2007年12月21日金曜日

ニッポンの教育

著者名;和田秀樹・テリー伊藤  発行年(西暦);2004  出版社;PHP研究所
テリー伊藤といえば天才プロデューサーであると同時に、何某宗教団体に対して正面きって喧嘩するなど無茶な人でもある。また和田秀樹さんといえば精神科医であると同時に、文部科学省や文化庁に喧嘩を売る(もしくは批判を加えるなど)それなりに過激である。「愛国心」を結果論で認識すべきという論調は多くの人間の賛同を得るのではないだろうか。
 さてこの本では教育論とりわけ現行の教育指導要領についての批判が多いが、実際のところ「ゆとり教育」の結果、自主的に勉強する小学生や中学生が減少する一方で、夜遅くまで進学塾にいく小学生もすくなからず存在するという二極化現象を生み出している。おそらくは家庭内の所得階層や両親の学歴がそのまま子供に引き継がれていくのだろうが、ゆとりのある家計のもとに育った子供は楽器の練習や塾などでの補習で鍛えられ、そうでない家庭の子供は「ゆとり」で育っている。これはおそらく将来大きな差異になることは間違いない(後でキャッチアップしていく大変さは文部科学省にはわからないのだろう)。また佐世保の残虐な事件なども「ゆとり」真っ只中の小学生が起こしているが、こうした行動も自主的な意欲の現われなのだろうか。
 社会民主主義はいたずらな「平等」を訴えて、かえって「悪平等」をもたらした。それがゆえに社会党は党組織を変更せざるを得なかったのだろうが、いつのまに文部科学省は日教組のようなことをやり始めたのだろうか。
 オリジナルな発想などそうそう簡単に出るものではない。そんな現実に日本の官僚自身がきづくことが大事だと思う。

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