2011年9月20日火曜日

下流志向(講談社)

著者:内田樹 出版社:講談社 発行年:2009年(文庫版) 本体価格:524円
文庫本も書店では入れ替わりの激しい商品だが、内田樹の文庫本はむしろ平積みになっている本がじょじょに増えていっているような気がする。「下流志向」は、ニート問題が議論された2009年に文庫版が発刊されているが、この本で指摘されている「子供が消費者として育成されている」という指摘は鋭い。塾であれ、コンビニエンスストアであれ、子供はいきなり「消費者」として社会とかかわり、機械装置で電子化された家庭では「家内労働」がないので「労働者」として育成される場面が減少してくる。そうした子供が大人となり、いきなり「消費者」から「労働者」になるといっても確かに切り替えが難しい。お金はある意味では贈与者の属性を問わないので、違法でなければ、誰が差し出しても100円は100円で500円は500円。それが小学生であっても社会人であっても貨幣購買力には差異はない。消費者教育も一部導入されつつあるが、「労働者教育」っていうのは…。労働はアル意味では環境に応じて変化を余儀なくされる部分があるが消費者にはそれもない。金銭には時間という概念がないか、あっても貯蓄か消費かという選択になる。「下流志向」は、消費者として育成された「子供」が、さらには、教育をも消費としてとらえて、義務教育を受けるという楽しくないサービスに対して「不快感」で対価を支払うという構図であると著者は指摘する。教育は大事で、それは最初からシラバスなどで計画化できない部分はあるのだけれど、そうしたシラバスなどもアメリカの市場原理主義が導入されてきた結果だと著者は指摘。教育を「サービス」として割り切ってしまえば、それはそれで一つのあり方ではないかと個人的には思ってしまうが、著者は教育は市場原理では割り切れないという立場を崩さない。

「下流志向」の要因は「文化的なもの」「教育」に拒否感を示す「下位」の子供はさらに「下流」をめざすことで下流の承認を受ける構図にあるという。これって確かにあるようだ。昔でいえば、「悪」を標榜することで、逆に「ワル」の承認を受けるという構図か。ただし、現在ではそうした「ワル」とは別個に文化的教育や知識やリベラル・アーツを重視する「上位」の家庭も一定の割合存在しており、そうした上位層と下位層との分化が始まっているのだとすれば問題は今後10年、20年にわたって大きく表面化してくることになる。授業中、下流志向で一般教養を軽視していた層がその後大人になって「上位層」で固められた大企業や官庁などにまじって労働者として働くということは確かにありえないと思う。今は、ある意味では日本がフランスもしくはアメリカのような階級分化社会に渡る過渡期にあるのかもしれない。

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