2011年9月26日月曜日

日本人はなぜ日本のことを知らないか(PHP研究所)

著者:竹田恒泰 出版社:PHP研究所 発行年:2011年 本体価格:720円
日本に誇りのもてる日本の若人の育成を…というのが著者の主張だ。「日本書紀」の神話的要素については従来検定教科書では一部を除いて扱いが少なかったが、これをより多く著述するべきという立場に著者はたつ。「神話」というものについては、いろいろな考え方があるが、「物語の構造」や「神話の構造」となると、実は39ぐらいのプロットにまとめられる…という分析がある。「日本書紀」のエピソードも環太平洋地域に伝わる一連の神話との共通性などを比較検討するといろいろ面白い「構図」が浮かび上がってくると思われるが、そのためにはまず「日本」の「神話」を最低限知っておかなくてはならない。その点では種々の見解があるなかで、「神話」重視の検定教科書が一つや二つはあってもおかしくはない。ただし、それをすべての地域のすべての国民に…となるとやや疑問符がつく。「日本」という国名は聖徳太子の時代以後に文書にみえかくれする(607年)が、現在の「日本」と当時の「日本」とでは意味合いがかなり異なる。北の北海道のアイヌ民族や南の琉球民族はまた大和民族とは異なる神話をもつ。そうした神話も含めて教える…という立場の検定教科書もまた必要になるのではないかという疑問。また、自国に対する尊敬の念と「歴史教育」は必ずしもリンクしていないのではないかという疑問が当然でてくる。
「ロビン・フッド」(リドリー・スコット監督)という映画をみると如実に感じることだが、歴史的経緯からして、「イングランド」が国民国家としての意識をもつのは100年戦争が継続する後の時代で11世紀~12世紀ではイングランドも「フランス」も国民国家の意識はなく、せいぜい海峡をへだてた豪族同士の争いといった感じだろうか。フランスのフィリップ2世がイングランドに攻めてくるあたりがこの映画の佳境なのだが、実際にはジョン王が「負けた」のはフランス領土内に所有していた自分自身の領土であってグレートブリテン島の領土を維持しようとするものではない。が、そうした歴史的経緯を無視してでもこの映画はハリウッド映画として成立してしまうところをみると(またこの映画に限定されないのだが)、欧米で歴史教育が建国の歴史を含めておこなわれているという前提は非常に怪しい。にもかかわらず欧米の「国家」を意識した愛国心は確かに強いのだから、神話というジャンルに足を踏み入れなくても十分、「国に対する尊厳」が育成できるはず。「歴史教育」と「国家意識」とはまた同じ人間の中では違う回路になっていると考えたほうが良さそうだ。また現在では「世界史」は必修ではあるのだが、記憶量が非常に多いため受験科目として選択される割合は低く、実際には日本史を受験科目として選択する受験生が多い。といって世界史や地理を選択した受験生よりも日本史選択の学生のほうが「愛国的」だという統計的な証拠は何もない。またまた複雑な経緯をへて建国に到った東南アジア諸国や、英国連邦のオーストラリアはどうかというと神話的要素はない。

そろそろ認識をあらためるべきは①教科書には国民もしくは一般市民を教化するほどの力はない②歴史教育と歴史観と国家意識は別のものということではないか。日教組の先生が教える「自虐的歴史」の授業を聞き流して授業すっとばして暴走族になって日章旗を掲げる…という図式が70年代で、自虐的歴史(?)に洗脳されるよりもなによりもまず「学校」という枠組みにそもそも学生がおさまりきれていなかったのが実態ではないかと思う。それとは別個に受験勉強にまい進する学生は教科書などは読まず学校採用の検定教科書ではなくてY川出版社の検定教科書を独自に購入して用語集とあわせて受験勉強していた…となれば、やはり「神話」も「自虐史観」もどちらも入り込む余地がない。想像以上に実際には教科書の著述は影響力はない…と考えるのが妥当ではないかと思う。 

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