2012年2月29日水曜日

大解剖 日本の銀行(平凡社)

著者:津田倫男 出版社:平凡社 発行年:2012年 本体価格:760円
今の銀行の経営スタイルは非常にわかりにくい。ちょっと前までは預金を集めて融資で貸し付けて利ざやを稼ぐ…という教科書どおりの関節金融のスタイルが眼に浮かんだが、どうも最近はそれほど預金獲得には熱を入れていない。といって融資に積極的でもない。で、外貨建預金やら投資信託やらの営業にはかなり積極的ではあるのだが…。ATMで頼みもしないローン機能紹介の画面などがでると即座に拒否ボタンが働くが、いったい何をどうやって利益をあげいるのか。そのヒントはこの新書が与えてくれた。
まず銀行は4つのグループに分けて考えるべきということ。いわゆる三菱UFJ、三井住友、みずほ、りそなの4つのグループと三井住友信託グループだが、アメリカでいう投資銀行業務にいこうとしているグループのようだ。総合金融デパートということで投資信託やら生命保険やらも窓口で販売して銀行業もするけれど利ざやは総合的に稼いでいくというスタイル。2つ目のグループは地方銀行・信用銀行・信用組合で預金で資金を確保して融資か国債を購入して利ざやを稼ぐというスタイル。ただ融資をおこなうにしても国際化の波で海外業務にサービスを上乗せできるのかどうかが今後の課題で、第1の巨大グループに飲み込まれる銀行と地元経済でほそぼそとやっていくグループにさらに細分化されそだ。そしてネット専業銀行だが、決済機能に特化したセブン銀行や融資にもはいっていこうとするイオン銀行などがある。最後に外資系で日本の国内銀行を買収してサービス業として生き抜いていこうとするグループ。著者の分類とは異なる分類だが、おおむね総合金融(投資銀行)、地域金融(商業銀行)、ネット銀行(決済機能重視)という生き方になりそう。ただ金融業にはほかにも生命保険会社や証券会社もあるのだが、総合金融が重視されてくると証券会社や証券会社は巨大グループにさらに飲み込まれていく可能性が高いように感じた。
就職先としてもまた人気のきざしがある銀行だが、昔も今も「安定」(しているようにみえる)「専門的」(なように見えるが日商簿記2級も怪しい銀行員はけっこういる)な「雰囲気」が魅力なのだろうか。この本を読んでも実際に働いている人の話を聞いても何が楽しい職場なのかまったくわからない。2012年時点の今後の金融業界や日本経済新聞の記事をよむさいには非常に役に立つ資料になると思われる。

独創は闘いにあり(新潮社)


著者:西澤潤一 出版社:新潮社 発行年:1989年 本体価格:360円
現在廃刊となっているためamazonで入手。半導体デバイス関連の特許や論文をあらわすと同時に大学教授と財団法人の運営もこなした著者。やや過激なものいいではあるが、研究開発と経営のはざまでの苦闘がうかがわれる内容である。原子力発電所の事故が発生した現在では著者のSIサイリスタに関する「光通信ファイバとともに直流送電線をひけば」という発想はきわめて興味深い。またモネの絵画をパリの美術館でさかさまに設置されているのを発見したことから、「観察」の重要性を再認識するというくだりは観察、分析という理系の研究者の基礎を痛感させてくれる。研究開発では機械加工の経験がいきた(51ページ)が面白い。フォードも自動車産業を起こす前には工場の職人をしていたが、実際に手を動かす作業でアナログな「カン」が養われるのかもしれない。少なくとも書籍だけで研究をするよりも実用開発には不可欠な経験ではないかと思う。理系技術者のなかでは相変わらず読まれ続けている名著とされているが、文系職種とされる編集、営業、商品開発、企画といった人にも役に立つ内容だろう。「掃除がなぜ大事か」ということも半導体の工場の特性から「理系的に」解説してくれている。

独学のすすめ(筑摩書房)

著者:加藤秀俊 出版社:筑摩書房 発行年:2009年 本体価格:840円
 もともとは1975年4月に文藝春秋から発行されていた本を多少用語などを修正して文庫化し、2009年に新刊されたもの。いまから37年前の内容ということになるが、題材はきわめて新しい。「科挙」についても言及されているが、中国で「科挙」が実施されていたころ、学校制度は逆に中国では重視されていなかった。今でいう民活で、予備校や過去問題集の類はでまわっていたが、予備校的な性格の学校はあっても義務教育に相当するシステムは中国ではなかったわけである。著者は大宝律令に埋め込まれた「科挙」の精神が明治維新で復活した名残を国家一種や大学受験にみる。一律に試験制度のための勉強には否定的で、報酬をもとめる勉強意欲よりも自発的な動機のほうを重視しているので、どちらかといえばもうすぐ終了する現行学習指導要領の「ゆとり教育」に発想は近い。もちろん内在的な動機を重視するのが一番ベストな方向だが、あえて強制的にしないと勉強しない人もいるのでそのあたりのバランスが難しいところである。対立軸をおくと学校教育か在野の独学か、内在的な動機かガイ発的な動機かということになるだろうか。自発的に学校にいかず勉強をするのがもっとも望ましい形態だが、たいていの人は自発的同期では長期間は耐えられない。とはいえ学校に毎日通い、好きでもない勉強に強制的に従事させられるというのも苦痛の連続だろう。普通の人は学校に通いながらある程度好きな勉強をする、予備校や専門学校に通いながらある程度強制的に勉強しつつ自分でも多少は好きな勉強するといった中間形態になるだろうか。中国の科挙から大宝律令、明治維新という流れもあるが、緒方洪庵の適塾のように在野で学問を続けた塾から福沢諭吉が生まれてきたような事例もある。こうした内在的動機を重視した本は2010年以降はあまり流行らないものかもしれないが、今後再び注目を浴びることもあるだろう。
 それにしてもいったん廃刊になった書籍を文庫本で復活させる筑摩書房の「目利き」ぶりにも驚嘆。

2012年2月28日火曜日

凡人が一流になるルール(PHP新書)

著あーと者:斎藤孝 出版社:PHP研究所 発行年:2009年 本体価格:720円
 レジに持っていくには若干気はずかしいタイトルだが、中身はエジソン、カーネギー、渋沢栄一、豊田佐吉、小林一三、フォードといった人々の努力と苦労の歴史である。伝記の読み方を伝授されているという見方もできるし、わりと同世代にこうした偉人が出現していたことにもきづく。個人的には小林一三と豊田佐吉の伝記が興味深い。豊田佐吉はやはり技術者もしくは開発者であって、経営にはあまり興味関心がなかったようではある。会社を創業するまではほかの経営陣との意見の対立などもあったようだ。発明もしくは改良でもいいのだが、そうした工夫と改善がなければ日々の仕事がつまらないであろうという著者の見立ても興味深い。いずれも「ちょっと無理かな」という目標を立案して最初は地味な改良からスタートしている。豊田佐吉は飛び杼の発明で有名だが、その技術を1929年に英国とプラット社と共同開発しているのもこの本の153ページで初めて知った。さらに織物から紡績業に上流統合していって、、それが第一次世界大戦の糸の高騰となり開発資金を稼いだというのも興味深い。とはいえ自動機織り機の開発が主眼だった豊田佐吉は資金を機械装置の開発に振り向けたようだが、こうした開発者魂が紡績業への上流統合にも結びついたというのも、技術者出身の経営者が最近注目されていることと無縁ではないだろう。カーネギーも機械工出身で、フォードも車両工場で働いていたし、技術者あるいはモノづくりの現場から生まれてくるシーズからニーズを汲み取るといったプロセスは19世紀から20世紀にかけてすでにひとつの確立されたルートだったようだ。やや「教訓」を箇条書きにしているところが、かえってハナにつくという読者もいるかもしれないが、電車の中などでパラパラ読むのには便利な新書。

2012年2月27日月曜日

ブリッジマンの技術(講談社)

著者:鎌田浩毅 出版社:講談社 発行年:2008年 本体価格:720円
 この著者の「ラクして成果があがる理系的仕事術」は非常に役にたった。そのあとこの本を購入したのだが、なんと3年間「積ん読」。本は購入できるときに購入して読みたいときに読むが鉄則だが、新書を3年間を「積ん読」しておくのはちょっと寝かせすぎか。ただ中身はやはりさすがの内容。学者の世界もビジネスパーソンの世界も人と人との橋渡しがほとんどだが、その「橋渡し」を「フレームワークの橋渡し」として一般技術化してしまったのがこの本。こういう発想はやはり理系的だと思う。文系だとどうしても「こういう言い切りってどうだろう」というためらいがでてきて(そしてそのためらいもまた大事なことは認識しているが)、いろいろな事象から一般原則を導出するのにはやはり理系のほうが便利。ひとつの仮説としてこの本を利用して、あとは個別具体的に応用発展させていけばいいのだから、要は本のなかみをどう実践するかという読者の側に「応用」は委ねられている。で、ブリッジマンという発想、編集者という仕事には非常に役に立つ考え方だ。相手のフレームワークを想定していくというのは実際にはかなりの一般教養が必要で、たとえば専門分野が法律の先生と話をするときにそのフレームワークを理解するということは、法学入門程度はやはりマスターしておかなければならないということを意味する。学者になってしまう編集者もいるけれど、歴史や文学の編集者だったら、そのフレームワーク理解のための一般教養はやはり学術レベルにまでいっているのだろうと納得。

深夜食堂 第2巻(小学館)

著者:安倍夜郎 出版社:小学館 発行年:2008年 本体価格:743円
 「食べる」というのは生きていくためには必要不可欠。ただ「高いもの」ばっかり食べていくわけでも「栄養分が多いもの」ばっかりを食べていくわけでもない。「楽しみながら食べる」というときには、栄養がじゃっかん偏っていても安くても美味しいものは美味しく感じられる。顔に傷がある訳あり風のマスターが経営する「深夜食堂」には「刺身のつま」が好みの俳優やらサンマの塩焼きが好きなストリッパーやら訳あり風の客が次から次へと押し寄せてくる。でもそうした一種B級グルメの献立がむやみに美味しそうに見えるんだなあ。「食べること」を大事にするすべての人に、きっと明日の食事が今日の食事の数倍も美味しく感じさせてくれそうなコミック。

2012年2月25日土曜日

うほほいシネマクラブ(文藝春秋)

著者:内田樹 出版社:文藝春秋 発行年:2011年 本体価格:1000円
 映画が好きで。映画を観るのも好きだし、映画について語るのも好きだ。一番好きなのは「定型的な映画の見方」に縛られない映画の見方を教えてもらうときで、それはこの本を読んだときにも感じたこと。すでに一回以上観た映画なのに、なぜかその新しい見方で映画をみると新しい映画に接したような錯覚に陥る。この「錯覚」に陥る瞬間がとてつもない快楽で、たとえばこの本の31ページから展開されている「スター・ウォーズ エピソード3」と映画「三四郎」との共通点とか、映画「コンスタンティン」と村上春樹「アフターダーク」との「物語の類似性」さらには、324ページで「アメリカン・ビューティ」と「市民ケーン」との比較などなどが展開され、映画ズキならまず見ているだろう名作のほとんどすべてが著者独特の解釈で再構成される。どんな人の映画評論でも新鮮な見方をとらえるのに役に立たないものはないが、この新書は既存の「映画」をあらためて再認識するのに濃縮された情報がぎっちり。しかも新作ばかりではなくフリッツ・ラングの「死刑執行人もまた死す」とか「東京暮色」なんて作品もでてくるから嬉しい。いや、正確にはこれから映画を見る人にも「DVD借りてみようかな」「映画館に行ってみようかな」とおもわせてくれる「プロパガンダ」的内容も含むので、映画興行界にとっても嬉しい新書だろう。映画論ではあるが、最終的には「言葉」への信頼がかいまみえるのは著者がやはり「文章」の人だからか。何かを作る、何かを再編集する、というときにもなんらかの参考書になりうる新書だろう。

2012年2月24日金曜日

十字軍物語 第3巻(新潮社)

著者:塩野七生 出版社:新潮社 発行年:2011年 本体価格:3400円
500ページ近い第三巻だが寝る間も惜しいくらい面白い。第一次十字軍はエルサレム奪還(とはいえイスラム側にはこの当時宗教戦争という意識はなかった)。第二次十字軍は、イスラムの英雄サラディンとエルサレム王国のボードワン4世との戦い。そして第三次十字軍から第八次十字軍までは、「なんだかなあ」の世界。リチャード1世が登場し、それに付随するかのように「ロビンフッド」の神話も生まれる。フランスのフィリップ2世、ドイツのフリードリッヒ1 世と役者は揃っているのだが、その成果はぱっとしない。第四次十字軍にいたっては、同じキリスト教国家のビザンティン王国を攻め落としてしまうのだが、この本を読むとその奇妙な出来事がなぜゆえに発生したのかがよくわかる。遊牧民族「元」の侵攻や、テンプル騎士団の虐殺など世界の歴史を彩る事件は多数著述されているのだが、第三次十字軍以降は「宗教戦争」というよりも実質的には「経済戦争」となっていた。崇高な「理念」の戦争が次第に属人的で凡庸な争いに転化していく様子が興味深い。それでもなお、「義」に殉じる騎士もいたのだから、人間には最後の最後に「どん底」に落ちる寸前にストッパー機能がそなわっているらしい。

パパラギ(ソフトバンククリエイティブ)

著者:エーリッヒ・ショイルマン 出版社:ソフトバンククリエイティブ 発行年:2009年 本体価格:600円
 名著「大聖堂」を復刊してベストセラーにのせたソフトバンククリエイティブ。この本も立風書房から発行されていた本が廃刊になったのを文庫本で復刊。この歴史的名著が文庫本で読める幸せは、このIT企業からもたらされた書籍。よほど目のきく編集者がソフトバンクにはいるに違いない。
 西サモアの酋長ツイアビがサモア語で主に欧米人をさしていった言葉が「パパラギ」。ポリネシアの自分の周囲の人に向かって考えた一種の欧米文化の批判がこの本で、初版は1920年。今から90年前の本ということになるが、一種の欧米文化への批判は現在の日本への批判でもある。けっして文明や文化を否定するわけではない…というよりも自分自身は明らかに都会でしか暮らせないタイプなのだが、それでも毎日の時間のなかでほんの少し立ち止まって考える時間が必要なことぐらいは認識している。そしてその触媒になるのが、この90年前の西サモアの酋長の言葉だ。「大いなる心」とツイアビがよぶ「神」(?)は一種のアニミズムに近いものともいえる。だが自然に身をまかせて生きるその精神が、文明にひたりきった自分には鋭い批判として突き刺さる。大方の人間は生まれ育った土地で、生まれ育った文化にひたって人生をおえる。ただその間に少したちどまって考えてみよう…というときに遠く時空をはなれたツイアビの言葉は、いい刺激になるに違いない。

40歳からの記憶術(ディスカバー)

著者:和田秀樹 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン 発行年:2012年 本体価格:1000円
 記憶のメカニズムについてはよくわかっていない部分が多い。とはいえ何らかの工夫をして衰える記憶力をカバーする努力は必要だ。才能がなければ工夫をこらすのは、ある意味当然で、スピードがでなくなった往年のエースは、だいたい変化球を覚えたり配給やスピードの変化で勝利をもぎとる。それに近い面は「勉学」にもあるのではないかと思う。で、著者はアウトプット重視の勉強をすすめるのだが、確かにそうした方法には一理ある。なんらかのレポートを書きながら、付随する知識や理論が頭に入っていくという面は確かにあるし、それをパソコンでなり直していくうちに独特の体系ができあがっていくという面がある。著者が「応用想起」となづけるこの方法、日常生活でもけっこう使える。短期間で無理やり知識を頭にインプットするのが無理な場合でも長期間にわたって想起を繰り返す。さらに知識を加工していくと同時に一つ一つの情報に付帯状況をつけていく。試験でいえば、ひとつの知識だけを無理に頭に入れるのではなく、付随する知識もまたからめて覚え、さらにそれを図解にしたりマインドマップにすることで、記憶に定着するわけだ。マインドマップの理論は個人的には信じてはいないのだけれど逆に、マインドマップのように知識を放射状にしていくという方式はまさしく知識をアウトプットして、しかも付帯状況を付け加え、さらに知識の加工もともなっている。一度出来上がったマインドマップを作り直すことでさらに想起を繰り返すことになる…。知らないよりは知っておいたほうがいい。工夫できる余地をさらに身近なところで応用発展させていくのが大事かと。

2012年2月23日木曜日

なぜ若者は保守化するのか(東洋経済新報社)

著者:山田昌弘 出版社:東洋経済新報社 発行年:2009年 本体価格:1500円
 タイトルのつけ方はうまい。しかし中身は週刊東洋経済のコラムを集積したもので、けっして若者の保守について一貫した主張が展開されているわけではない。保守とは何か…というテーマはあるが、それは脇に置いておく。ちょうど昭和の高度経済成長期の時代に戻るといった感覚が「保守」(ということにしておけば)確かに保守の傾向はあるのかもしれない。ただそのあとのバブル景気や平成不況が「革新」なのかというと疑問だが。専業主婦を希望する女性や、終身雇用制度を期待する若者が増えているという傾向があるという。また男女の職場と家庭の住み分けについても賛成する比率が上昇傾向にあるというが、これってけっして本来の「保守」という意味ではない。おそらくは生活重視からすると、終身雇用制度が望ましい(ただ自分がずっと働くかどうかはわからない)、旦那は仕事して自分は家にいたい(ただそれよりずっといい仕事があれば働く)というダブルスタンダードの傾向があって、それがアンケート調査に適切に反映されていないだけではないか、と個人的には考える。そしてそうした疑問について反証がでるほど、この本では緻密に保守傾向について語られているわけではない。その一方で結婚したくないという男女の比率も増えているという。あれ。保守の傾向にあるというのに結婚についてはだいぶ革新的だ。ちょっと興味深いのが110ページにあるオリジナルの調査で「未婚男性の実際の収入」という統計。200万円以下が32.4%、200万円~400万円が44.2%、400万円~600万円が20。0%、600万円~800万円が3.5%、そして800万円以上が統計的には0っていう…。その一方で未婚女性の3人に1人以上は600万円以上を希望しているわけだから、それは未婚男女は増加するわけだ。
 でもこうしたミスマッチも未婚も元をたどれば「自己実現の罠」にひっかかった若者の若者たる所以の「わかげ」にすべて帰着するような。「生活重視」は「保守」とは違う概念だけれど、快適な生活を追い求めて結婚も就職も二次的に考えていく。そんな時代の雰囲気が各種の統計にでているのではないかとふと思う。あ、けっして著者に反論しているわけではなく、いろいろな大胆な仮説を提示していく著者の力量はさすが。

2012年2月22日水曜日

物語で読み解くデリバティブ入門(日本経済新聞出版社)

著者:森平爽一郎 出版社:日本経済新聞出版社 発行年:2011年 本体価格:762円
 デリバティブの難しい仕組みまでは理解が必要な場面はそうそうない。ただ簡単な仕組みは知っておくとなにかと便利。たとえばミクロ経済学の本を読むときとか時価会計の本を読むときなどに。
 けっしてこの本も簡単な内容ではないのだけれど、オプション取引については生命保険などを例にとって非常に詳しくわかりやすく解説されている。タイトルのわりにはスワップや先物取引についてはさらっと書かれているがオプション取引が理解できれば、先物取引もそう難しくはないかもしれない。買う権利もしくは売る権利の売買などとよく説明されるが、そもそも権利を購入する、あるいは権利を売却するという取引自体のイメージが難しい。生命保険であれば、死亡したときに自分の命を所定の金額で売る権利を保険の加入者は購入した…と考えるとじゃっかん理解が早くなる。実際に死亡したときに生命保険に手続きをしなければ、権利を行使せずに放棄した、ということになるわけだし、生命保険加入者の「命」(もしくは人生など)を買う権利を購入したのは生命保険会社ということになる。権利を行使するもしないも自由(買う側にしてみると)というのが先物取引とは異なるところか。もっとも権利を売る(履行義務を追う)側にしてみると、権利行使されたらそれを履行する義務をおう。オプション取引の怖さが想像できる内容ともなっている。
 ストックオプションがコールオプションだ、という会計基準の著述もこの本を読むとわかりやすいかもしれない。自己株式を市場価格よりも割安で購入できる権利がストックオプションだが、市場価格は変動する。市場の状況に応じてストックオプションを行使するもしないも権利を付与された従業員の側で、これはコールオプションを従業員が購入したのと同義だ。逆に企業はプットオプションを売ったわけだから、コールオプションが行使されれば今度はそれを履行する義務をおう。けっこう日常的にオプションと取引はおこなわれているが、それをオプションとして認識していないだけなのかもしれない。デリバティブと聞くとやや面倒、と思う人にもオススメの内容で、数学などはまったく出てこない内容になっている。

2012年2月21日火曜日

ソロモンと奇妙な患者たち(筑摩書房)

著者:野村潤一郎 出版社:筑摩書房 発行年:2000年 本体価格:819円
 動物が好きな人にはとってもオススメな文庫本。ただし現在は廃刊で、注文するとなるとamazonで購入するしかない。こういう良書が廃刊になってしまうご時世とは…。獣医の著者が自宅に飼う動物の種類は当時で120種類以上。ソロモンはアルビノのスカンクで表紙にもなっている。さまざまな動物とのふれあいも楽しいのだが、ときたま垣間見える著者の独自の哲学がいかにも肉食動物的で、それがまた好ましい。命を大事にする…というのは、自然に動物を野放しにすることではないという著者のメッセージがとても強く伝わってくる本で、しかも著者は犬ズキ。人間と犬とはセットで生まれてきた…という哲学は、動物を飼育することで双方がコミュニケーションし、相互に人生を生き抜くという覚悟にもつながる。動物と人間とのコミュニケーションの物語とも読み解けるが、動物を媒介とした人間どうしのコミュニケーションもまた興味深い。「お岩ガン」「脳味噌タランチュラ」などのあだ名をつけられた(おそらく)元不良少年たちの動物とのふれあいもまた楽しい。

2012年2月19日日曜日

科挙(中央公論新社)

著者:宮崎市定 出版社:中央公論新社 発行年:1079年 本体価格:680円
 池袋のジュンク堂を探しても見つからず、発見したのは飯田橋のブックオフの100円コーナーという偶然。即購入して読み終わったが、やはり古典中の古典。むちゃくちゃ面白い。隋の時代に始まった科挙だが、当時の貴族制度を脱するために始まり、それは学校教育の不備を補い、民間部門での自主的な学問育成を図る制度となった。もちろん弊害は大きかったが、貴族制度を一時的にも弱めるのに役立ったのがこの科挙。やはり科挙を廃止に追い込んだのは試験勉強では培うことができないヨーロッパの自然科学の技術・知識の輸入だった。1904年に科挙は廃止されるが、1400年の歴史を誇った科挙は時代をへるにつれ弊害を撒き散らしながらも中国の一定の文化水準を保った。県試、府試とそれぞれの科挙の試験実施の様子が明らかにされるほか試験勉強のやり方、替え玉受験の防止、カンニングの防止など今の試験制度にもその源が推察される種々の工夫が興味深い。日本の国家一種試験も弊害は取りざたされてはいるが、一部の特権階級のみの受験ではなく広く国民一般から誰もが受験できるかたちで実施されているので、必ずしも悪い面ばかりではないだろう。ただ現代の試験制度が意味を持たなくなるようになるためには、国語・数学・英語の3科目だけでも、一定程度の水準が学校教育で担保されているというのが条件となる(数学が苦手で近代経済学や高度な工学技術の習得は難しい。また英語も一定の水準がなければ海外論文を読みこなすこともできない)。ある意味では日本の国家公務員試験、大学試験、高校試験も、その意味を失うまでは必然性がある…ということで、そうそう簡単には廃止はされないだろう…という見方も成立しうる。

2012年2月17日金曜日

十字軍物語第2巻(新潮社)

著者:塩野七生 出版社:新潮社 発行年:2011年 本体価格:2500円
 一番面白いエンターテイメントは何か…というとおそらく「歴史」。一番ためになるビジネスジャンルは何か…というとこれもおそらく「歴史」。だいたい21世紀の今にいたるまで、凡人が一生に経験するような幸福も不幸もほとんど全部歴史上の先人たちが経験してくれている。歴史上だれも経験していないような「不幸」というのに遭遇するのは、それ自体が「未来」中の「未来」なのであって。
 この第2巻では、イスラム世界の英雄ヌラディン、そしてサラディンが姿をあらわす。エルサレムをイスラムから奪還したあとの王はボードワン2世。そしてそれを支えるテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団も誕生。必ずしもカリスマ的英雄ではなかったボードワン2世だが、人間的魅力でエルサレムを防衛。イスラムのゼンギの要求にたいしてエルサレム王のフルクは城塞を譲渡。それがイスラムの反撃の緒となる。
 まずエデッサが陥落し、それが第二次十字軍の結成につながる。ただし神聖ローマ帝国とフランスが参加していたにもかかわらず奪還は失敗。そして最強のイスラムの英雄サラディンと対抗したのはライ病をわずらっていたボードワン4世。このあたりはリドリー・スコット監督の「キングダム」が映画の舞台にしている。オーランド・ブルームが演じた役のモデルとなったバリアーノ・イベリンについてもこの本ではかなり詳しく著述されており、ドラマチックにエルサレムはサラディンの前に陥落する。相変わらず地図と挿絵が豊富で想像力がそれほどない私にとっても十字軍の世界が目の前に広がるかの思い。そして人を率いる「王」たるものの「資質」について、これほど的確な「教え」を学び取れる本はそれほど今の書店にはないのだ。「力量・幸運・資質」を著者はあげているが、ボードワン4世は力量と資質はあったのだろう。ただ「運」がなかったのだと思う。227ページ前後ボードワン4世が16歳のとき。2万6000人の兵隊を率いたサラディンがエジプトから北上。そのうちの半分で港都市アスカロンの周辺を略奪するが、ボードワン4世は580騎の騎兵を率いて13000人のイスラム軍に切り込み、サラディンを敗退させる。残り少ない命をただエルサレムという「都市」の防衛に尽くしたボードワン4世の生き様は、この第2巻の白眉ともいうべきくだり。

2012年2月15日水曜日

最後のゾウガメを探しに(丸善)

著者:千石正一 出版社:丸善 発行年:1998年 本体価格:1815円
 一応最後のゾウガメは探しにいってる本だが、内容としては、ガラパゴスのゾウガメ、フロリダのアリゲーター、ニュージーランドのトカゲ、インドのインドコブラ、マダガスカルのカメレオン、オーストラリアのマツカサトカゲ、パラグアイのアナコンダと世界各地に両生類を探しに行く著者の見聞記になっている。両生類は正直苦手だが、擬音語を多数交えた著者の記録は楽しい。4色の写真も豊富に掲載されており、記録資料としても有効な本だろう。実際にはさらに両生類以外の哺乳類も昆虫も混じっているのだが、要は生物たくさん、生き方たくさんの盛りだくさんの内容で、動物が好きならばきっとこの本も好きになれる。
 192ページの本でコート紙を使って4色ということもあるのかもしれないが、定価は少々高い。もともとあまり売れる本ではないと判断されたのかもしれないが、だとしたらウェブとかスマートフォンなどの電子書籍としても十分人気がでるコンテンツではないかと思う。私はこの本、amazonで入手したのだが、この内容がこのまま古書籍のなかに埋もれてしまうのはちょっともったいない気がする。

2012年2月14日火曜日

とんかつの誕生(講談社)

著者:岡田哲 出版社:講談社 発行年:2000年 本体価格:1500円
 明治維新は表面的な変化だけが先行して「西欧」をおっかけた。現在では西欧文化と日本の伝統文化がいりまじって、さらに独特の「超日本」という状態にあるが、食生活も例外ではない。日本独自の「とんかつ」が生まれたプロセスを著者は綿密に検証。わき道にそれてアンパンやらカツどんなども検証してくれて、日本のカツカレーなどは海外ではなかなか食べられないメニューであることにあらためて気がつくという読後感が味わえる。一応明治維新までは、
1200年にわたり日本では肉食は禁止されていた(天武天皇の殺生禁断から)。薬として一部食べることはあったらしいが庶民の生活としては、やはり牛肉を食べるという文化がなかった。それが栄養の向上などをめざす維新政府の意向でひっくりかえる。パンについては南蛮貿易の影響ですでに日本には入っていたが、それが食生活にとりこまれようと試みが始まるのは、尊皇攘夷をめざす各藩が兵糧としてのパンを研究しはじめてからだ。牛なべが始まりそれが関西から関東に伝播する過程ですき焼きが誕生。それを福澤諭吉や仮名書魯文など文化人がさらに推奨していく。カツどんについては発明したのが早稲田高等学院の中西敬二郎さん(1921年)と氏名もその年号もはっきりしているのだから、牛肉が日本で食されたのはやはりつい最近のことなのだ。あたりまえのように食べているとんかつの歴史がこの本を読むだけで、その始まりからわかるようになる。とてつもない歴史の本である。

2012年2月12日日曜日

十字軍物語 第1巻(新潮社)

著者:塩野七生 出版社:新潮社 発行年:2010年 本体価格:2500円
 イスラム勢力に追い詰められていたビザンティン帝国の「救い」に応えるかたちでクレルモンの公会議にて組織化された第一次十字軍。しかし大義名分とは異なり、ローマ法王ウルバンにはカノッサの屈辱以来勢力が低下してきていたカソリックの事情があった。正式な第一次十字軍のまえに「貧民十字軍」がオリエントにむけて出発し、セルジュクトルコに虐殺されたことや、第一次十字軍のリーダートゥルーズ公サン・ジル、ロレーヌ公ゴドフロア(神聖ローマ帝国の一員で十字軍に参加するとは当初想定されていなかった)、プーリア公ボエモンド(ノルマン民族でこの甥のタンクレディが若いながらも大活躍をはたす)の3人を主軸に第一次十字軍が、エルサレムを「回復」するまでが第1巻で扱われる。第一次十字軍の段階ではむかえうつイスラム側もまさが宗教的大義名分がこの戦争の主目的とは知らず、さらにイスラムの領主たちも内部抗争にあけくれていた様子が描かれる。286ページの大部だが、1ページ目から一気に読み通してしまう面白さで、これは豊富な地図の掲載があるからかもしれない。中近東の地名はベツレヘム、エルサレム、アッコン、アンティオキアといった有名な地名以外は意外に記憶だけでは東西南北の位置関係も怪しくなる。適宜地図が挿入されていないとそこで読書が止まってしまうことも歴史の本では多いのだが、このA5判の書籍ではそうした「ストップ」がかかりにくい。エジプトのファティマ王朝と十字軍との意外な強調関係やビザンティン王国のやや見当違いの外交政策など単純なキリスト教対イスラム教という図式では描けない十字軍初期の歴史が理解できるようになる。なにより人間模様や権力・虚栄心の発露が現代にも通じるものがあり面白い。

愛は脳を活性化する(岩波書店)

著者:松本元 出版社:岩波書店 発行年:1996年 本体価格:1200円
 睡眠時間をけずるよりもたっぷり寝て集中して勉強する、予習よりも復習に力を置く、重要なことは繰り返し学習する…こうしたことは今ではだいたい常識化されつつあるが、10年前までは復習よりも予習が、睡眠よりも徹夜で勉強することが推奨されていることもあった。1996年発行のこの本では、今はではやや古びた著述もあるように思われるが、それでも情動を活性化することで脳を活性化するなど、明日に希望と意欲をもたせてくれるコンテンツが凝縮して掲載されている。最終的には人文科学や社会科学と自然科学との総合なども提唱されており、コンパクトサイズながら興味関心をかなりひく内容。「できない」と思うよりも「できる」と確信することの重要さがわかるようになる。逆に自分自身に自信がもてない人はやはり自信をもつことから始めないとなかなか進歩もしにくいのかもしれないが。

2012年2月10日金曜日

議会の迷走(集英社)

著者:佐藤賢一 出版社:集英社 発行年:2012年 本体価格:495円
 後楽園駅の丸善では平台の最後の1冊をつかみとって購入。バスティーユが陥落してから1年後、フランス憲法制定国民議会はカソリック教会に与えていた特権をめぐって紛糾。フランス軍隊を掌握したラファイエットは、ナンシー事件など平民と貴族の対立が根底にあるにもかかわらず首謀者を含む事件に参加した兵隊を殺害する。あくまで立憲王国制度をめざすミラボーだったが体調の悪化が続く…。いやあ面白い。華々しいフランス革命という印象がくつがえる「地道で陰湿な権力争いの構図」。基本はもちろん人権主義なのだろうけれど実際のところ、この本にあるような権力闘争が真のフランス革命の様相だったのだと確信する。純粋なルソーの信奉者から、権力志向の元貴族や司祭などさまざまな階級で「未来」を描いて、その「未来」が交錯したところで権力闘争が起こる。まだこの5巻ではルイ16世の家族は逃亡ははたしておらずロベスピエールもまだ国会議員の一人に過ぎない。第6巻ではミラボーがいよいよジャコバンクラブのトップにたつ。また本屋に走らなければ。

2012年2月7日火曜日

采配(ダイヤモンド社)

著者:落合博満 出版社:ダイヤモンド社 発行年:2011年 本体価格:1500円
 この本かなり売れているようだ。スポーツ関連の棚にあったが平積みで2011年11月発行で12月で4刷。おそらくはセ・リーグ優勝を果たしたにもかかわらず中日監督を事実上の「更迭」というめったにない事件も関係あると思う。また就任当初はかなり独自の戦略をとるのではないか、と予測されていたが実際には守りに徹したオーソドックスな野球。岩瀬と浅尾のダブルストッパーに対する考え方やリーグ屈指の井端と荒木の二遊間のコンバートの考え方など表面的な報道ではつかめなかった真相がわかる本になっている。とってつけたようなビジネスパーソンへの配慮のくだりが、個人的にはあまりなじめない本だったが、それでも面白いことは面白い。「できる」と「できない」をふまえた「采配」というのは、大学中退からプロ野球の三冠王へと山谷両方を経験した落合でないと書けないだろう。「面白い」というのは、いわゆる勝ち組の選手たちのエピソードではなく、心ならずもユニフォームを脱いでいった「負け組」へのくだり。目標を高く持つといった「勝ち組」へのアドバイスは「負け組」はそうではなかったのか、という反面教師の教えともなる。「勝てないときは負けない努力」というのも、「負けない努力」をしなかった選手がグランドをさっていたのだな、と裏読みできる構図に。あまり華のある引き際ではなかったが、まだまだ今後の監督就任もありうる落合氏。その野球理論と負け組のセオリーを知るのには面白い内容。

2012年2月5日日曜日

2000年間で最大の発明は何か(草思社)

著者:ジョン・ブロックマン 出版社:草思社 発行年:2000年 本体価格:1500円
 各方面のアメリカの知識人がウェブをメディアにして2000年間の最大の発明について議論する。万能チューリング機械、印刷技術、インドアラビア数字、「見えない技術体系」などさまざまな解答が並び、最後を著者がしめくくる。ありきたりでない解答と理由がコンパクトに並置されており、書籍のどこのページをあけても読書の世界に引き込まれる。これぞまさしく印刷技術の成果…ではあるのだが、ここ2000年の「発明」にあたるかどうか、でも実は深い議論がなされる(ミノス文明や中国の印刷などについても最終的には議論が深められるので)。文明はゆるやかに継続しているひとつの体系ではあるが、これを微分していくと節目節目に「発明」が関与していることが判明してくるという次第。たとえばフランス革命にしても印刷技術の発明がなければ新聞は発行されていなかったろうし、インドアラビア数字がなければ当時のフランス王室の財政赤字についても民衆は意思決定のしようがなかった。犂がなければそもそも農業生産そのものがフランス民衆の生活を維持できなかったし、教育の普及がなければ民主主義についての判断も当時はできなかっただろう。鏡の発明は民衆の「自我」を覚醒させたことだろうし、ドイツ騎兵がのっていた馬はウクライナで「発明」(?)され、鐙や首あては遊牧民族が「開発」したもの。複式簿記は商業ブルジョワの商売を発展させて資本主義の土台を築いたし、科学的方法が宗教からの解放を可能にした。というわけでこの1冊のなかに並べられている文明の道具は、すべて歴史的事件の背後にひそむ重要アイテム。発明はまさしく発明そのものよりも発明をどれだけ利用できるか、にかかっていたわけである。

2012年2月4日土曜日

国語入試問題必勝法(講談社)

著者:清水義範 出版社:講談社 発行年:1990年 本体価格:420円
 ブックオフで100円で購入。読み出すと、なんだか懐かしい感じが…。1990年代に一度読んでいたからかもしれない。で、読み返すと非常に「懐かしい」。あらすじが懐かしいというよりも当時清水義範が取り組んでいたパスティーシュ小説というジャンルそのものがなつかしく、そういえば現在のライターの文章は非常にこなれている反面、癖がなく、このライターの文章は読めばすぐわかる、というほど個性が確立していない。明治時代の前半には、口語体あり文語体あり、あるいはその両者がいりまじった文体ありで、その完成は夏目漱石の登場を待つしかなかったらしいが、21世紀の日本語は非常に標準化されている。丸谷才一さんのパスティーシュといっても肝心の丸谷さんの文体そのものがなかなか日常的に読みなれるような環境ではなくなったため、今の10代がこの本を読んでも、なかなか素直に「面白い」とは感じ取れないのではないか。パスティーシュというジャンル、もしかすると現在書店を席捲しているビジネス本のジャンルでは、新たな地平が開けるかもしれないが、逆にビジネス書籍を読む読者層は本を読んで笑う…という経験に対するニーズがなさそうな予感。

2012年2月2日木曜日

先生はえらい(筑摩書房)

著者:内田樹 出版社:筑摩書房 発行年:2005年 本体価格:760円
 ポストモダンの考えだと「自分らしさ」を追求するってのはあまり意味がなく。だって自分自身の「これが絶対」というのは、実のところ誰も「それが絶対」とは断言できないし、ましてや自分自身で「これが絶対」などともいえない。「自己創設のれん」は現実の世界でも無意味・無価値である。そこで「少なくともAさんの…とは自分は違う」「Bさんのこれこれとも違う」というように他人と自分の差異をみることによって「自分はどうやら…らしいといえそうだ」ぐらいの感覚はつかめる。他者性ってそういうことだと思う。で、この本は「他者性」にすごく深いところまで入り込み、「師」というのを市場経済などとは切り離したところで、誤解もしくは解釈の自由から存在するところだ、といっている。ま、逆に言うと「誤解の可能性のかけらもない」っていうのは俗物といっているのにも等しい。実際、「いったまんま」というのは、非常につまらん存在でもある。ある程度、解釈の玄妙さがないと、誤解する自由すら与えてもくれない。そうした誤解のなさはモダンであってもポストモダンであっても、「三四郎」のような近代の世界であっても非常につまらないものである。価値というところから遠く離れた世界で展開されるであろうイメージとコミュニケーションの複雑で、しかも円滑な動き。師弟の関係とはおそらくそうした自由自在の運動が必要なのだろう。

2012年2月1日水曜日

働くことは生きること(講談社)

著者:小関智弘 出版社:講談社 発行年:2002年 本体価格:700円
 いまどきこのタイトルでは読者が書店で手に取ることも少なくなるのかもしれない。ただ中身は絶品で大田区の中小企業で旋盤工として働きながら、「労働」の意味を根源から考え尽くした力作。1933年生まれということで、若かりしころは労働運動にもちょっと染まったようだが、その後、イデオロギーから離れて「労働」「勤務」「人間」を「鉄を削る」という作業のなかからじっくり考えていく。内容面はひたすら「貧しい」のだが、いわゆる抽象的な議論ではなくて、鉄を削ったり、子供の頃の父親と叔父の仕事ぶりなどから、「働く」ということの「味わい」が醸し出されていく。ただすべての「労働者」を肯定しているのではなくて、よく読んでみるとただ単に機械装置のオペレーションになったり「自動化した労働」をしている人間には存外厳しい内容だ。ロボットのように働くのではなく試行錯誤を繰り返して鉄と対話していくような地道な努力を積み重ねて差別化していくプロセスこそがこの本の醍醐味。さまざまな部品や製品を作って場数をふみ、その都度いろいろな工夫をする。その個別の努力をつむぎあわせて、設計書からイメージを紡ぎ出せるようにする…というのは実は自分自身の「仕事」にも大きく関係してくる。鉄を切削して圧延していく工程から「労働」をみる。これって実は最良のビジネス書籍ではあるまいか。