2012年7月14日土曜日

走ることについて語るときに僕の語ること(文藝春秋)

著者:村上春樹 出版社:文藝春秋 発行年:2010年(文庫本) 本体価格:514円(文庫本)
 なぜか終始走り続ける世界的な作家村上春樹。大江健三郎も世界にはかりしれなく傷つきやすい作家だったが村上春樹氏もはてしなく傷つきやすい。その「傷」を他者との違いにもとめて、違うのだからこそ固有の物語を書けるのだと前向きに転換してしまう。「心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の代価」としてしまう。で、そこで話は終わらず、そうした「傷」は時に人の心をむしばんでしまうのだから、自分を身体的に痛めつけて「自分が能力に限りのある、弱い人間」であることを再確認する…というのが著者にとっての「走ること」。著者にとっては自分の弱さを再確認する作業が「走ること」の一部にもなっているが、これ別にほかのジャンルのほかのスポーツでもゲームでもなんでもかまわない。自分の弱さと向き合い、さらにそれを「物語」にしてしまうこの作家。もしこの作家が走ることにめざめてなければ、それこそ凡庸な人になっていたのかもしれない。
 で、文庫本229ページに16歳のときの思い出として鏡に写した身体をみて「借り方が圧倒的に多く、貸し方がろくすっぽみあたらない、僕という人間の気の毒な貸借対照表」(229ページ)というくだりがあるが…。意味としてはなんとなくわからないでもない。アンバランスということを表現したかったのだと推測されるが複式簿記的にはちょっと…。

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