2011年8月31日水曜日

かばん屋の相続(文藝春秋)

著者:池井戸潤 出版社:文藝春秋 発行年:2011年 本体価格:581円
いずれも主人公が銀行員という設定の短編集。ただし同時に青春時代を取り扱った短編集でもある。「情」がかよわないデジタルな世界のようにみえて、そこに行きかう人の「情念」」が文字と文字の間をとびかう。「いつでも会社なんかやめてやる」といきまいていたミュージシャン希望の銀行員は、なぜか自分にあわない業務に淡々と取り組む。それには訳が…。という展開だ。数字と数字の羅列はそれだけでは意味をもたないが、ある角度から突然、関係がうかびあがることがある。手形や小切手の世界にも、それなりの物語があるから面白い。
業界の内訳話というわけではなく、また金融小説や経済小説というわけでもない。どこにでもある街並みのなかで普通に生きている人間のなかに突如わいてくる「物語」。裏切りもあれば、和解もあり、そうした「物語」は銀行という場所設定のなかでも、いろいろなバリエーションがありうるという味わいが楽しめる。

2011年8月30日火曜日

人はひとりで死ぬ(NHK出版)

著者:島田裕己 出版社:NHK出版 発行年:2011年 本体価格:740円
「無縁社会」といいつつも、それでは、かつての「有縁社会」は本当に良かったのか、という問題の設定。寺山修司の映画や戯曲にふれると、そこにあるのは、故郷への一種の恨み節。都会もしくは他の田園で過ごしつつも故郷を捨て去りきれない「情念」みたいなものを感じる。地域のつながりをうっとうしく感じていた時代というのは確かにあった。では「無縁社会」をそのまま是とするわけにもいかない。もう少しネガティブに考えるのではなく、有縁社会の悪いところも見据えてから、ポジティブに無縁社会を捉えていく方法もあるのではないか、という筆者の問題設定だ。侘しく寂しい生き方として単純に捕らえるよりも、より豊かで自由にいきる方法だ、ととらえる方法だってある。村から出て都会にでてきた農村の次男や三男が都会に労働力を供給した…という歴史の流れからすると、「部屋住み」に甘んじる農村の暮らしよりも自由な都会のほうが輝いていた時代はあったはず。無縁社会というやや殺伐とした言葉のイメージよりも、その意味する「個人の人生」をもっと積極的にとらえてみては…という宗教学者のメッセージ。NHKはルポで「無縁社会」を報道しつつ、NHK出版でこんな問題提起もしている。なかなかやるな、と感服した次第。

2011年8月29日月曜日

消失 上巻(角川書店)

著者:高杉良 出版社:角川書店 発行年:2010年 本体価格:857円
舞台になっているのは2001年~2002年ごろの架空の都市銀行「協立銀行」。実際には、その後東海銀行、東洋信託銀行とUFJグループを構成する三和銀行と推定される。ただし、金融腐食列島シリーズでは、明らかにモデルは他の都市銀行もしくは長期信用銀行であるにもかかわらず一つの銀行にエピソードをおさめてしまうため、全部が全部三和銀行ということでもない。独特の営業規律をもっていた三和銀行は、風土としては昔の住友銀行に近い雰囲気だったようだ。営業推進にかける意気込みはすさまじいものがあったが、そのかわり幾多の不良債権を抱え込み、2002年から開始された金融再生プログラムでは、貸出先の圧縮と不良債権の処理に追われる。東海銀行との合併は、当時のダイエーの貸付金を1兆円あまりに膨らませ、実際にはUFJ銀行は3年度の決算のすべてが赤字。行内の権力争いも陰湿なものがあったようだが、そのいったんがこの小説で垣間見られる。ほぼ男性ばかりが登場するが、女性も一部描かれる。ただ、40代などの中年女性を描写すると、一定の上手さはあるが、20代の女性を描写しているくだりは、やや、うっすら寒気が…。一種、著者の幻想のようなものが、20代の登場人物には託されているようで、薄気味悪い。「序列」を気にする部分も当時のバンカーの一種の「クセ」なのかもしれないが、2011年の今からすると意識も相当に変わっただろう(少なくとも銀行が、安定していい職場だ…と無意識に感じている人間は2002年のころほど多くはないはずだ)。上巻だけで646ページにわたる大部の作品。非常に面白いが、描かれている時代から8年経過しても、金融機関受難の時代は続いているようだ。

2011年8月28日日曜日

池上彰の宗教がわかれば世界が見える(文藝春秋)


著者:池上彰 出版社:文藝春秋 発行年:2011年 本体価格:800円
書店に並ぶ池上彰氏の著作物の多さに圧倒されつつも、この本を読むと「死ぬ」ということと「生きる」ということに向かい合っている池上氏の悩みみたいなものも垣間見えてくる。日本という独特の風土(宗教に対する風土)では生まれてからしばらくは神道で、クリスマスや結婚式はキリスト教、死ぬときは仏教という組み合わせでもそれほど違和感がない。が世界に目を転じてみると、ユダヤ教、キリスト教、仏教、神道、イスラム教だけでもそれぞれ発生と伝来にそれなりの意味があったことが示される。お寺の今後の存在意義をたとえば介護事業や成年後見制度などに見出す僧侶の方や、共同体と神道との関係など、テーマごとにそれぞれの識者と池上氏が対談するという形式がとられている。興味のあるジャンルから読み進めることもできるが、第1章の「宗教で読み解く日本と世界のこれから」は特に現在の宗教、政治、生活のかかわりを読み解く上で、わかりやすい文章となっている。

映画の構造分析(晶文社)

著者:内田樹 出版社:晶文社 発行年:2003年 本体価格:1600円
本屋の棚で購入したのだが、文庫本がすでに2011年4月に文芸春秋から発刊されている。もし単行本でも文庫本でも気にしないという方は文庫本が入手しやすいかも。内容は現代思想を映画を題材に学習しよう…という趣旨で構成されているが、筆者自身が映画を楽しんでしまっており、それが読者に伝わるといういい循環が生まれる形に。取り上げられている題材は「エイリアン」「大脱走」「裏窓」など。いわゆる「芸術作品」ではないものの、「大脱走」以外は個人的にも楽しめる映画ばかり。「物語と構造」「、ロラン・バルト、物語の解釈などを映画論を楽しめながら習得できる。この著者の「寝ながら学べる構造主義」も面白い試みだったが、この映画論も非常に面白い。ポストモダンは一時期「やりすぎ」だったが、かといってやはりそのままやりすごしてしまう訳にも行かない。現代国語などではどうしても「近代的」な読み方をしなければならないが、「近代」に飽きてしまったときには、この本、入門書としては現時点では最適。

公安は誰をマークしているか(新潮社)

著者:大島真生 出版社:新潮社 発行年:2011年 本体価格:720円
「外事警察」などというテレビ番組が放映されるほか、「踊る大捜査線」シリーズなどでも「警備課」「公安」と刑事警察の壁みたいなものが描写される時代になった。一口に「公安」といっても非常にわかりにくい組織だが、本丸を警視庁公安部とした各府県警の警備課の体系としてとらえるとすっきりみえてくる部分がある。公安1課、2課、3課、外事1~3課、公安調査庁の順番でとりあげられ、共産主義の退潮と環境活動家や新興宗教、産業スパイや北朝鮮といったかつてとは異なる勢力の情報収集の図式がうかびあがる。公安調査庁の退潮と外事関係の業務の範囲の広さが印象に残る。なかなか新聞やブログなどではうかがいしることができない警察の一側面を客観的に描写したこの本。読み物としても面白いが、2011年当時の公安警察に関する資料としても、おそらく100年後200年後も活用される新書ではないかと思う。

2011年8月27日土曜日

人は上司になるとバカになる(光文社)

著者:菊原智明 出版社:光文社 発行年:2011年 本体価格:740円
著者は激務である住宅営業を7年間つとめた経営コンサルタント。勤務時代のエピソードが基礎になっていると思うが、現実味を帯びた上司像がいくつか例示され、それについてのコメントがふされている。ま、通常は「部下」が「上司」への対策として読むものだろうが、逆に「上司」の側が先に読んでおいて「自己研鑽」を積んでおく…というのが実は効率的。教育評論の本を親が読んでから子供に実践するよりも、「子育ての注意点」などについては直接子供に読ませたほうが時間的に効率化がはかれるのと同じである。で、「普通の人」が上司になるとなぜ「イヤなやつ」になってしまうのか…という考察が面白い。実際には、管理職は「部」「課」といった組織全体に責任をもってしまうので9割がたはどうしても「イヤ」な人間にならざるをえない構図がある…ということなのだが、そこを個人の努力でいかにクリアしていくべきか、という論点が次に呈示されるべき。残念ながら、「仕組み」そのものへの対策はこの本では呈示されないのだが、おそらく個々の「イヤな人間」の例示から、もっと上の次元で取り組むのが妥当…といった解決策になるのではないか。部や課全体のモチベーションを高めようと思ったら、根性論やらタテマエ論よりもまず考えなければならない「仕組み」がある…という考え方。意外にこれ、難しい。ただし、自分自身に対しての研鑽と「仕組み」についての疑問を常に抱いていないと、おそらく今の日本の会社では、世代がいれかわっても同じような「いやな上司」が大量生産されつづけていくだろう。

人たらしの流儀(PHP研究所)

著者:佐藤優 出版社:PHP研究所 発行年:2011年 本体価格:1100円
かつてのソビエト連邦がグラスノスチから民主化へ大きく舵取りをきる時期に、保守派(この場合には共産主義者)のクーデターが発生した。日本のメディアも大きく報じたが、それぞれの新聞で情報入手で大きな差が生じた。A新聞の見出しはその後も話題になったが、共産主義国家が復活しそうな勢いだったが、その一方で冷静にインテリジェンスを働かせてゴルバチョフの生存を確認した外務省主任分析官がいる。それが後に「外務省のラスプーチン」ともよばれ、起訴休職することになる著者である。読書の方法やインフォメーションとインテリジェンスの違い、ディナーとランチの違いなど生きたインテリジェンスが掲載されており、非常に興味深い。同時にノンキャリアでありながら、これだけの読書量と活動履歴を残した著者の実力の高さがしのばれる。国会議員との蜜月が逆に足をひっぱった形だが、その後大量の著作を出版。そのいずれもがそれなりに話題となり売れ行きを示しているのも、単なる暴露話や回顧録ではなく、危機に直面し、それを乗り切った著者の経歴そのものが時代に必要とされているからではないか。タイトルは「人たらし」となっているが、実際には、「危機管理」の本といえるだろう。ちなみに担当編集者は元集英社の小峰隆生さん。この編集者もいわば異能の編集者だ。

2011年8月26日金曜日

最終講義(技術評論社)

著者:内田樹 出版社:技術評論社 発行年:2011年 本体価格:1580円
ある一時期、仏文科の卒業生が学会やジャーナリズムを席巻したことがある。立花隆さんも仏文科の卒業生だし、蓮実重彦さんもそうだった。この本を読むとその理由がわかる。1960年代のフランスの思想界がサルトル、レヴィ・ストロースといった先駆的思想を多数生み出し、それを仏文科がフォローしていくという黄金時代があったのだ(84ページ)。そしてそうした理由がわかればその後仏文科が衰退して、いわゆる教養学部や総合学部がかつての仏文科の役割を担い始めた理由も推察できうるようになる(東京大学の進学振り分けでは仏文科の点数よりも教養学部の点数のほうがはるかに高い)。著者もまた1960年代のフランスに魅せられつつ、さらにその根底にある学問の鉱脈に没していく。最終講義といいながら、その内容は「学ぶ」ということへの決意表明にしか読み取れない。学会や大学をさる講義でありながら、大学や学会に対する挑戦状とも受け取れる「明晰な学問論」への反論、大学に導入された市場原理への疑問、誰に対しての学問なのかといった疑念の数々は、知性と学問に対する愛情の裏返しではないか。科学技術である程度は明晰な知識が入手できる時代にあえて「見えないもの」「伝統的なもの」「矛盾するもの」にこだわろうとする著者の姿勢は、読者の知性や知識欲を刺激する。退屈な日常にも「画されたドア」はある。そんな期待をもたせてくれる社会人への応援歌でもある。

2011年8月23日火曜日

ビジョナリーピープル(英治出版)

著者:ジェリー・ボラス、スチュワート・エメリー、マーク・トンプソン 出版社:英治出版 発行年:2007年 本体価格:1900円
「ビジョナリー・カンパニー3」が今年発刊されたせいもあってか、再び書店に棚ざしされることが増えてきた本。ビジョンをもった人の「十分条件」を探索してみよう…という趣旨の本だが…。翻訳がこなれておらず、非常に読みにくいのが第一印象。トム・クランシーなどさまざまな人間のエピソードが盛り込まれているのは興味深いが、そこからなにかしらの教訓を引き出そうという手法には疑問も感じる。巻末の注記や資料はそれなりに充実はしているが、肝心の索引がない。目次ももっと丁寧に作成することはできなかったものだろうか。簡単なテストも付属しているのだがこの活用方法が不鮮明。408ページ読み込んでやや残念な印象を持った。ドラッカーの取り扱ったミッションの部分を探索していこうという本とも位置づけることができると思う。ただビジョンを持つ人間はそもそもこうした本は手に取ることもないのだろう。ビジョナリーカンパニー2が名作だっただけに、その研究成果をあまり活用できないまま人間に適用しようとした点が重ねて残念。

2011年8月22日月曜日

「超ドラッカー級」の巨人たち(中央公論新社)

著者:中野明 出版社:中央公論新社 発行年:2011年 本体価格:780円
「わかりやすさ」が学問の目的ではないものの、かといってどのジャンルのどの部分の本を読んでいるのか迷い道に入り込むこともある。ドラッカーの業績はあまりにも範囲が広すぎて、誰がどの分野を継承して発展させたのかもわかりにくい。そこでこの本。ドラッカーの業績をミッション、イノベーション、組織論、戦略論、人的資源論、マーケティングの6分野に分類してそれぞれの分野の先駆的学者を取り扱って解説してくれている。人的資源論ではジョン・コッター、戦略論ではマイケル・ポーター、マーケティングではコトラー、イノベーションではクレイトン・クリステンセンが取り扱われている。いずれもそれぞれの著書は読んだが、この新書でシステマチックに位置づけられるのは非常に便利。経営学の本ってある程度わかりやすさが優先されないと現実に適応するのに困る部分もある。まあミッションというのはいわば自己啓発的な側面もあるので、経営学とはなじみにくい部分もあるが、社会的責任論などを説いたのもドラッカーなのでBOPビジネスなどをとなえたプラハラードなどの解説もこの本におさめられている。ドラッカーからこうした後継者の本を読むのも一つの読書法だし、逆にプラハラードやコッターからドラッカーにさかのぼっていく読書履歴もありだろう。経営学は企業の発展のための科学だが、同時に企業が社会に貢献していく道を探る学問でもある。法律や経済の専攻の人でも経営学の本には目を通すものだが、そのガイドブックとしてこの本を利用する手もある。

2011年8月15日月曜日

なぜ「改革」は合理的に失敗するのか(朝日新聞出版)

著者:菊澤研宗 出版社:朝日新聞出版 発行年:2011年 本体価格:1500円
行動経済学の本が最近多数出版されているが、この本ではプロスペクロ理論や取引コスト理論、エージェンシー理論などを用いて一見「不条理」に見える現象が、当事者にとってはきわめて合理的な行動であったことを解説してくれる。丁寧な著者によるあとがきも付されており、モデル化によって明らかになる面とそうでない面との区別もきっちりなされている。1500円という値段でこの内容の充実ぶりはお買い得だろう。人望のあつい社長ほどドラスティックな改革がおこないにくいという理由は取引コスト理論で、組織隠蔽工作はエージェンシー理論で、きっちり説明されている。日本人の行動原理は「空気」が支配しているとすればその「空気」とは取引コストにほかならない(57ページ)などは目からうろこが落ちるような思いがする。で、この本の内容から演繹していくと、原子力発電に関する東京電力の事後処理やスタンスなどもある程度推測ができる。安定的な電力供給を目的とした東京電力では特段に改革路線をめざす必要性はない。こうした大会社では大改革路線ではなく「統治」が重視される。したがって原子力発電が事故をおこしたさいに大きな損害賠償問題が発生するリスクを認識していても、その事業から撤退することはできない。撤退にともないリストラクチャリングのコストはすなわち取引コストであり、何よりも現状維持が重視されるからだ。また電力の消費者は各事業会社や消費者(関東地方のほぼ全世帯)であるが、電力料金を払うという意味では消費者はエージェントで、東京電力はプリンシパルだ。消費者と東京電力とでは情報の非対称性があり、利害関係も異なる。こうした条件下でなにかしらの不公正な事象が発生した場合、正確かつ迅速な情報公開は東京電力内部では必ずしも最大のメリットにはならない。社会的には正しいことでも、企業という立場ではリスクが最大化し、場合によっては国有化されるという事態も招く。したがって福島原子力発電所の事故で初期に楽観的な情報が東京電力広報部や経済産業省保安院から提供されていたのは、当事者にとっては合理的な行動だった(ただし社会的にはきわめてまずい行動だった)ということになる。
いろいろなビジネスの現象などをこの本から考察することができるとともに、レファランスポイントなどの概念も実際の事象で「道具」として使えるようにもなる。菊澤氏の著作はどれをとっても読み応えのアル見事なものだが、この本もその一冊。オススメ。


読む管理会計「会社のウソの数字にだまされるな」(日経BP社)

著者:林 出版社:日経BP社 発行年:2009年 本体価格:1500円 
書店で並んでいた本だが発刊は2009年。入れ替わりの激しい書店の棚に2年も並んでいたとは考えにくいので、これはあらためて書店に営業した結果ではないかと思う。内容的には、難しいレベルの話を小説仕立てで展開しているので必ずしもやさしいとはいいがたい。総合原価計算の加工費を材料費基準で配賦して、材料と仕掛品の区別をどうつけるか…といったあたりが一つのポイントだが、加工費の材料費基準による配賦でまずつまづく読者がいて、さらに仕掛品と材料の区別というあたりで挫折する読者も多いのではないか。循環取引の例示も入っているが、日商簿記2級+アルファの知識がないとさっとは読めないだろう。ただ日商1級にこれから挑戦しようとする人には、加工費の配賦基準として何が妥当なのかなどを考えるのに有用ではないかと思う。タイトルは管理会計だが循環取引やたな卸しの手順などは会計学や監査論などにも通じるものがある。

2011年8月8日月曜日

東京古本とコーヒー巡り(交通新聞社)

出版社:交通新聞社 発行年:2003年 本体価格:1429円         2003年当時の古本屋とコーヒー屋さんのいわば「発掘記録」2011年現在ではすでに閉店されている書店や珈琲屋さんや古本屋さんもあるが、それでもこの本の写真を見れば当時の面影にふれることができる。いわゆるガイドブックとは異なり、きわめてこったレイアウトとデザインだ。最初の4ページは2色、そしてその次の16ページは4色。2色と4色、1色のページを効果的に配置し、台割からこっている。索引のデザインもこっており、必ずしも「読みやすい」「使いやすい」という本ではない。この本自体が「街のなかの古本屋」を体現しており、通常のガイドブックというより一種の「作品」のようになっている。階段が名物の古本屋の紹介では、文字も「段差」に組んであり、本に対する愛情が満ち溢れている。組版屋さんや印刷所は泣いたかもしれないが、この本、10年後20年後にはさらに「風俗資料集」として価値もでてくることだろう。

ビジョナリーカンパニー③(日経BP)

著者:ジェームズ・C・コリンズ 出版社:日経BP 本体価格:2,200円 発行年:2010年7月26日
ビジョナリーカンパニーシリーズの第3弾。第1弾と第2弾では「進化」のプロセスを、そしてこの第3弾では、衰退の5原則を扱う。その第一段階は「成功に対する傲慢」。「これだけ売上高があるんだから、まあ大丈夫だろう」という傲岸さはやがて、規律なき拡大路線を生む。さらに若手人材の退職や売上高の減少などのリスクや問題の否認、売上高に影がでてきたところでそれまでの事業展開と関係ない一発逆転へ…。こういう傲岸さに始まる衰亡の原理、実はある企業で目の辺りにしている。衰亡の歴史は個人の部分でもあてはまるかもしれず、成功の事例ばかりがとりあげられる昨今、貴重な「衰退の歴史」を見れる本になっている。
本の造りとしては第1弾や第2弾と同じ四六判だが、天と地の余白が非常に読みやすい分、ページ数が非常に多い。活字もやや大きめだが、持ち運びにくいという意味では、余白と引き換えか。もう少しコンパクトな造りでも良かったのではないかという気もしないではない。翻訳の文章はやや硬く、ときには日本語から原文の英語を「類推」しないと意味がとれない部分もあり。