2011年1月5日水曜日

江戸の下半身事情(祥伝社)

著者:永井義男 出版社:祥伝社 発行年:2008年 本体価格:760円
評価:☆☆☆☆☆
江戸時代というと、平和でしかも実直で…という牧歌的な印象しか思い浮かばないが、著者は「下半身」から江戸時代のもう一つの側面に切り込んでいく。人間が営んできた歴史だから本来だったら教科書にでてくるような歴史ばっかりではないはず。江戸時代をあたかも「理想」のようにとらえるは間違いではなかろうか、という問題提起もこの本は含んでいる。まずは日本家屋特有の防音設備のなさ。出合茶屋の実態など。上野不忍池の出合茶屋の著述は今なおあの周辺に多数残存するラブホテルにもその系譜が残っているのではないかと思う。33ページに掲載されている「江戸名所図会・巻五」のうえの不忍池の中島の様子は今とさほど変わらない風景だ。風景のみならずそこを歩いている人々の生活もテクノロジーをのぞいていけばさほど江戸時代と変わりはないかもしれない。当時の戯作「田舎談義」は現在の東京都足立区の様子を描写したものだが、この描写も日暮里や鶯谷北口周辺の現在の状況とオーバーラップしてみえてくる。当時の吉原と夜鷹の「料金」の違いが343倍と試算されているのも興味深い。客観的なデータがなかなか得にくい(しかも現在の日本では吉原のような政府公認の場所がない)が、80ページに原田伴彦大阪市立大学名誉教授の「売春価格を時価の算定基準に」という仮説も興味をそそる。いわゆる勤番武士がこうした場所では「金払い」が悪いほか「口だけは達者」ということで「武士道」もけっこう差異があったように思える(実際にそうだったろうが…)。そのほか吉原の「廻し」という一種の掛け持ち制度や性病、違法営業の風俗店の取り締まりや「妾」「性同一性障害」「男娼」「心中」なども万遍なく取り扱っている。煩悩は人間の一種の「業」だが結局21世紀をむかえてもインターネットは一種の「業」の集積となっている現状からすると、テクノロジーは変化して進歩しても、人間の「煩悩」自体はさして変化していないと感じる。だからこそ歴史をまたさかのぼってあれこれ検証してみることが大事なのだとは思うが。テクノロジーは無意識に集積して分析、検証されるが、この手のアナログで人間くさい部分というのは、ともすれば「めの届かないところ」に隠されているうちに陳腐化してまた同じ過ちをおかす。こういう新書がもう少し世の中で売れて、多くの人間の目にふれるような時代が逆に健全なのではないかと思う。

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