2010年11月6日土曜日

悪の教典 上巻・下巻(文藝春秋)


著者:貴志祐介 出版社:文芸春秋社 発行年:2010年 本体価格:上巻・下巻 各1,714円
高等学校を舞台にした「ピカレスク」ロマン。京都大学を中退して、外資系証券会社を経て教育委員会の特別制度を利用して教員となった「蓮実」が主人公。冒頭はきわめて普通の日常生活なのだが、次第にその日常の奥底に隠された陰謀が明らかになっていく…。やや分厚い紙でしかも活字も大きい体裁のため、持ち歩いて読むには不自由するが、その分、紙面に余白が多いので余裕をもって楽に読める。文藝春秋のホームページで「学年名簿」などもダウンロードできるようになっているので、PDFをダウンロードして名簿片手に読むのも面白いかもしれない。
社会学では個人の意思決定に影響を与える集団を「準拠集団」という。これまでのピカレスクロマンでは、「準拠集団」よりも群集を取り扱うケースが多かったように思う。バルザックの「従妹ベッド」もピカレスクロマンだが特定の準拠集団に依拠しているわけではない。この小説では特定の人間関係が持続する「学校」という準拠集団のなかに、知能の高い悪者が混じりこんだらどうなるのか…と描写しているところがユニークだ。その分、もうひとつの準拠集団である「家族」や「近所」といった集団については描写は希薄。もちろん生徒の家族が登場してくる部分もあるのだが,その扱いはあくまで「学校」とのかかわりから描写される。場所は「学校」、主役は「教師」、そして犠牲者は「生徒」とその関係者という構図でPTAなどもちらっと出てくるが小説の大筋には関係してこない。しかも私立学校という設定なので、それまで主役が勤務していた都立高校とのかかわりも驚くほど希薄。結局、インターネットや偶然であった知人による「うわさ」などしか生徒の側は情報が入手できないという構図になっている。こうした準拠集団を場面設定した理由、おそらく「会社」を舞台にして同様のケースを考えると、情報がそれぞれ公開されているうえ、勤務状態などもある程度社内LANなどで共有。さらには、不自然な「うわさ」などはフォーマルな組織であればあるほど抹殺されるため、この小説のような人間関係の操作というのはまず無理。現代のさまざまな準拠集団のなかでも、「学校」という準拠集団だからこそ、完成しえた小説といえるのだろう。

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