2012年7月19日木曜日

うるさい日本の私、それから(洋泉社)

著者:中島義道 出版社:洋泉社 発行年:1998年 本体価格:1600円
 「うるさい日本の私」(日本経済新聞出版社)の続編に相当する。本体のほうは単行本は洋泉社から出版され、文庫本として日本経済新聞出版社より引き続き発行されているが、こちらの続編についてはamazonで中古でしか入手できない。こういう本も早く文庫化されて普通の書店で入手できるようになってほしいが…。もともと哲学の先生だけあって巷にあふれている「騒音」の類についての「嫌悪感」(?)をさらに上の次元の命題にまで昇華。個人の「文化空間」をいかに文明国家らしく保つか、という命題やそれをいかに普遍化するかといったことがらにまで論が及ぶ。
 最初は単なる「笑い」なのだが、この本の後半からは文化論。そしてそれは、世界的に有名なアルピニストがたとえば「御神体」とされる滝のロッククライミングをしたときの「違和感」となんだか共通する。「個性尊重」「自己責任」という命題からすると「御神体」にロッククライミングしてもまあ、リスクは自己責任ということで完結しそうだ。これはまあ日本人として「大切に守られるべきもの」という点では大方の平均的日本人と同じ感覚で「御神体にロッククライミングするなんて」というのが私の「違和感」なのだが、そのアルピニストにしてみれば「ロッククライミングしたい滝があった」というのが至上の命題。とすると他人の敷地に勝手にはいったという軽犯罪法違反程度しか本来はありえないはずなのだが、それでも「とんでもない」と思う自分はやはり平均的日本人の価値観だろう。で、そのときに「御神体に…」といって一気にそのマイノリティを「全否定」してしまうのが、あるいは「部分否定」がいいのかは文化の問題ではないか、というのがこの本を読んでの感想。もちろん「敷地に勝手に入っちゃいけない。御神体を大事にする人もいるのでその価値観にも配慮しなければならない」という部分否定こそがありうべき判断であろうけれど、「日本人としてとんでもない」といった全部否定につながる感情をもつ自分って一体なに…という反省すべき点が見いだせるようになると、「騒音」に対してここまで律儀に対応する著者の気持ちの幾分かも理解できるというものだ。わかりにくくてごめん。

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