連するという主張にもうなずけるものがある。検索したい情報がすぐに手に入らないということほどいらいらすることはないからだ。会社の書類などは情報保護の関係からそう簡単にデジタルにすることもできないがなにかしらの規格にそろえることも考えておいたほうがいいのだろう。
また情報管理は物的管理とは異なり「もったいない」という発想では動かないという私的にも感服する。たしかに情報自体はある程度の投資がなければ身につかない面がある。それはパソコンにしてもデジカメにしても同様ではあるが確かに購入すればそれなりの成果なり便益なりは個人的にはあったようには思う。何を情報として何を知識とし、そしてその知識から何を生み出すのか‥といったことは私個人のテーマでもある。天才でもなければ秀才でもないがしかしなにかしらのオリジナルなものを作り出したい。その欲望は人間ならばだれしも持っているものではないだろうか。
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