著者名;工藤純一 発行年(西暦;2003 出版社;講談社
「事実」あるいは「データ」から文章作成能力を養うという観点だが非常に難しい話で自分が小学校のころを思い出してみても「論理性」などはかけらもなく、「感性」といえば聞こえはいいが、要は何も考えていなかったといえる。にもかかわらず論理性が重視される時代だからそれを小学生にたたきこもうという趣旨なのだが、どんなものだろう。論理性とか感性とか総合性などといったものまで大人が子どもに伝えなくてはならないものだろうか。そもそもそんなものは社会実践とか知人との対話とかで培われてきた部分が多く、そこまで学校に期待するのはどこか違うと思う。「総合教育」とか「人間性」とかそんなものまで人に教えなくてはならないものだろうか。だとすると相当にできる天才とか倫理観あふれるヒーローしか学校には出入りできない話となるが、実際には社会全体でみると相当に「俗物的」というかなんというか‥ムニャムニャ‥。とはいえ、そうした意欲を持つこと自体は悪くないのかもしれない。この本を四台理由の一つは他人に教えるとか伝えるとかではなく、自分自身が「論理性ってなんなの」ということがぜんぜんわからなかったので、それを知りたかったためである。ある種の身体感覚を重視しているのはわかったけれども‥。またイメージ化というのもわかったけれども‥一般社会人の学習とはまたぜんぜん違うと思う。本の趣旨より「嘘=フィクションは人間には必要なことであり、おそらくは書くことと同時に発生したのではないかと思います。」「(タテマエと)本音を使い分けるすべ」を教えるといった部分が非常に非常に興味深い。これ第1章にでてくるのだが、非常に「非論理的」だと思ったがしかし非常に説得力はある。つまり、論理性がなくても説得力がある場合は世の中結構多いのだな、ということを感じたのと同時に、「嘘」「フィクション」ってものがあるからこの世の中は成立しているという「事実」をある程度大人としては一般常識として明確化しておいたほうが、さらに日本は良くなるかもしれない‥などとも感じた。テーマからしてやや抵抗感を与える本ではあるが‥。まあいろいろ大人にとっても勉強になる本ではある。
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