2011年1月15日土曜日

助けてと言えない(文藝春秋)

編著者:NHKクローズアップ現代取材班 出版社:文藝春秋 発行年:2010年 本体価格:1200円
2011年をむかえたが、いつも通っている文教堂飯田橋店では昨年10月発売から未だ平積みとなっているこの本。完全失業率は昨年10月時点で5.1%とやはり高く、自殺者は平成21年で31,560人とされている。この本は北九州市で一人暮らしの男性が餓死しているところを発見され、それをさらに追跡取材した番組にもとづいて構成されている。その当時に比較すると有効求人倍率も多少は上昇したがやはり不景気。自分自身も「いつかは、もしかすると」と共感を覚えつつ考え込まされる事件だ。
なにが「普通」なのかはわからない。市の生活保護課の窓口でも生活保護の申請はついに行わず、大阪の肉親にも支援は求めなかったこの男性の心のうちは結局だれにもたどりつけない。 ただ自分自身がまた個別的に抱えている環境から脱落し、所持金が9円になったと仮定したときに素直に「助けて」といえるかどうか。たぶん言えないんじゃないだろうか。それは「自己実現」と「社会の現実」との矛盾…というようなものではなく、「助けて」というよりもむしろ社会から脱落していきたい、というような墜落願望に近いものかもしれない。頑張れば確かにまたあれこれできることもあるだろうけれど、場合によってはそのまま消えてしまったほうが楽かもしれない、というような感情ではないかと思う。「助けて」といえるうちはまだ「希望」があるのだろうけれど「希望」がなくなればむしろ支援を求めるよりも「孤独」を選択することもありうる。

社会が市場化していくとどうしても「その意思決定をしたのは自分自身だ」という 「自己責任」についてはある程度考えざるを得なくなってくる。が、この「自己責任」をある意味では必要以上につきつめていくと「自己」をどっか遠くへ飛ばしてしまいたい…という考え方もでてくるだろう。「自己責任ではあるけれど、今はまだ途中であって最終結果ではない」と考えることができる雰囲気があれば、もう少し孤独死や希望喪失という事態は避けられるのではないかと思う。成果主義やら市場主義やらがある程度浸透しはじめてもう10年以上。なのに社会全体の失業率も自殺者数も高止まりということは、自己が責任をとるまえに社会全体の仕組みがうまく働いていないということを前提にして考えなければならないだろう。「最終結果」。それはもしかすると今から10年後かも20年後かも、あるいは30年後にでてくるかもしれない。ただ、自然に「死」が訪れてくるまでまだ自分は、あれこれ試行錯誤してみようと思う。もちろん将来なんらかの拍子に、自分自身が路上で生活をするようなことになっても。生きるためには、体面もへったくれもなくハローワークにも生活保護課にもNPOにも日参して「助けて」のメッセージは発信するつもりだ。自己責任もおそらく10パーセントぐらいはあるだろうが、少なくとも他者責任も90%はある。

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