2009年11月15日日曜日

思考停止社会(講談社)

著者:郷原信郎 出版社:講談社 発行年:2009年
 「法令順守」と「社会規範」が異なるという事例を食品の偽装表示事件、構造設計偽造事件、経済司法の判例、市民参加、厚生年金記録の「改ざん」、などを事例にとって分析する。法律ではよく「形式」と「実質」という二元分析がよく使われるが、その「形式面」(法令遵守)と「実質面」(社会的な規範など)が乖離しるぎているのではないか、法令の細部の文言に縛られてその段階で思考が停止しているのではないか、という著者の問題提起である。
 個人的にはやはり「経済司法」の判例分析(第3章)が興味深かった。村上ファンドのインサイダー取引による刑事事件が分析されているが、この判決の「投資家の投資判断に重要な影響を及ぼす事実」というのが具体的にはどの段階を指すのかという微妙な判断によるところが指摘されており、むしろこの事件は金融商品取引法の157条(包摂規定)で起訴するべきだったのではないか、という提案は興味深い。インサイダー取引の禁止規定の拡大していくにつれて、「法令順守」を考える投資家は「ある程度ここまで知っているから株式投資はもうできない…」と投資を見送るだろう。その結果、グレーゾーンに存在する投資家は株式市場から離れてしまう。その分需要が減るから、株式の市場価格も下落傾向に陥るという論法だ。むしろ確信犯的なインサイダー取引に相当する投資のほうが増加する可能性もあるわけで、これこそ経済学でいう「レモンの原理」で法令順守を考える投資家が市場から撤退し、悪質な投資家だけが証券市場に残存するという逆選択の状態になってしまう。証券市場の公正さについて検察庁が理解していない、あるいは法廷で説明できないというのはちょっと過激すぎる主張だが、一連のインサイダー疑惑をめぐる司法判断や検察庁の立件の中には、明らかに投資家の投資意欲を阻害するような主張がみられ、それは個人的にも懸念していた(ただし司法判断がすべてに優越するというのは、近代国家の大前提なので、いったんでた判例については、今後かなり大きな影響を持ち続けることになる。方向転換は容易ではないだろう)。ほかにも買収事件をめぐる司法判断も分析されているのだが、個別具体的な案件については一応妥当性はありそうだが、長期にわたる司法判断の一貫性や、市場の安定という観点からすると、判決の趣旨にはちょっと問題点が残ると考えざるを得ない。著者の主張にもかなりの「実質的な正当性」があると思われるし、事実この法令順守の形で日本の制度が運用されるのであれば、善良な投資家が投資しにくい状況はかなり続く。また会社法をかなり柔軟な機関設計ができるように大改正したのに、大型合併や買収がしにくい状況やそれにともなう資金調達にも齟齬が生じかねない問題点も内在している。
 社会的規範をもっと活用する…というのはおそらくそう簡単なことではなく、当面はこの形式的な司法判断や法律の文言どおりに運用していくのが第一段階とすると、最終段階は道徳規範的なものや経済学的に考えられうる判決の「後」のことまで考慮した司法判断というものが「あたりまえ」になる時代となるのだろう。まだ日本は法令順守そのものが始動した段階なので著者の指摘にはかなりの妥当性があるものの、やや制度運用者には厳しすぎる面があることも否めない。ただし「今のまま」では「形式」と「実質」に大きな乖離がさらに生じて、「社会制度」そのものの存在意義が問われる場面がくるだろう。山口県光市の事件をめぐる弁護団と市民の感覚のずれも「形式」と「実質」の大きな「差」の一場面ではないかと考える。

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