2012年2月2日木曜日

先生はえらい(筑摩書房)

著者:内田樹 出版社:筑摩書房 発行年:2005年 本体価格:760円
 ポストモダンの考えだと「自分らしさ」を追求するってのはあまり意味がなく。だって自分自身の「これが絶対」というのは、実のところ誰も「それが絶対」とは断言できないし、ましてや自分自身で「これが絶対」などともいえない。「自己創設のれん」は現実の世界でも無意味・無価値である。そこで「少なくともAさんの…とは自分は違う」「Bさんのこれこれとも違う」というように他人と自分の差異をみることによって「自分はどうやら…らしいといえそうだ」ぐらいの感覚はつかめる。他者性ってそういうことだと思う。で、この本は「他者性」にすごく深いところまで入り込み、「師」というのを市場経済などとは切り離したところで、誤解もしくは解釈の自由から存在するところだ、といっている。ま、逆に言うと「誤解の可能性のかけらもない」っていうのは俗物といっているのにも等しい。実際、「いったまんま」というのは、非常につまらん存在でもある。ある程度、解釈の玄妙さがないと、誤解する自由すら与えてもくれない。そうした誤解のなさはモダンであってもポストモダンであっても、「三四郎」のような近代の世界であっても非常につまらないものである。価値というところから遠く離れた世界で展開されるであろうイメージとコミュニケーションの複雑で、しかも円滑な動き。師弟の関係とはおそらくそうした自由自在の運動が必要なのだろう。

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